米合衆国に輸入されていた、知られざる珍車などを書いて行きたいと思います。連載と言っても気分次第の不定期になるので、ご容赦を。。。
その昔、仕事で寄る寄港地で、同僚とスズキ・サイドキックを共同所有して使っていた事がありました。二輪駆動の自動変速機、手動操舵仕様で、これがかなり単純ですが素直な良い自動車で結構気に入ってました。
鈴木が最初に合衆国へ四輪車を持って来たのが1985年。スズキ・サムライ。
後に操縦安定性で業界を覆すどえらい問題に発展する、スズキ・サムライ、一般には1985年がこのスズキ製ジープ型車が北米へ最初に輸入されたスズキ四輪車と認識されているのですが、実はこの軽便四輪駆動車、1970年代前半に合衆国に輸入されていたのでした。
輸入・販売をしていたのはスズキでは無く、キャリフォーニアはサンデイエーゴにあった、競走自動車に関与する一家で、インターナショナル・イクイプメント・コーポレーションと言う会社。輸入、デイストリビューション、法規適合、宣伝、やら一挙に抱えて、1970年から1974年、多分排気ガス規制が厳しくなる直前まで、合計にして3,000台を超える数を、主に西海岸地域で発売していたそうです。360ccの排気量、勿論分離給油でしたが2ストロークのエンジン。これで灼熱地獄のデスヴァレーから標高数千フィートの高山まで、車両保証付けて売ってたのですから大したもんですね。
今でもごく稀にこのLJ10が売りに出ているのを見かけます。
北のお隣、キャナダでも別途の輸入企業が1970年代後期から1980年代前期まで、このLJ 10・20・50やらを独自に輸入販売していたそうでした。
合衆国スズキはサムライで始めた1985年から2012年の末まで、数えて約224のデーラーで販売を展開し、一番売れた年、2007年には、102,000台の販売記録を残しましたが、その後デーラーとの問題、限られた仕入れ台数、不利な為替などなどさまざまな問題を解決出来ず、北米市場から撤退しました。
我が国で自動車を売り始める前には、形式認定、即ち非常に厳しい(億単位の高額な試験)の投資、これまた億単位の販売網の確保、製造物責任法、整備網、製品保証、部品確保などなどが必要ですから、彼らもそう軽い判断だったわけではなかったでしょうね。ダイハツも同じ道を辿る結果になりましたから、販売台数が桁違いの北米市場では、成功すれば儲けも桁外れになりますが、失敗すると会社がひっくり返るくらいの被害になるのです。。。
末期には魅力的なセダーン型車、キザーシも北米に持って来ましたが、4年間で僅か20,319台を売った後、スズキの北米撤退で輸入終了。このキザーシ、導入当時は宣伝に力を入れていて、自動車雑誌の老舗、モータートレンドと共謀して、静岡県のスズキ製造工場からモータートレンド誌本社のロスアンジェリースまで
運転して行こう!と言う企画を実行しYouTubeにも特集を組みました。仕掛け人はアンガス・マケンジーさん、オーストラリヤ生まれの記者で以前英国の権威ある自動車誌 ”Car” の編集長を経て現在はモータートレンド誌の編集長をやっている人です。
この冒險、よく見ると鳥取県の堺港からロシヤはヴラダヴォストックまで船に乗せ、極東マガダンまで自走、マガダンからはアラスカ州アンカレッジまで空輸して、残りを陸路で走ろうというもの。
動画では日本国内を加州のライセンスプレートで堂々と走って入りうのが不思議ですが、まあ無事、完走したのでした。YouTubeで今でも見られます、此方でどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=utbHTrMo3qU&t=58s
力の入ったマーケテイングに反して、販売が芳しくなかったのが残念です。オアフ島にも以前はたまに見たキザーシも最近はめっきり見かけなくなりました。
日本から走って北米に行く、と言う計画は以前にも聞いた事があり、その一例は、1980年代、日本車の北米市場侵略が大問題になっていた時期に、日本からデトロイトまで米国車で乗り付けて米国市民の勢いを取り戻そう!と言う愛国心抜群の企画をある人が考えだし、デトロイトの自動車生産各社に声をかけた所、唯一関心を示したのが当時、日本車バッシングで一躍人気者になっていた、クライスラーのリー・アイアコッカ会長。丁度Kカーの発展版、レバーロンのコンヴァーチブルの普及に使えるかもしれんと計画は前に進み、企画者は船の設計をする会社に設計を頼み、双胴の船の中心にレバーロンを置き、駆動輪から船を進める装置をローラーで回し太平洋を越える!と言うもの。結局アイアコッカ氏が最後に首を縦に振らなかったので財政的にこの計画は立ち消えしたそうです。
このレバーロンを船に載せて、ゴムローラで駆動輪から推力を取ると言う。。。
その計画模型。丁度中央部にレバーロンが載っているのが見えます。でも多分クープ仕様。
末期の米国スズキは中型ピックアップトラックも売っていました。 その名は、 スズキ・イクエーター。イクエーターとは赤道の事です。こんな車種、スズキは作ってませんでしたから、中身は日産のフロンテイアー・ピックアップトラック、所謂昔のダットラです。生産はミシシッピー州のキャントン工場。4年間で売れたのはたったの5,808台。今となっては非常に珍しいトラックになりました。
