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2013年06月13日 イイね!

続 波佐美物語 1

続 波佐美物語 1去年の9月、鋏について6回ほど書きました。(ブログカテゴリーの波佐美を参照。)
また、ヒマになったので第二部を始めたいと思います。
今回は、私達理容師が使っている理髪鋏についてお話ししたいと思います。

* はじめに
普段、私は近所の方達から「床屋さん」と呼ばれることが多い。たまに「おい、散髪屋!」などと呼ばれることもある。そこで、この由来を調べてみました。

どうやら床屋の正式名称は、江戸時代の「髪結い床(かみゆいどこ)」であろう。この「床」に屋号を付けて、床屋さん。とね。

少し前までは、怠け者な亭主のことを「髪結いの亭主」などと言ったものだ。(極めて個人的な話しで恐縮だが、とても嫌いな例えである。)

そもそもこの「髪結い」とは、髪の毛を束ねたり、紐(ひも)で結んだりして髪型を整える行為のことである。それが、江戸時代には武士などの髷(まげ)を結う職人のことを指して、髪結い床と呼んでいた。

一方、散髪屋とは、散髪を行う店という意味であり、読んで字の如く「髪の毛を散らす」行為のことである。つまり、髪の毛を結わないで切って垂らしたままの状態を表し、当時は「ザンギリ頭」と呼ばれました。参考までに、漢字では「斬切り」や「散切り」と書きます。

* 散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)
この時代背景には、明治4年(1871年)8月9日に発布された散髪脱刀令があります。(一般的に断髪令と呼ぶことが多い。)これにより、髷を切り落とすことが求められました。

武士としての身なりを表す丁髷(ちょんまげ)を切ることや、刀を捨てることで、もう武士ではないということを自覚させたかったのでしょう。つまり、士農工商という身分制度の廃止を徹底させる意味合いがありました。

そして明治6年(1873年)3月 明治天皇が散髪を行い、新聞で大々的に取り上げられると一気に広まった。(扉絵) こうして全国的に散髪屋さんが生まれました。(つまり、髪結い床は武士と共に廃業したのである。)

ところが、ここで鋏の問題が出てきました。それまで使われていた鋏はどれも「握り鋏」であった。しかもその握り鋏は、一度に多くの髪の毛を切れるほどに力強くなかった。ゆえに、使用者に多大な負担を強いる物でした。

そこで西洋から散髪鋏も輸入されました。もちろん今の理髪鋏と同じ、X字型でした。(注、U字型の握り鋏は外国にはなかった。) しかし、とても高価で1丁3円もしたという。(当時の大人一人分の一月の生活費と同額。) そこで安価な国産品が待ち望まれた。


ここで理髪鋏誕生編に移る前に、一つ面白い話しがあります。

この散髪脱刀令は、じつは髪型を自由にして構わないという内容であり、髷を禁止して散髪を強制するものではなかった。事実、布告後も髷を結い続けたお年寄りもいたが、特に罰せられてはいない。また、力士や歌舞伎役者なども髷を結い続けた。


とまぁ、車ネタも尽きたのでね、また書き始めちゃいました。今回は前回ほど分量はございません。 ではまた来週。^^;
Posted at 2013/06/13 14:16:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記
2012年09月26日 イイね!

波佐美物語 6

波佐美物語 6X字型の鋏
今のところ日本最古のX字型の鋏は、正倉院の金銅剪子(コンドウセンシ)である。金銅とは、銅や青銅に金メッキを施した物の意味で、持ち手の装飾の見事さといい、おそらく献上品であろう。
これに似た物が韓国慶州市から発見されている事からも、これは大陸からの贈り物であったろう。
また、刃の形から蝋燭(ロウソク)の芯切り鋏か、あるいは花切り鋏との説もある。

