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JetBoyのブログ一覧

2023年05月29日 イイね!

フレームの形状 フォード GM 燃料タンクもろもろ

フレームの形状 フォード GM 燃料タンクもろもろ










オアフ島西海岸にある、日本で有名なコニシキさんの邸宅がやっと売れ、買い手は本土からの人と聞きましたが、あの一帯は最近治安が悪く、と言ってもオアフ島、ここ近年で全般的に治安の悪化を見ますが、なんでも一年で数回強盗被害に遭われて、奥様が引っ越しを要望したとか。

その西海岸はマカハにある、タムラ・超級市場に久しぶりに出かけた際、駐車場に停まっていたのがこの自動車。




1982年辺りのミッドサイズ車、シェヴォレイ・マリブー・ステーションワゴンのドンガラを、何処かの四輪駆動トラックのシャーシの上に強引に載せちゃった模様。


この年代のGMのAボデー車はちゃんとフレームの上に車体が乗る構造なので、ボデーだけ載せたのかと思ひきや、よく見るとマリブーのフレームの下にトラックのフレームが覗いているので、まあ、よく合体できたものだと。


フルサイズが劇的なダウンサイズを行った翌年に発表された、ミッドサイズのAボデー車。シェヴェルの名称と直6エンジンが消えた代わりに、なんと最大で1,000パウンドの減量に成功したダウンサイズの中型車。まだフレームを捨てきれなかった。


早期にフルフレームを捨ててユニットボデー、いわゆるモノコック構造を得意としていたのはクライスラーやらナッシュでしたが、GMも小型車や、カマーロには前だけフレームを継ぎ足した構造になってました。

デトロイトでは通常、フレーム付きの車両をバラす際、フェンダー、フッドやらグリルの付いた部分を一体で外す事が常で、このアッセンブリーをフロントクリップと呼びます。

拾い画像。左の部分がフロントクリップです。


フロントクリップを下ろしたインパーラSS。


拾い画像。駆動系の組み込んだフレームの上に車体を載せて、前部にフロントクリップを被せるのが一般的でした。ですからやろうと思えば着せ替え人形みたいに半分オールズモビルで半分キャデラックみたいなのも可能だったんですね。


ビュイックグラン・ナショナルのステーションワゴン?作れちゃうんですなあ。


でも当時のカマーロはモノコックのドンガラにボルト締めでサブフレームを合体させ、そのサブフレームにエンジン、懸架装置やらステヤリングギヤなどが付いていました。


これがそのサブフレーム。


クライスラーもモノコックとは謳っていましたが、実際は前部はごっついサブフレームがあって、矢張りNVH処理やらこちらの方が容易だったんでしょうね。そう言えばシトロエンのCXもそうでした。中央にズンと平たいフレームが前後に走り、後端に後輪周り、前端にエンジンやら操舵、懸架装置をくっつけた構造でした。確か前部と後部は中央のフレームに各8本のボルト締めで合体していたので構造的には結構ヤワだった覚えがあります。なぜかフレームより車体の方が恐ろしい勢で錆びていった。。。。


CX以前のDS系は上屋はスケルトン構造で、下側に図太い骨格が外側に走り、前後に伸びるツノにエンジンやらが載ってました。この外側の骨格が曲者で何重構造で内側から腐食し、その上幅が尋常じゃなく一旦室内に入ると床だけがストンと低くなっているので、乗り降りは結構しにくいんです。


上級仕様のパラースだとその骨格にキンキラキンの装飾板が貼られ、磨けば綺麗ですが、その下に巣分を含むと見えない場所の腐食が加速します。でもまあ下部は殆ど真っ直ぐな鋼板で作られているので、腐食部分を切り取って作り直す人もいるようですが、怖いのは上屋で細い曲がった構造の柱なんかがあって、そう簡単には製作できないし、古くなると屋根から必ず水が漏れて堂々巡りになるので、相談事が増えます。


その昔からあるフレーム構造、一時期GMが、所謂ハシゴ形状を捨てて、X状の骨格にした事があるんです。1957年のキャデラックです。X状にすると運転台下の床を低く取れる上、構造上ねじれに強いので良い、と言うのが謳い文句でした。

1958年のキャデラック。中央のくびれた場所の左右に前席がくるので床が低く低重心になる筈。。


1959年のキャデラック、そうです、あの尾翼が一番、天を目指しそびえていた奴ですね、あれも底床式、Xフレームだったのです。


でもキャデラックは1965年のモデルチェンジの際、普通のラダーフレームに戻ります。何でも側面衝突の際の安全性確保に難があったとか。。ちなみに同じGMでもシェヴォレイやら他社はXフレームを採用したのに、オールズモビルだけは遂に一回も採用しませんでした。

これは1957年型。Xフレームが初採用された年、ちょうど四つ目の前照灯が解禁されたやつです。良い雰囲気の写真ですねえ。。。。


1958年型のエルドラード・ブロウハム。運転手、ソラヲ見上ゲ、何想フ。。。


後にエルドラードは前輪駆動の超豪華パーソナルクープに昇格します。これは同じ車台、Eボデーの1979年型ビュイック・リヴィエーラ。ダウンサイズされて随分ちっちゃくなりました。前輪駆動なので駆動軸がないのと、同じくトランク下の燃料タンクなどが確認できます。


Xフレームと言えば、トヨペット・クラウンも一時期使っていた筈です。この世代だけでしたが。


クラウンは梯子フレームを長い間維持してましたが、新世代になると余りフレーム構造の車台形式を維持する意味もなくなってきたんだと思います。その分技術が進んでモノコック構造の弱点をホボ制覇できるようになったんですね。


観音開きのクラウンは普通の梯子フレームだった様子。



まあその側面衝突の問題と言うのも信憑性がどうもで、何せ側面衝突の際、ぶつかるのはフレームの走るあんな低い位置じゃないのが通常ですからね。でも問題があった事は確かで、ラダーフレームを守っていたフォードはウチの方がGMより安全さ〜と、広告宣伝していたくらいですから。その1960年代から続くフルサイズ車のフレームを改良しつつ、2011年まで使い続けたのが、パンサー車台です。正式にはパンサー車台の登場は1979年のLTDからとなっていますが、基本的には1960年代からの流れを汲む形式で、これは1977年型リンカン・マークVのフレーム。


これは大改良された後期型パンサー車台・フレーム。 


最近の側面衝突次項はこんな形式で行われます。外側のフレームよりかなり上の方が応力入っているのが見えますね。だから常に体当たりする警察車両などでもドンガラを変えるだけで比較的修理が容易なそうです。




パンサー車台の特徴の一つに、燃料タンクの位置があります。燃料タンクはトランク内のずっと奥、でファレンシャルギヤが上下に暴れる直ぐ後に、縦おきにストラップで吊るされています。


その燃料タンクが後方から衝突された際、と言っても政府が行う形式認定を遥かに超えた環境で、はい、警察の作業中ですね、追突されるとクラウンヴィクトリヤは燃料タンクが前方に動きある構造物でタンクから燃料が漏れると、熱い排気管またはリヤ・デファレンシャルギヤの熱で発火、炎上する問題が明るみになり、ひと騒動ありました。その後改良が続けられ、なんと時速75マイルの衝撃にも耐えられる他、専用の消火装置も備えらたのを記憶しています。


しかし、このトランク奥に配置した燃料タンクのお陰で、トランクの床を思いっきり底床されたパンサー車台の車種は、トランクが異様に深く大容量なのが特徴で、リンカン車を含め、リヴリー業界ではとても人気がありました。

55ギャロンのドラム缶が積める乗用車なんて何処にあるねん?


