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2020年12月19日

師走の輸出規制、日本車バッシングとエル・デオーラ

師走の輸出規制、日本車バッシングとエル・デオーラ









あっという間に12月、今年も後2週間を切る所まで来ました。

12月と言えば我々、日系人の、一年で憂鬱な3日間の一つ、真珠湾攻撃の日(もう2つは原爆投下の日)今年は疫病の影響で大した行事も無く無事終わりましたが、毎年この日が来ると、特に本土では、肩身が狭く感じるものでした。まあここハワイでは日系人の人口が多いのでそれ程問題にはなりませんが。昔の事、ことごとく覚えているんですよね、特に年配は。まあ、あたりまえか。

第二次石油危機が暫し、一段落して全米、節約は美徳と言う前代未聞の言葉が普及しだした頃、廉価版カローラ30やらダットサン・ハニービーを産め増せ増やせの勢いで輸出していた日本が、この頃から急にスポットライトを浴びる様になりました。悪い意味で。。。安全基準法、排気ガス規制、省燃費の三重苦にもがいていたのがデトロイト。フォードなんかは後に以前に比べて今年の新型は以前に比べてXXパーセント良くなったと広告に出す際、その一番悪かった年の1979年がよく使われました。自分も1979年式のフォード・フェアモントに乗っていたので良く知ってます。まあ基本的にはその三重苦と同時に製品品質と労働組合の問題も抱えていたんですけどね。それらを尻目に快進撃を続けていた日本勢が槍玉に上がるのには時間がかかりませんでした。実際、週末ごとに日本製の自動車をショッピングセンターの駐車場で5分1ドルだかでスレッジハンマーで叩き壊すパーテイーがあったり政治的に権力の強い労働者組合はそれに油を注ぐ感じで煽り立て愛国心を強調し、敵國を名指しにするその最中、確か1979年の秋でした、収穫感謝祭のお休みにペンシルヴェニア州サスコハーナ川沿いのハリバーグで過ごしていた際、日本のピンクレイデーがNBCのお茶の間時間に突如、登場したんです。何故か水着を纏いカタコトの英語で漫才をやったり日本語で歌を謳ったりし、前に記した日本嫌いが始まった世の中の情勢もふまえ非常に評判は悪く、ぼくらアジア人はあの番組時間になると何処へとなく人前に出なくなるなんて事がありました。そのピンクレイデーが日本では圧倒的な人気の演芸グループだと知ったのはずっと後になってからです。

ピンク・レイデーを見ると冬、紅葉の散った寒いサスコハーナ川岸を思い出す。。。
ちょうどあの年は亡きクリストファー・リーヴのスーパーマンが出て映画館へ皆で見に行ったな。。。


日本車バッシングの夜明けの時分に全米ネットで日本語で歌う芸能番組を出すタイミングも悪かったですが、その日本攻撃を最強の武器に使ったのは先日亡くなったリー・アイアコッカです。彼は電波に乗るのがかなり好きだったみたいで、会長自ら、コマーシャルにバンバン出演して、俳優顔負けの演技(いや、演技じゃなかった?)で日本の自動車をコケおろし、一躍有名になったんですが、面白い事に、そのクライスラー、まあ、アイアコッカはずっとフォード人でクライスラーに入ったのは1979年からですけど、日本バッシング元年ですね。クライスラーはご存知、三菱からコルトを1970年代初めからキャプテイヴ・インポートとして自分のお店で売っていたんですが、1970年代の輸入車と言うのは、まだ世の中、輸入車と言えどもどこの国のどこの会社で作られ売られているのかが曖昧で(まあ、今でもそうですが。。)ビュイック屋に行けば独國製のオペルだったりはたまた藤沢製のいすゞだったり、リンカン・マーキュリー屋に行ってカプリーを見れば独國のコロン製だったりフォードも欧州からフィエスタを持ってきていたり混乱する最中、クライスラーは堂々と、うちのコルトは日本製ですたい!と胸を張って宣伝していた事です。その主張は日本車バッシング音頭を引率するアイアコッカが主幹になっても続きました。その矛盾さを指摘する人は誰もいなかったですけど。

クライスラーは初っ端から日本から持ってきましたよ〜と広告で自慢していました。まだその頃は日本製が高品質と言うハナシが広がる前です。自信あったんですね(まあその頃のクライスラーのキャプテイヴ・インポートが不治の病を抱える英国車や変態揃いのフランス車ばかりだったので。。。)


