2012年04月04日
単なる雑記です。
このところは忙しいのと、燃料高で外出を極力避けています。
それでもランティスに、あらかじめ購入しておいた純正OPのサイドバイザーを補修して取り付けてみたり、あるいはベースキャリアを取り付けてみたりなどしていました。
一時抹消してあるため、今はオイル下がり・上がり防止として駐車場内を右へ左へ、ぐるっと回る程度のことしかできませんが、たまにはメンテナンスも兼ねて自賠責と仮ナンバーを取得し、マツダのお店まで動かしてあげたいなと思っています。
デミオとキャロルですが、大きな変化はありません。順調に走ってくれていますし、燃費も悪くないですね。もちろん、踏み込めばそれなりですが。
ただ、ちょっとキャロルの出力が気持ち下がっているような気がしてなりません。うーん。クラッチが特に滑っているというわけでもないのですが。エンジンオイルは3000~4000km毎に交換しています。エンジンのフラッシングが必要なんでしょうか。まだそんなに走っていないようにも思えるのですが・・・。近いうち、フィルターとスロットルのあたりを確認してみたいと思います。
私自身ですが、最近出不精になったことで何事につけてもちょっと情熱が下がっているような気がします。だめですねえ。
2月初旬に始めた筋トレ・・・・というほどのものでもないのですが、一応細々ながら続けています。最近は疲れが抜けにくく時間も気力も今一つのため、効果もそれ相応だったりします。
資格試験勉強。こちらは相変わらず継続しています。むしろ例年より進んでおりまして、ようやく峠が見えてきました。ただ気をつけないと、情熱を失って折れかねない気もします。ここへきて、という感じですが。
今夜は風が強く、家の周りを囲む木々の樹冠が時折激しく揺れて、ゴーっという音が聞こえてきます。春の嵐といったところでしょうか。『春の嵐』・・・ヘルマン・ヘッセの代表作の一つで、みずみずしい初恋物語なわけですが、一方、私自身はといえば、恋愛の情ももはや枯れてしまいましたね。
それよりも今は、生活の安定と家族の安寧、そしてもう少し穏やかな、何か楽しみをこつこつやってゆけるような暮らしを本当は望んでいたりするわけですが。
しかし、社会情勢はどんどん厳しさを増すばかりで現状維持すら望めませんし、多少先々のことを考えると、今は多少なりとも努力と辛抱、そしてささやかな向上心を、いやがうえにも持ってやってゆかなければならないのだなと、自身に言い聞かせています。
家の裏にある、子供の頃から植えられていた白梅が今年も見事な花をつけております。例年より寒い日が続いていますので、開花時期も遅れたのでしょう。この風で早く散ってしまうのが残念です。
そういえば、「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」という在原業平の有名な句がありますね。意訳すれば、「この世に桜などという美しいものさえなければ、(いつ散ってしまうかなどと憂慮することも無く)春はのんびり過ごせただろうに・・・」とでもいうものでしょうか。
人によっては、その桜に心惑わす女性の姿や、(いつか消えゆくだろう)藤原家の栄華を重ね合わせ合わせて読み解く場合もあるようです。
春の日は一般的に秋よりも気温が低いため、生命の芽吹きの季節でありながら、秋にも劣らぬどこか寂しげな風情をも漂わせるのかもしれませんね。
そうそう、「こち(東風)ふかば、にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな」という菅原道真の句もありますね。この句は『拾遣集』に収められているのですが、句の前置きに「ながされ待りける時 家のむめの花を見待りて」とあります。学問の神様として今も多くの受験生の関心を集める菅原道真は政争に巻き込まれ大宰府に左遷される、まさにそのような時に読んだ句です。
この当時、京都から大宰府へ左遷されるということは、政治上の完全な追放と、僻地での事実上の隠遁生活を意味していますから、菅原道真の心中いかばかりだったかと思います。
また、旅といっても現代とは異なりますから、非常に厳しいものだったと思います。
旅の厳しさといえば、昔の中国大陸において西方を旅するのは本当に命がけだったわけで、次のような漢詩が残っています。これは国語の教科書で触れた方も少なくないかと思います。
『送元二使安西』
渭城朝雨潤軽塵 客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人
渭城の朝雨軽塵を潤す 客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西の方陽関を出づれば故人無からん
この漢詩は、西域に旅立とうとする知人を見送る、別れの詩です。
現在も陽関の跡地は砂に埋もれ、ここを過ぎれば砂漠地帯の広がる荒涼とした世界となります。
ちなみにここでの故人とは、知り合いのことを意味します。
この他、旅の厳しさという点で、鑑真和上が渡日する際の旅は極めて厳しく、何度も漂流の末やっとたどり着いたというエピソードはよくご存知かと思います。その過程で鑑真和上は失明したと言われていますね。
命がけの旅・・・井上靖氏著『天平の甍』を読みますと、当時の中国-日本の船旅がいかに厳しいものであったのかが伺われます。
井上靖氏は日本を代表する作家の一人で、1991年に亡くなるまで、中国を題材とした作品を中心に、非常に精度の高い小説を世に生み出していた方で、ご存知の方も多いのではないでしょうか。その当時の歴史的背景をしっかりとつかみつつ、それに縛られるのではなく、その息吹を生き生きと活写してみせる筆致はまさに匠の技であり、亡くなられた時は本当にショックだったのを覚えています。
ではなぜそこまでして旅をしたのか。
あまりにも簡単な言いとなってしまいますが、使命感のようなものだったようです。
世の中が荒れ、仏法が廃れた時代でもあり、その当時、日本の僧侶たちは堕落した仏法界を憂慮して、当時最先端だった中国から高僧を何とか招いて日本の社会文化を改革しよう、あるいはありがたい経典を日本にもたらそうという使命感に突き動かされた結果だったようです。
そういえば立花隆氏の『青春漂流』の一説に、空海の若かりし頃の空白の時代について触れた部分がありました。名も無き若い僧であった空海は、やがて遣唐使の一人として中国に渡るわけですが、中国派遣されるのは選ばれた精鋭の僧でなければならなかったはずで、一介の若い僧がどのような過程を経てその地位に着いたのか、その空白の期間はいまもって謎であるというのです。
若い頃の様々な経験は、それが短期的にまったく役にたたなそうであっても、また、少々無謀な挑戦であっても、怖気づいた心を隠しながら訳知り顔で厭世的な態度をとるよりも遥かに何かを、人に与えてくれるようです。若い頃の研鑽努力や種々の挑戦は、その人の一生を大きく変える、と言っても良いのかもしれません。勇気を持って、一歩を踏み出すことが大切なようです。
・・・あれやこれやと、とりとめのないことを書き散らしてきてしまいましたが、夜も更けてきましたので、そろそろお開きとしたいと思います。
なんだか、私も自らの殻をもう一度破ってみたくなってきました。
では、おやすみなさいませ。
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Posted at
2012/04/04 01:16:52
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