前回の
「満州事変」 にも少し書いた極東アジアの続き。
自分は船員時代に鉄のカーテンの向側、即ち東西冷戦下の東側共産主義圏の数ヶ国に何度か寄港した事がある。
近くて遠い国であるソビエト社会主義共和国連邦の東部に位置し旧満洲に接する沿海州ナホトカの記憶を辿り、私達日本人が暮らしながらも普段は忘れ勝ちな極東地域の歴史と領土問題、エネルギー安全保障を考える。
冷戦時代、ソ連極東最大の港湾都市 ウラジオストク にはソビエト海軍太平洋艦隊の基地があり機密保持の為に外国人とソ連国民でも許可者以外の立入を厳しく制限禁止する閉鎖軍港都市で外国船の入港を拒む不開港だったが現在は極東ロシア最大の国際自由貿易港である。
地名「Владивосто́к」 ヴラジ ヴォストーク は「東方を支配する」という意味がある。
1860年 北京条約で清国から沿海州(外満州)を割譲した帝政ロシアは東方の不凍港に造船鉄鋼所や海軍の関連施設と商業施設を建設し移住を進め、その名通りウラジオストクはロシアの極東政策の拠点となる。
冷戦時代に閉鎖軍港のウラジオストクに代わりソビエト連邦極東最大の貿易商業拠点となったのがウラジオストクの東隣、ピョートル大帝湾の東端に位置するナホトカ港だった。
因みに「Находка」ナホートカはロシア語で「幸運な発見・発掘・掘出し物」を意味する。
大韓航空機撃墜事件
1983年9月、アラスカのアンカレッジ空港を出発した大韓航空 KE-007便 Boeing 747型旅客機が予定コースを逸脱してソビエト連邦領空を侵犯、「民間機に偽装したスパイ機」と認識したソ連極東防空軍のSu-15TM 戦闘機が迎撃、樺太(サハリン)南西沖の日本海上空で同機が発射した空対空ミサイルにより撃墜され乗員乗客269名全員が死亡した。
自分が初めてナホトカ港に入港したのは事件の翌年 まだ夜明けも遅い初春のことだった。
当時、撃墜現場付近の海域ではブラックボックスを既に回収したソ連海軍は捜索活動を装い続け隠蔽され事実を知らぬ日米両軍の艦艇が半年以上も必死で捜索を続けていた。
本船は空船で東京晴海を出港、浦賀水道を出て 速力15
. 5kt
スティーミング 約58時間、野島崎を経て三陸沖を北上、津軽海峡を通過後、針路285度に変針、日本海は天気晴朗波穏やかなり。
ナホトカ港 ETAは予定通り。
入港前の未明、当直中の事である、まだソ連の領海外にいる本船のレーダー60マイルレンジに真方位030度位から高速で接近する機影あり、船長がブリッジに上がって来て自分は目視確認の為に右舷側のサイドブリッジに出て煙草の先に火をつけ暗闇を視る。
暫くすると、まだ仄暗い北の低い空から高いターボプロップエンジンの音が聞こえて来て間も無く大型哨戒機らしき航空灯が超低空で接近、爆音で本船を威嚇するように船首マスト直上を横切る。
Tu-142M3ベア か。
暗くて機種は確認できない。
引かれて自分も左舷側に移り、目で追っていると哨戒機は取って返し今度は船尾を横切り、爆音と航空灯は北の暗い空に飛び去っていった。
国際船舶無線電話で何度、呼び掛けても ナホトカ Port Radio は応答せず、局長が焦る。
本船の外板は洋上荷役での接舷傷が目立たない軍艦色だが登録変更して度々北洋に上がる為にポンツーンハッチカバーと外板には国際呼出符号 コールサインが大きく記されている。
緊張するブリッジでは皆が「どんなド近眼の奴にでも見えるはずだろ」「航海灯は切れてないな?」と、言うように言葉で対空防御を始めた。
