「最近つくづく思うこと」の記事を基点に話がじわじわ広がっているみたいですね。
梅田望夫氏の記事
My Life Between Silicon Valley and Japan - 最近つくづく思うこと
こちら拝見させて頂いて、ネットは面白いものだな~とつくづく思えてみたりしています。
たとえば小林秀雄や司馬遼太郎といった故人の作品を読み返すとき、彼らはネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む機会を得なかったんだなあと思い、現代に生きる幸福を痛感する。
|
ネットは社会全体を相手にするのだから、ある意見に対する賛否両論は当然だし、誤解も生じるし、ときに批判は激しい。でもそんなこと以上に、嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが(たとえたった一人であれ)見ず知らずの人の、あるいは身近な意外な人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。そんな素晴らしい経験の可能性が、いま誰にも開かれようとしている。
|
そこまで本読んでいる訳でも無いので、著名な作者、著作についてあれこれ言及できるような下地も無いと言うのが私の実際なんだけれども。
インターネットがプロバイダーによって、一般向けのサービスとして開かれた。そしてざっくり20年経過と言うところ?
こちらは単なる利用者側ではあるけれども、ある意味光栄にも、その中の流れの一部に触れさせて頂き、垣間見させて頂いている。
各社の従来的なメディア配信的なサービス提供があれこれ生み出される中、ホームページやブログと言った今までメディアの受け手であった人々からの声が出てくるようになった。
昔はといえばNiftyのフォーラムと言った特定の場の中での交流、意見交換、情報収集が主流。その中の話題やオピニオンがネット全体に拡散していくような事はあまり無かったと思う。
より集団を形成して求心力を強めていくような感じ?
拡散よりも集中。
オフラインや実社会との繫がりもジャンル次第。
あまり大々的にタイアップする事もなかった。
ところで自分の場合は、HPを開設して何かを送り出すには、ネタとなる物事や根気が足りないだろうな~と思っていた。けど、ブログの形を借りる事で、カテゴリと時系列を持って何かをネットに公開できると思えた。
そして、2007年現在、ブログで何かを発信する事は、極めて普通になってきていると思う。
ネットがあったからこそ見出せるオピニオン。
またそのオピニオンに対しての、コメントやトラックバックでの見解や情報の提示。
異なった視点からのアプローチや派生。
これは、本と言う完成された著作の形態では成しえなかった事かもしれない。
きちんとした著作は、時間をかけて生み出される。
作家として、いわゆる一般人の忙しい日常と言う普通の生活を離れる事で、やっとまとめられる。
話題は拡散するよりも、集約淘汰されていく、そういう方向が強かったのではないか?
それゆえ、深い視点、精妙に練り上げられた構成、等々後世にまで残るしっかりしたものとなる。
と言うか、発表当初はあまり反響が無く、暫く時が経過してからだったり、作家が故人となって大きなうねりが生み出されたりと言う事も多かったかもしれない。
結局「モノを書く」ということは、それを読んだ人の心に何が生じたのかということにその意義は尽きるのであって、書いた人と読んだ人とが直接リンクを持ち得ることの意義は何をも上回る。批判からもたくさんのことを学ぶことができる。過去の大作家だって、いくら本が売れようと、素晴らしい賞をもらおうと、大先生として編集者や出版社から崇められようと、これだけは経験できなかったのである。だから僕は現代を生きる幸福を噛みしめながら、毎日延々と、むろん厳しい批判も含め、自分が書いたことに対する反応や感想を読み続けている。
|
今週は、はてなの取締役会合宿がシリコンバレーで行われている。
ネットイナゴ問題についても当然、真剣に議論しています。
|
2007年現代のネットは、ブログなどの形態を使い、ちょっとした話題に直ぐに発信、それについての反応が可能となっている。
オピニオンに対してアンテナが向いている人達は情報を嗅ぎ分け、様々な意見を提示してくる。
こんな事は、昔は特定のフォーラムにでも参加していなければ知ることもできなかった。
でも、今は特段特別のフォーラムに参加しているわけでなくても、いわゆるソーシャルサービスに集まっている意見、検索でヒットするページを参照し、そこに張られたリンクを辿る事で様々な情報が得られるようになっている。
また、練り上げられた著作で無いからこそ、即時性を持って様々な意見が飛び交う。
しっかりした著作や作品を生み出す事ができれば、それはとても幸せであると思う。
そして一方で、普通?の生活をしながら、ブログなど断片的な発信をする。
そこから拡散、波及的な、相互性を持ったうねりが生まれるのは、傍からみていてもなかなか面白いものがある。
今丁度うねりが生じているようで、あちこちでオピニオンが派生している様子。
この流れを追いかけてみるのも、面白そうです。
上記記事コメントについていたこの発言は、頭に留めておきたいですね。