1996年型クラウン・ヴィクトリアのトランク。スペアタイアの下が燃料タンクとデファレンシャルギヤ。


同じく1996年型のシェヴォレイ・インパーラS Sのトランク。不思議な事に容量はクラウン・ヴィックと殆ど同じ、20クービックフィートなのです。でも床が平らで、この下に燃料タンクが鎮座しているので深さが浅い。。。


トランク床下に燃料タンクを吊り下げる、GMのB/Cボデー車、不思議な事に後部衝突の発火問題には至りませんでした。。。この形状なので、これらのフルサイズ車は、給油する際、後方ライセンスプレートを下げてノズルを差し込む方式でした。




トランク下の平たい燃料タンクの位置とフレームが判ります。


1996年、最後のBボデーまで、シェヴォレイ・カプリースの給油はこうしてライセンスプレートを倒してやってました。これは1988年型かなあ。。。




このGMのB/Cボデー、ハシゴ型のフレームが下を走るので、扉を開けた際の敷居がかなり幅広いのが特徴です。それでいて座席は結構低い位置なんです。


フォードの深いトランクはステーションワゴンにも恩恵をもたらし、まるで掘り炬燵の如く、深く足を落とせますが、何せ横向きに座らされるので、実際には対面2人でも窮屈じゃなかったのかと。広報では何と3人乗せて見せてますが。。。見づらいですが、スペアタイヤは右側ジャムプシートの後に立てかけて収納されます。




シェヴォレイ・インパーラのサードシート。足元の床がとても高いのが分かります。ここに大人を座らせると膝を抱える事になります。


クラウン・ヴィクトリアのステーションワゴン、フォード式にカウントリー・スクワイヤって呼んでましたね、最後が1991年。翌年からジェリービーンみたいな空力車体になっちゃって、ステーションワゴンは消滅しました。

最終年の1991年型。


2扉型の最後は1986年。性格が非常に無所属だった。誰が買ったのか。。。


カプリース・インパーラの2扉はハードトップではなく扉に桟が付くセダーンだと思いきや、皆はクープと言っていました。我が国はクープの定義がずれています。ダウンサイズされた初期のこの、クープは洒落た2扉で女性に人気があったのですが、後半になると装備を省かれた廉価車的な寂しい性格になって、一旦1983年には消滅したのですが1984年に復活してた後、2扉型は1987年が最後になりました。

余程売る気が無かったのか。この後ろ姿、キャタログに1986年も1987年も同じ画像を使ってるう。。。


ダウンサイズBボデーは矢張り初期型が一番素敵です。伸びやか、かつ間延びをしておらず、細部との釣り合い、特に1977年のインパーラが素晴らしかった。。これは屋根前半だけがパデッド・ルーフになったランダウ仕様。


全部ヴァイナル・ルーフもありましたが、クープでは余り見かけませんでした。


これがダウンサイズ初年、1977年のインパーラ、所謂廉価版、でもこのラジエータ・グリルが好きなんですよ。これにオプション満載したの、欲しかった。。何故か非常に珍しいサンルーフが写ってます。我が国、余りサンルーフ欲しがる人っていないみたいで。当然の事ながら、架装はASCへ外注。


1987年のカプリースは大改良。GMがこぞって異形前照灯を採用し出した年でした。


1987年と言えば、この頃からカプリースが再度、キャデラック化して行った時代でした。何せ本家のキャデラックはダウンサイズに失敗して惨めなプロポーションの高い車になっちゃったので、新しく出たLS・ブローハム仕様はキャデラックの販売人には凄く迷惑だったと思います。

LSブローハムはパッデッド・ルーフに小さなオペラ窓。


フルサイズのシェヴォレイが最初に革張り内装を揃えたのも、この1987年LS・ブローハム。確か赤と青が選べた。


話は戻り、モノコック車体のクライスラー。本当のフルサイズ最後のRボデー。たった2年だけしか売られなかったダッジ・セイントレジスは昔のモナコの後釜。サッシュレスのハードトップ側窓やら隠れる前照灯が特徴的で、主に官公庁向けの営業車として一時期は目立ちました。


このセイント・レジスの前照灯、異形前照灯に見えて、実は規格のシールドビーム4灯の前に電動で点灯の際に開く透明のカヴァーを持っていました。これを最初に採用したのが1978年のダッジ・マグナム、要するにクライスラー・コードーバのダッジ版でした。当時、異形前照灯は否認化装備で、自分で欧州版の前照灯に変えたりすると警察に捕まる、特に加州は非常にうるさかったです。でもフリートで使ってみるとこの前照灯のカヴァーは煩いし維持に面倒だと言われ、警察車両では殆ど最初から取り払われていたきらいがあります。


コードーバのダッジ版、ダッジ・マグナム。これも2年しか売られなかった。
コードーバが豪華なおっさん向けならマグナムは若いプレイボーイって所か。いずれにせよ余り若者狙った車種では無かった様子。


悪評高かった前照灯のカヴァー。電動で結構素早く作動します。


皮肉な話で、前照灯の前に固定式の透明カヴァーを付けていたのが同じく、クライスラーのインペリアル。1965年型には横線の入ったガラスが前照灯をを被さっていた(実際前照灯の真ん前は横線が入ってないので照度差し支えなかった)


翌年、1966年は同じカヴァーでも横線が消え、輪郭を二重の色が走るだけになりますが、時期を同じく発令された連邦車両安全基準法により、前照灯の前に透明カヴァーを付けて点灯させる事が違法になり、インペリアルも普通のシールドビームになっちゃいました。


欧州車も同じ煽りを喰らい、VWのビートルも1966年型は前照灯が傾斜してカヴァーがかかっていたんですが。。。。


翌年、1967年はフェンダーの形状も変えて規格前照灯に変更せざるえなかった訳です。


その後前照灯は角形、ハロジェン電球などの認可に進んで、ついに1984年に登場した、空力デザインが画期的なリンカン・コンチネンタル Mk VIIで初めての合法異形前照灯が登場します。GE樹脂部と開発した総樹脂製、レクサン・ポリカーボネートを使います。これは何も前照灯の性能向上とか、美観に優れると言った訴えで認可されたのではなく、口実は樹脂製ゆえの軽量化と低価格、空気抵抗の低下と、共に燃料資源の節約につながると言うのが法律を変えた理由でした。(衝撃吸収バンパも重いので燃費が悪くなる、と言うのが理由で規制緩和になったのと同じです)

競争相手のメルセデスのSECはまだ規格前照灯のブザマな姿。その比較をした方のでしょう。SECが異形前照灯に変わるのは1986年になってから。


冒頭の画像は1992年に登場した空力改良版のEN53型、通称アエロ・クラウン・ヴィクトリア。この世代から ”LTD” のモニカーが消え、ステーションワゴンも消滅します。その代わり数々の改良が重ねられ、フォードはこのパンサー車台に諦めをせず、2011年まで生産します。目先の儲けに目が眩み続々と大型乗用車を突き放したGMと反対的でした。。。
Posted at 2023/05/30 09:18:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年05月14日 イイね!

黄金週間 リンカン・マーキュリー

黄金週間 リンカン・マーキュリー






観光業界が重要な産業になっている当地、特に日本のゴールデンウィークは観光産業に関わる以外の人でも結構、その知名度は高く、4月の末からは日本からの旅行者で混み合う事を知っている人達は多いですね。COVIDの制限が廃止になった今年、日本での報道を見てみますと、今年のゴールデンウィークのホノルルは、日本からの観光客で凄く混んでおり、以前の数倍の旅行者数になってます、と書かれてはいたのですが、実際の数値はCOVID以前、2019年の日本からの到着数のまだ半分にも達していないのが実情で、街や空港が混んでいるのは米本土からの観光客数が非常に増えている為です。日本からの観光客数が数倍!と言うのは、その比較する数値が去年やら一昨年、ほぼ到着数が3桁の時代と比較した上で、数倍!と言う訳でして、随分情報が正確に伝わってないと言うのが個人の感想です。それに輪をかけるのが物価の上昇の記事で、確かに以前と比べて物価は随分上がり、為替の変動でかなり円が不利になった影響で旅行費用が上がったのは分かりますが、詳しく見てみると、若い女の子2人で高級ステーキ屋に入ってあれよあれよと注文して、夕飯代が五万円になっちゃったーとか、常識からは随分外れた買い物や飲み食いして、そりゃそんな普通の人でも入り難いトコ行ってそんな物食べりゃ、そんな値段になりますって、矢張りユーチューブやらの見出しを衝撃的に書いて、視聴者数の増加を狙っているのが目的かも、と思ってしまいます。

ホノルル、日本からの到着数、4月末から5月上旬まで。赤い線がCOVID以前の2019年、青い線が今年。流石に ”ナカビ” の搭乗率はほぼ満席の97%くらいでしたが、いかんせん到着便数が余り増えず、結局この程度の数値に落ち着いた模様。


