2007年06月08日
宇多田ヒカル*Kiss&Cry*Hotel Lobby Another画策? - Utada Hikaru
歌詞聞き取りの後、もしかして色々な意味とか、相関するものが無いのか?
そんな風に妄想膨らませたら、次から次へと想像が膨れてしまいました。
CDリリース前故の、自由な気ままな解釈という事で、見て頂けたらと思います。
■Hotel Lobby 当時からAnother Version は画策していたのかも・・・
Hotel Lobby 歌詞や内容は兎も角、実はスタイルとしてこんな風にしてみたかったんだよね~
”鼓膜にあたるバスドラムと
心地よくつくハイハット
とろけるようなビーセクション ビーセクション ビーセクション
”
それを冒頭のコーラス側で、歌詞や内容とは別の、中身について言及しない、聞こえ方やスタイルを公言しているんじゃないかな~と言う気がしています。
”あなたの笑顔がぼくの
心にクリティカルヒット
いつのまにやらハイテンション ハイテンション ハイテンション
”
年を経て、時間が経って、別の見え方捉え方が出来たりする。
その時には、その時のバージョンを残しておきたい。
Hotel Lobby でやりたかった事が自分なりに判った。
心にクリティカルヒット した。
それで、本人ノリノリでハイテンションに進められたとか・・・?
本人の声でなく、コーラスに歌ってもらっているところがミソなんだと思うのですよね。
第三者による描写というか。
Posted at 2007/06/08 03:54:28 | |
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宇多田ヒカル | 日記
2007年06月08日
宇多田ヒカル*Kiss&Cry*Another Hotel Lobby - Utada Hikaru
歌詞聞き取りの後、もしかして色々な意味とか、相関するものが無いのか?
そんな風に妄想膨らませたら、次から次へと想像が膨れてしまいました。
CDリリース前故の、自由な気ままな解釈という事で、見て頂けたらと思います。
■Hotel Lobby の Another Version の側面
おそらく宇多田ヒカル自身、Hotel Lobby に思いいれがあるからこそ、Hotel Lobby の成長版とか2ND Versionみたいなものを作りたいと画策していたのじゃないか?
何か気に入ったりすると、同じもの幾つも買ってしまったりしがち。
バリエーションや派生も追いかけちゃうことありがちですし。
そうやって集めていく中で、妙に気に成るものが出てくる。
もしくは、自分で何か衝動的に作り上げてしまったけど、何故そうであったのか?そうしたかったのか?
そうなったのかが判らない。
でも数年経ってみて、やりたい事や言いたかったことが再認識できる。
それで改めてまた、自分なりの歌い方が出てくる。
料理とかもそうですよね。
手順とかコツ見えてくると、今度はこんな風にしたい。
Kiss&Cry ではまさにその手順、レシピを敢えて先に冷静に公開してみせたのかも?
Hotel Lobby とはアプローチや手法が逆と言うか。
当時は感じたまま。
なんでそうするのか?そうしたいのか?そういう事までは把握できていなかった。
手を延ばしたり、自分から絡んでいくやり方がまだ上手くわからなかった。
Kiss & Cry では、実生活や様々な作品とのコラボレーションを通じて、関り方やスタンスを身に付けた。
模型とかも、作りこむ人によっては、同じ作品を解釈やアプローチ変えながら結構しつこく追及しながら作ったりしますし。
幾つも手がけることで、まとまりや緻密さが増していく。
すると、Kiss & Cry は This is Love から見たら、ストーリーに準じた展開形。(起承転結の承か転なんてあたり)
Hotel Lobby とは 鏡もしくは扉を挟んで生き別れた相似形、もしくは対照形としての位置づけがあるんじゃないかな~と言う気がしています。
Hotel Lobby では
This is not what she expected
Her hopes, they stretch and they bend
Wrinkle like paper money, paper money
In the city, the town, and the household
So many things can be distorted
So if you want a true life story, bring money, bring money
Meet me in the hotel lobby
Everybody's looking lonely
Watch me as I walk in slowly
When your eyes meet mine
It's in the mirrors of the hotel lobby
Meet me in the hotel lobby
Everybody's looking lonely
Catch me because I think I'm falling
I'll be waiting in the mirrors of the hotel lobby
お金もってホテルのロビーに来い
お金や名声と言う幻影に捕らわれた孤独な人々
鏡の向こうの誰かを見つめることでみつけられないか?
鏡の向こうに居るよ。
ホテルロビーの鏡の中で待っているよ
Kiss&Cry では
You've got me on a natural high
もしくは
You've got me on a natural eye
ナチュラルハイになるくらい、夢中になって判るもんだよ。
もしくは
ナチュラルな眼で、始めて見つけられるよ。
どうも kiss & Cry と Hotel Lobby 最後のフレーズは互いに呼応しているような気がするんです。
何を見つけられるか?