ちなみに、蝋燭は仏教と共に伝来したと言われ、おそらく芯切り鋏も共に渡来したであろう。

芯切り鋏
当時の蝋燭の芯は燃えにくく、時間が経つと長く伸び炎が大きくなってしまう。そこで定期的に芯の先を切る必要があった。それには金属製で、持ち手よりも先で切れるX字型の鋏が適していた。さらに、刃の幅を広くし、切った芯が刃の上に残るように工夫した。

この型の鋏は、日本ではあまり知られていないが、西洋では中世に蝋燭が照明の主役となり、多様な芯切り鋏が考え出された。

花切り鋏説
この他に、花を切るために使われたという説がある。足元に咲く草花ならU字型の握り鋏でも構わないが、枝に咲く花を枝ごと切りたい時はX字型の方が楽に切れる。(梃子の原理) この場合、刃が幅広くなっているのは修飾のためと考えている。

当時はまだ仏花(ブッカ)の時代であった。仏花とは、仏壇や墓参りの際に供える花の事である。そもそも正倉院は聖武天皇(701-756年)が崩御され、光明皇太后が先帝遺愛の品や国家の至宝を集め、東大寺の大仏に献納した事に由緒がある。従って、その御物は仏教的な色彩が濃いのである。
ちなみに、華道が確立するのは室町時代になってからであり(池坊 イケノボウ)、仏花が元であろう。

どちらにせよ、この鋏は今も静かに正倉院に眠っている。

以後、X字型の鋏もあらゆる方面に発展していくのだが、資料が乏しい。これが収められた次の時代、つまり平安時代では源氏物語や徒然草にハサミの記述が散見されるのみである。

鎌倉時代、北条政子が使用した化粧具として、握り鋏が鶴岡八幡宮に奉納されている。現在の物とほぼ同じ形状で菊の紋が入ったこの鋏は、後白河法皇から頼朝に賜った品物とされ、現存する最古のU字型鋏である。

江戸時代に入り、徳川家康の遺品とされる蝋燭の芯切り鋏や握り鋏、スペイン製の鋏などが久能山東照宮に残されている。この芯切り鋏は作者不明で高麗から輸入された可能性もあるが、握り鋏は「山城國住人藤原信吉」という銘がある。
また、生け花(古流)や和蝋燭が庶民に広まるにつれ、花鋏や芯切り鋏も普及していった。


以上です。いかがだったでしょうか? とりあえずこれで第一部を終わります。m(_"_)m
次はしばらく先になります。。。ひょっとしたら、書くひまがないかもしれません。^^;
Posted at 2012/09/26 15:06:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記
2012年09月21日 イイね!

波佐美物語 5

波佐美物語 5古代日本
日本の古代史は、石器時代から縄文式、弥生式とに分けられる。それらは土器で区別している。さらに人骨を比べると、縄文人と弥生人はまるで違う人種だ。これは、縄文人の後に弥生人が渡来したと考えられている。そして彼らは稲作を持ち込んだ。それまで食料を狩猟採集していた人々も、稲作をするようになっていった。

彼らはまた、金属も携えてきた。青銅器で有名な、銅剣、銅矛(ドウホコ)、銅鐸(ドウタク)である。この時代になると集落の周りに堀を巡らせた環濠集落の遺跡が現れる。外から襲われる事に対し、防御のためだと解釈されている。

渡来したハサミ
今のところ日本最古の鋏は、奈良県桜井市の珠城山(タマキヤマ)古墳から出土した鉄製の握り鋏である。時代は6世紀後半と推定されている。当時ここには、大陸や朝鮮半島からの渡来人達が居住していたと伝えられている。さらに、この鋏が中国の漢時代の物と似ており、まず間違いなく渡来品であろう。

この最古の鋏は、刃幅が狭く細長く、下部のU字型が丸く膨らんでいる。大きさは刃渡り18cm 輪の直径約6.5cm。輪がこれほど大きくなると手の平に収まらないし、刃の合わせ目が刃元よりやや上に位置している事からも、直接刃の方を握ったに違いない。このU字型からO字型への発展は、折れやすい鋏の改良にあったろう。

