オアフ島西海岸にある、日本で有名なコニシキさんの邸宅がやっと売れ、買い手は本土からの人と聞きましたが、あの一帯は最近治安が悪く、と言ってもオアフ島、ここ近年で全般的に治安の悪化を見ますが、なんでも一年で数回強盗被害に遭われて、奥様が引っ越しを要望したとか。
その西海岸はマカハにある、タムラ・超級市場に久しぶりに出かけた際、駐車場に停まっていたのがこの自動車。
1982年辺りのミッドサイズ車、シェヴォレイ・マリブー・ステーションワゴンのドンガラを、何処かの四輪駆動トラックのシャーシの上に強引に載せちゃった模様。
この年代のGMのAボデー車はちゃんとフレームの上に車体が乗る構造なので、ボデーだけ載せたのかと思ひきや、よく見るとマリブーのフレームの下にトラックのフレームが覗いているので、まあ、よく合体できたものだと。
フルサイズが劇的なダウンサイズを行った翌年に発表された、ミッドサイズのAボデー車。シェヴェルの名称と直6エンジンが消えた代わりに、なんと最大で1,000パウンドの減量に成功したダウンサイズの中型車。まだフレームを捨てきれなかった。
早期にフルフレームを捨ててユニットボデー、いわゆるモノコック構造を得意としていたのはクライスラーやらナッシュでしたが、GMも小型車や、カマーロには前だけフレームを継ぎ足した構造になってました。
デトロイトでは通常、フレーム付きの車両をバラす際、フェンダー、フッドやらグリルの付いた部分を一体で外す事が常で、このアッセンブリーをフロントクリップと呼びます。
拾い画像。左の部分がフロントクリップです。
フロントクリップを下ろしたインパーラSS。
拾い画像。駆動系の組み込んだフレームの上に車体を載せて、前部にフロントクリップを被せるのが一般的でした。ですからやろうと思えば着せ替え人形みたいに半分オールズモビルで半分キャデラックみたいなのも可能だったんですね。
ビュイックグラン・ナショナルのステーションワゴン?作れちゃうんですなあ。
でも当時のカマーロはモノコックのドンガラにボルト締めでサブフレームを合体させ、そのサブフレームにエンジン、懸架装置やらステヤリングギヤなどが付いていました。
これがそのサブフレーム。
クライスラーもモノコックとは謳っていましたが、実際は前部はごっついサブフレームがあって、矢張りNVH処理やらこちらの方が容易だったんでしょうね。そう言えばシトロエンのCXもそうでした。中央にズンと平たいフレームが前後に走り、後端に後輪周り、前端にエンジンやら操舵、懸架装置をくっつけた構造でした。確か前部と後部は中央のフレームに各8本のボルト締めで合体していたので構造的には結構ヤワだった覚えがあります。なぜかフレームより車体の方が恐ろしい勢で錆びていった。。。。
CX以前のDS系は上屋はスケルトン構造で、下側に図太い骨格が外側に走り、前後に伸びるツノにエンジンやらが載ってました。この外側の骨格が曲者で何重構造で内側から腐食し、その上幅が尋常じゃなく一旦室内に入ると床だけがストンと低くなっているので、乗り降りは結構しにくいんです。
上級仕様のパラースだとその骨格にキンキラキンの装飾板が貼られ、磨けば綺麗ですが、その下に巣分を含むと見えない場所の腐食が加速します。でもまあ下部は殆ど真っ直ぐな鋼板で作られているので、腐食部分を切り取って作り直す人もいるようですが、怖いのは上屋で細い曲がった構造の柱なんかがあって、そう簡単には製作できないし、古くなると屋根から必ず水が漏れて堂々巡りになるので、相談事が増えます。
その昔からあるフレーム構造、一時期GMが、所謂ハシゴ形状を捨てて、X状の骨格にした事があるんです。1957年のキャデラックです。X状にすると運転台下の床を低く取れる上、構造上ねじれに強いので良い、と言うのが謳い文句でした。
1958年のキャデラック。中央のくびれた場所の左右に前席がくるので床が低く低重心になる筈。。
1959年のキャデラック、そうです、あの尾翼が一番、天を目指しそびえていた奴ですね、あれも底床式、Xフレームだったのです。
でもキャデラックは1965年のモデルチェンジの際、普通のラダーフレームに戻ります。何でも側面衝突の際の安全性確保に難があったとか。。ちなみに同じGMでもシェヴォレイやら他社はXフレームを採用したのに、オールズモビルだけは遂に一回も採用しませんでした。
これは1957年型。Xフレームが初採用された年、ちょうど四つ目の前照灯が解禁されたやつです。良い雰囲気の写真ですねえ。。。。
1958年型のエルドラード・ブロウハム。運転手、ソラヲ見上ゲ、何想フ。。。
