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SPEED GROOVE @ yoshiのブログ一覧

2019年02月09日 イイね!

GTR magazine3月号「守り続けたRの血統」




**「キミのクルマに対してやりたいことが何となくわかるよ」**


若い頃の自分。
個人的な思いを振り返ってみれば、このような言葉、言われたことはない。
一見すれば、ずっとクルマに恵まれた環境にいたように思われるかもしれないが、
そんなことはまったくない。
別に苦労自慢をしたいわけではなく、周囲の職人や整備士仲間よりも遅咲きも遅咲き。
というのも修行先を自力で見つけては門を叩き、本当に見ているだけの見習い、洗車係、掃除係・・・と、なかなか仕事らしい仕事はさせてもらえなかった。
そのぶん、昔ながらのやり方、職人道のようなことは、いちおう一通り経験してきたように思う。
かつては3K業種、いまで言えば、ブラック企業ということになるのかもしれないが、
これは、この世界の見方では、いじめとは言わない。


「嫌なら辞めろ」
「もう来なくていい」
絶対上下制の世界。
これがあたりまえ。
あたりまえだから文句なし。
文句言うときは辞めるとき。
実際、そうして、何人もの若い奴が反発したり、嫌気がさしたり、我慢の限界に達して辞めて行った・・・。


きょう、GTRマガジンの誌面をみていて、ふと思い出されてきたのは横浜のある工場での洗車係のとき。
そこは人気のない工場で、たいして仕事がない。
車検が一日に1台か2台か。
そんな程度。
閑散。閉塞。
当時、そこで修行していたのは業界全体が不景気でもあり、見習いを雇ってくれるような余裕のあるところなどなく、ようは、他に務め先がなかったからだ。
そんなだからか、当然、先輩の職人たちはいつも機嫌が悪く、暇もあって、新人は邪魔な存在。
「仕事教えて、仕事取られちゃ、たまったもんじゃない」
そんな気持ちがあったのかもしれない。
なにも教えてはくれない。
もちろん、こちらの不徳、不遜、業の深さも多いにあってのことだとは思うが。
だから、ほとんど自力。独学。
見て盗むもなにも、すべて実地、怒られ怒られやっていた。


「洗車でもしてろ」
一日一台しか入庫がないのだから、ようは、一日かけて一台を洗車をする。
これは、仕事としてラクって思うひともいるかもしれないけど、仕事を覚えたくて来た者にとっては、ある意味、拷問にも等しい。
来る日も来る日も、一台だけ。
きっちり洗車する。
隅々まで。
それこそ、もう洗うところがないくらいなので、仕方なくボディの裏側まで。
冷える屋外でバリに手を切ることもあるけど、そんなの気にならない。
「負けてたまるか」と踏ん張って、「だったら徹底的にやってやろうと」ウエスで磨いていた。
なので、まあ、なかなか思ったように仕事はさせてくれなかったけど修行はさせてもらったと思う。
このような経緯を何社か繰り返し、あっちで叩かれ、こっちで叩かれ、そうこうしてどうにかこうにか、なんとか一丁前になっていったようなもの。


いまの時代、もうそんな職人教育は、まあ、そう多くはないことだろう。
辞めるか、鬱になるか、訴えるか、炎上するか・・・時代柄そんなところか。
ひと昔は、「嫌なら辞めろ」と言える強さがあった。
絶対的な権力があった。
やる気のない奴、根性のない奴は辞めて結構というスタンス。


ひとつの流儀として、ヤキ入れというのがある。
入ったばかりの新人に、あえて、一度地獄を見させて根性を試す。
ほんとうにやる気があるのかどうかのテスト。
その道に本格的に入門するための儀式のようなもの。