1980年代に入っても大きく漢字でデーンと、 ”高性能” 全米自動車製造組合の組合員等の神経を逆撫で100パーセントだったと思います。それでもクライスラーは日本製を強調。今となっては不思議ですね。大ボスが日本車反対の音頭を取るアイアコッカ氏だったんですから。


名前まで ”札幌” として日本製をさらに強調します。とは言っても当時、いや、今でもSapporoの意味を知らない人が殆どだと思いますが。。。ぼくはチャレンジャより白壁タイヤでステインレスの屋根帯の入った初期型の札幌の方が好きです。洒落てるう。。


二人のアジア系人を出し、一人がミスターT、一人がミスターD。お互いの製品だと勘違いしているのに気がつき、じゃ一体誰がこんな高品質で安い車を作っているんだ?と嘆き合う図。勿論ミスターTはトヨータ、ミスターDはダットサンの事を示してます。


こっちは本物のミスターT。日除け跳ね上げて走る無蓋車がステキ。


今じゃこんな広告、人種差別で絶対に訴えられます。当時はそれ程、アジア人は怖がれれ、敵対象になってたんです。でもポニャックのグランプリとセリカ、どう比べても格が違うと思うんですけど。。。。そういう当て付けみたいな無理な製品企画にデトロイトのどうしようもない危機感を感じました。(因みにコレ、オールズモビル製のジーゼル版もあった)


初めて使った側曲面窓、メッキの使い方。当時の広告代理店が素晴らしかっただけでなく、このセリカの格好は素敵でした。特にこの2扉ノッチバックは。確かCALTYのデザインだったっけ?



その政府、一般市民、労働者組合総出の日本車攻撃の勢いが少しずつ弱火になるきっかけが日本が始めた輸出自主規制でした。これも我が国政府の立場から、日本側から始めた自主的な動き、と言うのが売り物でこれで両者のメンツを有つ事が狙いだったらしいですが、兎も角1981年から日本からの輸入乗用車台数を1.68ミリオン台として始まり次第に枠数が限られ1984年には2.4ミリオンまで増えます。その輸入規制が実施されている時に我が国の自動車業界は技術的にも、労働者組合との契約も次第に向上し息を吹き替えし、日本車の輸入規制は1994年に終わります。その間、日本勢も指を咥えて見ていたのではなく、各社、輸出がダメなら現地に工場作っちゃえと、本田に習って各社、米合衆国各地、それも労働組合があまり強くなく、されど職難に悩む南東部、に工場、及びその部品系列工場を沢山建設します。と、同時に枠があるなら高利益車種の割合を増やして利益を確保しようと始めたのがレクサス、インフィニティとアキュラ。1980年代後半から1990年代始めのハナシです。

自主規制と同時期に例の鶏税を上手く回避していた小型ピックアップトラックも税制変更で現地組み立ての旨味がなくなり、よってGMはいすゞ製のLUVを止め、自製のS10コムパクト・ピックアップトラックを1982年に登場させます。自製とは言え、当時の藤沢工場では登場前のS10トラックが結構走り回っていたので当然開発にいすゞが関与していたんでしょうね。。

豪華版のトリムの名称が ”mikado” って言ってました。クライスラーと同じで日本バッシング恐れなかった?


S10、一部のエンジンと変速機はいすゞ製。それ以上に開発に藤沢が関与していたんだと察します。S10を元に小型商業車のアストロが生まれました。


実際には1990年代に入ってみれば人々は、自分の購入検討する自動車が何処で組み立てられていて、何パーセントの部品が何処の国から来て、なんて事を真剣に考える消費者は全く居なくなり、第一、1970年代は未だ輸入車を乗り回す事自体が今で考える程非一般的と言うか、白い目で見る人たちが少なからず居たのですが、今じゃ本田さんもオハイオ州工場操業から38年ですよ。ウチは親の時代から本田車に乗りつづけ、信頼できる家族の一員、だから今度孫が来る子供の家もシヴィックを買うんだと自慢する保守派家庭がフツーになった現状。世の中も変わったものです。同じ間隔で昔は6人乗りの乗用車って一定の貫禄ですか、独特の意味があったんですが、今じゃ4人乗り以上になると前席ベンチシートに仲良く3人座るんじゃなくて、小熊風情の多目的SUV車になっちゃうんで、何人乗りと言うより、座席が何列あるか、で判断するみたいです。6人乗りセダーン車。日本語で言う死語ですか。この前、学びました。

