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2013年06月20日 イイね!

続 波佐美物語 2

続 波佐美物語 2今回は理髪鋏誕生編です。

* 理髪鋏の開祖
我が国で最初に理髪鋏を作ったのは、友野 義国という。
本名を釜五郎と言い、義国は銘である。元々は刀剣師、つまり日本刀を作る職人であった。
注:刀工(トウコウ)や刀匠(トウショウ)、刀鍛冶(カタナカジ)と呼ぶこともある。

明治4年(1871年)8月9日に発布された廃刀令(散髪脱刀令のこと)で刀の歴史が一旦終わりを告げると共に、刀剣師達も役目を終えたのである。
そして釜五郎は、師匠と共に小石川にある陸軍砲兵工廠へ移った。(現在の小石川後楽園である。)そこで鉄砲や大砲を作り、給与をもらうようになった。

刀剣師とは、単に刀を作る職人といったものではなく、一振りの芸術作品として、その制作を求められてもいた。その柄に刻んだ銘に関わる作刀工程の全責任を負う以上、あらゆる技術を修めていなければならない。そしてそれがそのまま、鉄砲や大砲作りに役立ったことだろうし、政府から望まれていたことでもあった。

しかしながら当時の先端兵器といえども、所詮は大量生産品であり、彼としては単調な作業ではなかったか。そんな時に理髪鋏と出会うのである。

* 道具屋 木平
友野釜五郎に西洋の散髪鋏を見せたのは、道具屋の木平という人だ。本名を斎藤喜兵衛と言い、横浜で髪結い床をしていた。彼は、他の髪結い師達が散髪屋に転身するのを見て、真似をせずに器具商を選んだ。散髪に必要な理髪鋏や西洋櫛なども、これから求められると考えたのだ。

現に、明治6年(1873年)3月 明治天皇が散髪を行い、それを機に全国で散髪屋が開業すると、理髪鋏などの器具がまるで足りなかった。商社が輸入すれども、数量は少なく、高価であった。そのため、床鋏(トコバサミ)と呼ばれる、髪結いの頃の大振りな握り鋏を使い続けていた。

そこで彼は輸入品である散髪鋏を国内で作ろうと考えた。その相手を探すうちに釜五郎と出会ったのである。この時、彼が持っていた鋏はフランス製だと言われている。

一方、釜五郎としても自分が散髪屋に行った際に、床鋏やあり合わせの鋏を使って、苦労しながら髪を切っている理髪師達を目の当たりにしただろう。当時、いかに新しい理髪鋏が求められているのかを実感したであろう。

そして刀と鋏の違いはあれど、同じ刃物として興味深く見つめていたであろう。また元刀剣師として、刃物で苦しむ姿は見るに堪えない思いもあったろう。だからこそ、木平が差し出した西洋の鋏を前にして、決断を下したに違いない。

こうして明治10年(1877)8月21日、第一回内国勧業博覧会に、「義国」の銘で理髪鋏を出品した。それは、タナゴ型幅広、刀身五寸と伝えられている。

*もう一人の開祖
じつはこの時、もう一人、理髪鋏を出品した人がいます。名を立野 平左衛門と言い、千葉県市原群平田村で生まれ、領主 水野出羽守に刀鍛冶として召し抱えられるも、維新により主家と共に失業。明治5年(1872年)東京に出て本所柳原町に住み、植木鋏や裁ち鋏などを製作、銘を「平作」とした。

口伝によると、千葉の五井海岸へ汐干狩に行った時、錆び付いた理髪鋏とおぼしき西洋鋏を拾い、これを研究改良したと言う。にわかには信じ難い話しだ。当時の理髪鋏は舶来品であり、とても高価な品物であった。それを海岸に忘れたり、落としたりするものだろうか。
今となっては確かめようもないが、ともかく、平左衞門は西洋鋏を手に入れた。

こうして彼もまた、第一回内国勧業博覧会に出品したのである。こちらの鋏は、義国の物より細身で、刀身四寸五分、銘は「平作」のままであった。

*刀剣師と理髪鋏
友野義国と立野平作は元刀剣師である。これは単なる偶然ではない。刀剣師は、刃物作りの職人の中では最優秀であった。逆に、なぜ理髪鋏は他の刃物作りの職人達(野鍛冶とも呼ばれる。)から生まれなかったのか。それは、文明開化で暮らしぶりが変わっても、包丁や鋸(ノコギリ)、鎌や鍬(クワ)といった道具は使い続けられ、求められ続けていた。それまでの仕事があり、比較的平穏な生活が続いていたのだ。

一方、刀剣師達は廃刀令により廃業した。つまり、生活の糧を失ったのである。
ここで改めて、刀剣師について補足したい。
江戸時代、刀は武士の魂とも呼ばれ、それを作り出す刀剣師は武士と同様の立場を得た。つまり、武士と同じ教育を受け、立ち居振る舞いも毅然としていた。刀を作る職人でありながら、武士に準じた身分であった。高い教養と知性を持っていたからこそ、新しい鋏を生み出せたのであろう。恐らく、全身全霊で取り組んだに違いない。

*刀の子
義国は鋏の作り方を弟子達に伝え、それが今も残る。それによると、鋼はもちろん玉鋼、焼き入れは備前物(他に、相州物がある。)、刃紋は直刃まがい(スグハマガイ)うちぐもり掛けであった。これらは全て刀を作る時に使う言葉であり、こうして作り出された理髪鋏はまさに刀の子であった。

刃金に玉鋼を用いるならば、地金に合わせるには硼砂付け(ホウサヅケ)と呼ばれる技法が必要だ。これを着鋼作り(チャッコウヅクリ)と呼ぶ。
また、地金には金槌(カナヅチ)で柄や指輪(シリン)、小指掛け(ショウシカケ)、接点突起に至るまで全て打ち出して作るのである。これを火造りと呼ぶ。
さらに、錆止めとして柄と指輪に赤漆を塗った。まさに芸術品とも呼べる姿だ。ゆえに彼らは鋏一丁にも銘を入れた。銘こそは、作者の魂なのである。

こうして誕生した我が国の理髪鋏は、初めから独創性があった。単なる外国製品の模倣ではなく、伝統に根ざした日本の理髪鋏である。それは一寸(3cm)もの長い接点突起と、指輪(シリン)の溝が外後方に傾斜していることにある。モデルとなったフランス製の鋏には見られない特徴だ。
特に指輪の傾斜は、鋏を安定して持てるように意図したものだ。このように使い手のことも考えて細工をするのは、じつに日本的である。
Posted at 2013/06/20 15:01:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記

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