その黄金週間の合間、ガラクタ屋巡りをしていたら、ヤング通りにあらま、古いマーキュリー・クーガーが。それも結構程度の良い個体。島で初めて見る個体です。


マーキュリー・クーガーが初登場したのが1967年。同じ頃人気大爆発になったフォード・マスタングの姉妹車的性格。マスタングより車体が長く、豪華装備で欧州風の雰囲気を強調していました。この車両は側面前方にデーンと大きなサイドマーカーライトが付いているので1968年型と直ぐ分かります。1968年は連邦安全基準法が発令された前後で、サイドマーカーの法律もまだ厳格になる前で各社、慌てて適合の仕方を思案していて非常にバラツキがあった2、3年でした。クーガーのサイドマーカーは他社にも共用された後、1969年には小型の奴に変更されました。




このどデカい前方側面のサイドマーカは1968年だけ。


1968年のマーキュリーと言えば、矢張りハワイFiveーO主人公のマクギャレット扮するジャック・ロード氏が駆る、パークレーンの4扉ハードトップですね。彼が登場する際、それが砂利道であろうが砂浜であろうが、急ブレーキを効かせキキキーっとタイヤが舗装面にスキッドする効果音でぼくらは痺れたものでした。これは背後の様子からカイムキー界隈ですかね。


マーキュリーは以前、ほとんどのデーラーがリンカンと抱き合わせで営業していました。マーキュリーに飽きたら上級のリンカンへどうぞ、と言う企みだったのでしょうかね。あの頃、各ブランドには明確な ”格” があった。。。。


背後のヒコーキは同じくフォード社のトライモーターと言う戦前の飛行機。そうです、以前ヘンリーフォード氏はヒコーキも作っていたんです。エンジンは三つありますが一つでも停止すると飛行を続けられません。プロペラーが固定ピッチでエンジン停止時に角度を変えて抵抗を減らす事が出来ないし(フェザー状態と言います)第一、エンジンの力が足りなかったのです。何でそんな事知っているかと申しますと実はぼく、以前このヒコーキをちょっとだけ運転した事があったんです。勤めていた会社の先祖がモンタナ州で昔、このトライモーターを使って山火事の火消しをする要員を落下傘をで上空から降ろす、スモークジャンパーと言う業務をしていて、その名残の一機が保存されて、たまに会社の行事があると引っ張り出していた時、運転させてもらったと言う次第。。。空飛ぶフォード。


この隠れる前照灯、ハイダウェイ・ヘッドライト(Hide-Away-Headlight) は前照灯隠す扉が真空で開閉するタイプで、初年は故障すると扉を手で押し開けた状態にすると、リンケージの支点が片方に寄っており小さなスプリングで引っ張られ開いた状態を保つ構造でしたが、翌年から真空のアクチュエータ自体に強力なスプリングが内蔵され、万が一真空漏れした場合は自動的に開きっぱなしになると言う仕組み。現在は皆、電動式に改造するキットが出回ってます。

例の、”流れる” 方向指示器は多分フォードが特許持っていたような記憶が。。まあこの頃のクーガーやらサンダーバード、後にリンカンなどにも使われました。されど、はい、連邦安全基準法ですね、これにより赤一面の尾灯の際、テールライト、ブレーキライト、方向指示器、それに4ウェイフラッシャー(ハザードライト)の明るさの基準が出来て、1960年代後半になって急遽、数々のリレーやらスイッチ、配線の変更があり、落ち着くまで数年かかりました。この流れる方向指示器、構造は非常に原始的で、スイッチを入れると尾灯裏側に備え付けられた電気モータがジーコジーコ音を立てながら回転し、その軸先に付いた樹脂製の山が接点を順繰りに入り切りを繰り返すと言う物。当然現在では電子的にそれを再現出来るキットが売られています。




オアフ島は矢張りネットワークが狭いので、どこどこで変な車を見つけるとたちまち噂になります。このクーガー、うちの会社の、例のブロンコとマスタング乗っているフィリピンのオヤジに見せたら、ああ、知っているよ、これ、最近本土から友達が持ってきたヤツで、彼はもう一台、コンヴァーチブルのクーガーも持っているんだよ、と言います。もしやと、以前、うちの会計士のある地下駐車場で見た素晴らしいクーガーの写真を見せたら、おっ、そいつだ!と言われました。


この前照灯を隠すグリル、閉めた状態でグリルの桟がツラになるようにゴムのグロメットがストッパーとして付いており、その調整を怠ると、一直線に見えずだらしなくなります。これは無問題。バリカンの刃が揃ってる。。


そう言えば、以前超級市場で見かけた、オールズモビルの442。色が綺麗で写真を撮っておいたんですが、それが数年前の話。先週、入社してきた整備のおっさんが自動車を買ったと言うので、何を買ったの?と聞いたら、カトラスの442。へー、珍しいね、でももしかしてと、超級市場で撮った写真を見せたら、それだよ!と。矢張りオアフ島は狭いのです。


1987年型はこの車体の最終年。前照灯が樹脂製の異形になった年。1986年まではラジエータグリルの上部に蝶番が付いており、バンパが衝撃吸収して引っ込む際、グリルも下部が後に後退する仕組みでしたが、この1987年型のラジエータグリルは固定式でした。




442は豪華仕様、強化エンジン、この個体はその上に電動天窓まで付いたダンナ仕様。


マーキュリー・クーガの近くに、例の郵政省のメルセデス・メトリス配達車。随分評判は良くないそうです。配達用に右ハンドル。以前書いたんですが、メルセデスのスリーポインテッドスターが付いてないのが異様。


見えにくいですが、計器盤中央に黄色い警告が書かれており、”出来る限りバックするな!” と表示されてました。何か問題があったんでしょうね。。。


その昔、ハワイでもシトロエンがあったと言う証拠。メハリですね。バジェットレンタカーが観光客相手に貸したそうです。そのデーラーの一軒、シェリー・モータースと記されていますが、これはニュージーランドからきた競走自動車の運転手、トニー・シェリーが始めた会社。現在はBMW屋になってます。このメハリ、北米仕様なのでサイドマーカはあるし、前照灯がギョロ目の大型規格になっています。色々探しましたが、当時のメハリ、現在はハワイには一台も残っていないみたいです。


最近我が国では、領事館やら大使館の車両のライセンスプレートが変わって、この味気ないタイプになりました。これは日本領事館の車両。。


これは南コリアの車両。。


ライセンスプレートと言えば、先週帰宅途中、前の車を見れば。。。


最近こう言うの、流行ってますね。。


新登場、南西航空の新しい塗装はハワイ特別仕様!と、鳴物入りで来たのですが、地元民の人気はサッパリ。全然ハワイに見えないと。。。


夏のソルシテイスまであと1ヶ月ちょっと。朝の通勤も日の出後になりました。


でもまあ、よくここまで見事、車体真ん中でぶつかったと。。。


はい、ごもっともで御座います。


おお、プログレが2台も! 違いがわかる男の。。。。(珈琲でも飲んでよく観察しないとこの2台、同じように見えます)


ワイマナーロに出かけたら、沿岸警備隊のC130が超低空で、それに後方扉を下ろして開放状態で。中に人が見えます。命ずなを引っ張り、開けた機体後方で立つのを連中は、ランプ・サーフィンと言うそうです。気持ち良さそうですけど、怖い。




この前見た、古い運転手のする癖、とか言った類の記事。

エンジンを切る際アクセルを煽る、これはキャブ車向き(キャブレター内にガソリンを残さないようにするため)テクですから、現在のインジェクション車でやるのは無意味なこと、言うまでもありません。

大爆笑。昔のタクシーやらハイヤーの運転手さんがしてましたね。これはシリンダ内やら点火栓に残ったカーボンを吹っ飛ばす為の技で、キャブレタ内のガソリンとは全く関係ありませんね。第一、キャブレタ内にガソリンが残ってなかったら、次回始動する際、凄く時間かかるじゃないですか。。。。

最後の一枚。”あなたの内なる獣を起こして”
Posted at 2023/05/15 06:40:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年04月09日 イイね!