自分自身を振り返れば、なんだかね・・・
なんとなく思うことだけど半生そんなだったかもしれない。
いまだからわかることだけど、当時は、その渦中にあるときは、ありがたいんだか、ありがたくないんだか・・わからない。
内心、反発心。
少なからず態度にも出ていただろう。
しかし、それが、反骨心として前向きなやる気としてのエネルギーとして活きる側面もあるということを経験者のひとりとして思い返せば確かに感じる。
だからといって特に推奨するわけでもないが。
それが、いつしか時代が変わったね。
やりたいことがやれる。
やらせてもらえる。
理想的な、話のわかる先輩や上司がいる・・・。


でも、それは果たして、それだけでもって、いいのかどうか。
やさしさと生ぬるさは違うと思うし、厳しさと暴力も違うと思う。
ただ、気づいたことは、心の世界からみても、自分の本気を覚悟することは人間心理としても避けては通れない。
自分なりの新しいステージへと飛躍していくためには、古い自分の殻を脱ぐ必要がある。
それは、同時に、馴染んだものを手放す怖さがあるゆえに躊躇ったり、諦めたり。
現状に止まるための都合の良い理由を見つけ、変化から自分を守ろうとする。


人間が一番恐れていることは、現状から変わるということ。
逆にいえば、現状維持、安定がいちばん安心する。
ゆえに、なにか新しい事をなそうとしたり、チャレンジしたりするには、その本気さの確認のため、なにかしらの勇気や覚悟を必要とする。
手放したり、別れたり、馴染んだ環境を変えたり、気持ちとして困難さを超えて。
そして、素晴らしい出会いや、運命的な出会い、チャンスというのは、そのようにして自分自身の本心を確認する儀式を経た後に自然起こる。








修行時代、笑顔などだせなかった。
屈託無く笑ったり、幸せ感じたり、喜んだり・・。
無縁というか、自分にはなかった。
だから、自分の歩んできた道は、また全然違うレールの上だったのかもしれない。
でも、だからこそ、わかってあげることのできる立場に立てるのかもしれない。
不遇な気持ち。
やるせなさ。
くやしさ。
腹立たしさ・・・。
人の持つ、そんな様々な気持ちに対して、カラダで経験してきた者ゆえの理解が。


いまのご時世。
たぶん、クルマに触れさせてもらえない見習いはいないと思う。
でも、もし、どこかにいたなら、けして諦めないで欲しいと思う。
「仕事」になっていないかもしれないけど、貴重な修行にはなっているから。
思うようにならず耐えに耐え、それでも意志失わなければ、いつかチャンスは来るはず。
なぜなら、目の前の困難は誰かからさせられているというよりも、自分で自分の意志を磨き上げようとしているのだから。


  悔しさはバネに。
  怒りは涙に。
  涙は愛に。

  Speed Groove. yoshi



         
Posted at 2019/02/09 22:57:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2019年01月04日 イイね!

謹賀新年



*謹賀新年*
今年もよろしくお願いします。

年賀状を頂戴いたしました。
GTRマガジンは、なんと創刊25周年とのこと。
おめでとうございます。

気がついたら、もう、そんなに経つのか・・・。
平成元年式のR32であれば30年が経つわけで、もう立派に旧車だけど、個人的にはそんな実感がわかない。
それは、自分にとって今も近い存在になったままだからなんだろうけど、
ま、きっとGTRオーナーであればなおのこと、皆もそう思うのだろう。
そして、なにより凄いとおもうことは、いまもこうしてGTR文化が発展し続けているというここと。
これは、30年前にはまったく想像できなかった。
当時乗っていた32GTRに長く乗り続けるつもりではいたものの、まさか、ここまで続くとは思えなかった。
ハコスカという先輩格がいたものの、あれは別格すぎた。
プロ的な視点からすれば、レストアは特殊なひとがするもので一般的ではなく、「皆、適当なところで手放していくだろう」「結局、金額次第、いずれ乗り換えるさ・・」
「事故車多いし、最後は二束三文で解体屋に並ぶ・・」
こんな意見があったものだ。
それゆえに、そういう考え方がはびこっていたがために修理業界は技術的に衰退していったと思う。
利潤と安さの追求に走り、いかに安く早く直すかに注力していった結果、つまらなくて退屈で、ただキツイだけの仕事環境へとなっていったのではないか。
であれば、若者が離れていくのも当然だろう。