自分が「奴らは民間ジャンボ旅客機でも領空侵犯機は躊躇なく撃墜するソビエト極東防空軍
ソ連太平洋艦隊なら貨物船の一隻や二隻を沈めるくらいは朝飯前の軽いお散歩でしょう。」
と言うと船長は「ダー ダー」と頷き、VHFの受話器を握り締めていた局長は増々焦った。
「エージェントが入港通報を忘れて領海侵犯で撃沈。」
と自分の軽い冗談にブリッジは沈黙・・・・・
時期が時期だけに仕方ないが、笑える時に笑っておこう。
足掻いても死ぬ時は死ぬものだ。
本船の船位は捜索グリッド外にあって哨戒機はルーティンのパトロールとも思えるが撃墜事件以来、極東ソ連軍はピリピリしている。
入港の約30分前、やっとVHFにナホトカの航路管制から応答があり、局長が話す。
しかし緊張し焦っているからなのか・・・局長の英語が全く向こうに通じない。
ロシア訛の英語は聞き取り難い、局長に頼まれ自分が代わって航路管制と通話した。
海図にあるナホトカ湾入口航路浮標の №1ブイに向かい、管制に指示された針路を進む。
だが肉眼で確認できるはずの距離になってもブイは一向に見えて来ず、今度は自分も焦る。
船長、いやキャピタンはチャートを見て「ニェット ニェット」と首を横に振るが笑えない。
レーダーで湾の地形を確認しながら針路速力はそのままブイらしき反応に向かい直進する。
湾入口付近まで来てブイを視認できたが、点灯しているはずの灯浮標は真っ暗だった。
全く発光していなければ、どんなに目を凝らしても見えるはずがないOrz。
これが超大国ソビエト連邦極東最大の国際商業貿易港の入口なのか。
日本では経験がない事に首を傾げながら減速してナホトカ湾内の指定された描地に向かう。
指定描地に投錨後、主機を停止をする間もなく小型警備艇一隻がやって来て本船に探照灯を照射しながら一周したが臨検せずに帰って行った。
暗闇と爆音に緊張した長く騒がしい夜であった。
ブリッジの操舵・レーダー機器を落とし、航海日誌を書き終わると東の空が白み始めた。
極東共産圏の赤い夜明けである。
日出と共に甲板手が本船レーダーマストの最も高い所に赤いソビエト社会主義共和国連邦の国旗と検疫要請の黄色いQ 旗を揚げ、船尾マストに日章旗を掲揚した。
船内の日本時間と極東ソ連の時差が2時間ある為、早目に朝食を済ませてギャングウェイを降ろし書類を揃えて検疫と入港手続を待つ。
荷役デリックとハッチの準備も済ませて待つが、官庁職員もエージェントもやって来ない。
昼前になり、やっと入税関と代理店が乗船して来てサロンで入港尋問と検査手続を始める。
入港手続の最後にコーヒーを飲みながら航路ブイが不灯だった事を官庁職員達に告げたが、
彼らは笑らいながら「問題無い、何時か治る」と、答えて終った。
「何時か治る」・・・・・意味が解からん。
航路管制官も寝ていたのか?と疑いたくなる。
「Да, нет」 彼ら、ソヴィエツキィの回答は何時もテキトーであった。
彼らは持参して来た空のスーツケース一杯に暗黙に要求した高級酒やタバコなどの戦利品を詰め込んで満面の笑顔で下船していった。
社会主義超大国と称する USSRの公務員も東南アジアの後進国と同じスタイルである。
暫く待ち古いタグボートで大柄のパイロットが乗船、本船はアンカーを揚げて岸壁に向う。
ナホトカ港の港内には小型のフリゲート艦と警備艇が数隻が並んで停泊している。
ウラジオの様に潜水艦や大型ミサイル巡洋艦は見当らないがナホトカにも海軍基地がある。
ウラジオストクの太平洋艦隊艦艇
