
呉市海事歴史科学館(広島県呉市)
愛称「大和ミュージアム」

戦艦大和などを建造した海軍工廠を中心に発展した東洋一の軍港都市だった呉市
大和の紹介を中心に呉市の基幹産業の造船技術を展示する施設として
2005年4月にオープンしました

ミュージアムのシンボル
吹き抜けになった「大和ひろば」には
戦艦大和の1/10模型を展示しています
当時の設計図や写真 潜水調査などで得た資料により
忠実に再現されていて新たな資料が見つかればそれに合わせて改装されます
これを見ると自動的に「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が脳内で流れましたね

全長26.3mの模型は迫力があります
大和は太平洋戦争(第2次世界大戦)開戦直後の1941年12月に就役しました
大日本帝国海軍の軍艦は天皇の所有で軍に下賜されたもの
ということで艦首には天皇・皇室を表す菊花紋章(十六八重表菊)が掲げられています
現代でも軍艦は国の所有物という意味で
アメリカ海軍の軍艦名の頭には合衆国の船という意味の
USS(United States Ship) が付きます
例 「原子力空母ロナルド・レーガン」 USS Ronald Reagan
旧海軍の戦艦は旧国名を艦名にする決まりなので
奈良県の旧国名「大和」を命名しました
しかし「大和」は日本の別称としての意味もあり
最大 最強の戦艦にふさわしい名前にしたという説もあります

球状船首 バルバス・バウ
日本の戦艦として初めて採用しました
この形状にすると燃費や速度が向上します
また内部には水中の音を聞くソナーが設置されていて
潜航し海上からは見えない敵潜水艦などの存在を確認することが出来ます
他にも装甲を蜂の巣状にして強度と軽量化を両立するハニカム構造
一定の部分をそれぞれ同時に造り あとでつなぎ合わせるブロック工法など
当時の最新技術をもって建造されました

スクリュープロペラは3枚羽のものを4基装備していました
速力は27ノット(約50km/h)
1軸あたり3基のボイラーで蒸気タービンを回すのでボイラーは計12基
合計出力は15万馬力に達しました

舵は前後に副舵と主舵の2枚を直列に並べることにより
旋回性能がよかったと言います
しかしこの巨大戦艦の操舵は舵を切ってから90秒後にやっと艦首が動き出すというものだったそうです

上段の40口径12.7cm連装高角砲12基 計24門
下段は25ミリ3連装機銃52基 計156挺
初期の大和は3連装機銃8基 24挺だったけど
ずいぶんと増やしましたね
戦艦同士の撃ちあいよりも
上空から迫る航空機に対応することに重点を置いたのかもしれませんね

後部には艦載機を発艦させるカタパルト
火薬で打ち出すものを2基装備してました
甲板上の航空機は
偵察 弾着観測に使用する
零式観測機
運動性能を追求したため あえて旧態な複葉機で設計したそうです

大和最大の特徴
45口径46cm3連装砲は史上最大
同世代の米海軍戦艦アイオワ級の40.5cm砲 射程距離38kmを上回り
大和の主砲は射程距離42kmでした
前部甲板に2基の主砲塔がありました

後部甲板にも46cm砲が設置されています
強力な艦砲と強固な防御力で戦艦同士で砲撃しあう戦術は過去のものとなり
現在「戦艦」という艦種を運用している国はありません
大和型は史上最大の戦艦でした
「大和」
満載排水量 72800 t
全長 263.4m
全幅 38.9m
出力 15万馬力
速力 27ノット
乗員 約2500名 (最終3332名)

大和はこれまで4度の潜水調査が行われています
引揚げ品展示物は 靴底 25mm機関銃薬莢 滑車
1945年4月5日
大和を旗艦とする艦隊に特攻作戦「天1号作戦」の命令が下され
4月6日
山口県徳山港より出撃し沖縄を目指します
4月7日
途中 鹿児島県坊ノ岬沖でアメリカ軍の空母艦載機386機による波状攻撃で
魚雷10本 大型爆弾7発 小型爆弾多数を受け転覆
火薬庫に火が回り爆発
艦体が2つに分断されて沈没
戦死者は2740名 生存者はわずか276名でした