そうです、以前、6人乗り乗用車は購入判断の重要項目だったのです。


輸入規制はかかりませんでしたけど、日本車同様、現地生産になり、近頃はすっかり市民権を得た感じの南韓国車。フォードは提携相手の起亜自動車製造のマズダ121フェステイーヴァを売っていて、GMもキャプテイヴ・インポート導入中、手中にあった大字自動車製造、一昔前のオペル(米人はオペルの事を限りなくオーポーと発音します)の、所謂 Tカーの、カデットEを、何を間違ったのか、ポンテイアック・レマンズと名付けて売り出します。勿論、硬茹卵勢(マッスルカーファンのハードボイルドの人たちね)から総スカンを食います。ビッグブロックV8で駆動輪から白煙を上げて突進するマッスルカーの名前をポニャック(本当にこう言います)の一番廉価版に、それも韓国からの輸入車!それを知ってか知らずか、全国ネットでは無かったと察しますが、この大字製ポニャックのTVコマーシャルに、英国発の昔の流行歌、ミュージック・エクスプロージョンと言うグループの歌う、曲名、”Little Bit of Soul" と言う軽快な楽しい歌を使ったんですが、勿論、企画側、及び視聴者側が その Little bit of soul が本当は、Little bit of Seoul を言いたかったんだと今でもぼくは覚えているんですけど、そのコマーシャル、今となってはいくら検索しても出てこない。。。。。その大字自動車も今ではGMに捨てられて印度のタータグループの一員。

小さな心は小さなソウル。ポンテイアック・レマンズ。


南韓国でも大字レマンズで出てた様子。確かに90年代に仁川界隈で結構見た記憶があります。


こっちが欧州オペルのオリジナル、カデットE。


3扉ハッチバック、5扉ハッチバック、4扉セダーンがありました。


本家の3扉。ステーションワゴンは北米には来なかった。



時代は巡り巡ってもう直ぐ2021年。今じゃ輸入車を乗り回す事は完全に一般的になっただけではなく、昔からある愛国心溢れる信頼できるブランドにまで成長したのは大したもんです。勿論日本勢の血の滴る努力があった上での成果ですが、その努力に協賛、援助し、次第に自分達の文化の一員として受け入れた我々米国民もココロの変化があったようです。。。。

だから今の30代、40代の人に昔、日本車バッシングってーのが流行ってショッピングセンターで1ドル払ってスレッジハンマーでカローラを。。。。と言っても誰も信じてくれないでしょうね。



だから今、ピンク・レデイーを復活させたら結構流行るかも。。。。。

今日の一台。先日、ハレイーヴァに行った時、おお、往年のキャデラックじゃ、と近寄れば、ただ事ではない、これは、あのASC社改装のエル・デオーラと呼ばれたデーラーで買えた特装車。あの頃流行った、今で言う下品な言葉でピンプ・モビルです。この手の自動車はジェームスボンドの007シリーズ、Live and Let Die にフルサイズのシェヴォレイと共にワンサカ出演するので鑑賞お勧めです。この個体は先月キャリフォーニアから来たばかりで、陽気なオーナー、ぼくの興奮沙汰を見て座ってみな、座ってみなと勧められ久しぶりに座る運転台、20年ぶりかな。。。思っていた程大きく感じなかったのが新鮮でした。ああ、欲しい。

この前後のバランスの贅沢さ。


ついに扉まで伸びたパデット部。


このもちもち感(新米の事ではありません)とキャリッジバー。二段のオペラ窓


低く平たい、懐かしの運転席。嗚呼。涙。


もう満面の笑顔でシャカ・サイン。


締めは昨夜のロイヤル・ハワイアン・ホテル、通称ピンクパレス。創業1927年。カラカワ大通りから数フィートしか離れていないのに別世界。家族連れ、団体旅行の方達はお隣のシェラトンへどうぞ。此方は完全に大人の世界。言葉少なげに悶々と、かすかに聞こえてくる喧騒を聞こえないふりしてオーキッドの薫る暗めの回廊を漆喰の暗さに落ちていく海辺に向かって歩くと背中を押すように冷たい貿易風が台風の如きの風速で後押ししてくれ、人っ子ひとりいない海岸でふと頭上の椰子の葉を見上げると三日月が。いずれ戻る、世の中の喧騒が再開戻るまで、この束の間の時間、脳裏の隅に記録して起きませう。

このピンク色をケバいと思うか、南国を彷彿させるか。その辺でこの施設にあっているか、そぐわないか、が決まると思います。因みにピンク色の理由はハワイ特有の赤土の汚れが目立たない為です。同じ理由で陸軍トリプラー病院も同色に塗られています。






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Posted at 2020/12/20 07:52:50

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