鉄を鍛える技術や鋳物作りの技術はまだ始まったばかりで、鉄を叩いたり、または焼けた鉄を水の中に入れたりして、硬くする事ができるようになった段階である。粘りを出す(弾性を出す)という熱処理技術の段階へは進んでいなかった。

また、O字型の部分も単に、一本の金棒を環状に曲げたに過ぎない。薄く叩き伸ばし幅を持たせて、バネの出所とするといった工夫も為されていない。それでも、U字型よりは耐久性を持たせようと、バネの力を増大しようとした事は違いないだろう。

中国大陸で生まれたU字型の鋏が、日本に渡る頃にはO字型へと発展していた。これはとても面白い。現代の視点からすれば、刃の合わせ目を鋲留めすれば、X字型の鋏が作れそうな気もするが、当時の技術ではそう簡単にはいかなかったのだろう。鉄に穴を空ける技術も、鋲で留める技術も、まだ到達していなかったのだろう。もしかしたら、試みられていたかもしれないが。

ところで、日本に握り鋏を伝えた中国では、南北朝時代(斉の時代)になると次第に見られなくなり、代わってX字型の鋏が登場する。以来、全く見られなくなった。これは西洋においても同じで、ギリシャ時代に生まれた握り鋏もローマ時代にX字型の鋏が発明されると、あっさり忘れ去られてしまうのである。
このように、歴史の波に押し流されようとした握り鋏だが、日本人だけは連綿と使い続けた。今では「和鋏(ワバサミ)」とも呼ばれ、外国人から価値を見直され、彼の地へ輸出しているほどだ。


来週は日本初のX字型鋏の話しから始めます。お楽しみに~。(ホントカ
Posted at 2012/09/21 15:25:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記
2012年09月20日 イイね!

波佐美物語 4

波佐美物語 4このようにして、ようやく生まれた鋏は羊毛を刈るための鉄製の握り鋏であった。
しかし、あまり実用に耐えられなかったであろう。おそらく、曲げたところから折れてしまったに違いない。(金属疲労による破断。)それは現在のように、曲げるところを平らに伸ばすという知恵もなく、鉄も粗末な物であったからだ。

ある時、折れてしまった鋏を見て、これを真ん中で留めればまた使えるのではないかと閃いた。しかも、折れる事はない。
あるいは、既に火箸も矢床(ヤットコ/扉絵)のように2本の金棒を鋲留めした形に発展していたので、またヒントを得たのかもしれない。

ここで少し話しは逸れるが、この火箸の発達にはある原理の発見が見てとれる。それは、梃子(テコ)の原理である。出土した矢床を見ると、既に持ち手が長く、相手を掴む方が短い。つまり梃子の原理により、握る力よりも強い力で物を掴めるようになっている。

話しを戻して、こうして現在に至るX字型の鋏が生まれた。この鋲留めされた最古の鋏は帝政ローマ時代(BC27年)の鉄製である。これは刃が短く、持ち手が輪になっている。とても肉厚で丈夫にできているので、おそらく銅や鉛、針金などを切るのに用いられたのではないか。つまり、今で言うところの金切り鋏である。

この新しい鋏は、鋲を中心に刃を動かして切断する。そのため、刃の合わせ具合がとても難しい。握り鋏よりも一段高い製造技術が求められるのである。
一方、使う側も握力から指先の力加減へと、より繊細な器用さが求められるのである。前に述べた道具の発達と手の器用さの相互作用が、ここでも当てはまるのである。

その後、この形の鋏があらゆる方面に発展していく。人々の暮らしや時代の流行に合わせ、様々な形に姿を変えていった。そうしていつしか、握り鋏は姿を消した。

ところが、世界でただ一ヶ所、握り鋏を使い続けた国がある。そう、我が国、日本である。ここで話しの舞台を日本に移し、その経過を辿りたい。

と、ここまで~。 次回から、日本編です。
Posted at 2012/09/20 16:08:41 | コメント(3) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記
2012年09月13日 イイね!

