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JetBoyのブログ一覧

2020年07月28日 イイね!

XXと煙は高い所がお好き ダッジ・スーパーライト

XXと煙は高い所がお好き ダッジ・スーパーライト












一般にジェット機は高い所を飛びます。これは高度が高ければ高い程空気の密度が低下するので(空気の壁を押しながら飛ぶんですな)同じ速度なら空気密度の低い高高度の方が空気の壁を押す力が余り要らないので、推力を減らし燃料を節約して飛ばせるからです。その上ジェットエンジンは上空の下温度の方が高効率ですし、ジェット気流なんかも使えますし、おまけに高高度になると悪天候の上を飛ぶので一石四鳥と言う訳です。でも当然制約も色々ありまして、短距離だと高高度まで到達するのに燃料使って巡航で低燃費の恩恵受けない内に降下せねばならずかえって不経済だったり、ヒコーキ自体も自重が重いと最初っから高高度まで上昇出来る性能を持ってなかったりするので計画が必要です。同じ重量でも強力なエンジンのヒコーキは高い所に到達する性能を十分持っていても翼の性能が追いつかず、昇れたは昇れたものの失速寸前だったり不安定な状態に陥り非常に危険です。逆に翼が優秀で高高度でも楽に飛行出来るのに、エンジンが非力だったりすると、上昇するまで悶々と燃料消費して自重が減るまで我慢しなければなりません。推力の制御と機体性能が電脳で管理される以前の昔のジェット機はその特性を理解していないと怖い目に合います。特に空気の薄い高高度では低密度の空気なので低速失速速度がどんどん上がって来るのと同時に音速時に起こる音速ショックでこれまた揚力を突如失う高速失速速度が低速側に降りてきて、安心して運行出来る巡航速度域が狭まるので、これを業界では棺桶コーナーと呼びます。

これは昔の図、遅れに遅れたデトロイト発成田行きの北西便。アラスカから日本へ向かう航空路R220で我々をぶっちぎって抜いて行きました。


これは古いDC-8ですが70シリーズと言いまして、エンジンを新しいCFM56に改装した改良型。余りにもエンジンの推力に余裕があり高高度までグイグイ引っ張っていってくれるのですが、性能表を注意して飛ばさないとエンジンの力が尽きる前に翼の揚力が追いつかなくて怖い事になります。


その点、古いB747、特に装備されているエンジンが、プラット&ホイットニー社製のJT9D、A型とかF型は力が足りず、翼の揚力不足の恐ろしい目に遭う事はありませんでしたが、何せ非力なので離陸重量、高度通過制限などの制約に苦労しました。以前新千歳で給油していた頃、特に夏場は無風、高い気温、短い滑走路に悩まされ、よく日が暮れて気温が下がるまで出発できず難儀したもんでした。。。

これは中東オマーンのスムライトへお使いに行った図。


初めて独国のオートバーンで最高速度無制限で走る際、経験のない人々は皆、即、ギャスペダルを床まで踏みつけて未体験の世界へ突入するのですが、これが怖いのですわ。自動車はどれでも一番早く走れる性能的な巡航速度って言うのはありますが、あれは晴天、完全整備、人っ子ひとりいない試験回路などで弾く数字であり、実際にはタイヤの状態、気温、視程、雨、風、交通量、自車の搭載状態など様々な要素が絡んでそれを総合したのが、まあ現実的に出せる最高速度になるんですが、シロートの外国人はそれが判らないんです。。オートバーンで最初は時速220キロとかなんとかでぶっ飛ばすのは興奮物かもしれませんが、それをずっとやっていると目的地に到達した後の疲労度が、適切速度で走って来た時に比べ著しく大きいのに気がつきます。それに最高速度付近で飛ばす際の燃料消費がまた桁外れに悪化するので頻繁に給油に時間を費やす他、あの燃料高価で有名な欧州ですから、費用が莫大な額に上ります。たった4、5時間の距離を時速210キロでぶっ飛ばすのと、170くらいでチンタラ走るのと、結局は時間差は利益を得られる程ではなく、その代わり疲労困憊、高額燃料費と、(勿論危険度もべらぼうに高まります)高速で走る際は余程の理由がないと馬鹿な事になります。勿論適切巡航速度は車種にもより、それぞれ”美味い領域”って言うのがある物で、取っ替え引っ替え借りてくる自動車で慣れれば直ぐ判り、その違い、持ち味を知ると面白いものです。


