
Q1.あなたの愛車を教えてください。
MAZDA DEMIO DY-5W キャンバストップ
Q2.愛車のお気に入りポイントやこだわりポイントなど愛車愛をどうぞ♪
すべて。
デミ雄の全てが気に入って、全てにこだわりました。
納車以来13年過ぎて、今年から高額納税車です。
13年前のマツダは、まだ米国フォード社の傘下でした。心機一転、新たなリスタートとしてそれまでの車名を替えました。カペラをアテンザに、ファミリアをアクセラに。そんな中、デミオとロードスターは継続された。
それはバブル崩壊後、マツダ車がまるで売れなくなってもこの車は売れていたから。
初代デミオは、小さく見えて大きく乗れる。のキャッチフレーズでヒットした。1996年から2002年まで、改良を重ねつつマツダを支えた名車である。
その長所を伸ばし、短所を改めたのが、我が二代目である。
フォードの下で、米国と欧州でも販売することを前提に開発された。当然マツダのみで開発を進めることはできず、欧米人の意見も交えながらであった。結果、とてもオーソドックスに仕上がり、とても真面目に作られた。それでは少しつまらないと、飛び道具としてキャンバストップが追加された。
そして売り出されたDYデミオだが、売れなかった。当時はホンダ フィットが快進撃中で、敵わなかった。理由は簡単で、燃費が悪かったから。
何故かと言えば、車重が重いから。きちんと手を抜かずに作ったので、丈夫な車になった。その反面、重くなったのだ。
なぜそんな事になったのかと言えば、欧米では(というより日本以外では)燃費がそれほど重要視されていなかったからだ。マツダがもっと軽くしましょうと言っても、米国では延々と続く大陸横断道路を走行中に壊れたらどうするんだとか、欧州のアウトバーンや石畳は大丈夫なのか?とか言われてしまい、断念。
それでもマイナーチェンジで油圧式ステアリングとワイヤー式アクセルを電動化して燃費向上に努めた。デミ雄はその後期型です。
そうして2007年、三代目(DE型)にバトンを渡した。
それと、この車体を利用してベリーサ(DC型)が生まれた。小さな高級車として2004年から2016年という長きにわたり販売された影の名車だ。
これによりDYプラットフォームとしては、元が取れたと思う。
この記事は
みんカラ15周年企画:わたしの愛車愛 について書いています。
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Posted at 2019/08/28 15:30:03 | |
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