乗員の生活感のある品も見つかってます
電気スタンド 酒瓶 浴槽タイル
ビール瓶 食器

大和以外の兵器も展示されています
特攻兵器「回天」10型(試作)
太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発
人間が搭乗し操縦することにより
目標艦艇に体当たり攻撃をする特攻兵器
「人間魚雷」とも言われました

搭乗員は潜望鏡で敵艦の位置 速度 進行方向を確認し
射角や命中までの時間を予測し計算して操縦
脱出装置はなく出撃したら攻撃の成否にかかわらず
生きて戻ることはありませんでした

戦没者は100名以上
搭乗員は志願によって選抜
平均年齢は21歳
若者が戦死を前提に造られた兵器に乗って散っていったのはキツイですね・・・

零式艦上戦闘機 六二型 中島82729号
「ゼロ戦」の愛称でも有名です
第二次世界大戦時に大日本帝国海軍が開発
主に三菱重工が製造してましたが
中島飛行機(スバルの前身)でもライセンス生産されていました
この展示されている機体はその中島製です

大型機を一撃で撃墜することを目的とした20mm機銃は両翼に1挺ずつ
初期型は7.7mm機銃を機首に搭載していましたが
敵戦闘機の装甲が厚くなり威力不足になったので
量産最終型の六二型は両翼内に13.2mm機銃も1挺ずつ装備
プロペラは3枚羽
プロペラの回転数を一定に保ち羽の角度を変えて
速度の調整を行い効率を高めた可変ピッチ定速回転プロペラ

栄31甲型発動機
中島飛行機が製造していた空冷複列星形14気筒エンジン
気化器(キャブレター)が優秀で
背面飛行しても安定した燃料供給が出来たので空戦能力が高く
当時のアメリカ軍機はゼロ戦と格闘戦をするなとの指令が出ていたほどです
排気量 27.86L
機械式過給機(スーパーチャージャー)
離昇出力1130馬力

格闘戦を意識して操縦性の高い大きい主翼
しかし大きな主翼では空気抵抗が増えてしまい高速性能には不利
そこでゼロ戦は機体表面を滑らかにして空気抵抗を減らし
構造を見直し軽量化して操縦性と高速性能を両立
大戦初期では連合軍の戦闘機より優勢で
ゼロファイターと呼ばれ恐れられていました

この機体は明治基地(愛知県安城市)第210海軍航空隊所属機でした
1945年8月6日夕刻 エンジントラブルにより滋賀県の琵琶湖に不時着水し
湖底に沈んだままでしたが1978年1月に引き上げられ修復したものです

コクピットもキレイに修復されてますね
零式艦上戦闘機は大戦末期になると
神風特攻隊など体当たり攻撃にも使用されるようになってしまいました

館外には戦艦「陸奥」の部材が展示されています
陸奥は横須賀海軍工廠で建造されましたが
主砲や舵 スクリュープロペラ等は呉海軍工廠で製造されました
主砲の45口径41センチ砲
砲身長は約18.4m
初速790m/s 最大射程30km

プロペラと舵
ボイラー16基を搭載し
4軸の推進軸があり
出力は8万馬力
速力は26.5ノット(約49km/h)

艦船めぐり てつのくじら館 大和ミュージアムと見てまわり
結構な時間がたちお腹も空いたので
大和ミュージアム近くで屋台が出てたので食べました

「海軍カレー」
日露戦争時代 白米を主食として肉と野菜のバランスがよく
手軽に調理できるものとして
旧日本海軍がカレーライスを普及させたのが始まりとされています

「がんす」
広島の名物でかまぼこにパン粉を付けて揚げたもので
サクサクした食感が美味しかったです

呉市は海に面した海岸以外の3方は急峻な山に囲まれています

横須賀 舞鶴 呉 佐世保の軍港は
急峻な山に囲まれた地形で 穏やかで水深が深く
外敵の進入が難しい湾口などを備えていたために鎮守府が置かれました
大和ミュージアム
戦艦大和の勇姿を観に訪れてみてはどうでしょうか?
広島県呉市宝町5番20号
開館時間 展示室・ミュージアムショップ 9:00〜18:00(展示室入館は17:30まで)
休館日 火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日休館)