Hotel Lobby の”waiting in the mirrors”の私を、 Kiss&CryでYou've got me。
更に Tis is Love( 愛→ai )
にも掛けてあるのだとしたら?
Kiss & Cry の最後は high よりも ai と言う音で韻を踏んでいたりしないか?
そんな風に”空耳”をこらした場合、
You've got me on a natural high
↓
You've got me on a natural eye
あえて eye(愛) を当てているかも?なんて思えてしまったりしちゃうわけです。
だって Kiss & Cry ~ a a~ai って歌っているじゃないですか。
そうすると Cry high eye(愛) と韻を踏んでいるかも~?
なんて思えちゃったりする訳です。
Posted at 2007/06/08 03:48:54 | |
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宇多田ヒカル | 日記
2007年06月08日
宇多田ヒカル*Kiss&Cry*Hotel Lobby/Thi is Love/Flavor Of Life - Utada Hikaru
歌詞聞き取りの後、もしかして色々な意味とか、相関するものが無いのか?
そんな風に妄想膨らませたら、次から次へと想像が膨れてしまいました。
CDリリース前故の、自由な気ままな解釈という事で、見て頂けたらと思います。
■EXODUS Hotel Lobby/Thi is Love/Flavor Of Life との相関
Hotel Lobby では Hotel の Lobby という特別な場所。
そこはお金や名声が行きかい集まっては散るポイント。
そこに寄り集まり、お金や名声を得たいと気を取られた人を、主な対象としていたのではないか。
けれど、 Kiss & Cry ではどこにでも転がっている。
ある意味日常茶飯事のありふれた風景。
Hotel Lobby での主体は、鏡の中から Lobby の人と”同じ”素振りで、実際は覗き込んでいたかも。
Hotel の Lobby の中の鏡の中を覗き込んで、はじめて出会える。
でも Kiss & Cry では、もう鏡の中じゃない
→おなじかい?(もう違う)
今日は(どこにでもある)カップヌードルすすりながら、共犯がいい。
Hotel Lobby では 直接触れる事ができない、隔てられた鏡越しの邂逅。
でも Kiss&Cry では鏡なんてもう要らない。
鏡の変わりに手渡せ、食べられる日清カップヌードル
カップヌードルは実際に手で触れる事ができ味わえるもの
(→★Flavor Of Life との密かな相関★)
This is Love でのフレーズ。
”もう済んだことと決めつけて
損したこと あなたにも ありませんか?
閉ざされた扉 開ける呪文
Oh 今度こそあなたに聞こえるといいな”
これ、Hotel Lobby の鏡ごしの邂逅とも絡んでいたのかもしれないですね。
Posted at 2007/06/08 03:43:39 | |
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宇多田ヒカル | 日記
2007年06月08日
宇多田ヒカル*Kiss&Cry*Flavor OF Life のおにぎり - Utada Hikaru
歌詞聞き取りの後、もしかして色々な意味とか、相関するものが無いのか?
そんな風に妄想膨らませたら、次から次へと想像が膨れてしまいました。
CDリリース前故の、自由な気ままな解釈という事で、見て頂けたらと思います。
■Flavor OF Life の おにぎり との対比
おにぎり と カップヌードルをさりげなく(韻を踏むかのように)対照として配置してあるのかな~という気もする。
呪文とおまじない
おなじかい
よりインスタントだけど、それ故におまじないとして生きてくる。
カップヌードル
蓋をあけてお湯を注ぐ。
→暖かい食べ物←→冷たい言葉(This is Love)(Kiss & Cry での 冒頭のコーラス)
言葉で冷たく突き放したとしても、お湯が注がれた暖かいカップヌードルが差し出されたら?
Flavor Of Life の”ダイヤモンドよりも・・・”にも懸かって来るのかも
おにぎりは、一品一様。
でもカップヌードルは大量生産。
おにぎりの方がカスタムメイドの呪文(かけるべま呪文をちがえれば効果が薄い)
カップヌードルは誰でもいつでも使えるさりげないおまじない(元々効果薄いけど、繰り返しで効果が積み上げられていく)
おにぎりだと、
Flavor Of Life の ”愛してると言われると・・・”
になりかねない。
だから冷たい言葉であしらいながらも、よりさりげない、そしておまじないみたいな、でも暖かいカップヌードルを差し出す。
それらを象徴するカップヌードルを wao~ リスペクト。
→まあいいんじゃない
そして Kiss&Cry に出てくる日清カップヌードル。
これは、映像、もしくは大きさ、形状的に、地球からミニロケットで飛ばされたカプセルとも重ねていると思えます。
どうにもしがたい、と思いこんでいる現実にうちこまれたささいな衝撃。
→日清カップヌードル カップヌードル カップヌードル wao~
(FREEDOMではミニロケットの先のメッセージカプセルが月に打ち込まれ、その中に写真があったからこそ
真相を見る事ができるようになる。)
→日清が提唱するカップヌードル=自由の象徴へのリスペクト&上目遣いで共犯
案ずるよりも生むが易し。
まるで厭な魔法に包まれているような Magic Night(魔法を掛けられて気付かないでいる。現実と思い込まされた、もしくは思い込んでしまっている状態)
これに対して他者をさりげなく、そして自分で自分をも励ませるおまじない。
より身近、そして自分の内側から湧きあがる思いを補佐するおまじないみたいなもの。
Posted at 2007/06/08 03:27:28 | |
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宇多田ヒカル | 日記
2007年06月08日
宇多田ヒカル*Kiss&Cry*FREEDOMとの相関 - Utada Hikaru
歌詞聞き取りの後、もしかして色々な意味とか、相関するものが無いのか?