ところが、今、どうだろう・・・
意外や意外。
けっこう、お金を使ってメンテしたり、レストアしたりして、乗っているではないか。
事故車であっても、大破であても、すべてとはいわないけど、でも、けっこう直して復活して乗っていたりする。
いまも、毎年のように「部品がなくなる」と言われながらも、再生部品がリリースされたり、プロジェクトが立ち上がっていたりして、少なくとも、希望の灯は消えていない。

だから、思う。
プロってなんなんだろう・・・と。
かつて、オークション会場で事故車を買い捲っていたイケイケの社長さんたちは、いまどうしているだろうか・・・。
フレーム修正そこそこに見てくれを整えて販売。
そういうスタイルがまかり通っていた時代。
ちょっとした社会問題というか、小さい扱いだけど事件にもなったことがあると記憶している。
メーター戻し、なんていうのも当時は当たり前っていうくらいによくあることだった。
ほかにも、水没だの、盗難だの、消化器噴霧だの、まあ、とんでもない個体があったものだ。
職人目線で、いま振り返ると、そういう時代環境を経てきたからこそ身につけた技術や考え方というのもあると思う。
たとえば、考え方によっては、フレームや骨格を直すことなく外見の帳尻を合わせるのも難易度高い技術でもあるとはいえる。
大破修理やレストアなどの大がかりな作業においては応用力のひとつとして役立つこともあるから。
使うべき方向性さえ間違わなければ自分の身を助ける技術のひとつとなる。
だから、「タラレバ」の余談になるけど、もし、あの頃、見てくれ重視の修理で売り飛ばすようなビジネススタイルではなく、事故車を仕入れ、まともな修理でまともに売っていたなら、いまごろはGTRのスペシャルショップとして業界で君臨していたかもしれないね。
もちろん、当時は、そんな先のことまで考えることのできる時代ではなかったけども、地道な研究努力の積み重ねは、後になって大きく花開くもの。
いわゆる、ノウハウの蓄積というものであって、それを持っているということはやはり強い。
最終的には、そういうひとが勝つと思う。
そういう会社が生き残ると思う。
つまり、ビジョンをもって自分を生きているか。
経営をしているかどうか。
シンプルな結論だけど、あらためてそう思う。
yoshi
Posted at 2019/01/04 22:28:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2018年12月11日 イイね!

GT-R Magazine 2019年1月号 〜生きる目標を定めてくれたクルマの世界〜



_____________________

「生きる屍」
それは、ほんとうに17歳の高校生が言うような言葉なのだろうか・・。
17年間の人生に、いったい何があって、どういう思いを重ねてきたというのか。
誌面では触れられてはいないが、でも、本人にしてみれば、そういう心境であった、ということなのだろう。
いずれにしても、同じRファンとして、これからが楽しみである。
なんてったって、誌面6ページを使うほど熱のはいった記事なのだから。
ファンの数や裾野が広がるだけではなく、その熱意の深さこそGTRファンの強みだと思うから。





****


「生きる目標を定めてくれたクルマの世界」

ひとは、望んでいたことや、期待していたことが叶わないと知ったとき、絶望する。
それが相手に対して抱いていたことであればまだよくて、
「裏切られた」「傷つけられた」と、他責をするゆとりがある。
しかし、自分が持つ自分の理想像や、自分への期待が適わないと知ったとき、自己を責める。
これは逃げ場がなく辛い。
もちろん、それをも他人のせいにして八つ当たりをするような人も世の中にはいるが、
叶わない辛さをひたすら自分で背負い込んでいくとなれば、
おそらく、この「生きる屍」のような心境へと進んでいくのではないかと思う。

誌面とは関係なく、余談になるけど、いま、疑問に思っていることがあって、
それは特に若い世代に顕著で、少し大きすぎる夢を抱きすぎてはいないだろうか・・
ということが気になっている。

