あっという間に11月です。日の登りも随分遅くなり、出勤時に前照灯を点ける様になりました。
先日、その出勤途中に目撃したのは、これも今となっては珍しい、リンカン・コンチネンタル マークVII おまけに若旦那仕様のLSC。
名称がちょっと複雑なのは、この1LNと呼ばれたマークVII2扉車、初期型は ”コンチネンタル” の名前が入っていて、事実、この年代にはフレーム付きのパンサー車台からダウンサイズをして、マークVIIと同じ、マスタングやらフェアモント系の独立したフレームが付かないフォックス車台にダウンサイズされたリンカンの中型車をただ単に ”コンチネンタル” と呼ばれていたので、混同します。後期型はただ単にリンカン・マークVIIと呼ばれます。
これが独立フレームの無い、マスタングやらフェアモントにも使われたフォックス車台にダウンサイズされた、コンチネンタル。後ろ姿が例の ”フーパー調” ですが、似通った後ろ姿を持つキャデラック・セヴィルと比べるとかなり小型です。
このマークVIIが出た当時、業界では非常に話題になり、何が違っていたかと申しますと、この自動車が全米初めて、規格の前照灯を捨てて、ポリカーボネート製の商品名、レクサン(GEジェネラル・エレックトリックが付けた名称)を使った、所謂 ”異形前照灯” 、我々はこの頃はコンポージット・ヘッドライトとも呼ばれていました、を初採用した事でした。それまで我が国では規格シールドビームしか許されていなかったのを製造各社が政府に訴えかけ、漸く漕ぎつけた法制改定で認可されたのです。その理由は、”燃費節約” 空気抵抗の向上で燃料消費の節約になるから、と言うものでした。70年代後半・80年代前半の燃料危機の時代でしたからね。同じく5マイルバンパーの緩和も同時期で、重量軽減で燃料消費の節約になるから、と言う理由でした。でもこの改正法は認可されないと皆思っていたらしく、マークVIIの試作車は以前通り、規格の四燈角形前照灯仕様も用意されていたそうで、部品納入業車も製造側も認可された暁には胸を撫で下ろした事でせう。(同じ車台を使ったフォード・サンダーバードは結局、規格四燈前照灯を使い、異形型になるのは、中途改良を見た1987年です)
初めて全米で認可された異形前照灯のリンカン・マークVII。
1980年代、燃料危機に応えて ”ダウンサイズ” (今となっては死語?)を行っていた各社、対応の仕方もそれぞれで、1977年に先駆を切って大型車BとCボデーをダンサイズし歴史的な成功を納めたGMをよそ目に、フォードは遅れた感じだっただけでなく、品質低下と労働環境にも悩まされたいた時でした。角ばって堂々とした押し出しの良い昔からのデザインにするか、空気抵抗の低い、未来の流線型にするか、結局フォードは後者を選び、このマークVII、サンダーバード、そして爆発的な人気になるトーラスと続く、80年代の大ヒット車を次々に市場に出しました。その正反対はGMで、第二次フルサイズB・Cボデーを縮小してみたら、その時すでに燃料危機は峠を越え原油価格は下がり、縮小した車体は寸詰まりの惨めな格好で、慌てて場当たり的な改良はするものの、まともな大型車が戻ってくるのには90年代越しても暫くしてからの事になります。
あの巨大なるエルドラードがコレになっちまったんですからね。顰蹙買うのも無理ない訳です。
それに比べたら、マークVIIの伸びやかな均等の取れたスタイル。キャデラックのセールスマンはさぞかし頭を痛めたんでしょうね。
GMも急場凌ぎにエルドラードのお尻をいじってみます。これは初期型。
改良型は尾灯を立体的に後方へ伸ばし、バンパの両端もツノ状に伸ばし、全体的に立体的にして事実上の全長を伸ばしましたが、車体中央部と前部を変えていないので、
全体的な印象は結局変わりませんでした。
でも同じ車台のビュイック・リヴィエーラの改良は気合いが入っていて。。。
惨めな初期型。格が二つ下のNボデーのサマーセットとそっくり。
1989年の改良で、車体中央部はそのままで、頭とお尻を伸ばしてガラッと印象が変わりました。さすがに効果はテキメンで、この11インチのストレッチのお陰で販売台数は8,625台から2倍半以上の21,189台に増加。
こう言った、格好の良い2扉車、それもパーソナル・クープと呼ばれる車種は結構昔から需要があり、1970年代のモンテ・カーロとかカトラスになると当たりの年だと何十万代がコンスタントに売れた時代です。パーソナル・クープが少し小型・廉価になると、昔はセクレタリー・カー(若い女性秘書などが乗る、軽便で、ちょっとお洒落な車種)などと呼ばれていましたが、そんな言葉、今じゃ通じないでしょうね。
サンダーバードはその最もたるパーソナル・クープだったんですが、1980年に一度、フォックス車台に縮小して大失敗します。開発費の乏しい時期でしたから、廉価車種のフェアモント2扉の頭を伸ばして屋根に飾りを載せた程度で、写真を見るとそうでもないのですが、実車を見ると頭でっかち・寸詰まり・幅狭の三拍子が揃っていて、のちにGMが大失敗するエルドラードなんかにも通じるものがありました。変な話で、この3年間しか売られなかったダウンサイズされたTバードは結構輸出に回されて、何せ以前より二回りサイズが小さく取り回しが容易になったので、欧州でもたまにチラッと見た事がありました。
失敗したサンダーバード。実車はかなり悲しい外観です。
その前が、この堂々とした風格でしたからね。落胆の差も激しかったわけです。これはダイアモンド・ジュブリー特別仕様。後の側窓が潰されて(パデッドルーフの延長素材で覆われているだけ、窓は中に残してある)オペラウインドウだけになっています。後方視界は悪かったでしょうけど中々ステキ。