その高速走行で限界を定義するのは意外とエンジンの力やタイヤの性能ではなくて、ウィンドシールド・ワイパーの性能やら前照灯の明るさだったりします。


1960年代、合衆国のマッスル・カー競争が頂点に達そうとしていた頃、一般消費者からいつも文句が出ていたのは前照灯の性能でした。当然この頃は規格もののシールドビームの行灯みたいな物しか認定されてませんでしたから、あの怪物みたいな馬力のV8車では前照灯の性能が全く追いつかず、その点を考えたクライスラー社が考案したのが、いつも仲の良い電気屋さんの、シルヴァニア社と共同開発した、その名もスーパーライト(但しライトの綴りがLightではなくLite) これは通常のシールドビームの他に、ラジエータグリル内に今で言うプロジェクター式ヘッドライトみたいな球状レンズとヨウ素を充填した85ワットの電球を組み合わせ、ロービーム使用時、特に対向車と反対側の歩行者側の遠くを照らせる様に設計された注文装備を用意しました。



装備できたのは大型車のCボデー、それもダッジ車に限られ、モナコとポラーラで選択でき、矢張り時代を先取りし過ぎたきらいか、注文装備できたのは1969年と1970年のたったの2年間だけで、自然消滅しました。モナコもポラーラも余りマッスル・カーじゃ無かったんですがね。これがチャージャーかなんかだったら話もわかったんだんですが。。。






と、昨日、近所で古いチャージャーを目撃。これはフロント・フェンダー上部嶺前端のメッキの飾り(前端に小さな方向指示灯が組み込まれている)が見当たらないので、多分1966年型ですね。この年になっても後フェンダー後端がテイルフィンの形状になっているのが面白いです。この初代チャージャーはランブラー・マーリンの対抗馬として開発されたんですが、あの頃はファーストバック旋風が吹き荒れていた時代で、皆、大きな背中をしょっ引いてましたな〜。


洗濯洗剤。内容量が350立方インチ、いわゆるスモールブロックのシェヴォレイV8と同じ5.7リッター。


今年は選挙の年。投票は全て郵送です。ホノルル市長、誰を選ぼうかしら。。
Posted at 2020/07/29 08:55:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月20日 イイね!

あった! リアッタ! 夢の膨らんで萎んだビュイック

あった! リアッタ! 夢の膨らんで萎んだビュイック








先週街へ、会計士さんの事務所に行った際、地下駐車場で異様な雰囲気を放つ赤い自動車、久しぶりに見ました、ビュイック・リアータ。我々は限りなくリアーラみたいに発音しますが。。。


左右四方擦れ放題の現状を見ますと、多分ご年配の方が新車の時から縋るように乗り続けている低距離走行車って言う感じで、シブいですな〜。


着色窓で室内を覗けず何年式かはパッと見ただけは判りませんでした。リアータは1980年代後半にビュイックから登場した新技術満載の所謂ヘイロー・カー。別に量産儲ける為に作られた訳では無く、当時、ビュイックは年寄りの乗る車と言う定評があったのですが、その購買平均年齢を下げるのでは無く、こう言った技術満載でビュイックの未来を老人達に示し、あいや、ビュイックの未来は凄いんだと、爺様達にもっとエレクトラやらルセイバーを買ってもらおう、と言うのが魂胆だった様です。

車台は前輪駆動のリヴィエーラ、トロナード、エルドラードやらのを縮めて、デトロイトの古い工場を改装して、その名もリアッタ工房。通常の生産ラインとは違い、車体を台車に乗せて組立工がよってたかって組み立てて行くと言う生産性及び初期投資の非常に具合の悪いやり方、と言っても少量生産の特殊車ですから、と。結局一度も利益を上げる事なく、4年間で21,000台強を生産し終わり。


昨日、仕事で北海岸へ行った際、キャムハイウェーでまた見ました、リアータ。こっちは売り物。この狭いオアフ島に全部で一体何台のリアータがあるのか、その内の2台を1週間以内に目撃したんですから、チョット大事件です。






ビュイックで初めての格納式前照灯。それまで隠れる前照灯はありましたけどいずれも前照灯の前の蓋で目を隠す方式。電球だけは固定でした。


Jカーのスカイホーク、後期型は通常の前照灯と隠し前照灯2種類あり、注文装備でステーションワゴンにも装備できました。固定電球、電動で隠し蓋が開いたり閉じたり。赤いのは通常の前照灯。