「世界を救いたい」とか。
「みんなを幸せにしたい」とか。

いったいなんの影響を受けて、そんな正義の味方アンパンマンのようなセリフを言うのかしらないけど、
聞いていて、どこか不自然さを感じることが度々ある。
というのも、なにかそのような夢や目標に向かって具体的に歩んでいるのならばともかく、
ただ上辺の言葉だけで言っているだけのように聞こえてくる気がするから。
先日も、「スポーツ選手になって、世界で活躍して、みんなを喜ばせたい」
真剣にそう言っていた若いひとがいたんだけど、外見は色白でとてもスポーツしているようには見えなくて、
よくよく聞いてみたら、なんと、そのスポーツやっていないんだっていうことがわかって、ちょっと驚いたことがある。
もちろん、それを絶対に無理だって決めつけるのもどうかと思うけど、もっと本気で世界を目指しているひとたちがたくさんいるだろうから・・
でも、最近、そういう感じのひとがなんだか増えているような気がする。

夢を持つのはいいと思う。
おおきなビジョンを描き、それに向けて努力する姿は素晴らしい。
ぜひ、実現できるよう頑張って欲しいし、応援するひともたくさんでてくるだろう。
ただ、気になるのは、「ほんとうにそれがしたいのか?」っていうこと。
なんの影響を受けたのか、教育のせいなのかは知らないけど、そんなに無理してまで、背伸びしてまで「皆の為」にこだわらなくてもいいように思う。
自分を偽っての「皆の為」ほど、みんなにとって迷惑なものはないから。

それよりも、もっと自分の為にやってもいいんじゃないか、と思う。
その結果として、ひとが集まったり、助けられたり、救われたりするものだから。
意識の持ちようを、目指すところを「みんなの為」に置くばかりではなく、
シンプルに自分の喜びに置いていいんじゃないか。
だって、喜びや、熱中や、やりがいを感じながら何かをやっている姿こそ、ひとを惹きつけ、喜ばせるものだと思うから。

偉大すぎる夢は、だから、かえって自分を苦しめるのかもしれない。
かえって、動けなくなってしまうのかもしれない。
高すぎる理想像が、ほんらいの自分、ありのままの自分から自分自身を遠ざけ、
ひととの関わりをかえって難しくしていってしまう。

走りの世界で表してみれば、なによりも、自分を貫く強さを持ったひとが美しい。
ただただ恐ろしいほどに速く、研ぎ澄まされたセンスの塊であり続けること。
そういうひとは他を寄せ付けない鋭さを持ってはいても、深い部分での温かみがある。
ある意味、そんな生きる伝説のような人と出会ってきたなかで思うことは、
表面的な楽しさ、仲良しごっこ、ひとを助けているような自己満足、
そんな浮ついたような浅い気持ちは、あの領域ではすべてが吹き飛んでしまう。
それよりも、もっともっと根源的な魂の叫びのようなものが一番にあがってくる・・・。


オレはオレを生きているのか。
これでいいのか・・。
もっとやりたいこと、やれること・・、あるんじゃないのか。
まだまだ、もっとできるはずだ・・・
でも、怖いものは怖い。
その怖さの奥にあるのは、魂の叫び。
そもそもが、生きるっていうことは、怖いものだ。
ホンネを言えば、生きるっていうことは、つらいものだ。
その怖さをみたくないから、感じたくないから、偽りのしあわせに満足した顔をしていた。
だから、その悲しみを超えて、いま、自分の足で立っている。
だから、その口惜しさを超えて、いま、自分のRで走っている。
ひとりで生きてるわけじゃないけど、
ひとりじゃ生きていけないけど、
ひとの評価を求める気持ちは、もういらない。
こうして、いま、自分を生きているから。
そうなってはじめて真にひとを愛せる喜びを感じられるみたいだ。
特に追求するつもりはないけど、自然、追求している。
自分とはなにか。
生きるとはなにか。
走りを通じて。
Rを通じて。
自分を生きること。
それが自然、周りへの刺激となり、
皆もまた自分なりの生きるとはなにかを見出そうとしている。
そんな者たちの集まり。広がり。繋がり。
走ることは生きること。
不器用でも自分を生きようとする、その人間臭い在りようにこそ、ひとは心惹かれていく。

yoshi




Posted at 2018/12/11 21:35:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2018年10月10日 イイね!