そんな風に妄想膨らませたら、次から次へと想像が膨れてしまいました。
CDリリース前故の、自由な気ままな解釈という事で、見て頂けたらと思います。
■日清FREEDOMとの相関
FREEDOM 最初のテーマソング This is Love
こちらは何かの呪文で扉が開く事を期待していたような感じでしょうか。
物語と同期して、まだ真相を知らずにはしゃいでいる状態。
This is Love では
”予期せぬ愛に 自由 奪われたいね
Oh 一目で分かったの
冷たい言葉と 暖かいキスあげるよ
”
と、偶然性と恋は盲目みたいなところを、期待や夢や希望、楽観込めて軽快に表現していそうです。
これはやはり物語の始まりを意識しているから故だったのではないでしょうか。
それに対して、Kiss & Cry では ”恋に落ちれば同じよね”ともうどっぷり嵌まり込んでしまったかのような粘っこさ。
真相に迫ろうとするほど、夢や希望を打ち崩しかねない衝撃が待ち受けている。
This is Love と Kiss & Cry 冒頭の違いは物語りの進行と同期させていたりしないかな~と思えてきたりしています。
FREEDOM最初のエピソード。復活した地球から月に向けて、一発のメッセージロケットを打ち上げる。
これが投げかけられた魔法、呪文で扉を開きたい。母なる大地に帰っておいでよ、とさそう様子。
→予期せぬ愛に 自由 奪われたいね
一方Kiss & Cryを提供したFREEDOM3のストーリー。
こちらでは管理当局による厳しい~統制という現実が横たわっていた。
ビークルレースや本当の地球を確認しようとする。
そんな無茶をやっていく中で隠された真相を知ってしまう。
アダムとイブが知恵の実であるリンゴを食べて、楽園を追い出されるようになった嘆き
→”Cry”
Kiss & Cry はそんなイメージともかけられているかも。
日常生活でも、慣習や常識から外れて、知恵の実のリンゴという真実らしきものを下手に食べようとすると、
周囲から「そんな事をしたら、していたら・・・」と常識や都合を持ち出されがち。
でも、これって本当に現実なの、真実なの?
既定路線にまんまと乗せられて捕らわれた目で見ているからこそ、もうこれ以上はダメだと思えてしまっているなんて事は無い?。
→夜空のパイロット、被害者意識
そして EXODUS Hotel Lobby も、まだまだ捕らわれた目でみていたのかも?(結果的な被害者意識)
でも、それもその人の捕らわれの常識や都合に過ぎない。
怪我しても、その先に行かなければ、本当に知りたいことや欲しいものは手には入らないのじゃないか?
それで上手く行かなかったり、失敗だとしても、幻想に振り回されている方がよっぽど不幸かも・・・。
→月夜のパイロット
有視界飛行は困難なので、セット済みの既定路線、自動操縦に委ねるしかない状況
世間がどうであろうと、自分なりのこれこそと言うこと、やってみれば案外どうにかなるもの。
→上目遣いで共犯(日清というかFREEDOMプロジェクトとの共犯)
現状の世の中を、誰かが魔法をかけた故にある社会としてみてみたら?
FREEDOM での月面都市エデンは、地球はまだ汚染されたままという幻想に隠蔽された社会。
今の世の中も、真実らしきものがあれこれ隠蔽されていそうと言う点で、ある意味FREEDOMのエデンみたいなものかもしれません。
我々も、そうと知らずに自分自身で踊っているつもり。
でも実のところは踊らされているんじゃないか?
→先が見えず自動操縦任せの夜空のパイロット達がリストラ劇、インターネット熱、ダイエット熱に絡み取られ、氷上で必死に演目を演じている。
Posted at 2007/06/08 03:24:35 | |
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宇多田ヒカル | 日記