2014年05月08日

web記事を見ていると、「米クライスラーグループ本社、社名表記を「FCA」に変更…フィアットと経営統合」との記事を見つけました。
http://response.jp/article/2014/05/07/222652.html
以前も、フィアット・クライスラーグループの本社がイギリスにみたいな記事を見たのですが、今回は、社名表記が変更になるとのこと。
記事を見ていると、これがクライスラーだけの話なのか、フィアットもなのかよくわかりませんが、社名だけならまだしも、本社の看板も「FCA」になっているようで、何か複雑な気持ちです。
トリノのフィアットの本社の看板もFCAになってしまうのでしょうか?
Posted at 2014/05/08 00:28:44 | |
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輸入車 | 日記
2014年05月03日

いつものごとくwebCGを見ていたら、スズキの軽のエンジンを積んだということで話題のケイターハム・セブン160のインプレッションが掲載されていました。
http://www.webcg.net/articles/-/30686
通常は、ブリティッシュ・ライトウェイト・スポーツカーという分野には、ほとんど関心がないのですが、その独特の文面で、読んでいると執筆者が想像がつく「森慶太」さんの記事ということもあり、また、日本製エンジンを積んだ軽自動車登録のセブンということもあって、記事を読んでいく中で結構興味がそそられました。
なかなか面白いクルマのようですね。
ところで、バーキンのセブンは最近どうしているのでしょうか?
Posted at 2014/05/03 01:15:51 | |
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輸入車 | 日記
2014年05月01日
今日、5月1日は、アイルトン・セナがサンマリノGPで事故死した日です。
もう、20年になります。時の流れは早いものです。歳をとるはずですね。
雑誌でも、セナ特集が組まれ、現在、スカパーのフジテレビNEXTでは、セナ没後20年特別企画”F1お台場カフェ 今夜はアイルトン・セナを語ろう”という番組が放送されています。(今、追っかけ再生で見ているところです。)
セナの思い出を語りだすと、止まらなくなるので、今日はやめておきますが、94年のTI英田で開催されたパシフィックGPに行き、最後の日本での走りを見ることができたのは、幸せでした。
Posted at 2014/05/01 23:16:12 | |
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モータースポーツ | 日記
2014年05月01日
明日は2014年5月1日。アイルトン・セナの死から20年が経ちます。
セナの死の前日。1994年のサンマリノGPの土曜日。同じく事故死したのがオーストリア人のローランド・ラッツェンバーガーです。
シムテックという新興チームからデビュー。それまでは、日本でF3000やJSPC等(JTCも出てたかな?)で活躍していたので、日本人には非常になじみのあるドライバーでした。
F3000でもキグナスカラーのチームから出場。星野一義もまだまだ強かった一方で、バブルのおかげで、それまで強かった一部のチーム以外も資金力があり、激しい優勝争いがなされた時代に勝利したこともあります。(実際にその場におりました。)
そして、ラッツェンのレースで、個人的に最も印象深いのが、1991年の鈴鹿インターナショナル1000kmレースです。
現在も、夏の終わりの風物詩的なレースとして、伝統ある鈴鹿1000kmですが、91年のJSPCシーズンは、日産がポルシェ962Cを凌駕し、圧倒的な強さを見せ始めた時期で、そこにトヨタが追いすがるという展開でした。
当時、これまた鈴鹿にいた私は、大ファンである日産ワークスたるニスモチーム(YHPではなく、カルソニックだったと思います。)が僅差でサードトヨタを引き離してトップ快走。残り10周を切ったところで、約10秒差をつけていたので、安心してチェッカー&表彰式(と鈴鹿1000km名物の花火)を見るべく、1コーナー側のスタンドからグランドスタンドに向かっていました。
その途中で、サーキットビジョンに映った衝撃のシーン!カルソニック日産(多分鈴木利男がドライバーだったと思います。)の左のリアサスが壊れ、火花を散らしながら1コーナーのグラベルに飛び出していったのです。
そしてトップでチェッカを受けたのが、ラッツェンが駆るサードトヨタでした。
表彰台の中央に立つラッツエンと長坂尚樹ともう一人のドライバー(ちょっと忘れました)が輝いて見えました。日産ファンとしては悔しかったですが、171周のうち約160周戦って、トップと2位の争いが約10秒だったというすごいレースでした。全日本耐久選手権、全日本スポーツプロトタイプカー選手権を見てきた中で、最も印象深いレースでした。
その時輝いて見えたラッツェンが、その約3年後に壮絶な事故で亡くなるなんて信じられない思いでした。
見た目は、オーストリア人というよりもオーストラリア人という風貌でしたが、好漢ラッツェンのこともセナ同様忘れられません。
そして、明日はセナの命日ですね。
このことは別途明日ブログにアップしたいと思います。
Posted at 2014/05/01 00:26:19 | |
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モータースポーツ | 日記