この1978年のフォード中型車が、HVAC操作(ヒーター・ベンチレーションとエアコンデイショニング)が運転席左側にあった最後の乗用車だと思います。
SUV系では1985年のジープ・グランドワゴニヤがHVAC左側操作が最後でしたね。
フェアモント・フューチュラに極似(こちらの方が前後のバランスが取れていると思ふ)。フォードの2扉車はLTDもグラナーダも、何故か皆、窓枠の付いた扉形状で、マスタングもそうでした(但しTバールーフ車はサッシュレス)
このマークVIIのデザインを担当したのは、ジェフ・テイーグ氏(Jeff Teague)。
この苗字、どっかで聞いたことあるかって?そうです、1960年代から1980年代まで、AMCのデザイン部門を仕切った、あの、デイック・テイーグ氏の息子さんなのです。(AMCペーサー、イーグル四輪駆動車、グレムリン、それから
ジープXJチェロキーなどなど)。
ジェフさんがデザイン學校に在校していた時のクラスメイトはマーク・ジョーダン、そうです、あのGMの大ボス、チャック・ジョーダンの息子さんです。色々なところで繋がっていますね。ジェフさんはお父さんがAMCの大ボスだったにも関わらず、フォードに就職し、ジャック・テルナックの下で、このリンカン・マークVIIとフォード・サンダーバードを産み出しました。不幸なことにジェフ・テイーグ氏は59歳の若さでこの世を去ります。
そのジェフ・テイーグ氏が提案した未来車がリンカン・コンセプトC90とC100。これが元にマークVIIに流れを汲みます。
未来車のC90
これはC100
同じくジェフ・テイーグ氏が手がけたサンダーバード。これでサンダーバードは息を吹き返し、結構な販売台数になります。
パーソナル・クープもリンカンの領域になりますと、対象顧客はモンテ・カーロとかカトラスとは断然違い、裕福層が頭に浮かびますが、2扉ですから家族はもう子供達は巣立っている、50歳代以上の方々、または30歳代で家族のいない独身貴族みたいな方々が購買対象と察します。初期にはリンカンお得意の有名デザイナーに託す、デザイナーシリーズとしてビル・ブラスとか、
はたまた暗殺されたジャンニ・ヴァーサーチ仕様も用意されてました。
Versaci仕様。
ビル・ブラス仕様。これが実車は意外とキンキラキンではなく、落ち着いて、結構イケてるんです。ぼくらの年代だったらそんなに ”ハリウッド” してなく恥ずかしくないかもと。。。
このマークVII、一応登場初期は50歳代以上の方々の為の、豪華な旦那仕様、それに当時はやったデザイナーシリーズも用意されたのですが、蓋を開けてみると若者仕様だったLSC型、(Luxury Sports Coupe) が大当たりし、年代を重ねるにつれそのLSCもリンカン社は硬派、黒タイヤ、ハードボイルドなスポーテイー仕様に熱を入れます。
フォードが始めたデザイナー車シリーズ。こう言うの、戻ってこないかなああ。。
今回目撃したのもそのLSC型。マークVIIは全車、空気バネの懸架装置で、当然LSC型はそれなりにスポーテイー仕様に味付けされています。
マークVIIが出てからの2年間、まだ燃費の心配があったのでしょうか、それとも他社が揃えていた、特にメルセデスが、ジーゼルエンジンを載せたかったのですが、開発時間・投資費用も無く、結局独国のBMWと契約を結び、当時出たばっかりの、オーストリア・シュタイヤで作られるM21と呼ばれる2400ccのターボ・ジーゼルをこのマークVIIと同じフォックス車台のコンチネンタルに積みます。恐ろしく非力で煙を吐くこの6気筒エンジン、本国では524tdと324tdに積みます。最初の契約では年間五千基だったかしら、の計画だったと記憶していますが、原油価格の急下落と劣性能故、売れたのは1,500台程度、それもコンチネンタル・セダーンとマークVII合わせて)と言われています。見たことは有りませんでしたが、この優雅な大型パーソナル・クープがダンプトラックみたいなエンジン音発して坂を登ってきたりしたら非現実的な光景となってたでしょう。
マークVIIに乗ったM21ジーゼルエンジン。
ヴァルヴカヴァーのBMWの文字がちゃんとFordになってますね。
これはBMW524tdに載ったM21。
面白い事にこの524tdはBMWの正規輸入車として北米でもちゃんと売られてました。
そのM21ジーゼルエンジン、この低床式モーターホーム、ヴィクセンにも使われていました。。。この自重とエンジン出力。。。
マークVIIの派生ではなかった、ですが、部品を共用していたモーターホーム、その名もエルドラード・スターファイヤ。名称が問題にならなかったのかしら。いや、デザイン自体が問題か。。。
フォードは換気窓に凝っていて、流線型になった後も、このマークVIIとサンダーバードには注文装備で換気窓が選べました。でもリンカンは最初の2年だけ、サンダーバードは1987年の大改良で廃止。おまけにこの換気窓は手動です。一体完全空調の高級車Mk VIIに一体何人が手動操作の換気窓なんか選んだんでしょうかね?タバコ吸う人だったのかも。。。サンダーバードはまだ冷房が注文装備の時代でしたから、廉価版なら選ぶのもわからない訳でもないですが。。。
サンダーバードの換気窓仕様。
手動窓を選んだと言う事は、冷房もなかったのか。。。サンダーバード。
マークVIIに2年間だけ選べた換気窓。
フォード社はその後、流線型に加えて安全性を全面に出す政策で90年代に突入したのでした。。。