2009年08月29日
壊れゆく日々 ~秩父谷に見る地方経済~
埼玉でも山ふところ、秩父谷に住んでいます。
秩父という所は、かつては生糸生産と中継ぎ貿易でずいぶん栄えたところですが、
海外から安い生糸が流入したことで値が暴落。あっという間に寒村となりました。
現在は、高齢化率の高い過疎の村です。
村のじい様ばあ様たちは「オラが方じゃ、こうだよ」(”これが私たちの流儀だ”の意)と、
その文化性の高さを強調して止まないのですが、後継者不足に悩んでいます。
若い人たちにとって、魅力と、創造性(自由度)、産業(仕事)が足りないのです。
小鹿野には田舎歌舞伎もありますが、秩父夜祭ほどのネームバリューはありません。
都心へ出るにも2時間弱。産業は貧弱で、主だったものは中小の電子部品メーカーと
ささやかな地場産品しかありません。
3階以上の建物は、役場や警察署などの公共施設と駅前ホテルと・・・うーん。
一部の電子部品メーカーくらいなものです。
さらに、この不況で多くの人がリストラされ、職安の駐車場はいつもいっぱい。
外から若い人々がこの秩父谷へ来るのは、もっぱら無形文化財の秩父夜祭の時だけです。
それだって、お神楽や秩父夜祭の成り立ち、文化的意義を学びに来るというよりは、
純粋に大きなお祭りそのものを楽しみにして来てくれる、という方が事実かもしれません。
最近は小中学校の再建ラッシュがみられます。
地元の大きな土建業が倒産したこともあって、救済措置の一環なのかもしれません。
ただ、地方財政そのものが枯渇しているので、地域経済の活性化への有効な一石とは
なりにくいようです。
仕事がないので、若い人の多くは都心を目指します。
まあ、現在は都心も厳しい状況のようですが、「ない」秩父よりはマシかな、というところでしょう。
ほんと、ないです。
シャッター通りも増えました。
以前は目抜き通りだったところですが、一本外れたところに幹線道路ができたために、
多くの店が閉じています。映画館、本屋、百貨店(半分だけ)、ハンバーガーショップ、etc・・・
老老介護は、もう10年前から始まっていましたね。
「老人施設への入所は100人待ちで、待ってる間に亡くなってしまう人もいる」
というのは、某老人施設責任者から直接聞いた話。
それに、若い職員は給与のいい都市部へすぐ行ってしまう、とも。
生活がかかっていますからね・・・。
都市部でリストラなどを受け、住居費の負担に耐えられなくなり戻ってくるUターン組も
いますが、再就職は先ほどもお話しましたように、とても厳しいのが現状です。
もちろん、車の免許も持っていなければ、生活すらままなりません。
職場へ行くにも、買い物するにも、距離と坂道があるからです。
地方の政治家さんたちですが、いまだ地方名望家による権威政治が
完全には払拭されていませんね。
「地元だから」という理由で地方議員(市議や町議員)が選ばれ、
背いた者はしばらくの間、近所から不当な態度を取られることもあります。
まあ、直接実害を受けることは少ないですし、むしろ息抜きができて良いのかも。
・・・政策?いえ、それは二の次なんですよ、地方では。
地方では、「寄り合い」と称する隣近所との会合がしばしばあります。
そこで、発言することは多少できますが、事実上の決定権は、一部の人にあります。
いわゆる「鶴の一声」。経験がものを言う?いえいえ、序列がものを言うのです。
政治学の世界では「地方自治は民主主義の訓練場」といいますが、
まあ、日本の場合は、かなり厳しい訓練場だ、ということをお分かりいただけるかと思います。
今日の地方で一般的なのは、ポリアーキー(多数者による統治)ではなく、
モノアーキー(単独支配)もしくはオリガーキー(寡頭政治)であることが一般的であり、
そこを「若輩者」あるいは「よそ者」が変えてゆくのは、並大抵ではないからです。
・・・そんなこんなで、私は秩父音頭が未だ好きになれません。
「♪おらがほうじゃ、こうだよ。おかしけりゃ、お笑いな、っと。」
秩父が経済的にも低迷したのは、地理的・政策的要因の他に、いつまでも旧態然たる
経済構造や社会文化を墨守しつづけ、外見だけ新しいものを取り入れてみるものの、
その本質的な部分においては排除してしまっていることが、少しは原因となっているように
思います。
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田舎暮らし | 日記
Posted at
2009/08/29 10:10:12
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