GTR magazine11月号『再生に懸ける希望』〜Find the way〜



再生に懸ける希望   ~Find the way~

今月号は、かつて自分自身が板金職人としてやってきたこと、HPで主張してきたことがあらためて認められた気がした。
あらためてというか、ようやくというか、自分自身との闘いに自分でも納得できるようになったと言えるかもしれない。
もちろん、今号はカナザワさんとラッシュさんの特集であり、編集者が書いたことである。
ヨシヒサのヨの字もない。
だから、直接的に僕に全く関係がない。
カナザワさんの頑張りと技術力の高さ、ラッシュさんの勇気と取り組む気概の高さを伝えている。
とはいえ、そこには、見る人が見ればわかるのだろう。
なにか思い出したり、感じるものがあったのかもしれない。
yoshihisa styleのエッセンスが散りばめられていると・・。

今号に載っている手法のどれもが経験済みであり、なによりも、誌面を見ていて懐かしさをたくさん感じた。
気持ちが熱くなってきて、嬉しくなってきている自分がいた。
特にフロントフレームを切り落とした32GTRとリヤ半分を切開した35GTRは大掛かりな作業であり、自分自身なんども経験してきたこと。
その難しさ、大変さ、割に合わなさ・・は、きっと誰よりも身近な感覚としてわかると思う。
語っているほどラクじゃないから。
内心、悩んだり、真剣さゆえに圧を感じたりしたこともあるんじゃないかな。

かつて、僕は、「自動車保険の枠を超えた修理」というようなタイトルをHPに書いていたことがある。
いまでこそ、こうしてメジャーになってきているスタイルだけど、当時は斬新というか、裏では喧々諤々。
なぜなら、保険修理こそ最高の修理内容だと言われている環境だったから。
わかる?
普通、どれほど代金を叩かれやすい業界だってことが。
町工場っていうのは、基本下請けだから。
自社で集客できないぶん、元にハネられるわけ。
あたりまえの慣習だけど。
それが、もし、下請けではなくて、自社受けで保険修理をできるならば、それはいかに美味しいか。
これも、わかる?
どれだけ保険修理が下請け仕事に比べたら真っ当なものであるか、って。
いまは、そのあたりも競争が厳しくなっているだろうから、たいして美味しくはないかもしれないけど、
ひと昔は、そんな感じだった。
「いい時代だったねえ」っていうような、そんな良き思い出の時代。

ところが、この美味しいとされていた保険修理の限界を知ることになった。
本当の本当に真っ当にやろうとしたら、保険の枠じゃとても収まらないことに。
こだわりを知ってしまった者として納得のいく作業ができないことに。
「じゃあ、どうするか?」っていうところで、ずいぶん悩んだり、揉めたり、まあ、いろいろあって・・。
それで結局、素直に正直にありのままをお客さんに伝え、お客さんにその差額分を払ってもらおう、って。
それが新しいチャレンジだった。
受け入れてもらえるかどうか不安が周囲には渦巻いていたけど、僕には自信があった。
クルマ好きなら理解してもらえることだと。

