
今日は鳥栖方面へ
少し前に
平和記念館で震電を展示
という記事が有って
震電と言っても
実機が存在しているはずもなく
何かの撮影用で作られた模型らしい
模型といえど実物大
何処だろう?
太刀洗?聞いたこと有るようなないような
何だ
近いじゃん
これは見に行かねば
と思ってて
ようやく出撃
佐賀とか鳥栖の辺りって
線状降水帯が発生する時期には
あまり行きたくない
逃げる高台があまり無い場所だから
朝から
降水予想とか雨雲レーダーの予測とかチェックして
多少降りそうだけど
この天気図で線状降水帯とかゲリラ豪雨とかは無さそう
ってことで高速へ
鳥栖ジャンクションを
少しだけ大分側へ走って筑後小郡ICを降りた
奥に見えるのが筑前町立太刀洗平和祈念館

航空の町だったことを自称してるので飛行機の格納庫をイメージしてるっぽい
入館したら
係の人から
撮影は禁止です
でも
機体は撮影OKです
但し
動画は一切禁止です
と
なんか変なルールを告げられる
どういう意図なんだか
良く分からん
けど
別に困ることも無い
展示室に入るとすぐに震電

浮いてるように見えるけれど
これでしっかり脚が着いてる
後部のプロペラが離着陸時に地面に接地しないよう脚が極端に長い
極端に長い前脚
エンジンが後ろなので空気取り入れ口がジェット戦闘機っぽい
鼻先から下に伸びるのは通信用アンテナ線の支柱
垂直尾翼は左右に分割されて2つ
その分小さい
プロペラ6枚
それだけエンジンは高出力ってことだろう

後で分かったけど
左上から伸びてる銀色の細い骨組みみたいなものは
B-29のシルエットを示していて
概ね
この記念館の展示室に斜めにピッタリ収まるサイズ
イメージしていたより
B-29って小さい
きちんと調べると
YS-11より一回り大きくて
ボーイング787の半分くらいの長さ
自衛隊機で言うと
およそC-1くらい
爆撃侵入高度からいくと
長崎で言えば9,000mだから
かなり小さくしか見えなかったんじゃないのかなぁ
飛行機見慣れてない時代だとデカく感じるんだろうか?
そういうのも含めて
展示方法とかかなり工夫されてる感じがした
ただちょっと
震電に関してだけは
無理矢理この記念館に詰め込んだようで
写真撮りにくい~
背景もゴチャゴチャだし
以前からあるという零戦二三型
海外に有ったものらしいけどかなりボコボコ

そもそも
この太刀洗は陸軍の航空部隊だから
零戦は縁もゆかりも無さそうな気がするけれど
どうしても
戦時中の飛行機を展示したかったということかな
陸軍の飛行機は殆ど海外に出てないから先ず残ってないもんね
こちらは
博多湾に不時着後沈んでいたものを引き揚げた九七戦

海に沈んでたから
ボコボコで塗装も剥がれて・・・・・
ここまで来るとオブジェのような芸術作品のような
何かこの町の鎮魂の象徴にふさわしい姿のようにも見える
この九七戦のホイール付車輪の新品を松本零士氏が持っていて
ここに寄贈されて装着されてる
タイヤカバーが大きいから殆ど見えないけれど
チラリと輝くホイールが見える