ソビエト海軍の水上艦艇は対艦巡航ミサイルや対潜ロケットの多連装発射筒と対空兵装の重装備に乗組員が多いブリッジやハウス周辺の大きさが特徴を持ち、トップヘビーな艦影は洋上で会しても一目で判る。
本船は古い大きな倉庫の前に接岸したが、ニコニコ愛想の良いパイロットは「祝いの乾杯」を求めて酒が出るのを待って帰ろうとしなかった。
хорошо。 本船の司厨長は用意が良い。
パイロットは嬉しそうに出された洋酒をキャピタンと自分にも勧めて「カンパイ!」と煽るように一気に飲み干し、司厨長に熱い抱擁をして機嫌良くブリッジを降りていった。
ナホトカ湾内には日本の経済援助でコンテナバースや木材埠頭が新たに建設されているようだが、本船の積荷「икра」イクラは市街地に近い旧港の冷蔵倉庫の中にあった。
この旧港の港湾設備やシベリア鉄道支線であるウラジオストク~ナホトカ間の鉄道施設建設に多くの日本人抑留者が使役されナホトカには生きて帰れなかった日本人の墓地もある。
春の沿海州は、まだ寒い。
本船の舷門下には東側軍の特徴的な大きな制帽を被り裾の長い外套を着た国境警備隊の兵士が自動小銃を背負い24時間立って本船のクルーと荷役作業員の出入りを監視している。
自分はタラップを降りて幼さを残す固い表情の若い兵に話し掛けたが彼は英語を話せない。
陽が暮れ寒くなり、「タバリシチ、ホーロドナ」と彼に暖かいコーヒーやタバコを勧めた。
彼の固かった表情は笑顔に変わったが、彼はイャポーニェツから何も受取らなかった。
自分は「同志は真面目だな君らの上官は皆美味しい事をしているぞ」とは言えなかった。
そんなことは言えない空気もあるが、自分のロシア語力では「同志の頭は、とても美味しいです。」としか言えなかったからであるOrz。
Интернационал СССР урааа!
VIDEO
党指導のスローガンを掲げた古い倉庫、クレーン、鉄道貨車、トラックなど総てが旧時代。
今や映画の中でしか見られない戦前と幾分変わらぬ港湾施設や東欧的な古い街並はノスタルジーを感じさせると同時に自分が目にした現実は、この国が世界一の戦略核弾道ミサイルと原潜保有国であることを俄には信じ難く、核の管理体制にも不安を覚えた。
本船に乗込んで来た夜荷役の作業員達が寒い寒いと言っては酒を要求してくる。
アルコールを大きな薬缶に入れて、ステベのリーダーに渡すがスグに無くなる。
本船のホールドは外より遥に寒い、熊の様な体格のギャング達はウオッカを水の様に飲む。
因みにタリー検数員は頭にスカーフをして太った白熊みたいな可愛いオバちゃんだった。
2日目の夕刻、荷役当直が終わり、自分は一人で街の散歩に出た。
ナホトカの街はノンビリして他のアジアの港街とは違う何とも言えぬ風情には郷愁がある。
漢字の看板やアジア人は見掛けず住民の殆どが白系スラヴ人で東洋であることを忘れる。
束の間のタイムスリップから帰船して間もなく、自分の船室ドアを誰かがノックした。
ドアを開けると先程デッキで少し会話をした大柄な作業員のリーダーが立っている。
彼は被っていたソビエト軍兵士が真冬に使うような大きな毛皮の帽子を自分に差出して片言の英語で何か物品と交換して欲しいと言った。
この国の一般市民はルーブルなら兎も角、円やドルなどの外貨は持っていない。
高価なミサイル原潜や対潜哨戒機、また多少の金が有っても街には物が無かった。
自分は買い置きしている私物のインスタントコーヒーや紅茶、タバコにライター、石鹸やシャンプー、チョコレート、お菓子など彼が欲しがりそうな物をベッドの下の棚から出した。