黒煙ジーゼル、VWの失墜

黒煙ジーゼル、VWの失墜











北米大陸でジーゼルエンジン乗用車の歴史は比較的浅く、1960年代に試験的に、当時、メルセデスを除く唯一の高速型ジーゼルエンジン(他のジーゼルは殆ど産業用か大型トラック用の大排気量しか無かった)を揃えていた英国のパーキンス社のジーゼルを的士に載せて模索していた程度でした。

1973年の第一次石油危機の際に、我が国初めて、原油は際限なく流れて来る物ではないと人民に悟らせた時も、ジーゼル車を開発して盛大に経済性を発表しようと動きは全く起きませんでした。ですが、ガソリン垂れ流し如くの大排気量車は、公害対策の煽りも同期して、余りポピュラーではありませんでしたが、自然環境に優しい自動車作りの一環で、自然と燃費の良い自動車に関心が向けられていました。

そして、実用に耐える、圧縮着火のエンジンを最初に売り出したのが、ヴォルクワーゲンのラビットと、昔からのらりくらりごく少数を揃えていたメルセデス・ベンツでした。VWの最初は1,500ccのアウデイのEA827型をジーゼル用に転用した、ボッシュの分配型噴射ポムプを装備した小型ジーゼルエンジン、これが世界中で大ヒットします。北米には1977年中盤から発売開始されたラビット・ジーゼルは独國ウオルフスバーグ製、後に米ペンシルヴァニア州ウエストモーランド工場製でした。

連邦政府環境保護庁がラビット・ジーゼルを燃費ナンバー1と認定しました。
ホワイトハウスを背後に入れて事の重大性を誇る?


長距離電話(もう死語ですなあ)をかけるより、ラビット・ジーゼルで会いに行った方が安くつく。。。。これは角目、ウエストモーランド工場製のラビット。


それまで、燃費の良い小型車、ヴェイガ、ピント、オムニ・ホライゾンとかのコムパクト、それより小さなサブコムパクト車でも1ギャロンで35マイル(リッターで15キロくらい)走れば驚異的と言われていた時分に、ラビットのジーゼルは高速道路では軽く1ギャロンでなんと、50マイル(リッターで21キロ)は平気で走ったんですから、大評判になりました。

メルセデスはそれ以前も中型車のW114 に細々と小さな4気筒と、後に5気筒のジーゼル車を売ってはいたのですが、ママチャリ(新しい言葉、習いました)より加速が遅く、高価な事もあり殆ど売りません・売れてませんでした。でも1979年にはメルセデスSクラスのW116車台に3,000cc5気筒過給器付きのジーゼルエンジンを搭載。それからがメルセデス多車種のジーゼル化が始まります。




以前からXD80を積んでいたプジョーの504Dは勿論、自社で小型ジーゼルを持ち合わせていなかったフォードはマズダから4気筒ジーゼルを調達し、エスコート、テンポに搭載。

GMはオールズモビル供給の5,700ccのV8ジーゼルがありまして、あの頃、ジーゼルの選択が無かったのは、AMCとクライスラー勢だけだったみたいです。

1970年代、高速回転ジーゼルエンジンは北米では実質的に誰も作っておらず、インターナショナル・ハーヴェスタ社のスカウト多目的車は日産ジーゼルのSD型エンジンを導入してました。


16万キロのエンジン補償。結局スカウト以外の車は皆、タダの車、と言う宣伝。抜かれていく(と思ふ)メルセデスのW123が皮肉です。
ちゃんと”エンジンは日産製”と記されているのは、契約のせいか?


大手の自動車製造会社、小型車は最初から燃費がそれ程悪くなかったので慌てませんでしたが、以前から異端児のオールズモビルが隅でいじっていたジーゼルエンジンが、おお、こりゃ今の時期の大型車にピッタリじゃわいと、小はミッドサイズのAボデーから大はキャデラック・フリートウッドのCボデーまで、総ラインアップで発売開始します。最初に試されたのが、これまた他の技術も初搭載・実験的な要素があった、1978年型のキャデラック・セヴィル。


その後はデヴィル・フリートウッドからエルドラードまで、メルセデスが軽油で走っても誰も文句言わないんだから、とばかり、車種が広がります。


GMでもTボデーのサブコムパクト、シェヴェットはいすゞからジーゼルエンジンを直ぐ供給できると言う裏技があったので、将軍様での小型車では珍しくジーゼルが買えました。一応一定の数を売り捌いた記憶です。オールズモビルが作ったGMのV6/V8ジーゼルの最後の年が1985年、シェヴェット・ジーゼルは
もう一年生き延びて1986年が最後でした。シェヴェットは最後まで電動窓が無かった。。(でもF41サスペンションは選べた)


ところが1980年代に入り共和党のロナルド・レーガンが大統領に就任すると、ギャソリンの価格がアレよあれよと言う間に下がっていきます。当然圧縮点火エンジンへの需要も激下して行くと同時に、オールズモビル製の5,700ccジーゼルエンジンの致命的な欠陥が明るみになります。

これは連邦エネジー省の統計グラフで、ギャソリン価格、赤線が現在の物価と照らし合わせた数値、青線がただ単純にギャソリンの小売価格を並べた数値。1980年を境に劇的に価格が下がるのが分かります。


何せオールズモビル製のジーゼルは A, B, C, E,と大量の車台に使われたので、ジーゼルはダメだ、の認識が瞬く間に広がり、ギャソリン価格の降下も合わせて、ジーゼル車の台数が激減します。オールズの欠陥は深刻で、基本的な問題点は数箇所あったのですが、クランクシャフトが真っ二つに割れる、コネクテイングロッドが破損してシリンダブロックから突き破るとか、非常にドラマチックな壊れ方で、後に改良はされ、小さめのV6に縮小した横置き型も出たのですが、結局将軍様はこれに懲りて1985年にオールズモビル製ジーゼルエンジンから撤退します。その点、フォードもクライスラーも大々的にジーゼル車を売らなかったので被害は避けられましたが、トバッチリを喰らったメルセデスのジーゼル車の販売台数が減ったのは言うわけもないですが、連中も6気筒新型ジーゼルのシリンダ楕円摩耗の問題と、トラップ・オキシダイザーと言う、所謂パーテイキュレト・トラップの装置の欠陥で裁判になり痛い目に遭っていました。

シェヴォレイもC/Kピックアップトラックに、(用心して?)軽量のハーフトン仕様に限ってオールズモビルのジーゼルを載せてましたが、1982年から6,200ccのデトロイト・ジーゼル製V8ジーゼルに変更、同時に3/4トンと、 1トン車に選択の幅を広げました。この6,200ccジーゼルは今でも軍用のハンヴィーHMMVに積まれてます。


ぼくもこのオールズモビル製のジーゼルエンジンを搭載したBボデーを覚えていますが、特有のガラガラした音と共に、ごく低速から湧いて出るトークで巨体をウムとも言わせず引っ張る力に感激したものでした。その上燃料消費が上手く転がせば、フルサイズ車が高速でリッター当たり11キロも走ったので、マッチングは良かったのは感じました。ジーゼルに優しい欧州では、北米から輸出された大型車、かなりの比率でこのジーゼルが積まれていたそうです。

いくら何でも比較の対象が。。。フィアット131、別名ブラーヴァ。1981年まで輸入していました。おまけに2扉とステーションワゴンまで揃えていた。。


一体フィアットは何台北米大陸で売られたんですかね。。。カトラスとかインパーラが一年で500,000台飛ぶ様に売れていた時代、フィアットを買う人は余程事情があったんだと思います。


そしてメルセデスも含め、1990年代に入ると北米で販売されるジーゼルエンジンの乗用車は一旦全て終わる時代に入ります。排気ガス規制が厳格された事も理由でした。

それが2000年代に近づくにつれ、副燃焼室の無い、直噴燃焼に高圧燃料噴射の技術を盛り込んだ、いわゆるTDI ジーゼルエンジンが欧州で開発され、彼方では爆発的な普及が始まります。なんせギャソリン車の数倍のトークに同じくギャソリン車より30パーセントくらい向上する燃費、おまけに環境に優しいと宣伝されたもんですから、いい事づくめ。夢のエンジンと持て囃されます。

いつか借りた、マインツ登録のゴルフTDI。TDIにも数種類あり、全て赤文字のが150馬力最強版、これは ”DI” だけが赤い110馬力仕様。でもトラクションコントロールを切って乱暴にクラッチを繋ぐと前輪から煙を吐いて加速しました。。。


オートバーンで、ここから加速すればあっと言う間に時速200キロに到達します。全く変速する必要が無かった。でも一番適した最高速度は大体表示で時速190キロくらいでした。


