
夏
休み、突然の出会いから急遽乗り換えることとなった914/6GTスペック。1970年モデルなんでもう55年も前に製造されたクルマですわ
今日は小雨が降ったりやんだりでお出かけする気になんなかったんで、ポルシェ乗りさんに教えてもらったアメリカのサイトや先々々代オーナーさんのブログから914/6の55年間の歴史を紐解いてみました。

VWとポルシェが力を合わせてスポーツカーを作ることを決めたとき、彼らは両メーカーの既存のモデルのように見えない車を望んでいました。だから、それは911やカルマンギアであるはずがない。

1969年のフランクフルトモーターショーで、その車は一般に公開されました。VW-ポルシェ914/4は、オスナブリュックのカルマン社によって組み立てられたミッドエンジンのタルガトップスポーツカーです。VW411の1,679cc、4気筒、80馬力の空冷エンジン、四輪ディスクブレーキ、5速ギアボックスを使用しました。
914/6は、911生産ラインのシュトゥットガルト・ツッフェンハウゼンにある本社工場で生産された真のポルシェでした。この車は、ポルシェ911Tの2リッター、6気筒、110馬力の空冷エンジンに2つのウェーバーキャブレターを搭載していました。
914は”ポルシェ”ブランドを広める尖兵としての役割を持っていたため、PR戦略の一環としてレースやラリーにも投入されました。

その中で、もっとも華々しい成果を上げたのはル・マン24時間レースへの参戦です。ポルシェ917とフェラーリ512Sがトップ争いで激しい火花を散らした1970年のル・マンで、よりハイパワーな3種のポルシェ(917/908/911)とフェラーリの間に割って入るように非力ながら小型軽量の914/6GTが全ての911を破って、総合6位に滑り込みました(GTSクラス優勝)。
914/6GTは別名914/6Rとも呼ばれるスポーツキット装着車で、専用のフェンダーやボディ補強材そしてフロントにはオイルクーラーも追加されていましたが、917や908のように本格的なレーシングカーではありません。

ル・マンの成功により、ポルシェは8月の “マラソン・デ・ラ・ルート”に出場させました。世界で最も危険なサーキットのひとつであるドイツ、アイフェルトのニュルブルクリンク北コースを舞台に、マシンの耐久性とドライバーの体力が試される86時間耐久レース “マラソン・デ・ラ・ルート” 。このレースに3台の914/6GTを投入することにした。ワークス仕様の914/6GTは最高出力160馬力を誇る水平対向6気筒エンジンをミドシップに搭載し、シャシーとブレーキも強化。各部徹底的に軽量化された上で、大型燃料タンクとレース仕様のライティングシステム、LSDが装備されていた。
64台中、完走わずか24台という結果に終わった1970年の “マラソン・デ・ラ・ルート”。914/6GTは10,184Km(360周)を走破して優勝。見事1-2-3フィニッシュを飾った。

914/6GTはラリーにも投入され、1971年には前年まで911Sで勝利を挙げていたビョルン・ワルデガルドのドライブでモンテカルロ3位入賞などの実績を上げましたが、あくまでPR戦略のための参戦で、この年はアルピーヌ・ルノーA110という強力なライバルがいたため勝利できなかった。後にワークス活動は911Sへと戻っています。