彼は大喜びし「アリガトウ」を何度も言い、渡した袋に入れずポケットや服の下に隠した。
日本では高そうな毛皮の相場など知らない自分は差し出してきた帽子を受け取らなかった。
彼はニッコリ笑い、大きな帽子にも物を入れ頭に載せて右手を伸ばし握手を求めてきた。
「礼はいいから、北方領土を返せ。」とは言わず自分は笑顔の彼と握手をした。
ただ内緒の意味で自分の口に人指し指を当て船室を出て夜荷役中のデッキに向かう。
固く断られても毛皮の帽子を何度も差し出す彼にはロシア人としてのプライドがあった。
だが、これを絶対に他の後進国でやってはいけない、クレクレタコラの行列ができる。
翌朝、自分と2/E、局長の3人で上陸、埃を捲き上げながら街を走る丸々太ったオバちゃんが運転する床に穴が開いて道が見えるオンボロ公営バスに乗り、Seamens Club に行った。
この国の女性が皆、毎日じゃがいもとカーシャを食べて太ったオバちゃんばかりではない。
少しダサいが若い娘は目一杯にお洒落をして歩く、この国のオネーちゃん達はキュートだ。
運転手、港湾労働者、時間が止まった街の人達は皆、素朴で親切、バスは無料である。
海員クラブの暗いロビーでマトリョーシカの横にイズベスチアやプラヴダと一緒に並べ置かれていた確か「ロシアの大地で幸せに暮らす日本人妻」というような表紙のソビエト共産党が発行した日本人向けの広報誌を読んで、そのプロパガンダの大嘘とアホらしさに吐き気がした。
紅茶を飲みながら接待してくたクラブの若い女性はロシア語と英語しか話さなかった。
すると暫く英語で会話した後に彼女は恐ろしいほど達者で流暢な日本語で話し始める。
自分の制服の胸にある漢字で書れた名札の職席と日本人でさえ難しい自分の氏名をスラスラ簡単に読んだ彼女はロシア訛も全く、日本の新聞雑誌も総て読めると言う。
なら初めから日本語で話せ。
自由主義西側陣営である日本の新聞雑誌を自由に読める立場にいると言う彼女はKGBだ。
この国では日本語でも 迂闊な事は話せないと言う事である。
国を守る空軍が269人を乗せた民間旅客機を撃墜した事など、この街の人達は知らない。
国家の監視対象は自分のように外国からやって来た西側自由主義圏の船員だけではない。
国家に忠誠を誓い機密に触れる軍人や官庁職員以外の工場や港湾労働者など一般国民も情報が統制され言論や行動が監視される。
ゴルバチョフが廃止するまで シベリアには政治犯が送られ強制労働させる強制収容所があったが、1984年の日本から来た自分にはソビエト連邦全体が閉鎖都市その物で国民全てが巨大な収容所、ラーゲリにいる様に思えた。
海員クラブを出てテクって帰船する途中、入港時に湾内で見た海軍艦艇の乗組員らしい若い水兵達に街で出会ったが、デカイ帽子とセーラー服が可愛いウィーン少年合唱団に見えた。
この国では海軍の艦隊勤務はエリートなのであろう、皆育ちが良い賢そうな顔をしている。
だがAKを背に暗い顔で無口に行進する警備隊列と擦れ違った時、先軍共産社会主義国家の先は短いと感じた。
主義と党を信じる赤いネッカチーフのピオネールの可愛い少年少女達の将来が気になった。
軍事施設周辺以外の観光は制限付き自由だったが、無暗やたらに写真を撮りまくるとスパイ容疑で拘束され取調べられフィルムは没収される。
入港4日目の夕刻、本船は腹一杯にイクラの箱詰を満載し日本に向けナホトカを出港した。
出帆祝いの乾杯をしたパイロットはウオッカを煽ってタラップを降りた До свидания。
