
去年の9月、鋏について6回ほど書きました。(ブログカテゴリーの波佐美を参照。)
また、ヒマになったので第二部を始めたいと思います。
今回は、私達理容師が使っている理髪鋏についてお話ししたいと思います。
* はじめに
普段、私は近所の方達から「床屋さん」と呼ばれることが多い。たまに「おい、散髪屋!」などと呼ばれることもある。そこで、この由来を調べてみました。
どうやら床屋の正式名称は、江戸時代の「髪結い床(かみゆいどこ)」であろう。この「床」に屋号を付けて、床屋さん。とね。
少し前までは、怠け者な亭主のことを「髪結いの亭主」などと言ったものだ。(極めて個人的な話しで恐縮だが、とても嫌いな例えである。)
そもそもこの「髪結い」とは、髪の毛を束ねたり、紐(ひも)で結んだりして髪型を整える行為のことである。それが、江戸時代には武士などの髷(まげ)を結う職人のことを指して、髪結い床と呼んでいた。
一方、散髪屋とは、散髪を行う店という意味であり、読んで字の如く「髪の毛を散らす」行為のことである。つまり、髪の毛を結わないで切って垂らしたままの状態を表し、当時は「ザンギリ頭」と呼ばれました。参考までに、漢字では「斬切り」や「散切り」と書きます。
* 散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)
この時代背景には、明治4年(1871年)8月9日に発布された散髪脱刀令があります。(一般的に断髪令と呼ぶことが多い。)これにより、髷を切り落とすことが求められました。
武士としての身なりを表す丁髷(ちょんまげ)を切ることや、刀を捨てることで、もう武士ではないということを自覚させたかったのでしょう。つまり、士農工商という身分制度の廃止を徹底させる意味合いがありました。
そして明治6年(1873年)3月 明治天皇が散髪を行い、新聞で大々的に取り上げられると一気に広まった。(扉絵) こうして全国的に散髪屋さんが生まれました。(つまり、髪結い床は武士と共に廃業したのである。)
ところが、ここで鋏の問題が出てきました。それまで使われていた鋏はどれも「握り鋏」であった。しかもその握り鋏は、一度に多くの髪の毛を切れるほどに力強くなかった。ゆえに、使用者に多大な負担を強いる物でした。
そこで西洋から散髪鋏も輸入されました。もちろん今の理髪鋏と同じ、X字型でした。(注、U字型の握り鋏は外国にはなかった。) しかし、とても高価で1丁3円もしたという。(当時の大人一人分の一月の生活費と同額。) そこで安価な国産品が待ち望まれた。
ここで理髪鋏誕生編に移る前に、一つ面白い話しがあります。
この散髪脱刀令は、じつは髪型を自由にして構わないという内容であり、髷を禁止して散髪を強制するものではなかった。事実、布告後も髷を結い続けたお年寄りもいたが、特に罰せられてはいない。また、力士や歌舞伎役者なども髷を結い続けた。
とまぁ、車ネタも尽きたのでね、また書き始めちゃいました。今回は前回ほど分量はございません。 ではまた来週。^^;
Posted at 2013/06/13 14:16:44 | |
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波佐美 | 日記