イクエーター、赤道、昔は船などで赤道通過する際には赤道儀礼祭と言う大きな行事があったそうです。そう言えば昔の日本航空では日付変更線通過証とか、北極通過証なんて乗客に配られてましたっけ。10年ほど前、ぼくは毎週金曜日になると、ホノルルから赤道越えて南半球の米領サモアへ郵便を運んでいました。日帰り片道5時間半。当然赤道を1日に2回通過するわけですね。まあそれを月に何回もするわけですから、儀礼祭どころの話じゃないのですが、1990年代、初めて赤道上空を通過した時、機長がぼくをからかって、ホラ、見てご覧、もう直ぐ赤道通過だよ、と慣性航法装置の位置表示を指さして、馬鹿な自分は外界を凝視したのを覚えています。笑。。
赤道儀礼祭。今でも実施する船あるそうです。
サモア島は米領と西サモア領と二つの国に分かれているだけでなく、その間に日付変更線が走っているんです。プロペラー機で30分くらい(れっきとした国際線です)の距離のこの二つのサモア。米領は一応、通貨、法律も全て米本土に倣いますから、当然米領サモアには米郵便局があり、そこへ行く郵便物を運ばなければならないと言う訳です。
ぼくが最初に米領サモアに行ったのは1990年代中盤。豪クワンタス航空の貨物便でホノルルからオウストラリヤに行く途中の給油中継地でした。
それから20年後、毎週金曜日の米領サモア往復は小さい飛行機で。
でもここは
米国自治領と言う領地の階級なので、彼らは米国領なのに米国市民ではなく、大統領選挙にも投票はできません。米国に住んで働くことはできます。では旅券はどうなっているの?と言いますと、一応米国旅券は発行されるのですが、中に但し書きが記されており、この旅券は正規の旅券ではあるが、保持者は米国市民ではありませんと書かれています。それと米国市民でも米領サモアに行く際は旅券を持って行かなければなりません。米領サモアは結構険しい山々と深い入江が特徴で、米海軍が駐留していますが、米軍人には世界中どこに駐留していても連邦選挙に投票可能と言う規則があります。
同じ理由で、米国市民でもアメリカ準州に当たるグアームに住居を構える人たちは大統領選挙に投票できません。グアームはハワイやら沖縄と同じく、軍人とその家族の比率が非常に高い島で、その特別法で、軍人とその家族に限ってはグアムに住んでいても大統領選挙に参加できます。因みにプエト・リーコの住民も大統領選挙には参加できません。なので知らないと、米国人でもハワイからグアームに引っ越した人たちは、連邦選挙に投票できず愕然とするケースをよく聞きます。
米領サモアの空港はPagoPagoと言う街にあり、(パゴパゴと書き、パンゴ・パンゴと発音します)街中に行くと一番大きい産業のマグロ缶詰工場があり、ぼく時代の米国民なら馴染みのあるツナ缶、スターキストの缶に描かれているマグロの坊や?チャーリー・ザ・ツナの立体像があります。これだけ離れた小さな町でもここで缶詰されるツナ缶は米国製造になるので、(一応)付加価値が高いそうです。
人気者マスコット、マグロのチャーリーくん。ぼくらの年代なら誰でも知ってます。
米領サモア、パンゴパンゴ空港。
この手前が丘になっていて着陸進入の際、地上が結構迫るのですが、1974年、パンナムのボーイング707がこの丘から下がり滑走路へと続くジャングルの中に墜落して大惨事になった事がありました。太平洋の孤島、勿論レーダー管制も無く、夜間の発着に赤道近く特有のスコールなどで視界が著しく低下する場合があり、燃料計睨みながら着陸復行したり、結構神経を使うのは今も昔も変わりなかったです。
険しい山々に守られる、水深の深いパンゴパンゴ灣、客船の寄港地としても有名です。この向こう側の山頂とこっち側の山頂の間に昔、ケーブルカーがあり移動を簡単にしていたのですが、1980年の航空祭の時、展示飛行をしていた米海軍のロッキードP3対潜哨戒機が飛行中、垂直尾翼をそのケーブルに引っ掛けホテル・レインメーカーの敷地内に墜落してこれも大惨事になりました。それからこのケーブルカーは、廃止に。。。
日付変更線で思い出しましたが、もう一つ、太平洋の孤島、キリバス共和国のクリスマス島にも月に一回の頻度で通ってましたが、地図を見ると、真っ直ぐ南北に走る日付変更線がキリバス諸島の周辺だけ曲がりくねって西側に入っているんです。これは1994年位キリバス共和国が自分たちで宣言して日付変更線を動かしたそうです。ふむふむ。
クリスマス島は世界で一番大きい環礁と言われ、ほとんど真っ平、ホノルルから僅か2時間ちょっとの距離で、最近は空の便が復活し、ホノルルまたはフィージーのナンデイーから飛行機が寄るみたいです。島には打ち上げ衛星の追跡施設と、昔、日本の航空宇宙技術研究所が進めていた小さなスペースシャトルみたいな飛行物体の実験を旧英軍(キリバスは昔、英領でした)が使っていた滑走路を直して使っていた様子で、それが良く見えました。ビキニ諸島での原爆の実験は水面下でしたが、クリスマス島で行われていた英国軍の核実験は上空で爆発させた物で、ビキニ諸島は今だに核の掃除をやっているのに、クリスマスは何もやらないのが不思議でした。。。
クリスマス島の飛行場、キャシデイー国際空港(名前だけは勇ましいですが、1950年代英国軍が撤退した後の基地を利用したバラックだけの施設)。今はキリバスの首府、タラワからも小型機が出ているみたいです。
日本の宇宙研究機構がリースし整備・仕様していた、クリスマス島のイオン飛行場。
さて、今日は合衆国大統領選挙の日、ハワイ州は郵便で投票書類が来て、折り返し郵送するか島中に設置された大きな投票箱に投函するので、我が家は既に投票済み。結果がどうなるか。。。。
