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JetBoyのブログ一覧

2018年03月31日 イイね!

リトル ホンダ

リトル ホンダ















A little Honda....








Another little Honda....

初めて見ました。ホンダ・ジェット。

業界からは空飛ぶ芝刈り機なんて冷やかされていますが。。。評判は頗る良いそうで。

かわゆいですね。これ、運転してみたいです。
Posted at 2018/04/01 11:21:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月31日 イイね!

横浜 たそがれ モービルオイル

横浜 たそがれ モービルオイル自分が小学生を過ごしたのが横浜でした。まだ田んぼに行けばザリガニが獲れ、蛍が飛び回り、市内には路面電車が走っていた時代です。

シブリングは近所の学校に通っていて、中学校の教頭先生が式典の際、”みんさんも山本リンダさんのようにエライ人になりましょう” と口を滑らせPTA会から総スカン喰った話がありました。(山本リンダちゃんが卒業生だったらしい。)

リンダちゃんと言えば以前弊社の独国の人員輸送の契約会社はオートバーンの女王と言われてたリンダちゃんで、A6路線だけでなく、VWのキャラヴァンやらアウデイなどで一般道でも猛スピードて疾走し、ザーランドからフランクフォート・マインまで1時間で走った記録もあったりして(人呼んで リンダの、どうにもとまらない)、ぼくもGPSのデータロガーで時速260キロを記録した事あります。独國の職業運転手は例外無くカーキチで、いつも業界話で花が咲きました。 ああ、脱線、脱線。。。

今はモービル・エクソンになっちゃいましたが、昔はスタンダード・ヴァキューム・オイル(スタンヴァック)と言う会社が独禁法で半分がモービル、半分がエッソになったのが始まりです。んでモービル社はスタンヴァックがあった横浜にとどまり、戦後に横浜駅西口にある、いや、あった、相鉄ビルが本社でした。今はシェラトン・ホテルになっちゃってますが。あの頃は(1960年代です)横浜駅西口はバス乗り場がまだ砂利で、相鉄線(あだ名は砂利線、相模川の砂利を運ぶのが最初の仕事, 僕が知る上で唯一、パワーウインドーの付いた鉄道で、窓一つ一つに小さな丸いボタンがありそれを押すと窓が開いたり閉まったり任意の場所で止められる)の改札口までが国鉄から離れていてアーケードで繋がっていて、今で言う相鉄ジョイナスですね。そのアーケードが個人タクシー乗り場でした。東口などは荒れに荒れ果てていて造船会社の資材置き場なんかになっていました。


そのスタンヴァック時代、米国から出向してくる社員に向けに本牧は三渓園の近くの丘に社員寮を建てたんです。あの一帯、米海軍のPXやハウジングエリアがあった所で人気だったらしく、電電公社が電電会館と言う福祉施設を丘の上に持っていましたし、テニスの発祥地であの、亡命事件で有名なラストヴォロフがテニスをしていたテニスクラブも近所にあります。(彼は晩年までテニスをしていたそうな)。

横浜スタンヴァックの社員寮、一般にソコニー・ハウスと呼ばれていたみたいですが (ソコニー SOCONY は Standard Oil Corporation of New Yorkの略で、ロッカフェラーが始めた石油会社でこれまたモービルの一つ)それが近年取り壊されたかで、調べて見ると近くの共同住宅の管理棟に移されたとかで、あり、こりゃ、一度見に行かんと。。。このソコニー・ハウスはアントニー・レイモンドと言うチェコスロヴァキヤ人の設計だそうで、有名な建築家、フランク・ロイド・ライトの弟子です。横浜市内にも他のフランク・ロイド・ライトに関わる家屋が数軒あったのですが、もう殆どが取り壊されたみたいです。