勿論、1980年代初めにジーゼルの強みを味わた消費者層は確実に居て、この新型ジーゼルが早くこんかいな、と指折りに待っていたのも事実で、それに応えようと、VWは満を期してTDI の布教を始めます。ゴルフ、ジェッタ、パサート、新ビートルに多用途車のトアレグ。アウデイのA3、A6、A7、A8、Q5、Q7、それにポーシャのカイエン。お分かりでしょうがこれら、殆ど高級車でありまして、燃費が経済的だからと言う理由で買う人達ではなく、環境保護に敏感な高所得者、高等教育を受けた人達に人気があったのは分かります。それと相当な距離を走る、昔のラビット・ジーゼルを忘れられない頑固で偏屈な層もこの新型に飛びつきました。










VWは特に経済性、燃費より、環境に優しい、をデージ強調して販売促進をしましたが、これが後になってアダになるわけです。






ポーシャに乗る層は燃費なんて関心ありませんよね。最近姿を消したエンジン特性のグラフ。これ程消費者のためになる物は無いのに最近はさっぱり見なくなりました。


当時のTDI宣伝キャンペインに出てくるのが、ブルックリンの年配毒舌姉妹、
人呼んで ”ゴールデン・シスターズ” (黄金姉妹)が、ジーゼルの都市伝説
(遅い、臭い、汚い)を言い争うコマーシャル。エピソードの一つに競争自動車の運転者、ファウスト・タナーくんが登場。彼は偉い事に、あれだけの企業イメージが悪化した企業を裏切らず、現在もVWの顔を勤めている事です。余程度胸がないと出来ない事です。


これが、”黄金姉妹”


タナーくんの運転でジーゼル車は鈍いと言う都市伝説を暴く図、みなさん、安全帯は締めましたか?。


動画はコチラで。  
https://www.youtube.com/watch?v=s_ymbMjr6z8
最後に叫ぶ、”人工呼吸、今すぐ人工呼吸、早く!”   
若い子に向かって老婆がね。あはは。

その後の刑事告発、大西洋を渡り数カ国を抱えた、数数える訴訟、裁判、投獄、罰金、消費者への補償はご存じのとおりです。その規模たる物や、前代未聞で、兎に角報道された数値ですね、対象車種の数、投獄されたスタッフの数、政府に払われる違反金、文字通り、全て、”ケタ” が違ってました。何せ対象になった車体の数が世界規模で11,000,000台!(これ、数回確認しました、桁数を。。)

その内、米合衆国で問題になった車両が482,000台(これもソースにより多少変わる)。結局何人もの要員の逮捕、投獄、訴訟も連邦政府からだけでなく、消費者個人・消費者団体、州政府、環境関係団体と天文学的な数値に及びました。

まだ訴訟は続行していると思いますが、政府とVW側の対応は、結局該当車両を購入した者に対して、VWが車両を改善し環境規定に適合させるか、VWから買い戻されるかで、米合衆国での該当車両482,000台の内、380,000台前後がVWに買い戻され残りが改善待ちか、連絡が届かずそのまま使用するかになったそうで、買い戻した際にはローンの残高をVWが支払い、その上リベート、慰謝料、次の車両購入の際の高額割引など、なるべく消費者からTDIを手放させようと、有利な条件が提示され、実際ぼくの周りでTDIをVWが買いっとってかなり儲かった、と言う人が数人居たくらいです。その回収された380,000台くらいの台数を保管する場所が全米で37ヶ所あり、砂漠の飛行場、使われなくなった野球場、至る所に恐ろしい数のTDI車が集結して話題になりましたが、それももう6年前の話。一番の興味のある点は、その砂漠に回収された車両がどうなる事か。裁判により輸出はダメ、解体して部品にするのも?で結局VWが選んだ道は、対策部品を開発・取り付け法律に適合した上での再販売となったそうで、既に未対策の在庫車両は100,000台以下で、そう言えば調べてみればその年代のTDI車が結構な値段で中古車市場で売りに出ているのを発見しました。当然製造側が改造し、長期保管後の整備をし、補償付きで販売する訳ですから、消費者にとっては旨みのある話かもしれません。因みに改修後は違法の装置を介してないので当然燃費・加速性能などは低下しているそうですが、それがどの程度かは未だ巷には出回ってない話でした。

砂漠の飛行場。もう数が半端じゃない。。。見渡す限り。これはモハーヴィ砂漠の東側にあるヴィックターヴィル飛行場ですね。ぼくも以前よく通いました。この地域にはこう言った大きな飛行場が数ヶ所あり、退役になった飛行機の機体を保管しています。





使われなくなった競技場。。。


南加州の飛行場、ふと柵の先を見れば。。。


ヴィクターヴィルの近くはモハーヴィ空港。747機がゴロゴロ保管されてます。


退役した日っぺり機もありますね。


何ぞやお別れのメッセージがまだ読み取れます。


ヴィクターヴィル近辺の車両群。でもこれはVWのTDIではなく、全国区規模の解体屋さんの車両たち。


その西側にある半円形の場所は、戦後、ユニロイヤル・タイヤの試験場があった場所。戦時中は軍の操縦士を訓練する練習飛行場でした。


その後、ヴォルクスワーゲン社は北米で著しく信用を落とし、もう販売店に行ってもセールスパーソンすら消えて、車種構成もどの方向に行けばいいのか迷っている時期が数年続き、結局、御多分に洩れず、セダーン型車をどんどん落として行き車種整理の上、現在は全て多目的型の電気自動車に移行する按配です。一度落とした信用を回復するのは非常に困難で、こう言う事件、我が国は直ぐ忘れ去る事はないでしょう。

あとがき。。
将軍様のジーゼルその後。大失敗をやらかし皆に染み渡る悪印象を残し、ジーゼル乗用車から撤退したのが1986年。でも2014年に一回だけ、返り咲きしたんです。当時、ヴォルクワーゲンのジェッタTDIが飛ぶように売れているのを見てたシェヴォレイが、コムパクト車(流れはヴェイガ、モンザ、キャヴァリア、コボルト)のクルーズに2,000ccのTDIエンジンLUZを載せて売り出しました。珍しい事に手動変速機も選べた!クルーズの2世代目に移った後も2017年から2019年まで改良されたオペルのエコテック1,600ccのLH7と呼ばれたTDIを揃えていました。でもその圧縮燃焼のエンジンを注文するにはなんと追加費用2,800ドルもかかり、売れたのは全体の数%程度だったらしく、シェヴォレイの販売店で買えた新世代のジーゼル車はたったの5年間(その内2年はTDI買えなかった)でした。

シェヴォレイ・クルーズ、コムパクト車。昔のシェヴィーIIかノーヴァですね。レンタカア以外で見た事なかった。。。旧型のクルーズは新型が出ても一年だけ、クルーズ・リミテッドとして、フリート営業車として継続販売されました。


ハッチバックもあるでよう。


そう言えばUSでは珍しく、ハッチバックはノーヴァには1973年からありました。


冒頭のシェヴェット、いや、ジェミナイ、じゃなかった、いすゞアイマークが汚かったので、新車の画像をどうぞ。これは非常に珍しい廉価版のジーゼル・クープ。
Posted at 2023/04/10 11:33:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年04月02日 イイね!

小型商用車と救急車の移り変わり

小型商用車と救急車の移り変わり













近頃聞いた話に寄ると、何故かここ10年位流行っていた各社から出ていた、欧州風の小型配達用の商用車の販売、今年が最後になるだろうと。。。

昔から我が国にはセダーン・デリヴァリーと言う、普通の乗用車のステーションワゴンの扉やら窓を取り払って、純粋の小荷物配達用にした車種が少なからずありました。その前にはセダーン・クープと言う、後座席を省略した廉価版の2扉車があって、主に小口周りで商売をする人ですね、後席外した場所に商品やら資料を置いてお客さんやらお得意さんらを回ると言うのがありましたが、セダーン・デリヴァリはもっと商用車然とした奴で、車体の横に商店の名前を書いたりしてたのがソレです。



将軍様に例を取ると、セダーン・デリヴァリが最後にキャタログに載ったのが1960年で、フルサイズの、例の蝶々さんの尾灯の翌年の奴、配達に徹してなんと座席は運転手にしか無く、助手席も荷台。何となくエル・カミーノの姉妹車種みたいでした


そのシェヴォレイのセダーン・デリヴァリが無くなると、役目はピックアップトラックを基本にした乗用のサバーバンのパネル・ステーションワゴンに引き継がれますが、これも最後の年が1970年。