後にエルドラードは前輪駆動の超豪華パーソナルクープに昇格します。これは同じ車台、Eボデーの1979年型ビュイック・リヴィエーラ。ダウンサイズされて随分ちっちゃくなりました。前輪駆動なので駆動軸がないのと、同じくトランク下の燃料タンクなどが確認できます。
Xフレームと言えば、トヨペット・クラウンも一時期使っていた筈です。この世代だけでしたが。
クラウンは梯子フレームを長い間維持してましたが、新世代になると余りフレーム構造の車台形式を維持する意味もなくなってきたんだと思います。その分技術が進んでモノコック構造の弱点をホボ制覇できるようになったんですね。
観音開きのクラウンは普通の梯子フレームだった様子。
まあその側面衝突の問題と言うのも信憑性がどうもで、何せ側面衝突の際、ぶつかるのはフレームの走るあんな低い位置じゃないのが通常ですからね。でも問題があった事は確かで、ラダーフレームを守っていたフォードはウチの方がGMより安全さ〜と、広告宣伝していたくらいですから。その1960年代から続くフルサイズ車のフレームを改良しつつ、2011年まで使い続けたのが、パンサー車台です。正式にはパンサー車台の登場は1979年のLTDからとなっていますが、基本的には1960年代からの流れを汲む形式で、これは1977年型リンカン・マークVのフレーム。
これは大改良された後期型パンサー車台・フレーム。
最近の側面衝突次項はこんな形式で行われます。外側のフレームよりかなり上の方が応力入っているのが見えますね。だから常に体当たりする警察車両などでもドンガラを変えるだけで比較的修理が容易なそうです。
パンサー車台の特徴の一つに、燃料タンクの位置があります。燃料タンクはトランク内のずっと奥、でファレンシャルギヤが上下に暴れる直ぐ後に、縦おきにストラップで吊るされています。
その燃料タンクが後方から衝突された際、と言っても政府が行う形式認定を遥かに超えた環境で、はい、警察の作業中ですね、追突されるとクラウンヴィクトリヤは燃料タンクが前方に動きある構造物でタンクから燃料が漏れると、熱い排気管またはリヤ・デファレンシャルギヤの熱で発火、炎上する問題が明るみになり、ひと騒動ありました。その後改良が続けられ、なんと時速75マイルの衝撃にも耐えられる他、専用の消火装置も備えらたのを記憶しています。
しかし、このトランク奥に配置した燃料タンクのお陰で、トランクの床を思いっきり底床されたパンサー車台の車種は、トランクが異様に深く大容量なのが特徴で、リンカン車を含め、リヴリー業界ではとても人気がありました。
55ギャロンのドラム缶が積める乗用車なんて何処にあるねん?
1996年型クラウン・ヴィクトリアのトランク。スペアタイアの下が燃料タンクとデファレンシャルギヤ。
同じく1996年型のシェヴォレイ・インパーラS Sのトランク。不思議な事に容量はクラウン・ヴィックと殆ど同じ、20クービックフィートなのです。でも床が平らで、この下に燃料タンクが鎮座しているので深さが浅い。。。
トランク床下に燃料タンクを吊り下げる、GMのB/Cボデー車、不思議な事に後部衝突の発火問題には至りませんでした。。。この形状なので、これらのフルサイズ車は、給油する際、後方ライセンスプレートを下げてノズルを差し込む方式でした。
トランク下の平たい燃料タンクの位置とフレームが判ります。
1996年、最後のBボデーまで、シェヴォレイ・カプリースの給油はこうしてライセンスプレートを倒してやってました。これは1988年型かなあ。。。
このGMのB/Cボデー、ハシゴ型のフレームが下を走るので、扉を開けた際の敷居がかなり幅広いのが特徴です。それでいて座席は結構低い位置なんです。
フォードの深いトランクはステーションワゴンにも恩恵をもたらし、まるで掘り炬燵の如く、深く足を落とせますが、何せ横向きに座らされるので、実際には対面2人でも窮屈じゃなかったのかと。広報では何と3人乗せて見せてますが。。。見づらいですが、スペアタイヤは右側ジャムプシートの後に立てかけて収納されます。
シェヴォレイ・インパーラのサードシート。足元の床がとても高いのが分かります。ここに大人を座らせると膝を抱える事になります。
クラウン・ヴィクトリアのステーションワゴン、フォード式にカウントリー・スクワイヤって呼んでましたね、最後が1991年。翌年からジェリービーンみたいな空力車体になっちゃって、ステーションワゴンは消滅しました。
最終年の1991年型。
2扉型の最後は1986年。性格が非常に無所属だった。誰が買ったのか。。。
カプリース・インパーラの2扉はハードトップではなく扉に桟が付くセダーンだと思いきや、皆はクープと言っていました。我が国はクープの定義がずれています。ダウンサイズされた初期のこの、クープは洒落た2扉で女性に人気があったのですが、後半になると装備を省かれた廉価車的な寂しい性格になって、一旦1983年には消滅したのですが1984年に復活してた後、2扉型は1987年が最後になりました。
