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イイね!
2021年03月10日

きみの名は

きみの名は





我が国には昔から発音できない名前のクルマは絶対失敗すると言うジンクスがあります。とか言っても発音しずらいシェヴォレイなんて一般的でしょとか言われたら弁解に困るんですけどね。

Bボデー、ポンテイアックのキャナダ版のパリジエン。キャナダの公用語は英語とフランス語ですから割と自然に昔から受け入れられていたんですが、数年間、合衆国でも売られた際、我々は発音に苦労するんですけど、コレ、何故か結構売れて、覚えているのはアメリカンフットボール選手の通称、冷蔵庫のペリーと呼ばれた人気選手が広告に出てきて、彼の様な大きな体格でも余裕のサイズ、それにこのクルマ、ぼくと同じなんだよ、だって、冷蔵庫は扉を開けると電気がつくでしょ?っとドアを開けて見せるコマーシャル、今でも覚えてます。





ぼくが長年住んでいた中部イリノイ州のシカーゴは、街をチョット外れば見渡す限り地平線までトウモロコシ畑の農場が広がり、地元の高等学校から進学してきた友達で海を見たことのない子って結構いましたし、エスカレータに乗ったことが無いとか、魚を食べた事がないなんてーのもいる程、田舎じゃないんですが外国文化には程遠い場所でして、当然米車が完全に幅を利かせていて(当時は)学生の憧れはオールズの442だったりマスタングの5リッターをファイヴ・ポイント・オーなんてカッコつけて言ってたりの場所だったんですが、1980年にアメリカン・モータースが再度の金欠で銀行から最後の融資を拒否された時、フランスのルノー公団からの買収案を受け入れ生き延びる事になると、全米に千数軒ある、AMCのお店で、何やらへんちくりんなフランス製の小型車を売り出し始めたわけですね。そのルノーって、普通の米国人には発音の仕方が分からなくて、大抵は、ルノルト、リーナルトとかが一般で、後、そのシカーゴのフランス車修理工場で働いていたぼくの所に来るお客さん、入ってくるなり、オタク、フュイーゴット修理できる?と何回も聞きます。こっちはチンプンカンプンで何回も聞くんですが、フュイーゴットの連発で、乗ってきたの?見せてよん、と外に出ると、あったのはルノー・フエーゴのターボでした。同時期にプジョーも扱っていましたが、あれも大抵ピュージョットって呼ばれていましたねえ。。

ルノー自体はAMCを買収するずっと以前、1950年代から自力で輸入販売をしており、ごく初期のR5はルノー5として売られていましたが、販売側からもっと洒落た名前をと言うことで、フランス風にLeCar、レ・カー、またはル・カーと言う名前になりました。1980年以降はAMC販売店でもR5以外にR18のセダーンとワゴン、フエーゴナドナドも、厚化粧した老婆の如くの古いAMCスピリットの横で売られていました。でも一般的に我が国ではフランスから来た文化やら製品は余り評判が良くなく、フランス人は米国人を嫌っていると心底信じ込んでいるフシがあり、暫くするとフランス色を余り前面に出さなくなりましたねえ。。。

初期のルノー5はルノー屋でお買い求めください。


1980年からはルノーはアメリカン・モータース販売店でご贔屓を。


そのとっくの遠に消えたはずのアメリカン・モータースのデイーラー数軒が廃墟化して残っている話を何時も読みます。。。



結局プジョーの北米復帰は断念されたとかで。。。これは珍しい8人乗りのSW8、いわゆるファミリアー。


荷物は余り載せられませんでしたが、どの座席に座っても乗り心地の良さはプジョーの伝統を、未だ守っていました。もっちりフカフカの座席は最後部席でも同じでした。ホイールベースがすっごく延長されていてリヤビュー・ミラーを覗くと列車のよう。曲がる際内輪差を注意せねばならぬ程。でも貨物車のくせして、もう乗り心地がとろける程よくて。。


過給機付きもあるでよう。


発音難しかったのは、いすゞも同じ。イズーズ。アイズーズ、などなど。ぼくが、全国感染者数と言おうとすると必ず、ゼンキョクキャンセンシャシューになってしまうのと似ている?(二子玉川も発音難しいです)米国合衆国にベレルがあったのは、いすゞさんが持ってきたのではなく、この怪しげなトランス・アルパックと言うロスアンジェリースはバーバンクにあった個人企業が数百台単位で自力で輸入販売していた様子、なので ”いすゞ” の文字は広告どこにも出ていません。持ってきたのはほぼ全てジーゼル。ステーションワゴンもあった様子ですが、西海岸だけで売って、2、3年で消えて終わり。その後いすゞは1970年初頭にGMと手を組みGMのOEM製品として米国で車両販売を開始し(シェヴォレイ・LUVとビュイック・オペル)自力で販売網を展開するのは1980年代に入ってから。1960年代はこのように製造元が正式に輸入するチャンネル意外に地元企業が自力で輸入販売する例が結構ありました。鈴木の小型四輪駆動車、ジムニーL J10/20を西海岸の企業が全部で3,000台強を非公式に販売したりしてました。1980年代のシトロエンCXも同様。厳密に言えばフィアットのX!/9とかアルファ・ロメーオのスパイダーもそうだったんですけど、その話はまたいずれ。。


