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2012年09月29日 イイね!

月を撮る

月を撮る昨夜、ヨウさんが月を撮られていたので、私も再チャレンジ。

一月前に初めて撮ったけどピントが甘かった。今回はEXテレコン機能を使い、焦点距離を2倍と4倍にしてみました。

レンズは昔のズームレンズで400mm相当。それが800mmや1600mmとなり、さすがに1600mmでは液晶モニターに月が大きく写りました。
だけど、カメラの向きを動かすとすぐに視野から外れるし、常にブルブル動いて月が静止してくれない。ゆえにピント合わせがものすごく難しい。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで沢山シャッターを切ったけど、奇跡の一枚は2倍の方でした。それでもまだピンぼけだけどね。

今度は、望遠鏡の架台に載せて撮ってみようかな。持ち運ぶのが面倒だけど、4倍で撮るなら微動装置が必要だと実感したんだ。^^; いや、いっそのこと直焦点か。(w)

撮影data
カメラ:LUMIX GH2 / レンズ:SIGMA 28-200mm F3.8-5.6 / 焦点距離 400mm相当(35mm換算 で200mm) / EXズーム機能 2倍(800mm相当)/ 絞り F5.6 / シャッター速度 1/400秒 / セルフタイマー 10秒 / ISO感度 160 / 三脚使用 / 2012.09.28.23.11
Posted at 2012/09/29 15:03:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2012年09月26日 イイね!

波佐美物語 6

波佐美物語 6X字型の鋏
今のところ日本最古のX字型の鋏は、正倉院の金銅剪子(コンドウセンシ)である。金銅とは、銅や青銅に金メッキを施した物の意味で、持ち手の装飾の見事さといい、おそらく献上品であろう。
これに似た物が韓国慶州市から発見されている事からも、これは大陸からの贈り物であったろう。
また、刃の形から蝋燭(ロウソク)の芯切り鋏か、あるいは花切り鋏との説もある。

ちなみに、蝋燭は仏教と共に伝来したと言われ、おそらく芯切り鋏も共に渡来したであろう。

芯切り鋏
当時の蝋燭の芯は燃えにくく、時間が経つと長く伸び炎が大きくなってしまう。そこで定期的に芯の先を切る必要があった。それには金属製で、持ち手よりも先で切れるX字型の鋏が適していた。さらに、刃の幅を広くし、切った芯が刃の上に残るように工夫した。

この型の鋏は、日本ではあまり知られていないが、西洋では中世に蝋燭が照明の主役となり、多様な芯切り鋏が考え出された。

花切り鋏説
この他に、花を切るために使われたという説がある。足元に咲く草花ならU字型の握り鋏でも構わないが、枝に咲く花を枝ごと切りたい時はX字型の方が楽に切れる。(梃子の原理) この場合、刃が幅広くなっているのは修飾のためと考えている。

当時はまだ仏花(ブッカ)の時代であった。仏花とは、仏壇や墓参りの際に供える花の事である。そもそも正倉院は聖武天皇(701-756年)が崩御され、光明皇太后が先帝遺愛の品や国家の至宝を集め、東大寺の大仏に献納した事に由緒がある。従って、その御物は仏教的な色彩が濃いのである。
ちなみに、華道が確立するのは室町時代になってからであり(池坊 イケノボウ)、仏花が元であろう。

どちらにせよ、この鋏は今も静かに正倉院に眠っている。

以後、X字型の鋏もあらゆる方面に発展していくのだが、資料が乏しい。これが収められた次の時代、つまり平安時代では源氏物語や徒然草にハサミの記述が散見されるのみである。

鎌倉時代、北条政子が使用した化粧具として、握り鋏が鶴岡八幡宮に奉納されている。現在の物とほぼ同じ形状で菊の紋が入ったこの鋏は、後白河法皇から頼朝に賜った品物とされ、現存する最古のU字型鋏である。

江戸時代に入り、徳川家康の遺品とされる蝋燭の芯切り鋏や握り鋏、スペイン製の鋏などが久能山東照宮に残されている。この芯切り鋏は作者不明で高麗から輸入された可能性もあるが、握り鋏は「山城國住人藤原信吉」という銘がある。
また、生け花(古流)や和蝋燭が庶民に広まるにつれ、花鋏や芯切り鋏も普及していった。


以上です。いかがだったでしょうか? とりあえずこれで第一部を終わります。m(_"_)m
次はしばらく先になります。。。ひょっとしたら、書くひまがないかもしれません。^^;
Posted at 2012/09/26 15:06:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記
2012年09月25日 イイね!

メンテナンス on 9/16

メンテナンス on 9/16ナイトオフの日、少しメンテナンスしました。

行く前に、エンジンオイルにワコーズのeCLAENを半分だけ、入れました。
なんで半分かと言えば、オイルレベルゲージで汚れを見たら、それほど汚れていなかったのでね。それに、これがチューブ式で少しずつ入れることができたから。
また来年、残りを入れたいと思います。^^;

着いてからは、こっそりワイパーゴムを替えました。
最近、拭き残りが目立ってきたのと、一時雨の予報が出ていたから。
案の定、雨が降り、視界スッキリで良かったです。^^
Posted at 2012/09/25 17:07:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | Maintenance | 日記
2012年09月21日 イイね!