でも1971年から新登場のコムパクト車のヴェイガに可愛いパネル・デリヴァリ車が登場。これも助手席の無い本格派で、スタイリッシュで荷物はそんなに運べなかったでしょうが、非常に魅力的でした。。


近年には、クライスラーのPTクルーザーを真似た、HHRにパネル・ヴァン仕様があったり。。。


ちょっと前には、例の未来的な構想のルミナ・APVに商用仕様がありました。


APVはポンテイアックの未来構想が現実化した車両。画期的な外観、斬新的な構造など話題にはなりましたが、非常に運転しにくく、実用的では無く、徹底的な悪評を浴びたにも関わらず、珍しくGM車としては欧州への輸出も本格的に実施され、結構長続きした自動車でした。


シェヴォレイは大ヒットしたアストロが2005年に終了した以後、メキヒコで生産されていた、日産のNV200をシェヴォレイ・シテイー・エクスプレスとして売ってましたが、2018年に終了。本家の日産も商用車販売から2021年に撤退。


今年で販売が終了されるダッジ・ラム・プロマスター・シテイーは、フィアット・ドブロの北米版をターキーから持って来る輸入車です。廃止になる理由は儲けが少ないからとか。。。


ダッジはこの輸入車が来る以前は、お得意のミニヴァン、ダッジ・キャラヴァンの商用版をC/Vシリーズ(カーゴヴァン)後にトレーズマンと言う古い名称を復活させ2016年まで売っていました。


よく見るとダッジはもう四年前に新型に進化したピックアップトラックの横で、旧型を今だに、RAM1500クラシックとして売っているんです。


この小型配送車の火付け役は、矢張り2010年から輸入が始まったフォード・トランジット・コネクトでしょう。このサイズの商用車は我が国では無かった所、欧州で普及していた、昔のフォーゴネット式の商用車ですね、が的を当てて一挙に普及しました。でも商用車の輸入は例の鶏税法、輸入税が25%にもなる、が適用されるので、フォードはターキーから合衆国むけに送る車両は全て窓と座席の付いた乗用車仕様で、商用車では無いので鶏税の対象にはならぬとかいくぐり、車両がメリーランド州・バルテイモア港に陸上げされると、下請け会社の工場で窓やら座席が取り外され、鉄板を取り付け、商用車として販売をしていました。だからコストがかかります。後に生産をターキーからスペインに移しましたが、矢張り利益が上がらないと言う理由で今年いっぱいで北米販売からは撤退するとの発表がありました。この写真は初期型、欧州のこの手のくるま、シトロエンのバーリンゴやルノーのカングーと同種類。


あとメルセデスがメトリスと言う小型商用車を販売していましたが、こちらも何故か今年いっぱいで北米の販売を終了するそうです。メトリスは本来はスペインのヴィトリオ工場(昔のDKWの工場を買い取った)で作られる小型商用車で、それをサウスキャロライナ州の工場でスプリンター・ヴァンと一緒に組み立てられてました、と言ってもメトリスが販売開始されたのは2016年からですから、短命でしたね。でも変な話で、連邦政府の郵政省が3年前、時期郵便配達車両として、このRHD仕様のこの、メトリスを30,000台購入する契約を結び、僕も街中でチラホラ見かけるんですが、妙な事に、ラジエータグリルのスリーポインテッドスターのエンブレムが、郵政省の象徴マークの鷹印に変えられているんです。この変更の理由は正式には公表されてないのですが、どうも税金で買われる車両が外国ブランド(一応組み立てはサウスキャロライナ州なので国産車として扱われるらしい)それも高級印象の高いメルセデスの光るマークが、デン!と前に見えるのは具合が悪いと思われた故での変更らしいです。






因みにスプリンターとメトリスが組み立てられる工場は昔の消防車の専門集団、アメリカン・ラフランス社の元工場で、以前、メルセデスの子会社、オレゴン州・ポートランドのトラック会社のフレイトライナーに吸収されたアメリカン・ラフランス社が倒産・解散した後の工場を転用したものです。


この工場は港湾市のチャールストンに近く、船で運ばれて来たメルセデスのCKDキットを運び込むにも都合が良かったみたいです。アメリカン・ラフランス社は消防車だけでなく同じ緊急車両のアンビュランスも得意としていました。


そのアンビュランス、昔の刑事番組なんかを見ていると、アンビュランスと言えば大抵キャデラックやらの車台に頭でっかちの巨大な荷室を聳え立た独特の形状の車両が一般的でしたが、いつの間にやら最近の配達トラックみたいな箱型に変化したのは何故なのでしょうか。


縦目のキャデラックの横に立つのはピーター・フォーク。コロンボの一幕。


それは1973年から始まった連邦政府のEMS法(Emergency Medical Services) からで、この法律には緊急医療整備の改革につき15科目の内容、訓練、備品、記録保持、資格、技術の研究開発とさまざまな分野に分けられ、その一項がアンビュランスの車両規格でした。それまでキャデラック等はリムジン用の強力版シャーシを売り、各コーチビルダーが上屋を架装していたのですが、この古い形式では来たるEMS法に基づく安全基準法に適応できないとされ、同時に開発が進められていたモジュラー形式のアンビュランスに移行していきます。モジュラー形式とは、四角い箱にアンビュランスの機能を組み込み、それをトラックやヴァンのシャーシに落とす方式で高機能、効率的、その上値段も良くなると言う三拍子が揃い、その上新規格に適合しないアンビュランスは導入時の政府の援助金が適応されない事も手伝い次第に市場から去って行きます。そのとどめを刺したのが1977年にGMがフルサイズ車のB/Cボデーをダウンサイズした事で、寸法的にも厳しく、その上新基準に対応する際の技術開発の資金が足りないコーチビルダーが殆どで、1980年代を目の前に乗用車から派生したアンビュランスの姿が全て消えたのでした。。。同じ理由で1980年前後には昔からのコーチビルダーが随分破産したり、競争相手と合併したりしたのもこれが主な理由です。

これがモジュラー式のアンビュランス。この中に必要なものが全て備え付けられ、完成した後トラックやらのシャーシと合体します。当然作業効率も良く経費も抑えられます。それまでは一台一台コーチビルダーが独自の上屋を作っていた。。。


そのEMS法、現在アンビュランスは三つに分かれていて、タイプ1は汎用トラック、またはピックアップトラックに箱型モジュールを合体する形式。タイプ2は一般のヴァン車体の内装を改造しアンビュランスに仕立てる、言わば簡易普及型。タイプ3はヴァン形式の前部だけ残し、後だけが裸のフレーム・シャーシになる、いわゆるカタウェイ・シャーシ(Cut -Away -Chassis) に架装するアンビュランスです。

これがタイプ1。中型から大型ですね。運転台も本家トラック用からピックアップトラックのを持ってきたのもあります。これはピックアップ用の運転台。


これにモジュールを載せるのがタイプ1。これは中型トラックの運転台。


これはヘヴィーデユーテイーのピックアップトラックのシャーシ。これにモジュールを載せるとタイプ1。


タイプ2は、まあ普通のアンビュランス。ヴァンの車体はそのまま、室内に装備を加える形状。


タイプ3はヴァンの車体後ろを撤去した、カタウェイ式のシャーシに架装します。


カタウェイ・シャーシは工場からこの様な形相で納入されます。




フォードのカタウェイ・シャーシの運転台は、1992年登場のヤツを今でも使い続けています。


一応ダウンサイズのCボデーのアンビュランスも作られはしましたが、狭くなった寸法、来たる新規格に対応していないのと、生産経費の増加、それに連邦政府からの援助金が適応されないので、買ったのは私有病院とかに限られていて、殆ど普及しませんでした。


緊急車両のついでにと。。。よく警察の追跡車やパトロールカーに、”K9" と表示されているの、ご覧になった事ありますか?


学術的に猫の事をフィーライン(Feline) と申します。
それで犬科の事は、ケーナイン (Canine) と言います。
警察車両の ”K9” とは発音すれば ”ケー・ナイン” ですよね。
そう、警察車両にK9と書かれているのは、これは警察犬を積んだ車両の事です。




話題を変えて。。。

どっかから送ってきた写真は懐かしや、東京の玉電。この丸い愛嬌あるスマートな車両、確か渋谷の有名な駅前交差点に展示されてましたね。。そこで背後を見るとフォード車が2台!