余程売る気が無かったのか。この後ろ姿、キャタログに1986年も1987年も同じ画像を使ってるう。。。
ダウンサイズBボデーは矢張り初期型が一番素敵です。伸びやか、かつ間延びをしておらず、細部との釣り合い、特に1977年のインパーラが素晴らしかった。。これは屋根前半だけがパデッド・ルーフになったランダウ仕様。
全部ヴァイナル・ルーフもありましたが、クープでは余り見かけませんでした。
これがダウンサイズ初年、1977年のインパーラ、所謂廉価版、でもこのラジエータ・グリルが好きなんですよ。これにオプション満載したの、欲しかった。。何故か非常に珍しいサンルーフが写ってます。我が国、余りサンルーフ欲しがる人っていないみたいで。当然の事ながら、架装はASCへ外注。
1987年のカプリースは大改良。GMがこぞって異形前照灯を採用し出した年でした。
1987年と言えば、この頃からカプリースが再度、キャデラック化して行った時代でした。何せ本家のキャデラックはダウンサイズに失敗して惨めなプロポーションの高い車になっちゃったので、新しく出たLS・ブローハム仕様はキャデラックの販売人には凄く迷惑だったと思います。
LSブローハムはパッデッド・ルーフに小さなオペラ窓。
フルサイズのシェヴォレイが最初に革張り内装を揃えたのも、この1987年LS・ブローハム。確か赤と青が選べた。
話は戻り、モノコック車体のクライスラー。本当のフルサイズ最後のRボデー。たった2年だけしか売られなかったダッジ・セイントレジスは昔のモナコの後釜。サッシュレスのハードトップ側窓やら隠れる前照灯が特徴的で、主に官公庁向けの営業車として一時期は目立ちました。
このセイント・レジスの前照灯、異形前照灯に見えて、実は規格のシールドビーム4灯の前に電動で点灯の際に開く透明のカヴァーを持っていました。これを最初に採用したのが1978年のダッジ・マグナム、要するにクライスラー・コードーバのダッジ版でした。当時、異形前照灯は否認化装備で、自分で欧州版の前照灯に変えたりすると警察に捕まる、特に加州は非常にうるさかったです。でもフリートで使ってみるとこの前照灯のカヴァーは煩いし維持に面倒だと言われ、警察車両では殆ど最初から取り払われていたきらいがあります。
コードーバのダッジ版、ダッジ・マグナム。これも2年しか売られなかった。
コードーバが豪華なおっさん向けならマグナムは若いプレイボーイって所か。いずれにせよ余り若者狙った車種では無かった様子。
悪評高かった前照灯のカヴァー。電動で結構素早く作動します。
皮肉な話で、前照灯の前に固定式の透明カヴァーを付けていたのが同じく、クライスラーのインペリアル。1965年型には横線の入ったガラスが前照灯をを被さっていた(実際前照灯の真ん前は横線が入ってないので照度差し支えなかった)
翌年、1966年は同じカヴァーでも横線が消え、輪郭を二重の色が走るだけになりますが、時期を同じく発令された連邦車両安全基準法により、前照灯の前に透明カヴァーを付けて点灯させる事が違法になり、インペリアルも普通のシールドビームになっちゃいました。
欧州車も同じ煽りを喰らい、VWのビートルも1966年型は前照灯が傾斜してカヴァーがかかっていたんですが。。。。
翌年、1967年はフェンダーの形状も変えて規格前照灯に変更せざるえなかった訳です。
その後前照灯は角形、ハロジェン電球などの認可に進んで、ついに1984年に登場した、空力デザインが画期的なリンカン・コンチネンタル Mk VIIで初めての合法異形前照灯が登場します。GE樹脂部と開発した総樹脂製、レクサン・ポリカーボネートを使います。これは何も前照灯の性能向上とか、美観に優れると言った訴えで認可されたのではなく、口実は樹脂製ゆえの軽量化と低価格、空気抵抗の低下と、共に
燃料資源の節約につながると言うのが法律を変えた理由でした。(衝撃吸収バンパも重いので燃費が悪くなる、と言うのが理由で規制緩和になったのと同じです)
競争相手のメルセデスのSECはまだ規格前照灯のブザマな姿。その比較をした方のでしょう。SECが異形前照灯に変わるのは1986年になってから。
冒頭の画像は1992年に登場した空力改良版のEN53型、通称アエロ・クラウン・ヴィクトリア。この世代から ”LTD” のモニカーが消え、ステーションワゴンも消滅します。その代わり数々の改良が重ねられ、フォードはこのパンサー車台に諦めをせず、2011年まで生産します。目先の儲けに目が眩み続々と大型乗用車を突き放したGMと反対的でした。。。