再生に懸ける希望 ~Find the way~
今月号は、かつて自分自身が板金職人としてやってきたこと、HPで主張してきたことがあらためて認められた気がした。
あらためてというか、ようやくというか、自分自身との闘いに自分でも納得できるようになったと言えるかもしれない。
もちろん、今号はカナザワさんとラッシュさんの特集であり、編集者が書いたことである。
ヨシヒサのヨの字もない。
だから、直接的に僕に全く関係がない。
カナザワさんの頑張りと技術力の高さ、ラッシュさんの勇気と取り組む気概の高さを伝えている。
とはいえ、そこには、見る人が見ればわかるのだろう。
なにか思い出したり、感じるものがあったのかもしれない。
yoshihisa styleのエッセンスが散りばめられていると・・。
今号に載っている手法のどれもが経験済みであり、なによりも、誌面を見ていて懐かしさをたくさん感じた。
気持ちが熱くなってきて、嬉しくなってきている自分がいた。
特にフロントフレームを切り落とした32GTRとリヤ半分を切開した35GTRは大掛かりな作業であり、自分自身なんども経験してきたこと。
その難しさ、大変さ、割に合わなさ・・は、きっと誰よりも身近な感覚としてわかると思う。
語っているほどラクじゃないから。
内心、悩んだり、真剣さゆえに圧を感じたりしたこともあるんじゃないかな。
かつて、僕は、「自動車保険の枠を超えた修理」というようなタイトルをHPに書いていたことがある。
いまでこそ、こうしてメジャーになってきているスタイルだけど、当時は斬新というか、裏では喧々諤々。
なぜなら、保険修理こそ最高の修理内容だと言われている環境だったから。
わかる?
普通、どれほど代金を叩かれやすい業界だってことが。
町工場っていうのは、基本下請けだから。
自社で集客できないぶん、元にハネられるわけ。
あたりまえの慣習だけど。
それが、もし、下請けではなくて、自社受けで保険修理をできるならば、それはいかに美味しいか。
これも、わかる?
どれだけ保険修理が下請け仕事に比べたら真っ当なものであるか、って。
いまは、そのあたりも競争が厳しくなっているだろうから、たいして美味しくはないかもしれないけど、
ひと昔は、そんな感じだった。
「いい時代だったねえ」っていうような、そんな良き思い出の時代。
ところが、この美味しいとされていた保険修理の限界を知ることになった。
本当の本当に真っ当にやろうとしたら、保険の枠じゃとても収まらないことに。
こだわりを知ってしまった者として納得のいく作業ができないことに。
「じゃあ、どうするか?」っていうところで、ずいぶん悩んだり、揉めたり、まあ、いろいろあって・・。
それで結局、素直に正直にありのままをお客さんに伝え、お客さんにその差額分を払ってもらおう、って。
それが新しいチャレンジだった。
受け入れてもらえるかどうか不安が周囲には渦巻いていたけど、僕には自信があった。
クルマ好きなら理解してもらえることだと。
あとの結果は、ご存知のとおり。
かつては最高ランクの作業内容だった保険修理が最低ランクの内容になるという状況に変化。
ま、そうは言っても、結局なんだかんだで結構サービスでやっていた部分も多かったんだけど、ようは、そのくらい手間を惜しまず徹底してやっていたから。
たとえば、MIGのワイヤーだって普通は鉄を使うけど、合金のかなり高価なやつも取り寄せて使ったりしてね。
材料代も半端なかった。
だから、溶接は、MIG、スポットと使い分けするのはもちろんのこと、隠れた部分での補強溶接を加えたり、補強パネルを追加したりと、気にかかる部分は、外観からは見えない部分で相当手間かけていたと思う。
寸法合わせだって、もうね、何度も何度もよ。
車体骨格の水平出すのに修正機を設置している地盤から見直したしね。
あれ、地盤は完全じゃないから。
地震もあったりしたし。
微調整して前提となる水平にこだわったりもした。
スポット溶接も同じく。
工場内は溶接機以外にも電力を食うのがあるからね。
塗装ブースだったり、リフトの上げ下げだったり。
そういうものの影響でアンペアの低下がおきると溶接もフルパワーとはならないのよ。
いくらカタログ値は高くても、実際はそうではなかったりするから、サイドシル強化とか外せない大事な箇所は、塗装ブースを待ってもらったり、夜にほかのひとの作業が終わってから打ち始めたり。
「電力独り占め」って感じ。
このようなこだわり話は、もう忘れちゃっているのもあるし、きっと書ききれないほどあるのだろうけど、
わかる?
どんだけ、わがままだったことか・・って。
でもね、こだわりっていうのは、どうしたって最初は、そういうニュアンスを含むものなんじゃないかな。
良くも悪くもだけどさ。
「最初は革新的であっても、いつの日か、それがスタンダードになる」
それが可能になるかどうかは、ひとえに、そのこだわりが多く誰かのためになることなのかどうかなんだと思う。
だから、ネガティブなイメージでの頑固オヤジっていうのは、見方によっては、少しひとりよがりが過ぎる状態なのかもしれないね。
もちろん、僕だって裏ではずいぶん批判食らったし、反発くらった。
でも、それでも、やり通せたのは、皆のおかげ。
ほんとうに、そうだから。
皆の力なくして、yoshihisa はなかった。
あの頃は、無我夢中過ぎて自分を掴みきれていなかった気がするけど、いま、ようやく見えた気がする。
自分の辿ってきた道が。
今号の記事によって、はっきりと、それが見えた気がするね。
かつて反発していたひとたちも、いまは、認めてくれているみたいだし。
彼らなりに、どうしたらいいのか、なにか取り入れようと、そんな前向きな姿もうかがえる。
去っていったかつての職人仲間たちは、別のところで、ずいぶんと集客して頑張っている姿を見かけるし。
成功しているんじゃないかな。
それぞれが、それぞれに自分の意見をもって、プライドをもって仕事に向き合っている。
別に奢るわけじゃなくて、もし、彼らになにかしらの影響を与えることになっているのだとしたら、ほんとうに良かったと思う。
皆からの力が、こうして波及していることになるわけだから。
『再生に懸ける希望』
雨降って地は固まる。
霧がはれて道が見え出す。
たいせつなことは、誰も間違ってはいなかった、ということ。
それぞれが自分なりの正しさのなかで生きているがゆえに、
傷つけあったりすることもあるけど、それは、お互いに磨きあい高まっていくため。
異なる意見の融合というのは、こうして、時を経て起きることがあるのかもしれないね。
進む道というのは後になってよく見えてくるものみたいだから。
恐れを超え、皆の力を信じて歩んでいこう。
再生に懸ける希望。
FIND THE WAY
yoshihisa