この頃のアメリカ自動車は毎年マイナーチェンジがあるので、年式当てるのは結構容易い事で、この2台は1966年型フォード・フェアレーンだと判明。それに2台も。多分近鉄さんへの回送でもしていたんでしょうね。フェアレーンは中型車なので日本の国情にも合っていたのかも。でもフェアレーンは ”逆” 出世車で(出世魚にちなんで)以前はフルサイズだったのに、次第にミッドサイズに格下げされた車種。。

*(後ろの自動車は1965年型マーキュリー・コメットとのご指摘がありました。訂正します、失礼しました)


今夜、考えた事。。。。




あっ、忘れてました。救急車のエピソード、もう一つ。僕が青春を過ごした西ニューヨーク州、近くにキャスタイルと言う村があり、そこが有名な自動車雑誌の記者、ブロック・イェーツさん、例の東海岸から西海岸までを走る時間を競う、影視にもなった、あの ”キャノンボール・ラン” を始めた人です。その1971年から始まったキャノンボール・ラン、確か1979年に開催された時、彼自身も参加して、さて、どんな車両が一番適してるかと考えた末に、ダッジのB200ヴァンを救急車に見立てて改造したらどうかと考案。早速新車のB200を購入、改造し、実際に医師を乗せ、患者はイェーツさんの奥さんのパムさん、その仕立てで猛スピードで大陸横断を企てます。もちろん途中で警察に止められ、ドアを開けると聴診器ぶら下げた本物のお医者さんが対応し、”この方は肺を患っており高度が上がる航空機輸送ができないのです” と言い訳をし、逃れて来たとか。(んで警察もそれを買ったらしい)でもこのB200, 競争中壊れに壊れまくって結局西海岸いついた時は搭載車の荷台に載っていたそうな。。
Posted at 2023/04/02 22:02:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2023年03月19日 イイね!

ステップヴァンの世界

ステップヴァンの世界












今日は我が国、何処でも見かける商業車、背高ノッポのステップヴァンのお話です。

ステップヴァンと言う名称はシェヴォレイが始めた登録名称ですが、今ではこれらの車両を指す一般的な言葉となってますが、他にはウオークスルーヴァン(歩いて入れるヴァン)とか、マルタイ・ストップ・ヴァン(Multi Stop Van, 配達の為に頻繁に停止・走行を繰り返す)とも言われます。

自分はどこどこの空港に降りると、整備の連中は大抵このステップヴァンで現れ、車内には部品棚、工具、小さな作業ができる机や様々なものがびっしり詰まっていて、これ一台来れば大抵の修理をしてくれる、それは心強いトラックでした。特に冬場に燃料屋さん来るのやら積荷来るのを待つのに都合良く、珈琲でも片手に運転台に座って井戸端会議をしたものでした。

そのステップヴァン、歴史を見るとかなり古く、戦前、まだ冷蔵技術が普及してなかった頃、酪農製品を各家庭に配る為に発明されたとか、洗濯屋の配送用が先だったとか色々諸所の話はありますが、庶民に一番お馴染みだったのは牛乳配達の為に作られた、デイヴコ(DIVCO、 (Detoroit Industrial Vehicles Company) の丸っこいのが有名です。恐ろしい事に1937年に出た改良型は殆ど変更されず、なんと1986年まで生産されたと言う超長寿の車両でした。DIVCOは丸っこいお鼻が可愛いだけでなく、コレ、立ち乗り運転が可能なのが自慢でした。

DIVCO U型 配達車。DIVCOは殆ど酪農製品の配達で有名でした。


立ち乗りDIVCO。床のペダルはブレーキとクラッチを同時に操作できるらしい。


1985年型のDIVCO、この翌年が最終生産でした。様々な規制が厳しくなった乗用車とは違い、商用車はこの様に原型を留めて入られたので中々面白いです。


DIVCOが牛さんの製品に特化されていたとすれば、洗濯屋さんの配達用で始まったのが、グラマン・オールソン社製の配達社でしょう。戦後、ニューヨーク市の酒類規制部の政務官だったジミー・オールソン氏が、ブルックリンにあったシェヴォレイの販売店の社長、ウオルター・ヘインガートナー氏に、洗濯物配達用にGMの車台使って何か車両、作れないかのう、と持ちかけたのが始まりで、まあ、車台はGMから流用できたのですが、上屋の製造経験がない2人、近くのロングアイランドで航空機製造していたグラマン技術部に発注する事になりました。そこで最初に作られたのが、アルミナム車体で作られた、グラマン・オールソンの ”カーブマスター” (Kurbmaster)、”カーブサイド” と言うステップヴァンです。(Curbside、歩道側の意味、CをKに変えてます、こういう同じ発音でアルファベットを変える名称て、昔は結構流行ったんです)。グラマン・オールソンはその後東海岸の工場を中心に発展・普及し、特に産業用配達・小口配達の契約を大規模輸送会社から契約し栄えます。

1956年型、グラマン・オールソンの ”カーブサイド”


これは一時期発売していた、小型の可愛いオルソネット。今でも限定的にありますが、住宅街を低速で走りながらアイスクリームを売るのに使われていました。治安の悪化、住宅の郊外化、今では昔ほど町内を回って商売する機会は以前と比べて格段に減ったのが寂しいです。グラマンの航空機技術とは殆ど関係ないんですが、空飛ぶ鳥のグラマン航空機のロゴが入っているのが素敵ですね。










グラマン・オールソン社は大口運搬会社の契約を貰い、UPS社の小口配達にも盛んに使われます。因みに極めて保守的なUPS社、寿命が尽きた配達車は払い下げされず、全て自社で解体するそうです。(社風が正反対のFedEx社の廃棄車は買えるそうです)。


デーンと、”グラマン” 飛ぶ鳥も落とす。。


後期型のグラマンの社章は鳥の図がスタイライズされた図案。古いのはリヴェット留めですが、近来製はガラス繊維強化樹脂製。



因みにグラマン・オールソン社は1990年代後半まで生き延びた後、景気悪化の為にJBPCOと言う投資会社に変われ、同じく貨物車の荷室製造のモーガン・貨物車体会社と傘下で合併し、現在ではモーガン・オルソンのブランドで新車販売をしています。このJBPCOと言う投資会社、創業者は陸軍のお偉方、ジョン・B. ポインデクスターと言うお方で、(彼はなんと博士号も持っている)数々の事業で成功した人です

モーガン・オールソンの新型、”ラウト・スター” グラマンのロゴが消えたのが寂しいです。基本的に車台はフォードかフレイトライナー系を使います。


グラマン社は現在、同じく軍事航空産業の大手、ノースロップ社に買収され現在でも戦闘機やらを作っていますが、グラマン社は今で言う自家用小型ジェット機、ガルフストリームを作り出したのでも有名です。(今だにガルフストリーム機はビジネスジェット機のキャデラックと言われる程の高級機です)。そう言えばグラマン機、以前は水陸両用機でも有名で、民間・軍用と各種あって、日本の自衛隊でも多数使っていた筈です。ウチのアリゾナ砂漠の整備工場にもグラマンの水陸両用機が30年位保管されてあったのが、数年前、解体直前に誰かが買い取り、なんとミズーリ州かどっかまで飛び去ったのを見ました。

これ、グラマン・アルバトロスUF-2水陸両用機。元、日本の海上自衛隊機、登録番号9055。


ステップヴァン名称の元祖はGM/シェヴォレイです。シェヴォレイも戦前から似たような配達車をDubl−Duti (Double Dutyの綴りをいじったもの、発音は同じですから)と称して売っていました。面白い事にこの戦前のモデル、車体架装は敵相手のDIVCO社だったんです。

これは戦前1941年型のダブル・デユーテイー。矢張り車体がDIVCOに似ている。


戦後型は幾らかスマートな外観に。いずれもピックアップの車台を基礎にしているので、ピックアップが新型になると同調してステップヴァンも改良されていたみたいです。。これは戦後、1958年型。商標、”ステップヴァン” が始まったのが1955年から。GMの登録商標でした。


そして1960年にGMのピックアップトラックが新型になると、ステップヴァンも新型になり、これが多分現在まで続いているステップヴァンの基本形になると言う訳です。一応は。この頃は排気ガス対策なぞ殆どされていなかったのですが、このステップヴァン、クランクケースからの換気をただ単に外へ垂れ流していただけで、当時の精度のエンジンの事です、ブローバイが結構出てステップヴァンだとエンジンが運転台の直ぐ横にあるので運転手がモロに吸ったり、荷物に匂いがついたりするのを防ぐため、今では常識のPVC, 強制クランクケース換気システムを装備していました。