正式なカタログモデルとはいえないが、固定ルーフの914に911S用2.7リッターのフラット6エンジンが搭載された916と呼ばれる高性能モデルがポルシェ自身の手で製作された。製造されたのはたったの11台で、コレクターにはたまらないモデルとなっています。
後になってから、914や914/6を914/6GT仕様や916仕様にモディファイしたクルマも少なくないが、多くは純正パーツではなく、社外のFRP製パーツなどを使用して製作されたレプリカだった。914/6のエンジンをよりパワフルな他の911用エンジンに換装することは比較的簡単であったため、中にはSCや3.2カレラのエンジンに載せ換えたクルマも存在している。
で、
私が購入したクルマはふつーの914/6の1970年モデル。アメリカ向けに生産され・・・・・何人かのオーナーを経て90年代初頭にGTスペックに改造されたんだとか。
2004年アメリカで販売されてた当時の写真を見つけました。販売価格は$27,000=約300万円(当時$1≒108円)。
先日調べた登録事項等証明書によると2005年に目黒区にお住まいのポルシェマニアさんが輸入し新規登録したみたい。
おまけでいただいた日本での2代目オーナーさんのブログをプリントアウトしたファイルからもいろいろわかりました。
出会い
2007年6月3日
約1ヶ月前にそれまで乗っていた趣味車を手放したあと、次のクルマを物色中のさなかCS誌のウェブサイトを何げに見ていると地元(奈良県)のお店が載っていて・・・サイトめくっていくと何とポルシェ914-6が掲載されていた。914自体は台数多いけれど-6は生産台数僅か3000台余り。これは近くだし行かない手はない。見るだけでも見ようと次の日曜日に店へ。
6月10日
70年式のこのクルマは2年前に東京のポルシェマニアさんがアメリカから引っ張ってきたもので911Sの2.2ℓエンジンに載せ換えてあり、走行距離は当然ながら不明。ボディーカラーが黒というのがネックで、ほんとはシルバーか白が希望だったけど、まずはそのローダウンしたシルエットのカッコよさと数々のモディファイ(ロールゲージ、レーシングガスタンク、バケット2座、フロントオイルクーラー、レース仕様タコ足、フレアフェンダーなど)に頭の中が真っ白になり、店を訪れる前は37年落ちというあまりの古さに“やっぱりやめとこかな”と思っていたのに、実車を前にするともうダメッ!!
7月9日
契約を交わす。納車はタペット調整などもろもろの整備とボンネット上のフォグランプはいただけないので撤去して穴埋め、ロールケージが邪魔をしてトップの脱着が出来ないので、その改造加工などで8月なかば予定。

