
古代日本
日本の古代史は、石器時代から縄文式、弥生式とに分けられる。それらは土器で区別している。さらに人骨を比べると、縄文人と弥生人はまるで違う人種だ。これは、縄文人の後に弥生人が渡来したと考えられている。そして彼らは稲作を持ち込んだ。それまで食料を狩猟採集していた人々も、稲作をするようになっていった。
彼らはまた、金属も携えてきた。青銅器で有名な、銅剣、銅矛(ドウホコ)、銅鐸(ドウタク)である。この時代になると集落の周りに堀を巡らせた環濠集落の遺跡が現れる。外から襲われる事に対し、防御のためだと解釈されている。
渡来したハサミ
今のところ日本最古の鋏は、奈良県桜井市の珠城山(タマキヤマ)古墳から出土した鉄製の握り鋏である。時代は6世紀後半と推定されている。当時ここには、大陸や朝鮮半島からの渡来人達が居住していたと伝えられている。さらに、この鋏が中国の漢時代の物と似ており、まず間違いなく渡来品であろう。
この最古の鋏は、刃幅が狭く細長く、下部のU字型が丸く膨らんでいる。大きさは刃渡り18cm 輪の直径約6.5cm。輪がこれほど大きくなると手の平に収まらないし、刃の合わせ目が刃元よりやや上に位置している事からも、直接刃の方を握ったに違いない。このU字型からO字型への発展は、折れやすい鋏の改良にあったろう。
鉄を鍛える技術や鋳物作りの技術はまだ始まったばかりで、鉄を叩いたり、または焼けた鉄を水の中に入れたりして、硬くする事ができるようになった段階である。粘りを出す(弾性を出す)という熱処理技術の段階へは進んでいなかった。
また、O字型の部分も単に、一本の金棒を環状に曲げたに過ぎない。薄く叩き伸ばし幅を持たせて、バネの出所とするといった工夫も為されていない。それでも、U字型よりは耐久性を持たせようと、バネの力を増大しようとした事は違いないだろう。
中国大陸で生まれたU字型の鋏が、日本に渡る頃にはO字型へと発展していた。これはとても面白い。現代の視点からすれば、刃の合わせ目を鋲留めすれば、X字型の鋏が作れそうな気もするが、当時の技術ではそう簡単にはいかなかったのだろう。鉄に穴を空ける技術も、鋲で留める技術も、まだ到達していなかったのだろう。もしかしたら、試みられていたかもしれないが。
ところで、日本に握り鋏を伝えた中国では、南北朝時代(斉の時代)になると次第に見られなくなり、代わってX字型の鋏が登場する。以来、全く見られなくなった。これは西洋においても同じで、ギリシャ時代に生まれた握り鋏もローマ時代にX字型の鋏が発明されると、あっさり忘れ去られてしまうのである。
このように、歴史の波に押し流されようとした握り鋏だが、日本人だけは連綿と使い続けた。今では「和鋏(ワバサミ)」とも呼ばれ、外国人から価値を見直され、彼の地へ輸出しているほどだ。
来週は日本初のX字型鋏の話しから始めます。お楽しみに~。(ホントカ
Posted at 2012/09/21 15:25:05 | |
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波佐美 | 日記