キャムハイウェイで目撃した金色のリアータは、程度の良い低走行車、でも残念な事に1990年型大改良された後の奴。それまではHVAC、音響、ドライヴコムピュータ、診断、機構表示を全て昔のテレヴィジョンよろしくCRTの表面に極薄マイラー樹脂を貼り付け当時としては画期的なタッチスクリーンの操作を可能にした物が装備されてました。これは1985年頃からビュイック・リヴィエーラに採用され、AC/Delcoの長年かけて開発された仕掛けで、面白い事にCRT自体はあの、電子装置開発、軍事電子機構の製造、消費者用にはテレヴィジョンなどの最新先端音響家電で有名だったゼニス社ZenithElectronics社製だった事です。ぼくが人間が初めて月に降りた場面を見たのが祖母の家の古い電視で家具の様なコンソールの扉を開ける様な奴で、電源を入れてからお湯でも沸かした頃にやっと画像が浮かび上がる物で、矢張りCRTは暖気時間を要するらしく、このリアータ等のGMのCRTも暖気が必要なので特別な仕掛けがあり、運転席の施錠を解除して扉を開けるとCRTの電源が入り自動的に暖気が始まり、エンジン始動させる頃には用意が出来ました、と言う仕組み。運転席の扉を開けると物事が始まるのは我が家のプリアスの制動与圧や、ヴォルクワーゲン・ジーゼルのグロープラグなんかもそうでしたね。驚いた事にこの機構、操作性、応答速度、耐久性がかなり優れた物でして、不具合が生じても現在でも専門の業者が比較的安く修理してくれるらしいです。表示に付加価値が随分あって、設定した記念日になると警告音がなったり、設定した速度以上に達すると音がなったり、設計者は樂しかっただろうな〜と。。。







ゼニス社の有名な発明。テレヴィジョンの遠隔操作。これはアルミナムの棒をスイッチで弾くと超音波が発生し、それを ”聞く” 受信機がテレヴィジョンセットに内蔵させており、周波数によってチャンネル変更できたり電源切ったりできました。その前は特殊な光を発射・受射する仕組みで、欠点として窓から太陽光などが当たると勝手にチャンネル切替が始まったりする困り物。超音波式はかなり普及して、1980年台まで使われました。



興味深いのは不具合が発生すると速度計下の位置に不具合発生!と黄色で表示され、右を見ろと矢印が現れます。右の矢印先を見るとCRTの主表示に不具合の詳しい情報が表示されます。


これ、古いボーイング737型機と似てます。737は目線の先の計器盤上のヒサシにマスターコーション・ライトと言うのがありまして、不具合が発生するとマスターコーション・ライトが光り、その横の黒い長方形の診断パネルを押すと不具合の生じた系統が浮かび上がり、診断パネル自体が頭上パネルと模した形なので、それを元に頭上を見上げると不具合箇所の警告項目が判ると言う仕組み。これは当時、3人乗務から2人乗務に変更された際、頭上パネルは普段の視野外なので不具合が起こった際気がつきにくいので考え出されたんだと思います。。。




そのCRTを使ったHVAC/音響らの集中制御システム、最初は1985年型のリヴィエーラで始まり、当時同じ車台を使っていたトロナードやらにも感染しますが、数年後、皆通常のスイッチ式に格下げされちゃいました。この売り物の金色リアータもそうです。残念。リヴィエーラは1986年に見るも無様なダウンサイズをやらかし、当時の小型GM車と格好が非常に似ており、1989年に慌てて車軸間はそのままで上屋、前後をいじって格差を設けるもの、パッとせず。その後1995年にモデルチェンジになった丸々と肥った奴はそれなりに伸びやかで個性がありましたが。。。


廉価版のNボデーにそっくり。


頭とお尻を伸ばした改良型。だからさ〜。。。この写真のニーニー、髭剃ったら友人のクリスくんそっくり。




最近のビュイックのターゲットの客層は想像つかないですが、今年からの新型ビュイックにはBUICKの文字のエンブレムを入れず、その代わりあの三本の盾だけは残すそうです。




リアッタを描いたデイヴィッド・マッキントッシュ氏。白壁タイヤ履いてるう!


最後に白壁タイヤ履いたのは確か最後のタウンカー。2010年。


同じ生産ラインで作られていたマーキュリーのグランド・マーキー。2009年にはあった。


2010年には消えた、もっともその頃のグランド・マーキーは輸出と業販専門で一般消費者は買えませんでした。


おまけの画像。シャークス・コーヴの木陰。オアフ島北海岸は冬は荒波で手もつけられませんが夏は穏やかでジョートーさ〜。
Posted at 2020/07/21 07:40:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月14日 イイね!