そのモービル・オイル、今やGMでもメルセデスでもポーシャでも純正潤滑油に指定されているモービル1。あれ、実は最初はモービルSHCと呼ばれていたんです。SHCは航空機の潤滑油として軍用に開発されたのが後に、石油危機で販売減少して苦境に立たされた石油屋さんが、逆に燃料を節約する潤滑油として出したら?と売り出した商品でした。この合成潤滑油を使うと内部潤滑抵抗が下がるのでアイドル回転数が上がるのでそれを規定値に下げてとか、寒いと普通のオイルは流れないがモービル1だとさらさらと流動するとか言うコーマシャルしていたの覚えている人はいるかしら。。。。それから暫くしてSHCは産業潤滑油脂のブランドに変わり今だに現存。航空ジェット機用潤滑油はモービル・ジェットII とし今だにジェット機市場殆どを独占、自動車用はお馴染みモービル1です。

影になっている機体がDC−8と言うのが興味深い。。。。

はみ出し情報その1。古いピストンエンジンの航空機にはダイリューター・ボタンと言うのがついています。極寒地域でエンジンを止める前にアイドル状態でこのダイリューター・ボタンを押すと決められた量の航空燃料がクランクケース内に混じり一時的に潤滑油の粘度を下げます。そうすると次回、寒くなったエンジンを始動する際の潤滑油抵抗が下がるのでエンジン始動の助けになると言う訳。潤滑油に混ざった燃料は温度が上がると揮発するので問題ナシ。ただ潤滑油交換の頻度は高くなりますが。。。。DC–3なんかの星型エンジンに見られます。

はみ出し情報その2。90年代にモービルは航空ピストンエンジン版のモービル1、名称をモービル・アヴィエーション1を開発・発売したのですが、この潤滑油には問題があって暫くして販売止めました。今でも訴訟を引き摺っているみたいです。航空エンジンの故障は直接生命に関わるのでイチデージです。

さてさて、元町にあったバンド・ホテルもドンキホーテになり (淡谷のり子、別れのブルース)、そのドンキホーテも現在取り壊し中。元町入り口の谷戸橋にあったモービルのガソリン・ステーションは全国でも数少ない、代理店が経営しているのではなく、モービル石油が直接営業していた珍しいガソリンステーションの一つでしたが今じゃ、マッサージ屋さんです。

相鉄ビル内にあったモービル石油の本社は1973年に東京丸の内に建てられた白亜の新サンケイ・ビルに引越。その新サンケイ・ビルの一階ロビーの売店、通路を隔てて二軒同じようなお店があるのですが、一つは細身のキツネ顔のキットしたおばさん、反対側はふっくらしたタヌキ顔の温暖そうなおばさん。それが不思議な事にお昼のお弁当の時間になると、みなキツネさんから買って行き、タヌキさんはふくれっ面してその売れ行きを頬に手を当てて見ていると言う、キツネとタヌキの商売合戦と言う評判だったとか。。。

大手町・新サンケイ・ビルお向かいの大手町ビルヂング(三菱系なのでビルデイングではなくビルヂングなのが面白いですね、因みに三菱自動車も解説書などにはライチング・スイッチと書かれていました)一階には一般社団法人自動車工業会の図書室があって、受付のネーネーは外見は強面なんですが、顔見知りになると親切な人なんですよね。。。現在は浜松町に移っちゃいました。
Posted at 2018/04/01 04:17:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月29日 イイね!

台灣 リンカン 

台灣 リンカン 我が家は昔から一家離散状態で、父方はキャリフォーニア州から来ているのにブラジルには親戚がいるし、カズンは皆ベルジャム産まれで、母方の叔母も戦後間も無く合衆国東海岸でオーストリア人と結婚してと、関係閣僚殆ど他界していて今では聞くチャンスを逃したのですが、戦前キャリフォーニアで育った父は何故か普通語が出来ると言う理由で戦時中は大陸に送られて鉄砲は持たなかったのですが何やら色々友達作って、結局両政府に頼まれて戦後も帰還が遅くなったのですが、当時の李香蘭とも何か接触があった感じなのですが今や聞くに遅しです。

そのチューゴクが1949年に分裂し共産党の赤旗を上げ、人民は台灣島やら香港に皆、逃げます。

ここに目を付けたのが我が合衆国なんですよね。

今でもそうですが、共産党は人類の敵と昔から定義している合衆国。(今でも合衆国の入国申請書には共産党を支持したりナチス政府と関わった事があるかと、答案検分記載されています)共産党と戦いを始めた台灣へ公にも、そうじゃ無い所でも援助し始めるのです。