奥に見える
この記念館のシンボールマークは
九七戦のシルエットでなかなか格好良いマークだね
もしかして松本零士氏のデザインだったりするのかな?
展示状況とかから見て
この記念館は
この九七戦が博多湾から引き揚げられて
その引き取りに町が手を上げて記念館を造ったってことかな
ちゃんと調べてないけど
こういう平和記念館とかでは
あまり展示物
特に文章物は真剣に見ない
精神的になかなか辛い場合が多いしね
何となく
こんなことが書いてあるものが展示されてるのね
と
図解的になってるものは
結構真剣に見る
今回
目を引いたのはいくつかあるけど
先ず
日本地図に各都道府県の空襲犠牲者数を棒グラフで表示したもの
広島・東京・長崎が突出してる
日本全国総数の約半分が広島
広島の犠牲者は長崎の倍の14万人と認識してたんだけど
ここでは26万だかの数字になってる
原爆以外の空襲は殆ど無かったとか聞いてたんだけど
他に空襲が何度も有ったのかな
原爆犠牲者数は
被爆後何年も経ってから死亡した人も
被爆との因果関係が無いことを証明できないとか言って
現在ではほぼ被爆死者数≒被爆認定者数になりつつあるけれど
昭和20年時点の死者数が7万と14万のはず
長崎は
地形の関係で原爆の被害としては小さいと思ってたけど
東京の空襲は長崎より被害が大きかったんだなあ
平地で人口も集中してるとはいえ凄いね
沖縄の犠牲者は
空襲以外でカウントされてるみたいで
沖縄の犠牲者数は少なかった
戦争に対する受け止め方は
広島・東京・長崎・沖縄の出身者とそれ以外では
たぶん少し違うんだろうね
次に目に付いたのは
さくら弾機
完全に初めて耳にする単語
帰ってからネットで検索しても
ここで展示してた図解はみつけられなかった
特攻用の兵器の一種だけれど
軽量の戦闘機とかで
敵艦に体当たりしても
軍艦の装甲を突き破るのは難しいということで
巨大な爆弾を双発の爆撃機に搭載するんだけど
半球形の容器に爆薬を詰めることで
爆圧を一方向に集中させる
その爆弾を双発の爆撃機の操縦席の後方に搭載
胴体に収まり切れないので操縦席の後ろをもっこり膨らませてる
そういう透視図が展示されてたんだけど
エグイ
詳細はあまり詳しく書かれてはなかったけれど
要するに
通常の特攻と同じく敵艦に突っ込んで行って
衝突直前に爆弾を爆発させる
すると
操縦席を含む機体前方を吹っ飛ばした後に
敵艦に強烈なダメージを与える
ってことだと思う
しかも
搭乗員は4人
操縦士に機関士に航法担当とか爆破担当とかが必要ってことなんだろう
搭乗員の結果は同じで効果は上がる・・・可能性がある
ってことなんだろうけど
エグイよ
桜花とかもそうだけれど
完全に特攻が目的の機械を設計するって
どんな精神状態だったのか
もはや
軍に関連する人が尋常ではない精神状態であったのではあろうことは
分からんでもないけれど
もう一つは
復員者に関わる仕事をしていた人の手記
文章物だtったけれど
油断して読んでしまった
戦地に出た兵隊の生存確認の問い合わせの応対もやっていたということで
つまり
その人は戦死しています
と
宣告する役割
それはちょっと想像するだけで辛いわ
最後に
太刀洗の飛行場が空襲された時の話が15分ほどにまとめられて上映されていたのを見ると
小学生が犠牲になった話がメインになっていて
これも辛いわね
小学生よりも
桁違いの数の大人が犠牲になってるんだけど
やっぱ子供を前面に出すんだなぁ
ウクライナも
同じような感じの報道してるけど
研究・開発はかなり前から行われていたみたいだけれど
実戦投入前に終戦を迎えてる
軍部は
前線で使える空中戦能力の有る機体を欲して
本土防衛のために準備するという事はなかなか言い出せなかったんだろうなあ
空戦能力の高いパイロットが発言力も強かっただろうし
一撃離脱戦法をやりたいとも思わなかったんだろうね
しかし
後部のプロペラが特異感を出してるとはいえ
プロペラをジェットにすれば
ステルス機以前のジェット戦闘機として
ほぼ違和感が無いのは凄いと思う
これは別館っぽいところに展示されていた零戦の残骸

OHV2バルブってことは分かる
最後に
ここの展示物をまとめたようなものが売られてないか
売店を物色したけど
証言をまとめたものしか無くて
係の人に聞いたら
図録が今売り切れていて・・・・
と
仕方がないので
証言集だけ購入
記念館の向かいの駅前にも飛行機が展示されてる

しかしこれも
太刀洗とは縁のないはずの機体だなあ
太刀洗の平和記念館は「記念」を使ってる
長崎では
平和祈念と「祈念」を使う
小学生の頃に
原爆記念日っていうのを
原爆落とされたのを祝ってるみたいで変だなと思って
平和祈念像が「祈念」を使ってるのを知って
あぁこれは分かるなと思ったけど
原爆祈念としてもやっぱりおかしいな
とか思った記憶が有る
そのせいか
原爆記念日とか終戦記念日は
今では
原爆の日と終戦の日と呼ばれることが多いみたいだ
平和記念館は平和祈念館の方がしっくり来るけど
どうなんだろうか
「記念」という文字に
何か目出度い印象を抱くのは
それ自体がお目出度いことなのかな
Posted at 2022/07/23 09:48:58 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | 日記