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子は恥ずかしがり屋になります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は正義感を持ちます
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます
【アメリカインディアンの教え】』
|
ところで、
My Life Between Silicon Valley and Japan - 最近つくづく思うこと
の記事についていたリンクやトラックバック。
以下のものなど興味深いですね。
404 Blog Not Found:幸福を痛感する
オピニオンの主流に居る方々は、自身の言動に対して様々な反響を呼ぶ。
必ずしも意図を明確にしている訳でなかったり、また、していたとしても、意図を確認してもらえなかったり。
意図を確認していないコメントは、やはりある一部を捉えなぞらえるばかり。
しかし、そういう物のなかでも、気づいていなかった側面を炙り出してもらえたり。
著作と言う形では、こんな即時性を持った反応は得られなかったであろうけど、ネットの広がりによって、あたかも直ぐ傍に居るかのように意見を確認する事ができる。
断片であっても公開していく事で、様々な意見が飛び交いもたらされる。
人は日々変わっていくものだから、様々なうねりが生じ、その中に居る事が日々確認できるのは素晴らしい事でもあると思える。
北の大地から送る物欲日記:ネットに何を想い、何を書くか
これはその人の考え方によるところが大きいと思うのだけども、私は世の中に完全に正しいとか、絶対に間違っているとかいうことは無いと思っている。その人の立ち位置や持っている背景、TPOによって、より正しい答えはいくつもある。だから、何かを語るときは一歩引いた視点で全体を捉えたり、いろんな立場で考えて見ることが重要だと思っている。
ネットで不特定多数の大勢の人々との対話可能性を得ることができるようになって、そういうモノの考え方がより大きくなった。だって、自分の頭の中で想像するだけじゃなくて、実際に他の人の視点、立場からの意見を実際にもらって考えることができるようになったのだから。
|
まさしくその通り。
こんな風にちゃんと書けると良いのですが、なかなか上手くまとめられません。
人それぞれの思いや体験を通して、そこからにじみ出てきた意見、見解であるならば?
そこにはとてつもない価値が潜んで居そうです。
全く同じ人なんて居る訳ないわけで、安易な反応は注意したいものですね。
naoyaのはてなダイアリー - はてなブックマークのコミュニティについて
ソーシャルブックマークサービスを運営している側の方の見解。
もしもそのコメントが自分に向けられたものであったならば?、そんな事も頭に置いておけたらと思います。
幼稚園児や小学生のような罵倒の場ではつまらないですしね・・・。
でも、それを指針のみでどうにかできると考えるのは理想主義にすぎる。
全てのサービスが2ch化してしまって良いか?
先を見据えていくならば、質を問えるサービスにフォーカスしていくのは当然と思えます。
die Narrheit - 免罪符は破り捨て+α
最近気づきつつあるのは、どんなに環境が悪くて捻くれた人間になっちゃっても、それをより戻していくなら自分の力でやらなきゃいけない、育った環境が悪い(=逆ハンデがついてる)のはすごく理不尽だけど、それでも自力でやらなきゃならないってこと。今みたくいい素材見つけてきては免罪符作ってるようではいつまで経っても変わらない。
|
そう、これ、ついついやっちゃうのですよね。
こんな話が、トラックバックやリンク記事から見て取れるのも、とても面白いです。
芸人社長のブログ ≫ ネットイナゴ問題に対する技術的解決方法
こっちの方にフォーカスしてしまうのも、ちょっと早急では?とも思えてしまう。
けれど、野放しで良いのか?というと、それはサービスとして不足しているのかもしれないと思える。
やはりなんらかの秩序が、ひっそりと、もしくは公然と働く。
言論統制、検閲みたいなものにならずに働いてくれたら、非常に好ましいですね。
NC-15 - 前回の記事のトラバに対するアンサー
俺からすると、小飼弾さんがまさにそうなのかなと。最近言及したりされたりすることが多いのですが、多分、強さに甘えてる部分もあるかと。最近は逆に言及されるケースが多いのですが、ある意味すげえ楽しいというか。言及されるってことは見られてるんだなと。
そう思うと、むしろ楽しいというか。たとえ耳の痛い言及でも反芻して自分の糧にすることで記事がタフになるし。その点でははてブも最近言及数が増えてきたんで楽しいってのはある。
|
端的に言ってしまうと、叩かれて強さ、したたかさが養われるってのはあるのでしょうね。
そこで試行錯誤する。
結果、一回り成長していたみたいな。
と言っても、暴言ってダメージ大きいのですけどね。
はてなブックマークを改善? ネットイナゴ? 問題について :Heartlogic
こちらは真正面から解答試みているみたいです。
こう言う意見が見て取れるのも、ブログという形があるからとも思えます。