これは1965年型。外観がほぼ、現在のと似ています。


使われている商用シャーシ、シェヴォレイではPシリーズと言いまして、軽便なP10から、許容重量の上げたP30とあり、同じシャーシはモーターホームにも使われました。


そのシェヴォレイのステップヴァン、上屋はインデイアナ州の田舎町にある、創業1896年の架装屋さん、ユニオンシテイ・ボデー・カンパニーと言うコーチビルダーが担当してました。ユニオンシテイ・ボデー・カンパニー、略してUCBC、は元を正せば自動車製造産業の集まってしていたいた南ミしていたシガン州、西オハイオ州と北インデイアナ州の車台会社に車体を納入するのが専門でして、幌馬車の車体を作っていました。その顧客にはアウバーン、デユーセンバーグと言った超豪華な車体も含まれていて、バスや貨物車も得意としていたらしく、面白い事にバス用の座席も自製していて、その椅子が評判になり、椅子作りの子会社を作り、当時の主に映画館用の座席の供給にも有名になったとか。



戦後になると、他社の架装だけでなく、逆にGMやらフォードから車台を購入し自社製の車体を作り続けます。


このユニオンシテイーの街、辺り一体は地平線まで真っ平農地が続き、開拓時代に開通した真っ直ぐ走る鉄道の駅がある村の近辺に人が住み出したのが始まりで、見渡す限りのとうもろこし、小麦粉の農地の真ん中に線路、又は旧街道が直線定規で描いたように走り、南北、その線が交わった所に小さな町があり、と言う感じです。給油所一軒、食堂一軒、教会一つに学校一つ。ユニオンシテイ程の小さな規模になると軽飛行機が降りる滑走路もありません。その昔、こう言った鉄道発展に伴い西へ、西へと来た移民は欧州、それも北欧やら独国からの人種が多く、ルーテル教が多かったせいか、勤勉で忍耐力があり、冬の寒さ、恐慌にも耐え、地味な暮らしを好み、手先が器用だった事もあり、大工仕事から荷馬車の荷台作り、それから自動車の車体架装事業に伸びていったのだと思います。

その後この小さな村のUCBCは景気悪化の煽りを受け、グラマン・オールソン同様、1993年に南アメリカから来た投資家、アンドリュー・タイーズ氏の率いる企業に買収され、その後も他の同業者を傘下に入れ大所帯の一部になるのですが、ハテ、シェヴォレイとGMCに長年車体を架装して下ろしているんだが、販売権をGMから買い取って自分でステップヴァン売った方が効率が良いと考え、当時、GMは資金難、販売台数低下などで、本職ではないシェヴォレイやらGMCの商業社部門を売却していた矢先、1999年にGMはステップヴァンの製造販売権をUCBCに売却し、車種も増やし販売を続けます。そして同じインデイアナ州にある商業車製造のユーテイリマスター社がUCBCを2005年に買収、現在に至ります。ああ、ややこしい。

同時期、GMは大型クラス8の商業車部門をホワイト・ヴォルヴォに売却し、大型商業車事業から完全撤退します。


現在でも販売されている、ユーテイリマスターの ”アエロマスター” はGM・シェヴォレイの元祖、”ステップヴァン” 直系の血統に繋がります。(この拾い画像、何故かベルジャムのライセンスプレート下げてます)


こう言った商業車の世界は合併・吸収・廃業が絡みあい、同じ車台を使うモーターホームなどの産業も含めると非常に複雑な背景になってます。

なので巷で見かけるステップヴァンも、見かけは似ていてもグラマン・オールソン系だったり、GMのシェヴォレイ系だったり、規模はもっと小さかったですが、フォードも、インターナショナル・ハーヴェスタ社もありましたから、奥が深い世界なのです。

余談ですが、GM/シェヴォレイ系の正統派 ”ステップヴァン” を今でも売るこの、ユーテイリマスター社、実はいすゞのステップヴァンも作っていて、GM系のトラックを売っていた、いや、売っているGMは1994年からGMのウイスコンシン州ジェーンズヴィルでいすゞトラックの製造をしていて、そこで作られるいすゞエルフの車台を使い、荷台架装をユーテイリマスター社が担当し、新時代のステップヴァンを、車名、”リーチ” (Reach) の名前で販売しています。

ユーテイリマスター、リーチ。




旧態化した外観ですが、中身は確かに進化してはいますが、所詮全てトラックの骨格の上に車体を載せるので、乗降の際、”ステップ” があるのが今も昔も変わらず、当然それが弱点にもなっているのですが、最近になって商業車も電動化の波が始まり、特に政府の援助も期待できるとし、各社、電動化された全く新しい設計のステップヴァンにそろそろ交代する時期が来てると読んでます。電動化すれば駆動軸がなくなるので、低床化に有利なんですよね。。。

モーガン・オールソンの新時代電動ステップヴァン。


電動化されると床がこれだけ低く、平く、内容効率が上がるという図。


郵政省の新時代郵便配達車構想の競争に勝ったのは、オシュコシュ製のトラックで、ギャソリン、ハイブリッド、電動と駆動源が選べるそうです。


長らくアメリカ合衆国の象徴みたいだった、フルサイズのヴァンが一夜にして欧州貴重の形態に変わっちゃったのと同じで、荷物配送のステップヴァンも電動の新時代型に変わればなんか寂しい気もしますね。。。春になりオアフ島では各地でお祭りが開催され、それに欠かせないのが、フードトラックに使われるステップヴァンです。少しでもこの箱型貨物車の知識を持っていると、ありゃUCBC製だ、とか、ありゃ車台がフォードだ、珍しいね、とか、面白い発見があります。

創業1935年、モロカイ島の日系カネミツ家族の運営する、モロカイ・ホットブレッドのトラックはUCBCの車両。


これは明らかに元、消防か警察車両だった、ユーテイリマスター社製の車両。


やっぱり、本来の姿。前窓の上のライトバーの支持取ってが面白い。。


UCBC製、幅も全長も大きなヤツ。


シェヴォレイとグラマン・オールソンの隣り合わせ。結構違いますね、細部が。


フードトラックはCOVID中はあらゆる場所に駐車され、惰眠を食っていた。。
左はグラマン・オールソン、隣はシェヴォレイのステップヴァン、右の荷台は車台が大きい奴で多分両方UCBC製。


大きさが随分違うのが分かります。




両方グラマン・オールソン社製ですね。フェンダーの角が丸いのが特徴。


丸めたフェンダーの角、前窓上のひさし、グラマン・オールソンですね。ニーニー雨での着替え。


カラカワ大通りを閉鎖して開催されたホノルル・フェステイヴァル。黄色いのはもちろん、グラマン・オールソン。白いのも同じく。窓上の庇が特徴的ですよね。




結構新しいユーテイリマスターのアエロマスター。


おお、カローラ70!それに珍しいハードトップ。アラワイ通り。この頃、カローラはセダーン(2扉・4扉)スポート・クープ、リフトバックとこのハードトップの他に、経済車のターセルも同じ車種として紹介されていました。(車格としてはターセルの方が一つ低かったんですがね)




紅芋と言ってもウチナーの紅芋ではなく、フィリピンの紅芋は何故か、ウベと言い、最近流行っています。そこのお店の巡回店はシェヴォレイの小型ステップヴァンであるP10、足回りを油圧で制御するよう改造されていて、走行時は車高が上がります。こういうの、本土でも流行っているらしい。。。


ナンダコレ?


ああ、遂に ”アレ” が来た。。。


車輪とLEDだかなんだかの前照灯が残念ですけど、1957年型のシェヴォレイ、非常に珍しい機械式燃料噴射装置付き。この頃、コンヴァーチブル車にある注文装置があって、屋根を開けたまま雨が降り出すと、自動的に幌が閉まると言う自動装置。あまり普及しなかったみたいで。。。


卵の高騰の為、我が家は農家まで買い付けに。。。ワヒワの郊外。


信号待ち。。。。


搭乗率は聞かないでね。。。日っぺりの巨人機は今日も来る。
Posted at 2023/03/20 15:09:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

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