あとの結果は、ご存知のとおり。
かつては最高ランクの作業内容だった保険修理が最低ランクの内容になるという状況に変化。
ま、そうは言っても、結局なんだかんだで結構サービスでやっていた部分も多かったんだけど、ようは、そのくらい手間を惜しまず徹底してやっていたから。
たとえば、MIGのワイヤーだって普通は鉄を使うけど、合金のかなり高価なやつも取り寄せて使ったりしてね。
材料代も半端なかった。
だから、溶接は、MIG、スポットと使い分けするのはもちろんのこと、隠れた部分での補強溶接を加えたり、補強パネルを追加したりと、気にかかる部分は、外観からは見えない部分で相当手間かけていたと思う。
寸法合わせだって、もうね、何度も何度もよ。
車体骨格の水平出すのに修正機を設置している地盤から見直したしね。
あれ、地盤は完全じゃないから。
地震もあったりしたし。
微調整して前提となる水平にこだわったりもした。
スポット溶接も同じく。
工場内は溶接機以外にも電力を食うのがあるからね。
塗装ブースだったり、リフトの上げ下げだったり。
そういうものの影響でアンペアの低下がおきると溶接もフルパワーとはならないのよ。
いくらカタログ値は高くても、実際はそうではなかったりするから、サイドシル強化とか外せない大事な箇所は、塗装ブースを待ってもらったり、夜にほかのひとの作業が終わってから打ち始めたり。
「電力独り占め」って感じ。
このようなこだわり話は、もう忘れちゃっているのもあるし、きっと書ききれないほどあるのだろうけど、
わかる?
どんだけ、わがままだったことか・・って。
でもね、こだわりっていうのは、どうしたって最初は、そういうニュアンスを含むものなんじゃないかな。
良くも悪くもだけどさ。
「最初は革新的であっても、いつの日か、それがスタンダードになる」
それが可能になるかどうかは、ひとえに、そのこだわりが多く誰かのためになることなのかどうかなんだと思う。
だから、ネガティブなイメージでの頑固オヤジっていうのは、見方によっては、少しひとりよがりが過ぎる状態なのかもしれないね。
もちろん、僕だって裏ではずいぶん批判食らったし、反発くらった。
でも、それでも、やり通せたのは、皆のおかげ。
ほんとうに、そうだから。
皆の力なくして、yoshihisa はなかった。
あの頃は、無我夢中過ぎて自分を掴みきれていなかった気がするけど、いま、ようやく見えた気がする。
自分の辿ってきた道が。
今号の記事によって、はっきりと、それが見えた気がするね。
かつて反発していたひとたちも、いまは、認めてくれているみたいだし。
彼らなりに、どうしたらいいのか、なにか取り入れようと、そんな前向きな姿もうかがえる。
去っていったかつての職人仲間たちは、別のところで、ずいぶんと集客して頑張っている姿を見かけるし。
成功しているんじゃないかな。
それぞれが、それぞれに自分の意見をもって、プライドをもって仕事に向き合っている。
別に奢るわけじゃなくて、もし、彼らになにかしらの影響を与えることになっているのだとしたら、ほんとうに良かったと思う。
皆からの力が、こうして波及していることになるわけだから。

『再生に懸ける希望』
雨降って地は固まる。
霧がはれて道が見え出す。
たいせつなことは、誰も間違ってはいなかった、ということ。
それぞれが自分なりの正しさのなかで生きているがゆえに、
傷つけあったりすることもあるけど、それは、お互いに磨きあい高まっていくため。
異なる意見の融合というのは、こうして、時を経て起きることがあるのかもしれないね。
進む道というのは後になってよく見えてくるものみたいだから。
恐れを超え、皆の力を信じて歩んでいこう。
再生に懸ける希望。

FIND THE WAY

yoshihisa



Posted at 2018/10/10 21:53:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2018年04月15日 イイね!