当時の沖縄は未だ米領でしたから、見つかっちゃマズい物・人・その他が沖縄経由になったんですね。便利です。

何せ台灣で初めて創立された航空会社、CAT (Civil Air Transport) は大東亜戦争で有名だったフライング・タイガーと呼ばれた米軍人が集まって始めたチャキチャキの米国式の会社で、今のチャイナ・エアラインズの源流ですね。。。(香港のキャセイ・パシフィック航空も元は米国人が始めた会社)その他に台灣では、沖縄にある旅行会社OTSと関連する琉球・定期航空会社やらもあったんですが、話が脱線します

そして朝鮮戦争、ヴィエトナム戦争が勃発します。

軍のお仕事しているのに何故か民間会社、みたいなのが台灣に作られ大陸への内緒のおしごと、ヴィエトナムへ戦争への支援が始まります。今でも台南にある航空整備会社はその軍・民間で始まった米系の会社の一つで、昔ウチの会社も受託整備に使っていました。。。確か日本航空も出資したいたかな。。。。

60年代台灣で盛んだったそう言うヘンテコな合資会社、一つは秘密のアッコちゃん、一つは数カ国巻き添えになる大戦争。でも共産主義に立ち向かうと言う思想は共通しておりました。

そしてヴィエトナム戦争は終わり、我らは負けて、間も無くニクソン大統領が宿敵だった共産党のチューゴクへ訪問します。まあ色々理由はあったでしょうが、米中国交回復に署名すると大激怒したのが台灣です。当たり前ですよね、お友達と思っていた合衆国が手のひらを返して敵さんと晩餐してエッグロールをお箸でつまんだんですから。

それにも増して火山大爆発の怒りを発したのが、田中角栄首相の北京訪問。。。合衆国は色々事情があったにせよ、お隣で家族と思っていた日本人に裏切られたと思った時の感情の方が激しかったと察します。

それからと言う物、国連に加盟していない、と言うか、独立国と認められていない状態の台灣は他国機の台灣空域通過を禁止します。東京から香港まで普通なら4時間ちょっとで飛べるところが突如5時間超になり、その上、各国を代表する航空会社が大陸に定期便を出すのなら、台灣には来れなくなりました。

困りましたね〜。

そこで苦肉の策として、日本航空は日本アジア航空と言う子会社を設立し、出向社員で別会社の形式でなんとか台灣への運行を維持します。欧州の会社もXXX航空アジアとか、別会社やら機体の塗装にアジアを描きなんとか台灣路線を維持します。台灣側も外国からの路線全て締め出したら困りますからね。

台灣自身も世界中、タイリクを支持する国々から村八分をされ、台灣の中華航空の上空通過拒否されます。地理的に直行便を飛ばせなくなったのでアチコチにテクニカル着陸して燃料補給しなきゃならないのです。未だ超長距離飛ばせるヒコーキも無かったし。それ故に70年代中盤に登場した短胴型のジャンボ機、ボーイング747SPは打って付けでそんなに沢山の人を載せる必要もないけれど、航続距離だけはうんと出るこの機、台灣では随分採用されたみたいです。

日本でも成田国際空港が開港しても台湾の中華航空だけは羽田に残りました。都心に近い羽田に残ったのでかえって交通の便や乗り継ぎが便利だったので、お客さんに人気はあったようです。その中華航空が成田に移っても暫くは台灣系の会社の機体と大陸系の機体が同時間帯に鉢合わせにならない様スケジュールを調整していたらしいですが、今じゃ激しい混雑でそんな事言っていられる状態じゃなくなりました。