カイルーア サンダーバード ダッジ・コルトとグラント・イマハラくん

カイルーア サンダーバード ダッジ・コルトとグラント・イマハラくん








用事でカイルーア街を徘徊していたらまた、Tバード、尾灯の形状からして1965年式か、と遭遇。これでカイルーアで古いサンダーバードを三回目撃しています。



この時代のTバードは原則的に違う屋根の形状2種類とコンヴァーチブルで構成されていました。コンバーチブルは巨大なトランクの蓋が後ヒンジで電動で駆動される油圧ポムプで開き、同じ油圧シリンダで幌自体が展開収納される凝った仕組み、そう、あのフェアレーン・スカイライナーの格納式屋根の機構を持って来た仕組みでした。欠点は幌がトランクに格納されると荷物を入れる場所が殆ど無くなること、おまけにその巨大な後ヒンジのトランク蓋を開けないと荷物の出し入れができないので頗る不便。。。まあこんな車買って常に買い物荷物出し入れする様な人は居なかったと察しますが。。


勿論1991年配給の人気影視、Thelma & Louise の主人公役で活躍したのも1966年型Tバードでした。確かブラッド・ピットが初出演がこの影視だと聞きます。


この頃のフォードは月に人間が飛ぶ計画の最中だった事もあり、航空系の宣伝を取り入れていた様子です。でも吹飯物は機長さんと思しき四本帯の入った御人が天井に備えられた頭上確認装置を弄っている図。何が滑稽かって、誰が制帽を被り制服の上着を羽織ってヒコーキやら自動車の運転しますかって。。。ウチの会社では一応旅客便を飛ばす際、操縦室から出る際は制帽かぶらにゃイカンと言う規定がありましたが、長距離便なら扉が閉まれば即、楽な物に着替えていて、オマケに制服着用は常に組合から文句タラタラで知らない内に制服規定が変わって制帽とか帯の入った外套その物が廃止になっちゃいました。。。因みにサンダーバードの頭上確認装置、警告灯は左からシートベルト着用、4ウェイ・フラッシャー、扉閉じ忘れと燃料残量警告でした。どれも余り役に立たなかった?


70年代に入っても空飛ぶ夢は捨てられずか、丁度ジャンボジェットの時代に突入でパンナム仕様の747が盛んに宣伝に出て来ました。機首に貨物扉がある747ならこの写真の撮影も不可能ではないでしょうが、機首に貨物扉が装備された747が登場するのは数年後のハナシで、これは当然モックアップ。一応合成写真じゃないのが立派




此方はワシントン州エヴェレットの工場で多分生産初期の試作機を背後にした上手じゃない合成写真。ぼくは747の製造番号、3番と4番と言う形式認定試験にも使われた初期の機体に乗っていた時期があったので、多分背後の機体にも乗っていると思われます。。。。


サンダーバードは途中で性格がコロコロ変わり、一貫性に欠け人気を落とす時期がありました。ダウンサイズ中、提案されたデザインは過激すぎるとボツにされたのがこのカタチ。首を縦に振らなかったのは何を隠そうあのリー・アイアコッカ。皮肉な話でフォックス車台を使った寸詰まりの保守型サンダーバードが出た頃にはアイアコッカはフォードから首を切られてクライスラーに移っていた。。。


サンダーバードの心の迷いはずっと続き、ダウンサイズ中にも4扉の提案がありました。隣で不満げな表情の人は若きしキュー・キムくん。彼はその後、独創的なリンカン・マークVIIIなどを産み出します。


あの角ばったタウンカーもそろそろ話を丸めましょう、って感じが出て来た頃の案


GM派の自分が言うのもヘンですが、最近のリンカン、やっと目醒めたきらいがあり、最近遂行しているのが車両名称の変更。あのアルファベットと数字を交えた欧州車の真似を漸く辞めて、どんどん普通の名前に変えて言ってます。

これは以前MKTと言うリンカン車。(どうやらマークTと呼ばれたかったらしい)一応タウンカーの後釜として位置付けられ、リムジン・ハイヤーのリヴリー仕様、恥もなくタウンカーと呼ばれた、もありましたがお猿のお尻は真っ赤っかは廃止され現在はアヴィエータと呼ばれる車種に変わりました。


これはリンカンMKC (マークC?)所謂小型のフォード・エスケープの豪華版。クラムシェル型のテールゲートが珍しいですね。尾灯がテールゲートに付いているのでバンパに小さめの尾灯を残してあります。MKCもモデルチェンジして今はコーセアと言う名称になっています。そう、最近のリンカンの名称は皆、ヒコーキに関連していますね。


