今日は姉夫婦のリクエストで
島原方面へそうめん流しを食しに
島原の手延べそうめんは地元では有名
手延べそうめんとしてのシェアは3割くらい有るらしい
何故島原でそうめんなのかというのは
良く分からないが
長崎からの麺文化が伝わったのかと思うところだけれど
よくよく考えると
実は島原は長崎や平戸とともに
中国やポルトガルと交易していた場所で
島原の乱以後に長崎港だけが交易の地となって
鎖国に突入したんだった
それ以前に中国から伝わった小麦を食す文化では
その加工品は麦縄と呼ばれていたらしく
つまり麺状態のもので
長崎のよりよりとかもその一部というか
最初に伝わった麺の名残を残した形態が
よりよりなのだという説もあるらしい
そう思うとたしかにあれは麺料理だね
当時の記録やそれを物語る痕跡の類は
島原の乱で焼き尽くされて
現在では島原を訪れても
容易には異国文化を感じることはできないのだけれど
湧き水が豊富なこの土地で
湧き水を利用した食文化ってものとして
そうめんを食す習慣が
わずかに残ったのかもしれない
知らんけど
小浜の手前から
仁田峠へ向かう急な登りへ向かい
仁田峠へ向かう有料道路の手前で分かれて
島原方面へ下る途中の山の中腹で
国道から分かれて細い道を入って店へ
木立の中の店は平日でも想像以上に賑わっていて
入店するのに少し順番待ちしなければいけなかった
休日には相当混み合うんだろう
駐車場まで多くのベンチが用意されてた
梅雨の合間の晴天で
下界はかなり気温が上がってたけれど
ここは標高も高いし緑に囲まれてかなり涼しい
湧き水を溜めた池の水面にはうっすらとモヤが出てる
20分ほど待って店内へ
テーブルの中央には流しそうめん機
中央の五徳みたいなものは
そうめんを盛ったざるを置くためのもの
湧き水かけ流し状態で
あふれた水が中央の方へ流れ出して排水される
しょうがを擂って竹筒につゆを入れる
天ぷらを2人前頼んだら店員から多いですよと言われ一人前にしたら
たしかに3人前を一皿に持ったのかと思うようなものが出て来た
まあ野菜なんだけど
後は山女魚の塩焼き
関西あたりだとそうめんとは鮎がセットな感じだな
このあたりには鮎が遡上しそうな大きな川は無いからね
開け放たれた窓からは爽やかな空気と緑の光が
よく蚊が入って来ないものだ
気温が低いせいかな
代わりに大きなトンボが迷いこんでた
正直
誘われた時点では
そうめんかぁ~
うちでも食べれるけどなぁ
って気持ちが少しあったけれど
思いのほか満足度が高かったなぁ
帰りは
来た道を戻りつつ
姉が行きたいってことで
ワッフルの店を目指す
姉も行ったことは無くて
知り合いから
原方面に行くのならこの店に寄って
テイクアウトを買って来て欲しいと頼まれたのだとか
橘湾沿いで湾の最も北側に位置するあたり
小さな集落に通じる細い道を入って行き
NAVIは更に細い道へ入る指示をしてるけれど
さすがにこれを入るのは嫌だってくらいの小道の手前で停車
義兄がちょっと見て来ると言って降りて歩いている間に
あたりを良く見回すと小さな看板を発見
小さな看板の割には10台分ほどのスペースが有って
未舗装だけれどちゃんと区画割のロープが張られてる
殆どは軽専用の奥行しかなかったけど
軽自動車1台ぎりぎりくらいの幅の道を下りて行く
NAVIではちょっと曲がったところが店ということになっているけれど
店舗っぽい建物は見当たらまい
ん~NAVIの地図的にはここなんだけど
奥にクルマが有るってことはやはりここななのかな
写真を見て気付いたけれど右に草に埋もれた看板らしきものが有るな
そこへ
もっと先に行ってた義兄が戻って来て
なんか蔦の多いとこらしいよと
ここですな
たしかに
窓が出窓になってて店っぽい造りに見えないこともない
妙に古びたドアのノブを回してみるとカギがかかってる
休み?
回すノブって時点で店としては変だ
ここではないのかな
振り返ると・・・・・
どう見ても店ではないよね
ところが
蔦の隙間に電球っぽい灯りが・・・・・・
えっ?ここ?
左の白い壁の奥に入り口が有った
中はこんな感じで外からはちょっと想像できないイイ感じ
窓からの緑の光と室内の電球色のコントラストが素敵
ちょっと茂りすぎだけど藪の向こうに海も見える
メニューによると
昼はランチもやっているらしいけど
紅茶とワッフルがメイン
紅茶は日本の茶葉に力を入れてるっぽい
ここも窓開放
良く虫が入って来ないなぁ
でも雰囲気はちょっと惹かれるなぁ
一人でやってるっぽいけれどこういうやり方もアリなのかも
結構リピーターはいるのかもしれないねぇ
こういうの詳しくはないけれど美味しかったです
うちから30km弱
佐世保バーガーよりは近いな
一度
どういうお客さんが入ってるのか
ランチタイムに訪ねてみたいって気もするね
今日
元広島カープの投手だった北別府氏の訃報が報じられていた
別にカープファンでも北別府氏の個人的なファンでもないけれど
少し前に公表されていたという病名に聞き覚えが
うちの父の病名と同じもの
西日本特に九州に多く
主に母乳から母子感染するとか言われてる
白血病の一種で免疫不全に陥るから
最後は肺炎とかの感染症で亡くなるから
あまり報道で流れる病名ではないので久々に耳にした
北別府という苗字から想像するとおり
出身は鹿児島で高校は宮崎らしいから
やはり九州の出身だったんだな
縄文人の血が濃いと因子を持ってる確立が高いとかいう説もあるみたい
この病気の因子は持っていても
必ずしも発症するわけでもなく
発祥するのも高齢になって免疫力が落ちてからとか聞いていたけど
北別府氏の場合60歳そこそこで発祥してるみたいだから随分若くで発症したんだな
しかも
未だに治療法って確立してないってことなんだろうか
かなり以前から
女性は妊娠した時点で検査されて因子を持っているか判定されて
もしその因子を持っていれば子供の授乳を禁止されるので
現在の世代ではもはや絶滅に近い状態になっているんじゃないかと想像するけれど
発症例も少なくなって余計に治療方法の研究とかも止まってしまったのかもしれないね
ご冥福をお祈りします
Posted at 2023/06/18 15:00:21 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | 日記