ダスヴィダーニヤ СССР さよなら ロシア また来る日まで。
VIDEO
当時、自分達と反対にソ連船員の外地、特に西側諸国での上陸行動はソ連政府から厳しく制限されソビエト海軍艦艇と同じく、FESCO(ソ連極東海運)の商船にも船長と同等以上の権限を持たされた共産党の政治士官「Political Officer」が配乗され乗組員達の行動を監督監視していた。
これは中共の国営公司の商船も同じであった。
ソ連船乗組員が外国の港に上陸する際は必ず数人で集団行動させて亡命や裏切逆スパイ活動を阻止する為に乗組員同士が互いに監視し帰船後に政治士官、政治局員に行動を報告する。
また電子技術の知識も金も無い下級船員がメモを片手に日本製の電子部品を買い漁っていたのはCOCOM規制の下、日本から持出を指示された政治局員からの下令によるものだ。
自分はエージェント時代に万引で取調を受けたソ連船員を神戸で下船させ、在大阪ソビエト領事館に立寄り富山新港に入港中のソ連船に転船させ本国に送還した事がある。
年配の彼は入管を出てソ連領事館に着くまで怯え、領事館員は自分を笑顔で迎え入れた。
だが彼は別室へ連れて行かれ、その後は車や列車の中でも終始口を開かず、自分が勧めても何も飲まず何も食べず、富山で船長に引渡した時も黙り込み蒼ざめていた。
例え万引であろうが日本の官憲に取調を受け、連邦の顔に泥を塗り無駄な外貨を使わせた。
祖国ソビエト連邦に帰れば、重罰が待っているのであろう。
自分は東側共産主義圏の国に寄港する度に小中学校でソビエトを理想の国家、ユートピアと称賛し共産社会主義は素晴らしいと子供に説いた担任の先生達の顔を思い出した。
今の若い人達は共産主義シンパ、日教組の悪行を知らない。
学校の図書室にはマルクスやレーニンを始めロシア革命、戦艦ポチョムキンの叛乱、独ソ戦の勝利を讃えるレニングラードやスターリングラード攻防戦、ホロコースト、南京大虐殺や八路軍と毛沢東、白骨街道インパール、広島と長崎、沖縄戦、抗日パルチザンと朝鮮戦争、キューバ革命、ベトナムの父ホーチミン、ガガーリンとテレシコワ、文学はトルストイと蟹工船が目立つ場所に並べられていた。
今思えば一体、何処の国の学校なんだ。
全部読んだが平壌や北京、モスクワ放送を聴いていたバカなイワンには免疫があった。
また芸術作品と称しては学校の講堂で何度もソビエトの国策映画を何度も見せられた。
それも淀号、浅間山荘、テルアビブ空港乱射、ドバイ、ダッカとバカが暴れている際中に。
朝鮮戦争は米国の後押しで韓国軍が朝鮮人民共和国を攻撃して始まったと嘘を吐いた。
左翼は休戦協定後も北朝鮮は衣食住の心配がない「地上の楽園」と大嘘を吐き続ける。
米国のベトナム介入を人殺しと批難したがプラハの春やソ連のアフガン侵攻は知らぬ顔。
柳条湖とトンキン湾の二度目の攻撃は軍事介入の謀略だが共産勢力の南浸テロが原因。
反戦人権を言う、ベ平連はKGBからの司令と工作資金で活動していた共産主義工作員だ。
社会科の授業「ソ連の人は真面目に並びデパートの包装にも新聞を使い節約している。」
共産圏では物が無く人は並び、包装紙も無い故に何の役にも立たない新聞を使うのだ。
毒性が強いスローガンやプロパガンダで埋まる共産党機関紙など危なくてケツも拭けない。
「軍国主義の日本が土足で平和な中国に押し入って首都南京で中国の人を虐殺した。」
開戦を嗾けたのはコミンテルンと南京政府や軍閥に潜り込んだ左翼共産主義者どもだ。