トランクやらテールゲートが開いている際尾灯の視認確保は確か欧州の規制で、記憶に残っているのがアストンマーチンのラゴンダ。トランクを開けると尾灯がもう1せっとぶら下がるのが地域によって用意されていました。(合衆国仕様は無し)


ラゴンダと言えばCピラーに燃料給油口が左右二つあり、計器盤のスイッチでいずれかの蓋を開けられます。でも別に燃料タンクが二つある訳では無く、ただ単に燃料補給の際、ガソリンスタンドでポンプの位置と給油口側を選ばなくて済むだけのハナシでして。。。これは初期型で後扉の窓が一体ではめ殺し、昔のGM、Aボデーと同じですね。室内空調は全てエヤコンに頼る按配でした。当然不具合のお陰で間も無く電動で後窓昇降機構が追加、後扉窓が二つに桟で分かれているのですぐ分かります。その空調は定番のGMハリソン・ラジエータ社製では無く多分、当時英国車のエヤコンを得意としていたフロリダ州はマイアミにあったCoolaire社製だと察します。


同じ英国車のジャギュア、ちょっと前まで燃料タンクは二つあり、給油口も二つ。燃料計は一つで計器盤のスイッチを押すと燃料計指示と使われる燃料タンクも切り替わる仕組み。これは尻下がりでトランク容量を保つ為に燃料タンクを薄い二つの鞍型に分けてみたと思います。当然英国人はルーカス製の冷蔵庫で生温いビーヤを飲むのでジャギュアの電装も同じく、燃料電磁ポンプはトランク内に二つあり熱に弱いですね。。まあ切替さえ出来ればどちらかに燃料入っていれば家には帰れるんですけど、燃料噴射型に以降すると供給する燃料量よりリターン側で帰ってくる燃料量が多いので、右から燃料を送って切替が故障して左側のタンクに戻ってくるとタンクの燃料が溢れてエライ事になったりします。。。


カイルーアにはヘンテコな自動車をたまに見かけます。これは懐かしい、インターナショナル・ハーヴェスタが作っていた本格派オフロード車のスカウト。インデイアナ州フォートウェインで作られてました。後期型には日産製過給機付きのジーゼルSD33を使ってました。坂上に住んでいたケトルキャンプ家が赤色で白いストライプを貼った最新型に乗っていて雪の中颯爽と登って行くのを見送るのまだ覚えてます。。


元祖フォードのF1ピックアップ・トラック。1950年前後か。。。。


今日の掘り出し物。1976年型ダッジ・コルトのステーションワゴン。31年間動いていないと言う。。。35万円。キャリフォーニア州。




冒頭写真は昨日、脳動脈瘤で亡くなったグラント・イマハラくん。ロボット技術に長けていて長年電影番組の人気者だったんですが、残念です。49歳の若さ。
Posted at 2020/07/15 05:37:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年07月04日 イイね!

格納上屋 1959年 福徳 銀河

格納上屋 1959年 福徳 銀河













昨日のジョギング途中で見かけた旧車。


4つ目の前照灯は法規改定の1957年以降の証。


コレは、間違い無く1959年型フォード・フェアレーン・ギャラクシー500・スカイライナー仕様ですな。


そう、あのハードトップが折れて畳まれてトランクへ収納される、元祖リトラクタブル・ルーフの奴です。


フォードはこの格納屋根スカイライナー機構に凝っていて, 数車種に導入した記憶があります。

オマケにこの個体、売り物。



面白いですけどこの年代なら僕は、GMかクライスラー系を選びたいです。。。。


”ヒッチ” の影視、サイコ、を連想するからかしら。ジャネット・リーもずいぶん前に鬼門入りですね。サイコの車両は四灯になる直前のフォード300カスタム。所謂廉価版ですね。前照灯の辺り、四灯に備えてありますな。



今週用事で行ったハレイーヴァに行く途中の田舎道。ハレイーヴァに行く道は二つあって交通量の多いキャム・ハイウェイとこの旧道なんですが、僕は断然旧道が好きですが、この先曲りくねった下り坂で交通事故が結構多いんです。



ウチの人(元、日本芸能報道担当)が言うにはこの場所、日本で有名な樂団の撮影現場だそうです。


人っ子ひとり居ないワイキキーのヒルトン・ラグーン。このヒルトンが、例のヘンリーJカイザーが建てたホテル。ヘンリーJのお話は以前に書きました。

Posted at 2020/07/05 02:27:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「合衆国のVW文化、その4 http://cvw.jp/b/1945280/48458481/
何シテル?   05/30 15:26
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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