
先週末に宮城へ行って参りましたが、違和感の連続でした。
まず、支援地となった地区は、見た感じ普通の住宅街なんですが…住んでいるのは、わずか三軒のみ。
外観からは、なかなか被災の状況が見えてきません。壁に残る、津波の海面の跡だけが当時を物語っています。
地元の方のお話では、「床上まで浸水し、店が滅茶苦茶。匂いが残り、商売にならない。国からの義援金配布は滞ったままだ」と。
堰を切ったように話していらっしゃいました。さぞや悔しかったのでしょうね…(涙)
また、海浜地域へ行くと、町がほとんど壊滅していました。
幹線道路を走るクルマと、壊れた信号機の代わりに交通誘導している、土ボコリで真っ白になったお巡りさん(気の毒なようです。本当にお疲れ様です)以外に人気はなく、建物は屋根部分を残して壁も家具もみな流され消えていました。
あたりには発酵した強い匂いが立ち込め、大量に発生したハエだけが、異様に生命感を放っていました。
家の窓辺や商店の店先に人の姿や話し声を探しても、どこにもありません。今、そこに、人のくらしというものは、完全に失われてしまったのです。
受け入れがたい町の姿に、心がすくんでしまうような思いがしました。
ましてそこに暮らしていた方々の思い、いかばかりでしょうか…。
しかし、一歩ずつでも、前進を。
被災したすべての方々において、この深い悲しみの先に、新しい、もっと幸せで安心な暮らしが築かれることを、強く強く、祈らずにはいられません。

Posted at 2011/06/29 17:46:55 | |
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