何処かの自称自動車評論家さん達は、XXの一つ覚えで米国車はどでかく、足回りはブニャブニャで高速走行に全く適しておらずなんか自動車のクズの様に評価する反面、常に欧州車を賛美するのをよく見かけますが、実際、我が国は平均速度が高めどころか、少し前まで西部の州は速度制限が無かった時代がありました。まあその代わり危険運転みたいな規則があり切符を切られる事もありましたが反則金が5ドルとか15ドルとかで減点もされずその場で反則金払えば済む事で、先を急ぐ人は5ドル札数枚財布に入れて必要時に支払ってまた直ぐギャスペダル床に踏みっぱなしで地平線まで砂漠の真ん中を疾走していました。
まあそれも1973年に起きたオイルショック、ニクソン大統領がクビになる前に発効したのが悪名高き時速55マイル法です。1974年から全米すべての州で最高速度が55マイル、時速88キロですね。通称ダブル・ニッケル(5セント硬貨並べた意味)厳密に言うと最高速度は各州で決められる権限があるのですが、ニクソン大統領はこれに逆らえば連邦政府から州への道路整備などの予算をゼロにすると脅されたので皆、従ったわけです。55マイルはお偉方さんが各方面に調査を依頼し、2.2%の燃料節約が期待できると言われたのを素直に聞いたのが悪かったのですが、誰も言うことを聞かず相変わらず高速で飛ばす一般市民、連邦政府は頭に来て今度は自動車製業者に、速度計の目盛りを最高で85マイル・136キロにして、55マイルの数字を目立たせる様に要求しました。その法律が始まったのが1979年。流石にこれは全く効果が無く1981年には失効しましたが各製造会社はその後長年目盛りの最高速度を85マイルに抑えていました。さすがに高速で鳴らすポーシャは無償でもっと高速まで目もってあるある速度計へ無償で取り替えてくれましたがね。キャナダ仕様ですと丁度85マイルのメトリック同等140キロで終わらせていましたが、ある製造者はチョンボして、85マイル以上の数字だけ消して誤魔化したりしてましたね。。。。(何処の会社かな!)
その後1987年から段階的に55マイル規制が緩くなり65マイルに上がり、現在は州によって異なりますが大体70から75マイル (112km/h-120km/h) が一般的ですが、ワイオミング、モンタナやらネヴァーダの西部州は80マイル (128km/h) で、最高速はテキサス州のある区間は85マイル (136km/h)です。
1978年から全米で初めてデジタル式速度計を採用したキャデラックのセヴィル、55マイルの表示がどうなっていたのか、興味深い所です。
1982年に登場したシェヴォレイ・カマーロは多分Fボデーで最初に輸出を意識したカマーロで、輸出用はZ28Eと称していました。この3代目、速度計が結構へんちくりんで、速度計の針の根元から上下に指針が出て一方はメトリック、一方は普通のマイル表示になる様になってました。その目盛りも数種類ある上に、高性能仕様を注文するとちゃんと140マイルまで目盛りの入った速度計を選べられました。
日本では確か時速100キロ以上の表示を色分けする規定があったと覚えていますが、これは多分ヤナセとか近鉄自動車の整備士が速度計を一つずつバラして筆かなんかで色を塗っていたと勝手に想像していたのですが、どうもそうじゃないかもしれない画像を見つけました。これはベルジャムで試験にともされたシェヴォレイ・サイテーションの速度計が日本で売られた奴と全く同じ速度計の色だったのです。もう一つは以前スイスランドにあった変態コーチビルダー、連中は主に米国車を改造しては中東の王様なんかに納入していた、の1人、ウィリー・フェルバーが出していたフェルバー・パーシャと言う小型セダーン車、これ、実はビュイックのFFになったスカイラークの豪華版で35台ほど作られたらしいんですがその内装を見ていて、コヤツも速度計、100キロ以上が赤く塗られて日本仕様と同じなんですね。。。って事はこの速度計の目盛りは製造側で最初からこうなっていたのかしらと。。。。
おまけに同じスイスランドの変態業車、こちらも米車を主にいじり回すモントヴェーデイさん、テイアラと言う昔の北米版トヨタ・コローナと同じ名前の大型セダーンはW126のメルセデスの改造版なんですが、この巨大な尾灯、何処かで見たと思ひきや、これ、プジョー505欧州型のを移植したんですね。。。。ありひゃ〜。
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2020/01/03 18:31:37