2011年04月25日
今まさに食べているものの命の重みを感じながら味わうことって、ありますか?
わが子と私との『命の重みと、それを食べる意味』について共に考えた、ささやかな対話の記録です。
昼過ぎ、私が大切に育てていたアスパラガスの新芽のうち、一本の頭頂部が何者かにちぎりとられていました。
辺りを探していると、水の入ったバケツの中に、頭頂部が浮かんでいます。
そばで遊んでいた子らを呼びました。
『誰がやったの?』
上の子がやったと下の子は告げています。『やったの?』『う…ん。』
上の子は、また怒られるのか~と、きまり悪そうです。
『これってさ、パパのママが大切にしてきた奴だよね。で、今はパパが大切に育てている奴だよね?』『うん』
『コレをイタズラしちゃいけないって、知ってるよね?』『うん』
『人が大切にしているものをドロボウして壊して良いの?』
面倒くさそうに彼はそっぽを向きます。
『じゃ、お前のオモチャを壊して良いんだよね?』
『えっ!?』
彼は必死で首を横に振ります。
『だって、それなら、あいこでしょ?でないと、ずるいでしょ?』
『…』無言のまま頷いています。
『じゃ、壊しても良い』『ヤダ…』
『お前は毎年夏になると叔父さんにカブトムシを買ってくるでしょ?』『うん』『で、結局最後まで買えなくて、その辺に捨ててるでしょ?その死骸をパパはよく見つけるんだけど(-_-#)』
正直、海外産の昆虫を子にポイポイ買い与える叔父の神経が解らないけど…
『コレもカブトムシも、生きてるんだよね?』
『なんでこんなことをしたの?』
『切って、水に浮かべたら、また枯れてから生きるかな…って』
方法論じゃないんだけどな。水に浸ければ植物は生き返ると思ったんだね。子供らしい現実感の薄さではあるけど。生け花は再生の技術じゃない。
『どんな気持ちでやったの?』
『楽しそうだから…』
『…じゃ、楽しければ、お前の頭をちぎって、水に浮かべて…で良いの?』両手で彼の頭を挟むようにそっと包む
『ヤダ…死んじゃう』
『そう、死んじゃうね。コレも同じでしょ?』『…』ハッとした表情をする彼。
『知ってる?植物だって、切られるとき、悲鳴をあげるんだよ。イタイよ~って。』『!』一瞬驚いたような表情をしたあと、いぶかしむ様子の彼。
『聞いたことないよね。そりゃそうだよ。ヒトの耳には聞こえない声だもの。でも、何人もの偉い理科の先生が、機械を使ってわかったんだ。』

Posted at 2011/04/25 01:02:23 | |
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雑記 | 日記
2011年04月23日
今日・明日はお休みさせていただきます。
完全なお休みとはならないとは思いますが、明日は家庭菜園の下準備をする予定です。
ただ、天気予報だと雨なんですよね
p(´⌒`q)
軒下で作業もできますが、今ひとつ気分が盛り上がりません。
ここ1ヶ月ほど資格試験の勉強がおざなりになってるんで、そっちを頑張らなきゃ~というのもあります。
そうそう、ブルーベリーの木では、花のつぼみがつき始めました。
とても小さくて可愛らしく繊細なつぼみです。見ているとワクワクしてきます。
枝豆のツルが大きくなってきました。
先日、宮城産の胚芽米5キロ買いました。白米に混ぜて使っています。以前は玄米を白米に混ぜて食べていましたが、いつも買っていた玄米が見つからないんです(涙)。
玄米を混ぜるとカミさんの体調が良いんですよ。それに子供たちも残さず喜んで食べてくれますから。近いうちに近くの農産物直売所へ行ってみます。確か福島産玄米が売っていたはず。四分の1玄米は食べやすくて美味いですよ。
家の外でウグイスが鳴いています。いや、だいぶ鳴き方が上手になりましたね。以前は聞いているこちらが『ズルッ』とずっこけちゃいそうな音痴っぷりを彼らは発揮していましたから(笑)
で、綺麗に鳴けるようになったらソロソロ終わりで、また地鳴きへ戻ってゆくんでしょうね。
先日はキツツキが庭に来て、鳴き声…じゃなかった、木をつつく姿が見られました。コココココッ…ケンシ○ウもビックリの超高速ツツキです。
カッコウが遊びに来ないかな。木々にこだまするあの鳴き声は一度聞くと病みつきになります。心震えるような感動があります。
秩父の桜の季節はもうじき終わり。新緑に移り変わろうとしています。
あちこちの畑では菜の花が群れなして、黄色い花を風に揺らしています。
山の色は優しいパステルカラーに染まっています。
山上の大きなホウの木にまた逢いたくなりました。私がまだ小学生の頃に出会ったその木は、長い歳月を越え、人々の暮らしを見つめてきました。
よろこびも悲しみも自然と共にあり、人は自然のうちにあることに思い至ります。ただ願わくば、人は人としてなすべきことを精一杯尽くしてゆければと思います。