波佐美物語 5

波佐美物語 5古代日本
日本の古代史は、石器時代から縄文式、弥生式とに分けられる。それらは土器で区別している。さらに人骨を比べると、縄文人と弥生人はまるで違う人種だ。これは、縄文人の後に弥生人が渡来したと考えられている。そして彼らは稲作を持ち込んだ。それまで食料を狩猟採集していた人々も、稲作をするようになっていった。

彼らはまた、金属も携えてきた。青銅器で有名な、銅剣、銅矛(ドウホコ)、銅鐸(ドウタク)である。この時代になると集落の周りに堀を巡らせた環濠集落の遺跡が現れる。外から襲われる事に対し、防御のためだと解釈されている。

渡来したハサミ
今のところ日本最古の鋏は、奈良県桜井市の珠城山(タマキヤマ)古墳から出土した鉄製の握り鋏である。時代は6世紀後半と推定されている。当時ここには、大陸や朝鮮半島からの渡来人達が居住していたと伝えられている。さらに、この鋏が中国の漢時代の物と似ており、まず間違いなく渡来品であろう。

この最古の鋏は、刃幅が狭く細長く、下部のU字型が丸く膨らんでいる。大きさは刃渡り18cm 輪の直径約6.5cm。輪がこれほど大きくなると手の平に収まらないし、刃の合わせ目が刃元よりやや上に位置している事からも、直接刃の方を握ったに違いない。このU字型からO字型への発展は、折れやすい鋏の改良にあったろう。

鉄を鍛える技術や鋳物作りの技術はまだ始まったばかりで、鉄を叩いたり、または焼けた鉄を水の中に入れたりして、硬くする事ができるようになった段階である。粘りを出す(弾性を出す)という熱処理技術の段階へは進んでいなかった。

また、O字型の部分も単に、一本の金棒を環状に曲げたに過ぎない。薄く叩き伸ばし幅を持たせて、バネの出所とするといった工夫も為されていない。それでも、U字型よりは耐久性を持たせようと、バネの力を増大しようとした事は違いないだろう。

中国大陸で生まれたU字型の鋏が、日本に渡る頃にはO字型へと発展していた。これはとても面白い。現代の視点からすれば、刃の合わせ目を鋲留めすれば、X字型の鋏が作れそうな気もするが、当時の技術ではそう簡単にはいかなかったのだろう。鉄に穴を空ける技術も、鋲で留める技術も、まだ到達していなかったのだろう。もしかしたら、試みられていたかもしれないが。

ところで、日本に握り鋏を伝えた中国では、南北朝時代(斉の時代)になると次第に見られなくなり、代わってX字型の鋏が登場する。以来、全く見られなくなった。これは西洋においても同じで、ギリシャ時代に生まれた握り鋏もローマ時代にX字型の鋏が発明されると、あっさり忘れ去られてしまうのである。
このように、歴史の波に押し流されようとした握り鋏だが、日本人だけは連綿と使い続けた。今では「和鋏(ワバサミ)」とも呼ばれ、外国人から価値を見直され、彼の地へ輸出しているほどだ。


来週は日本初のX字型鋏の話しから始めます。お楽しみに~。(ホントカ
Posted at 2012/09/21 15:25:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記
2012年09月20日 イイね!

波佐美物語 4

波佐美物語 4このようにして、ようやく生まれた鋏は羊毛を刈るための鉄製の握り鋏であった。
しかし、あまり実用に耐えられなかったであろう。おそらく、曲げたところから折れてしまったに違いない。(金属疲労による破断。)それは現在のように、曲げるところを平らに伸ばすという知恵もなく、鉄も粗末な物であったからだ。

ある時、折れてしまった鋏を見て、これを真ん中で留めればまた使えるのではないかと閃いた。しかも、折れる事はない。
あるいは、既に火箸も矢床(ヤットコ/扉絵)のように2本の金棒を鋲留めした形に発展していたので、またヒントを得たのかもしれない。

ここで少し話しは逸れるが、この火箸の発達にはある原理の発見が見てとれる。それは、梃子(テコ)の原理である。出土した矢床を見ると、既に持ち手が長く、相手を掴む方が短い。つまり梃子の原理により、握る力よりも強い力で物を掴めるようになっている。

話しを戻して、こうして現在に至るX字型の鋏が生まれた。この鋲留めされた最古の鋏は帝政ローマ時代(BC27年)の鉄製である。これは刃が短く、持ち手が輪になっている。とても肉厚で丈夫にできているので、おそらく銅や鉛、針金などを切るのに用いられたのではないか。つまり、今で言うところの金切り鋏である。

この新しい鋏は、鋲を中心に刃を動かして切断する。そのため、刃の合わせ具合がとても難しい。握り鋏よりも一段高い製造技術が求められるのである。
一方、使う側も握力から指先の力加減へと、より繊細な器用さが求められるのである。前に述べた道具の発達と手の器用さの相互作用が、ここでも当てはまるのである。

その後、この形の鋏があらゆる方面に発展していく。人々の暮らしや時代の流行に合わせ、様々な形に姿を変えていった。そうしていつしか、握り鋏は姿を消した。

ところが、世界でただ一ヶ所、握り鋏を使い続けた国がある。そう、我が国、日本である。ここで話しの舞台を日本に移し、その経過を辿りたい。

と、ここまで~。 次回から、日本編です。
Posted at 2012/09/20 16:08:41 | コメント(3) | トラックバック(0) | 波佐美 | 日記

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