発音できずの横綱格は多分、このMerkurでしょう。MerkurとはMercuryの独語読みです。1980年代に人気のあった高級小型輸入車に対抗する為、後にクライスラーへ身売りしたボブ・ラッツ会長の案で生まれ、選ばれたマーキュリーの販売店で1984年から始めた新ブランドです。これを日本読みで書くのはぼくの才能では無理なので、Merkurとだけ書いておきますが、我々、誰一人として発音できませんでした。車種は独国フォードのコローン工場で作られていたシエーラXR4Tを北米用に大改造、生産は架装屋のカーマンが担当。北米での販売は振るわず、4年間で四万台チョット売れただけで大赤字。


たった1車種だけなのが悪いのよ、と。1987年から独フォード・スコーピオ大型車も投入。同じフォード系のトーラスに非常に似たような寸法と性格でしたが値段は当然高く、特質されるのは後席の広さで後輪駆動のクセにリムジーンなみの広さとフリルの付いた柔らかい革張り内装、おまけに後席電動リクライニングまで付いていてと。。2年半で売れたのはたったの22000台。1989年を最後にこのMerkurブランドは一度も利益を出せずに撤退します。車種、販売展開、宣伝が悪かったと言われてますが、変動相場制の通貨で米ドルが弱くなり利益減少したのも要因だったとか。この後席に座っているネーネー、髪型が80年代を彷彿させますね。


後席に座る人。コレは1973年キャデラック。


1972年キャデラック。


1965年リンカン。やはりリンカンは渋い。


1974年キャデラック。


よく年、1975年のキャデラック。フリートウッドね。


このわらびは、1969年辺りのインペリアル?


1977年型ニューヨーカー。例のラヴァリエー・ストラップを握っている。


キャデラックは美女以外に小物を置く事が多く、1974年型キャデラック、コレは小型のカセット・テープレコーダー。はてな?


普通のテープレコーダじゃないんですよ、コレ。ソニーのTC55と言いまして、この前の型、TC50はアメリカ航空宇宙局NASAに採用され、アポロ宇宙船に何回も搭載され宇宙へ往復していた有名な製品なんです。ソニー・デンスケの小型版、後にプレスマンになりウオークマンにハッテンしていったと言う、伝説の製品。キャデラックの前席にさりげなく置いてある、意味の分かる人にとってはウーム、唸らされる一コマです。ウチの亡父は会社の広報担当を長くやっていて、業務用だと言ってはソニーのテープレコーダを何時も家に持って帰ってきて、TC55からプレスマン、皆ぼくは使わせてもらいました。懐かしいなあ。。


宇宙船の飛行士、一人に一台あてがわれたそうです。飛行士、何かTC50に向かって音声録音しています。。。
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Posted at 2021/03/11 17:09:28

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この記事へのコメント

2021年5月20日 14:28
アメ車は基本一台しか乗った事がありませんが、

シートに関しては…でしたね…(仏車にはかないません)

当時の高級車はどうだったのでしょうね?

失礼いたしました
コメントへの返答
2021年5月20日 16:59
自動車の座席は外観と操縦性同様、その生産国と製造会社の性格を端的に表されるものですね。

昔の米国車は人間工学的な話は別としておいて、その格調、伝統、佇まいが最重視されていました。

フランス車の座席、特に昔のはギョッとする程、各社特性があって、僕の記憶ではルノーのR16が座って一番驚きました。この際限なき柔らかさ、それも鉄製のS字バネを使って、座席に”溺れる”と言った感じで、知らない子供など座らせたらその恐ろしいまでの柔らかさに泣き出すかもしれません。同じ古いフランス車でもプジョーとシトローエンは各部分で硬さの異なったユリセン・フォームを使っていてコッチの方が泥沼にハマる様な感覚を味わえるかと思えばそうでも無く、逆に不思議な固定感に支えられる感触でした。

1990年代に確かホンダでしたか、”この高級新型車は座席の設計をサスペンションと合わせて綿密に設計しました” と、広告で高らかに謳っていましたが、同様な事は皆、何十年前から行っている当たり前の事で、苦笑ものだったのを覚えています。。。

プロフィール

「ところ変わって品、変える。 http://cvw.jp/b/1945280/47705079/
何シテル?   05/07 01:52
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