・
・
・
別れの時
2011年11月2日
「別れ」には突然やってくるものと予め予感めいたものがあった後にやってくるものとの2種類があると思う。今回のは後者の方だ。ポルシェ914-6に別れの時がやって来た。
出会いから4年半、当初はトラブルが続いたものの今では何もかもが絶好調。希少な914-6のうえエンジンは現在では単体ではまず手に入らない911Sの2.2ℓ(エンジンナンバーから70年式と判明)。我ながら言うこと無しのエンスー車だと思う。手放すなんて普通なら考えられない。でもその「普通」じゃない事象がこの身の上に降って湧いたように起こったのだ。
それは今から1年余り前のこと。車検のために訪れたD🏥病院で出会った1台。ワークスカーの鮮やかなカラーを身にまとったラリー車だった。このクルマは今からもう四半世紀も前に僕が購入を前提に検討したのと同じ車種だ。つまりロータスヨーロッパSP、ポルシェ914-6と同世代であり当時共に購入候補となった1台で、あの頃の憧れのそして是非乗ってみたかったクルマだった。
最初はごく小さな”思い”だった。この時914-6の方は車検中。今でも惚れぼれするフレアフェンダーも全幅の構造変更が今回の車検で完了しており、このポルシェに何の不安や不満も無いまま乗り続けられる。サーキットやレースを走る純然たるスポーツカーが昔から大好きで914-6はその嗜好にピッタリと一致する。だからこれからもずっとポルシェのままでよかったはずだった。
しかしその”思い”が店を訪れる度に少しずつ大きくなってくるのが自分でも分かっていた。もちろんポルシェも捨てがたい。ここまできっちりとお金と時間をかけて仕上げてきたのに、きっちりじゃない部分もまだ少しあるけど。これをまた1からトラブルに見舞われつつ仕上げていくには年齢的にも経済的にも苦しいのは十分わかっている。でも今の914-6を手に入れた時もそうだったが、この機会を見送るともう次のチャンスは巡って来ないような気がするのだ。もちろん趣味グルマを2台も所有するほどいいご身分じゃない。ウーンどうしようかと思い悩んだ末に出した結論がやはり乗り替えだった。つまりポルシェはD🏥病院で下取り車となり件のクルマを買うということ。
僕ってバカですよねホント、懲りないというかポルシェと同い年のその車と付き合えばトラブルや苦労は尽きないだろうに、まあ何とかなるんじゃない?とりあえず付き合ってみないとよく分からないし、そういうアバウトなところのある人間なんですねぇ僕は?たぶん。妻はここ最近の僕の行動を見て「あんた何か良からぬことを考えてない?」さすが鋭いわ!
もちろんポルシェ914-6との生活は何ものにも代え難いいろんな経験をした、いい4年だったということは自身このブログを読み返してみればよく分かることです。楽しかったこと、苦しかったこと(主に経済的に)、やり残したことブレーキはOHしたけど足回りは手付かずだなあ、とかいろんなことが頭に浮かんでくるけど、結局このクルマが好きなんだということを改めて実感します。
この旧車趣味どうもやめられそうにありません。また違ったカタチでお目にかかることもあるかも知れません。その時はまたどうか宜しくお願いします。皆様方のポルシェ生活、旧車生活が少しでも長く続くことを心から願っています。僕は少しの間休ませてもらいます。それでは・・・・
自分でレストア
2012年1月1日〜2日
わけあって新年もポルシェ914-6との生活が続いています。そのわけとは・・・
914-6と同い年のイタ車購入計画がポシャってしまった!?。いろんな経緯があってそのクルマ(ランチアフルヴィアHf)は遥か遠くに去ってしまった。故に下取り車のはずの914-6はまだ手もとにあって動態保存、個体維持に努めているという近況もちろん次の旧車探しは継続中。ただ自分の好みに合うクルマと言うとなかなか限られてしまって・・・・まあ春までには何とか考えていろいろ模索中というのが現状だ。
僕の方は今のところそれこそ病気でもしない限り或いは経済的に困窮しない限りこの趣味どうにもやめられそうにないようだ。次のクルマまでそう長くない期間ではあるけど“その時”が来るまでせいぜいこの914-6の面倒をみてあげようと思う。
よってその動態保存&個体維持のため、そして極力お金をかけずにこのクルマのくたびれた箇所を自分でプチレストアしようとプランを立てて正月休みに突入した。
遂に・・・
2012年2月26日
遂に914-6とさよならする時がやって来た。今まで個人売買の話もあったが折り合いがつかず、或いはポルシェ専門店に持って行ってもこの不況の最中では、価格はどうしても低くなってしまう。特に昨秋あたりから価格がグッと下がってしまって今がひょっとして”底”じゃないかと・・・手に入れる時はそこそこ高価なのに手放す時は驚くような安値!エンスーの杜やセイヤーが繁盛するのも分かるような気がする。いずれにしてもこのクルマが”完全オリジナル状態”ではないというのがネックになってしまうのだ。まずボディーのヤレ具合これは減点対象、そしてアメリカ人好みのド派手な安全タンクやオイルライン、アメリカ仕様よりドイツ仕様のほうが人気があるそうだ。この手の生産台数のわずかなモデルはその辺りの「オリジナル度」がポイントになってくるのだろう。
そうなれば残る手段はお目当てのイタ車を見つけその下取り車として買い取ってもらいついでに値引きもということになる。しかしイタ車専門店でポルシェの下取りはなかなか難しい。外車全般に扱っているところでしかも旧車もOKというそしてその店の口コミ情報や評判も大事なこと、それでいて奈良県内がいい。ハードルかなり高いなぁ・・・でも見つけちゃったヨいいお店、いいクルマ。
そのクルマとは・・・僕がやはり好きなのは1970年ごろの例えばアルファロメオJrザガートとか例のランチアフルビアHfなど。前述したように今が買い時と言わんばかりに価格は相対的に下がっている。高値の個体はいつまでも売れ残る。そんな構図が見え隠れする旧車市場。また買いますか40年もの、という思いと同時に価格が下がったとは言え、そこそこの金額とその後の大小の修理・メンテ費用。そして何よりいつどこが壊れるか分からないというストレス。しかしそれを差し引いても余りあるあの頃の時代と歴史を彩った旧車たちの魅力。う~んと悩むところなんですヨ。
というわけで今回は40年ものはやめて中途半端に旧いクルマを選びました。選ぶにあたっての条件はまずミッション車峠道を攻めるにはやはりミッションでないと、そして狭い道で対向する時こちらが左いっぱい寄せられるという変な理由から左ハンドル、もちろんイタ車で個性的でセンスの良い(それぞれの主観はあるでしょうが)カッコ良き、それでいて15年も前のクルマなら値段もこなれている。ちゃんとエアコンも付いている、けっこうこれが一番の理由だったりして。
3代目オーナーは越谷にお住まいの方。半年ほど所有した後、2013年に近所の空冷ポルシェ専門店に引き取られました。
近所の空冷ポルシェ専門店で2.2ℓから2.7ℓエンジンに載せ替えられ、2014年に3ナンバー登録されました。
4代目オーナーさんがオレンジ色に塗り替え、10年近く所有。ファクトリーで偶然撮ったツーショット写真ありました。
近所の空冷ポルシェ専門店での5か月間の眠りから目覚め・・・・・日本での5代目オーナー、私のクルマとなりました。
納車翌日、PEC東京のイベント・モーニングミッションにてイモー・ブッシュマン新社長のお墨付きいただきました。
