用事があり、5月は駆け足で日本へ3週間。
樂しみは通称エンダーと親しまれている、A&Wさんでサンドウイッチ(北米ではハンバーガーの事も一応サンドウイッチと言います、”ブレッドに挟まれている” から)とギンギンに冷えたルートビアをこれまたカチンカチンに冷やされたビヤジョッキで飲み干す事。ルートビやなぞ、子供の頃はあの、うがい薬みたいな味の飲み物をなんで皆、飲むんでしょうか、などと思っていたんですが、歳をとるにつれ普通に飲める様になり、近頃はドクターペッパと共に好きな清涼飲料です。
我が国でA&Wは古い歴史があり、発祥の地は我が家の父方の家族が育ったキャリフォーニア州サクラメントから南にちょっと行った、ローダイと言う小さな街で、そのブランド自体は全米に広がった割には店舗は米西海岸に集中していて、東南部で若い人に聞けば、エイアンドダビュル?なんじゃいそれ、VWの新型車?なんて言われるかもしれません。A&Wは戦後、海外進出を多分、マクドーナルズより早く始めていて、その後到来するファーストフードを先取りしていた感があります。真っ先に進駐したのはグアム、次はフィリピンで、それから北上して沖縄に1963年に第一号店を開店します。
その一号店の場所は屋宜原(今で言うイオン・ライカム・モールのお隣)にあり、数年前、NHKの番組、”街角ドキュメンタリー 沖縄・老舗ハンバーガーショップで” の舞台にもなった場所です。今では本家北米でも少なくなったドライヴイン形式の店舗、自動車を駐車する所に設置されたインターコムで商品を注文できる様になっており、商品は自動車の窓に引っ掛けて固定できるお盆に乗って配達してくれます。ぼくらの年代にはもはや号泣もので、ハイスクールの時代を思い出させてくれます。
残念なことに第一号店は改装工事が続いて閉店されていたので、仕方なく牧港にある、1968年に開業した、A&W第2号店に向かいました。ギンギンに冷えたジョッキでいただくルートビヤとサンドウイッチを頂きました。この両店、当然沖縄返還前のお店なので、一応米領のお店でした。まーさんどー、ああ、しあわせ、しあわせ。
第一号店。
これですよ、コレ。霜のついた冷やしたグラス・ジョッキで飲むルートビヤ。因みにお代わり無料です。
こうやって車内からインターコムで注文するのが正統派。なつかしいなあ。。
出口に、このお店の経験が素晴らしいと感じた人は、お帰りの際この鈴を鳴らしてくださいと書いてありました。誰も鳴らさないので、自分はカンカン鳴らしてあげました。
豊崎でA&Wの移動店舗を発見!おまけにこれ、本物の元祖、グラマン・オールソンのステップヴァンではないですか!よく観察すれば、多分2002年辺りの
フレイトライナー製シャーシのMT45型。前窓上のひさしで直ぐ判ります。冷房も付いている! 非常に状態の良い個体と見受けられます。
左前窓上にある換気穴が沖縄特別仕様か。あと外側後方確認の鏡類が日本特有ですね。
豊崎といえば、11年前に目撃したレンタカアが椰子の木、投げ倒したインシデント。。
現在はこんな模様でした。
素晴らしい状態のトヨタ・マークII (コロナとは言いませんでしたよね)。
その上ツインキャム、おまけにツイン・ターボチャージャー!この屋根の薄さ、ピラーの細さ。もう絶対こう言う車両は製造できないでしょうね。当時でも厳しかったんでしょう、FMVSSに適合するのは。この4ドアピラード・ハードトップは北米では売られませんでした。
日本ではこう言うのを目撃するので、興奮します。多分1967年型。レストアして持ってきたのかしら。
沖映通り、旧ダイナハ向かいの、みどり駐車場が取り壊しになりました。ここはユースカー時代(琉球列島米国民政府)の面影を残す、少ない建物です。出入り口がなんかヘンでしょう。右側通行に作られたので、向かって右側が入り口、左側が出口と左側通行では反対になっているんです。右の黄色い屋根は昔、あんま屋さん。左奥の料金所から夜更けの蚊取り線香、支払いで窓を開けた車内に香るのが懐かしいです。
今回借りたのは125万キロ走った鈴木のワゴンR。200パウンドの砂利運ぶ作業中の図。結構よく走ってくれました。
あっ、あの伝説のセドリックが。。。(デージ優しく、親切なオーナーでした)
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2024/05/30 06:59:41