波佐美物語 3

波佐美物語 3鋏誕生の社会的条件-鋏という道具が必要になったのは、毛織物の歴史にあると考える。

たんに獣皮を剥いで身にまとっていた原始時代。皮を剥いでしまう事は簡単だが、一匹の獣から何人分の衣服ができるのか。殺してしまえば、肉を食べるより他はない。
やがて家畜を育てるようになり、その毛から糸を縒り(ヨリ)、衣服を作るようになると、大事な家畜をもっと有効に利用できないだろうかと考えた。
それには、皮を残して毛だけを刈り取る方法があれば良い。それなら一匹から一枚ではなく、何度も計何十枚も繰り返し作れる。

この発想は、農耕生活から生まれたのだろう。つまり、種をまき穂を刈り取るように、羊から体毛を収穫できたらと考えた。麦を刈るには鎌で良いが、この場合、羊を傷つけず、痛みを与えず、しかも無駄なくきれいに切断できる道具が欲しかった。
こうした欲求がハサミという新しい刃物を生みだす背景にあったろう。

そしてもう一つ、私が注目したのは、鋏を使いこなす手指(シュシ)の働きである。

チンパンジーに鋏を渡しても、上手く切れない。鋏の開閉操作には、指の微妙な動きが要求される。それ以前の単刃の物、例えば鋸(ノコギリ)や包丁などと比べて、指の力加減はかなり難しい。合わせ刃物を自由に使いこなすためには、デリケートな手指の働きが求められるのである。

人類は道具を使い出して200万年余り、初めは単純な道具からしだいに複雑な物へと発達していった。それにより手もまた訓練され、器用になっていった。別の観点から見れば、複雑でデリケートな手指の働きが脳の発達を促したとも言えよう。
そして上達した手はより精巧な、もう一段精度の高い道具を要求する。こうした、道具の発達と手の器用さという相互作用が繰り返されてきた。
このような人類の進歩もまた、ハサミという道具の誕生の背景にあったであろう。

こうして、ようやく生まれた鋏という道具は、今で言うところの「握り鋏(ニギリバサミ)」であった。これは1本の棒の両端を叩いて、研いで片刃とし、真ん中で折り曲げて合わせて作る。英文字のU字型のような、最も単純な構造である。

これにはヒントになった物がある。火箸(ヒバシ)である。と言っても2本の棒ではなく、棒の真ん中で折り曲げていた。真っ赤に焼けた延べ棒を扱うには、やはり金属製の棒で押さえるのが一番であった。
蛇足ながら、現在、似たような製品がある。「トング」と呼ばれ、焼き立てパン屋の店内でトレーにパンを載せるのに使われている。また、細かな作業をするために小さくなった道具もある。ピンセットである。

今のところ、最古の鋏は青銅製である。(紀元前1000年頃の古代ギリシアの遺跡から。)おそらく、あまり切れなかったであろう。青銅を刃物として使うには、軟らかいのだ。実用品というよりも、王を飾る装飾品や、祭祀の道具であったろう。

やがて人類は鉄を手に入れた。鉄製の鋏になり、ようやく刃物として一人前になった。これで安心して羊毛を刈り取れるようになったのである。鋏が、毛織物の歴史を支えてきたとも言えよう。

ここで少し話しは逸れるが、人類は鉄器時代に大きく進歩した。

その頃すでに農耕が広まり、人々は定住し子孫を増やし、争うようになっていた。鉄製の武器の威力は絶大であった。鉄剣は青銅製の盾や兜(カブト)を切り裂き、鉄盾は青銅製のどんな攻撃も防いだ。そして、おびただしい量の血が流れた。結果、せいぜい百数十人で暮らしていた集落は、町になり、やがて国を作った。人類は鉄という金属を得た事で、高度な社会を作り上げたのである。

ではまた~。来週は現在主流のX字型鋏についてです。

P.S 扉絵は、漁師が網の補修に使う網切り鋏です。糸切り鋏と違い、肉厚で丈夫で、刃の上端は丸くなっています。
Posted at 2012/09/13 11:14:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記

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