しっぺ返しは受けたけれども、ニクソン大統領は首になり、水面下で合衆国の台湾への支えは続きます。

その頃から台灣の自動車産業は自国の技術養成を理由に輸入車には高い関税がかかり、地元企業との合同ノックダウンが始まります。

日本とも深い交流があった指導者、チャンカイシェック氏も歴代の公用車はキャデラックでしたし、マダム・チャンカイシェックもそうでしたよね。

台北市は日本が都市計画で建てたんですが、道幅は並木などへの余裕がとってあって大きめの米国車でもなんとか行き来できたみたいですし、90年代になるとノックダウンされた小型のビュイックやらが結構走ってました。

以前お仕事で香港、台北、上海をぐるぐる回っていた時期がありましたが、日本で統括して呼称される ”チューゴク” なんですが、結局似ているのはご飯の色だけで、語学、文化、宗教、慣習、外交、全ての面でことごとく違い、面白いわ、と感じました。

チューゴクと米国車と言えば、大陸、特に上海とかに行きますと、キャデラックとビュイック、裕福層の支持は凄いものです。大陸での米国車の普及は台灣での裏政治的な意味合いより、文字通り、広大で気候の変化も激しい中国大陸で、同じく広大で荒野の多い米国大陸で鍛えられて来た自動車が非常に適応していた事でしょうね。それに大陸は台灣以上に見栄を張るのが大切ですから、デッカくてゴーカなキャデラック等は好まれたのかもしれません。何せ今じゃ米国車が一番売れている地域が中国大陸なのですから。余談ですが、今現在我が国で売られているビュイック・エンヴィジョンと言う名の小型SUVは上海製の中華人民共和国製です。。。トランプさん、知ってるのかしら??


そこでやっと台灣のリンカンのお話。電網で拾って来た話題ですので、悪しからず。。。

米東海岸に住んでいるある人、お母さんが台灣人だそうです。台灣ではお爺さんが建設会社を創立して、矢張り裕福な台灣人の米国に対する思入れなのか、わざわざリンカン・コンチネンタルを輸入し(多分天文学的な税金を払っている)家族で使っていたそうです。そのお爺さんが亡くなり遺産は家族で争う事になりリンカンも2005年くらいから走っていないので、皆売り払われスクラップになったと思っていたそうです。そうしたら10数年後、電網の誰かのブログに載っていたのですよ、紛れもないそのお爺さんのリンカンが!それも大事に乗られている様子で。。。


なんとも心温まるお話でせう?

写真で見る限り、多分モデルチェンジした直後の1972年型、マークIVですね。Tーバードと兄弟になった奴で、確か歴代で一番大型だった筈、それを台灣で転がしていたんですから、おまけに2扉ですよ!あのドアの長さが・重さ、半端じゃないです。。。


我が国が長年敵視していた共産党、今やその国から自動車を輸入するまでになり、その代わり宿敵はイスラム過激派に変わり現在があります。歴史は繰り返されるともうしますが、また共産党が強くなるんでしょうかね。。。。

図は那覇市泊交差点。
Posted at 2018/03/30 01:16:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月27日 イイね!

素晴らしき人、ホンダに乗る。

素晴らしき人、ホンダに乗る。去年から始まったミニバイクのレストア。

素晴らしき人とはぼくの上司。。。彼が1970年にニューメキシコ州で新車で購入したので思入れも強く。

やっと暇時間発生したので今週一気に終わらせようと。

二輪が終わったら自分の四輪が待ってます。。。。

Posted at 2018/03/28 10:53:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年03月25日 イイね!

新しいパナール

新しいパナール先日、パナールのお話が出て来て、知人の古いパナールを載せた船がアントワープ港で堤防の外に出る前に沈没した事思い出して。。。いや、パナールと言えば他でも見た記憶が。。。

ありましたありました。もう10年くらい前、アフガニスタン駐留軍の一つがフランス軍でパナールの小型装甲車持って来てました。その時の画像。もう時効過ぎましたよね?

そうです、マトラと同じでパナールも今だに健在で軍用車両なんか作っているのでした。

流石フランス製、ゴツイ軍用車両でもなんとなくスタイリッシュ。

頭には昔からつずくパナールの文字が。。。。
Posted at 2018/03/26 01:50:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「11月 http://cvw.jp/b/1945280/48774418/
何シテル?   11/19 17:41
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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