Posted at 2011/04/23 08:34:22 | |
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雑記 | 日記
2011年03月20日
カミさんの幼なじみで、私にとっても友人である一家は、宮城県仙台市の栗駒に住んでいます。
昨夜、やっと連絡が取れました。彼女の方からメールがあり、一家の無事を伝えるものでした。
同地域で亡くなった方はいらっしゃらないとのこと。
しかし依然として強い余震が続き恐怖した場面が蘇えり、眠れないと言います。
これはフラッシュバックという現象で、強烈な恐怖体験をした人にしばしば起こります。
本人の心の中で当時の状況がリアルに再現され、痛みなどの体感もあります。
程度差もあるようですが、本人や周囲の努力だけでは治らないケースも多く、生活にも大きな支障が出やすいので、早期に専門家に相談し、治療することが必要になってきます。
もちろん周囲の理解は必須です。フラッシュバック発生時には、安全確保が第一となります。
なお、栗駒では未だ電気・水道が止まったままであり、厳しい寒さに耐えかねている状態です。
また、食料の入手が極めて困難な状況にあり、飢え死にしそうだ、と。
彼女は施設職員なのですが、ガソリンが入手できず出勤できない職員が増え、非常に厳しい状態。
また電気がなく、ケータイの電波塔も壊れ、情報不足に陥っているようでした。
仙台駅までは徒歩で行けるそうなので、とりあえず携帯を充電できる場所を知らせ、役場に行くよう促しました。
生き残った方も心理的な痛みを抱えていることがあり、それは目に見えぬ分、周囲から理解されず一人苦しんでしまうこともあります。
誰にでも起こり得る現象です。実際私も軽度のものを数日感じていました。完治したかは不明です。ただ以前より余震に強い不安感や不快感を覚えるようになりました。
被災地にも救援物資が徐々に届くようになってきています。
しかし本人の意志によらず孤立し、苦しく不安な日々を過ごす人々はたくさんいます。
一日も早くみなさんが普段通りの生活を送れるよう、悲しいほど微力だけど応援してゆきたいと思います。

Posted at 2011/03/20 18:34:27 | |
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2011年03月18日
あれから一週間。
まだ進行中で、整理がつけられない。
私個人にとっては、一家族がみつかり、一家族が、どこかにいて、
私は日に何度も何度も、パソコンから、ケータイから、ラジオから、テレビから、検索し、聞き、探し求めている。
それでこの一週間という時間は、私の中では、短くも長くも、まして何となく流れ過ぎ去った時間でもない。
そこには深い恐れと、落胆と、喜びと、いつ果てるともない不安があり、いまだ答えは出ない。
どこまでも深い闇の広がる荒野で、何の明かりもなく、いくつもの親しい顔を胸に浮かべ、くり返し、くり返し、狂ったようにその名を叫び続けている錯覚に、何度となく陥った。
被災地の人々の心に、半歩でも近づき、寄り添いたい。
そうすることが、またそれだけが、親しい人々を深い闇の中から見いだし、再び私たちの生活に光を取り戻す手段であるかのようにさえ思えた。
しかしそれは親しき人々をということ以上に、私自身の救いを求める行為に他ならなかった。
と同時に、自らの親しい人が平穏無事であることを見つけたとき、ある種の後ろめたさを感じたことも事実だった。
この後ろめたさの源泉は、親しい人が救われることだけで満足してしまわないかという恐れであり、その親しい人の無事を願う思いさえ、彼らの幸福を願う以上に自らの心の安定を求める衝動の所産ではないかという恐れに他ならなかった。
決して純粋にも、また即物的にもなりきれない自身がそこにいた。
だから私のようなキメラの生き物は、彼らを支えると同じかそれ以上に彼らから支えられていて、彼らとの絆を糧にして生き続けているのかもしれない。
ただどのような入り混じった思いが交錯していようと、一人でも多くの被災者が再び生きる喜びに満たされることを、深く、深く祈らずにはいられない。

Posted at 2011/03/18 19:25:52 | |
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雑記 | 日記
2011年03月17日
今、日本テレビで欽ちゃんの仮装大賞のリバイバルやってます。
ほんと、元気でますね♪
また明日からも頑張れそうです。

Posted at 2011/03/17 20:19:15 | |
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