GTR magazine 5月号『運まで味方につけるのが真のトップドライバー』



先々月に右手首を複雑骨折した。
たかが骨折と、軽く考えていた。
病院に行き、ギブスで固定すれば、あとは日柄で治っていくものだろうと。
いま思えば、どこか余裕でいた。
それは、それだけ何かあっても、落ち着いていられる自分になってきたからなのかもしれない。
良く言えば、前向き。
でも、実のところは違っていたようだ。
症状を甘く考えていて、あとで医者に叱られた。
結果、普通ならば、それほど長い入院とはならずにすんだものを、
すべてが裏目裏目となり、長引き、酷く苦しんだ。
まるで腕が切断されたかのような焼き切られたような強い痛み。
朦朧とした意識のなかで、うめき、のたうちまわり、
それは、これからも生きていかなければならないと思うと酷すぎて、
死よりも生きていくほうがよっぽどつらく感じられた。
いっそのこと麻酔のかかったまま戻ってこなければ・・・
と思わずにはいられなかったくらいに。

いま、ようやく退院して思うのは、なぜこんなことになってしまったのか、ということ。
それは思うに、骨折の前、数ヶ月前から感じていた自分の意識に実は違和感があったこと。
その違和感への対応を軽んじていたことに起因するように思う。
そのような折、今号掲載のレーシングドライバー本山哲選手の言葉が心に響く。



『常に周りからどう見られているかを把握していないとトップドライバーでいることは難しい』

それは、トップでいることの厳しさと難しさを表していると思うし、
もっと言えば、ひとが大過なく生きることのコツのようなものにさえ思えてくる。
走りのプロとして求められていることは結果を出すこと。
チームを勝利させること。
順位をひとつでも上に上げること。
実にわかりやすいシンプルな世界だ。
しかし、シンプルな勝負の世界というものは実力だけでは何とかならないもの。
表面的な思い、人知を超えた領域に触れて初めてその本質的な部分が見えてくる。
勝負ごとの本質とは、自分との勝負。
自分を知り、自分を磨き、自分の本質である心を研ぎ澄ましていくこと。
その過程では、必ずと言っていいほど避けては通れないことがあるようだ。
失敗、負け、敗北、挫折。
つまりは、日頃望んでいる方向の逆サイドの体験。
それをどのように経験し、いかに乗り越えてきたか。
それによって人生は磨かれていくものなのだろう。
本山選手は次のように語る。

『レーサーは自分を持っていないと速くはなれない。』

自分を持って生きていくためには、自分で考えて自分なりの道を拓いていくことが必要。
誰か他人の考えは、そのひとにとっていま必要な尊重すべきもの。
自分とは感覚が違っていても当然のこと。
そう考えられて初めて自分を自分を認められ、
自分の道を生きること、自分を活かすことができると思う。
レースなどの勝負ごとにおいて致命傷になる時というのは、自分が見えなくなったとき。
他人の意識や感覚が入り込んできたとき。
つまりは、自分への迷いや悩みがおきてきたとき、
違和感として感じるその感覚のセンサーが発信することが、
心の声、助けを求める声であったりもする。

踏めるときは踏めると。
危険なときは危険であると。

大抵、クラッシュにしても、不運、不幸の前には何か違和感が感じられている。
それに気づくことができていたかどうか。
微細な感覚の違和感、気持ちの変化。
さらには、周囲を流れる全体的な意識。
本山選手の持つ感覚を僕なりに読み解いていけば、
どうやら、トップに立ち続けるには、そういった感性を高めていくことが必要とされるようだ。
それが紙面では、この言葉で締めくくられている。

『運まで味方につけるのが真のトップドライバー。』

運まで味方につける。
そのためには、自分を俯瞰した視点でみてみること。
自分を客観的にみることが基本になると思う。
ポイントは、人の考えに影響されすぎてはいないかどうか。
勿論、参考にしたり、学びとするのはだいじなこと。
でも、そこからの新たな気づき、ひらめきは、自分の感覚、内面を感じなければ出来ない。
自分は、いま何を考え、何を感じ、何を恐れ、何をしたがっているのか。
自分の感覚に素直になってみること。
そして・・・

『超一流と呼ばれるひとたちはあまり教わっておらず、自分で考えて行動している。』

結果が義務というレーサーの世界。
命をかけた究極の自己責任。
だからこそ、純粋に速く走ること、その原点の気持ちに素直であること。
本山選手は、そう伝えてくれているように思う。

speed groove by yoshi
Posted at 2018/04/15 22:45:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記

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