
本日
1年ぶりのCTスキャン
前回担当してもらった医師は
転勤になったと少し前に電話で連絡があって
新しい担当医師に合わせて
予約時間は変更になった
受付すませて
CT撮影室へ行ってCT撮影
2時間弱ほど待って
医師と面談
まあ
大動脈については変化無しで
胸腺と甲状腺がどうなってるかだなぁ
くらいに思ってたんだけど
CTの写真を見せられながら
去年より大動脈が膨らんでます
と
えっ!?
これまで十数年変化の無かった大動脈が膨らんでる?
通常30mmくらいの大動脈が
解離することで40mmちょっとくらいまでに膨らんでいたものが
現時点で45mmくらいになっているようだ
これが50mmを超えるようであれば
外科的手術を検討する必要が有ります
とのこと
発症した時点で
外科的手術をやる方がリスクが高いと言われたんだけれど
最近はステントグラフト内挿という新しい方法が有って
カテーテル式の手術で対応できるのだとか
以前だと
人工心臓つないで
人口血管に取り換えるしかなかったけれど
ステントグラフトは内側から補強するんだと
手術自体は新しい手法であれば
手術自体で死ぬことはなさそうな感じがするけれど
カテーテルでそんなにうまくやれるもんなんだろうか
現時点では
膨らみの進行速度も分からない
とりあえず
次は半年後にCTということになったけれど
半年間に一気に膨らむって可能性は無いんだろうか
色々不安材料が山積みなんだけれど
詳しくは
クリニックの方へ手紙とデータを送っておくから
クリニックの方で相談して下さいと
ん~
なんか
今のクリニックの先生は
かなり権威の有る先生っぽくて
判断はそっちにお任せって雰囲気なんだけど
それで良いのかな
なんか
カウントダウンが始まったっつうか
導火線に火が点いたっつうか
休火山の山体膨張が目に見えたっつうか
突然膨張した原因って何なんだろう
血圧はそれなりにコントロールされてると思うんだけれど
血管の劣化が進んだってことになるのかな
薬的には
お薬手帳を見せたら
結構しっかり飲んでますねぇ
って反応だったけど
これから半年で
50mmを超えちゃうってことは無いんだろうか?
50mm超えないのに破れるってことはないのかしらん?
こういう手術を受ける平均年齢は75歳らしいけど
私の血管年齢はいくつなんだろうか?
まあかなり血管年齢は高いに決まってんだけど
とりあえず
続きはクリニックってことで
病院を出て
原爆死没者追悼記念館へ
死没者名簿を書いてる書道家の人の書の展示会が有るというのを
何かで見て
ちょっと見てみたいと
入り口を入ったところに
書庫みたいなものが有って
今日は修学旅行生っぽい学生が数十人
死没者の手記を読んでるみたいだ
意外に真剣な表情で読んでる
我々と違って
ほぼ予備知識の無い若い人達は
どういう感想を抱くんだろうか?
ウクライナのニュースが流れているタイミングだから
ある意味特別な感情を抱くのかもしれないな
たぶん我々とはちょっと違うんだろうけれど
前回は全く意識せず素通りしたんだけど
ふと検索端末が有ることに気付いて
名前を入力してみたら
父の遺影と手記が登録されてた
遺影はうちに有る本物の遺影よりは少し若い時のもののようだ
たぶんここから依頼されて写真と手記を提出したんだろう
昨年見つけた手記とはほぼ同じ内容だけれど少し違う
うちに有ったのは下書き的なものだったのかな
受付に戻って聞いてみると
遺族には手記のコピーを希望すれば渡すとのことで
手続きの書類に記入してコピーをもらった
なんだかとても丁寧な対応が印象的だった
書の展覧会は
通常
被爆者の体験証言ビデオが流れているスペースに展示されていた
係の人が集まってるところで
これは撮影とかしてもかまわないのですか?
と許可をもらってから書を見はじめたら
書いたご本人が話しかけて来たので
父が被爆者で・・・・・といった話を簡単に
死没者名簿にこの人が名前を書いてくれたわけだ
福山雅治の書いた詩ですと
もしかして歌にもなってるのかな?
知らんけど
平和祈念資料館の横には
展望台も有った
前回来た時には気付かなかった

広島の平和記念資料館は広い公園になってるけれど
ここはあまり公園感は無い
平和記念公園は別に有るからね
ここの展望台に来る人はたぶん殆どいないんだろうな
周りは草ぼうぼうで全然手入れされてないし
平和記念公園の方はそれなりに清掃されてる気がするけれど
だから
長脇市民は資料館にはほとんど来ないんじゃないかな
ちょっと買い物をしたくて新大工町へ
新大工のあたりに大きな駐車場が思い当たらないので
いつも浜町へ行く時の駐車場に留めて電車で
口砂香っていう干菓子を買いに

そういえば
かなり小さい頃に
この辺りに父に連れられて来た事が有ったなあ
なにか昔下宿してたとことか言う話だったような気がする
そこのおばさんと長い事話をしてた
たぶん
下宿していたのは被爆前後の時期で
その近所で被爆
そこを訪ねたのが被爆から20年ちょっとってタイミングだったはず
そっから50年以上が経っている
新大工から引き返して
浜町を抜けて丸山方面へ
この辺で
梅が枝餅売ってるとこが有るらしいんだよね
大徳寺の菊水

えらく古めかしい
元々
大徳寺という立派なお寺が有って
その中に神社が有ったものらしい
今は大徳寺公園となっていて
そこに神社っぽいものは残っているけれど
神主さんとかはいそうにない状態
大宰府の梅が枝餅はかなり薄っぺらいけど
ここのはほぼ大福
直径は同じだけれど暑さが4倍くらいありそうで
餅は薄くてほぼ餡子
一人前4個となってるけれど
空腹状態でも1個が限界っぽい感じだ
隣の公園のベンチに腰かけて
梅が枝餅を食べようとすると
わらわらと猫が集まって来た
まさか
こいつら
梅ヶ枝餅狙い?
目を合わせようとはしないまま
何?
何かくれるなら食ってやってもいいぞ
的な態度
まさか猫が餡子食うとは思えんし
餅食うのかな
と
餅の部分を少しだけちぎって
差し出したら
1匹だけ寄って来て
フンフンと匂いを嗅いで食いついた
食うんかい
でもやっぱりお気に召さないようで
離れて行った
昔は立派な寺が有ったみたいだ

今は見る影もない
これが梅ヶ枝餅が有る理由なんだな
新地の方へ抜ける参道

こっちが正面だったんだ
眼鏡橋の上で修学旅行生っぽい男子が騒いでる

川岸のベンチに同じく修学旅行生っぽい女子が数名ベンチに座ってる
あれを意識して騒いでるってことね
色々
あちこちさまよった一日
Posted at 2022/11/20 19:02:31 | |
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闘病 | 日記