
GWで帰省したとき
実家はちょっと悲惨なことになっていた
実家には八十歳になる母が一人暮らし
姉が近くに住んでいるので
頻繁に顔を出してちょっとした買い物なんかは
してくれている
ちょっと前から兆候は有って
正月に帰ったときに
そろそろまずいことになりそうな
気がしたのだけれど
年に数回しか顔を見せない親不孝者が
憶測で物を言ってもあまり良い結果は招かないだろうし
季節的にも5月に帰ればぎりぎりでとんでもないことにはならないだろうと思い
今回不安を抱きつつ帰ったら
思ったとおりの状況になっていた
早い話が
母がゴミを捨てられなくなって
台所にそれを溜め込んだ状態
八十にもなれば色々と生活に支障も出て来るさと言ってしまえば
それまでのことだけれど
親にとっては子供がいつまでも子供であるように
子供にとっては親はいつまでも親でずっとちゃんとしているものと思うから
それなりにショックを受ける
姉は頻繁に実家に顔を出すとはいえ
居間で母と話しをするだけで
あまり台所に用事が無いので全く気付いていなかった
母がゴミを捨てられなくなったのにはいくつか理由が有ると思うのだけれど
一番の理由は分別が必要だということだろう
実家の自治体でのゴミの分別はさほどややこしいわけではなく
燃えるゴミと不燃物に資源ゴミとしてのプラスチック
あとはビン類とペットボトル
問題はビニールとかプラスチックの資源ゴミ
我々でもパッと見ただけでは判別し難いものは多い
紙や木材に見せかけたプラスチック
プラスチックっぽい紙
当然リサイクル用に表示がなされているのだけれど
八十歳ともなればそういう表示を見つけるのも大変だし
中には一番外の包装にのみ表示してあったりすると中身だけになってしまうと
わけが分からなくなるものも有る
ちょっと前には
良く分からないものは細かく切って燃えるゴミに出していたようなのだけれど
そういうものを細かく切ると端部が鋭利になって袋の外から見ても目立つ
どうもそれを近所の人に見咎められたようだ
田舎のゴミ収集の時間は早くて
前日から出すわけにもいかないので
30分くらいの間に皆が一斉にゴミを出すようで
誰にも会わずにゴミを出すことは先ず無理
おのずとゴミ袋の中身に気をつかうことになる
これに加えて
母の食生活の問題
実家の自治体では高齢者向に弁当の無料宅配サービスが有って
数年前から月水金のお昼に弁当が届いているのは知っていた
高齢者の母を一人暮らしさせている身としては有り難いサービスだと
言わざるをえないのだけれど
最初のうちは母にとっては余計なことで
かと言って捨ててしまうわけにはいかないので
弁当を食べるわけだけれど
元々食の細い人なので
弁当を食べた日は夕食は殆ど食べない
おのずと自分で一度作ったおかずを3日くらいで消費していたのが
量的には一週間くらいもってしまうことになる
そうなれば消費してしまう前に
食品として朽ち果ててしまうことも多くなる
八十歳ともなれば物忘れも多くなるから
余計に朽ち果てる食品が多くなる
そういうものを大量にゴミ袋に入れて捨てることで
またご近所の誰かに見咎められたらという意識も働いているようで
老人が出すゴミなんてたかが知れているとはいえ
結構な量の元生ゴミが台所に蓄積されていた
実家に帰った夜
現状を確認し翌日が丁度ゴミ出しの日だったので
「明日手が空いているならゴミ出しを手伝って下さい」と
姉にメールを打った
翌日
私が目を覚ますより早く姉がすっ飛んで来た
姉も少なからずショックを受けたようだった
ゴミを整理するついでに
冷蔵庫もチェックしてみると
賞味期限から推察するに
その冷蔵庫は約半年前から時間が止まっている様子だった
おそらく半年ほど前から
母は自炊することを断念せざるをえなくなったのだろう
宅配の弁当によって自炊のペースが狂ったことが一つの要因なのだが
自分の期待する食材がうまく入手できなくなったのも大きな要因だろう
今の実家には30年くらい前に引っ越して来たのだけれど
当時は新興住宅地で近所にちょっとしたスーパーが有ったのだが
今ではちょっと離れた場所に大型スーパーができたせいで
近所のスーパーはちょっと前につぶれてしまい
年老いた母が自力で買い物に行ける店は存在しなくなった
従って姉に買い物を頼むしかなくなったのだけれど
「何が必要?」と聞かれても高齢者にはそうそう的確には注文できないのだ
"物忘れ"と一言で言うけれど
我々の物忘れの場合は記憶には有るけれどそれをうまく引き出せない
ということになるのだろうが
高齢者の"物忘れ"の場合はちょっと違う気がする
八十年も生きていると記憶の棚がもう一杯になってしまったという感じ
それなりにインパクトが有ることはすでに収まっている記憶を押しのけて
記憶の棚に収まるのかもしれないけれど
些細なことは最初っから記憶の棚には入らないのではないだろうか
私が帰省したら話さなければと思ったことは
記憶の棚の一番前にしっかり入っていてちゃんと話すのだけれど
それを私に話したという事実は些細なことなので
母の記憶の棚には入りきれないようで
私の顔を見る度に同じ話をすることになる
「その話は昨日聞いたよ」なんてことを言っても始まらないので
「へぇ~そうなの」「ふ~んそうなんだぁ」「あ~それは○○だねぇ」と
初めて聞いたように対応するしかない
記憶の棚が一杯になっているということは
母の記憶の中の時間も止まりかけているということになるのかも知れない
今はまだそれほど深刻ではないと思うのだけれど
この先何か対策をとらなければいけないのかどうか悩むところ
記憶の棚が一杯になって新しい事がもはや記憶の棚に収まらなくなりつつある
という理解が正しいとするならば
心配だからと言ってこちらに同居させるとか別の環境に移したりするのが
得策とは思えない
ふと目が覚めたら見覚えの無い部屋にいるなんてことになりかねない
目を覚ます度にそこが何処なのか分からず動揺するなんてことになるのかもしれない
実家で生活する限りは新しい記憶が残らなかったとしても
見慣れた部屋の風景だろう
たとえ見覚えの無いものがいくつか有ったとしても
殆どは見覚えの有るものだろう
まして出歩いたりしたとすれば
突然自分がどこから来て何をしようとしているのか分からなくなるかも知れない
今の家の近所を出歩く分には突然記憶が少々飛んだところで
殆どは記憶に有る風景
何処へ行こうとしているか分からなくなったとしても
とりあえず自宅に戻ることはできるだろう
出歩く度に数年前に出来た店を見て
「あら、こんなところに新しい店ができたのね」と毎回思うなんてことに
なったとしても大した問題では無いだろう
現在の環境をできるだけ維持してあげるのが一番良いのだろうと
とりあえず思うことにした
結局は何もしないということに他ならないのだが
正月に帰省した時
いつも自分でおせち料理を作っていた母が
既製のおせちセットを購入していて
私が戻る時に「今度はロクなもの食べさせなかったねぇ」とポツリと言った
それも有ってちょっと覚悟していたのだけれど
今では無料の月水金の宅配弁当サービスに加えて
有料の追加宅配弁当サービスを火木に追加しているようで
「あんたは何処か外で食べて来なさい」と言われてしまった
だからちょっと離れたスーパーまで出かけて行って
ちょっとした惣菜を買って来て母と分け合った
おそらくもう母の手造りと呼べる料理を口にすることはもう無いのだろう
別に得意料理的なものも無い人だったので
あれをもう一度食べたいなんてことも無いのだけれど
まぁそういう段階に達したということは確かなようだ