1927年の南京事件、漢口事件、盧溝橋事件、大山中尉事件、廊坊事件、広安門事件、
これら全て支那軍閥内の共産党派が日本軍に仕掛けた戦闘だった。
「八路軍やソ連赤軍、パルチザンは人民の味方で敵だった日本人にも優しかった。」
何を眠たい戯言をほざいているのか? 寝言は寝て言え。
偏った認識と歪んだ己の思想を日本の公立小中学校で子供たちに吹き込むな。
ソ連兵や共産匪賊に連れ去られ犯され殺された日本人婦女子の遺族や墓前で言ってみろ。
尼港事件 、
葛根廟事件 、
敦化事件 、
小山克事件 、
通化事件 、
牡丹江事件 は教えない。
赤く気触れるにも程がある、無責任な思想洗脳や刷り込みは放課後に独りでやれ。
国旗国歌を疎かにし祖国の文化伝統に誇りを持たずして憲法9条に誇りを持てと言うな。
左巻教師が憧れた名ばかりの共和国は「地上の楽園」などではなく、中ソ紛争、柬越戦争、アフガン侵攻、中越戦争、ユーゴ紛争、ミャンマー内紛、チベット、ウイグル、平和と平等共存を謳いながら、共産社会主義国は少数民族の弾圧と周辺国とも戦争を繰返している。
20世紀、共産主義は人類に拠る大規模な生体実験、大量虐殺と血の粛清を繰返した。
21世紀、共産主義は独裁者と偽善者、貧困ビジネス利益集団の隠れ蓑になった。
信じる者は救われる。と言うウイルスや伝染病を撒く共産社会主義は20世紀の新興宗教。
一部の党幹部党員が大部分の人民を搾取する上下階級社会が一党独裁共産主義国の実態。
人間の個人個性を見ず、細胞や階層、集団と見て人を家畜化する共産主義に未来はない。
共産主義を信奉する日教組な先生方は子供達の教育を受ける権利よりも労働者として権利を主張し公務員と教育者、大人の義務を放棄し、己の給与や待遇改善の為に労働争議を起こしストライキを強行して自分達子供に小中学校を休ませた。
それを指摘した自分を担任の先生は真っ赤になって怒り教室から出して廊下に立たせた。
小生意気な反動反革命分子を修正した心算か。
ブルジョワな独身BBA教師のヒステリーな言論統制、ただの口封じだ。
小中学生すら口で説得できぬ無能教師が強権共産社会主義国家を理想郷などと言うな。
共産主義は思想ではなく、人を無視した科学、カルト宗教、伝染病である。
極東ソ連で水揚げされたサケ、イクラ、ニシン、カニなどの豊富な水産物も殆どが外貨獲得の為に輸出され一般家庭の食卓には並ばず滅多にソビエト国民の口に入ることはなかった。
イクラ丼も食い飽きた数航海後、再びナホトカに寄港したが航路浮標は壊れたままだった。
哨戒機を飛ばし警備艇で出迎える金が有るならバスの床と航路ブイの故障くらい修理しろ。
過大な軍事力と最低限の衣食住と公共事業、何ともバランス感覚に欠ける国だと思った。
2度目のナホトカ入港時は撃墜事件は終息して警戒体制は解かれ軍事費の余裕も無くなったのか、派手な出迎えは無かった。
この頃は既にソビエト連邦には共産党政府の言葉を信じる人民は殆どいなかった。
8年後、ペレストロイカはベルリンの壁を壊し東西冷戦は第三次世界大戦に発火する事なく
1991年
СССР ソビエト連邦は崩壊、地上から消滅した。
しかし、これは社会主義経済体制が自爆したのであり、東側が西側に軍事的に降伏したのでなく、ワルシャワ条約機構軍は解散したが当然、NATO軍に拠る武装解除ではない。
また一部を除き、ソ連邦から離脱した国々に於いても、旧ソビエト軍の主力装備はロシア連邦軍が、引継いだが、ソ連からロシアに変わっても依然、国の経済状態は苦しく、肥大した軍は予算も取れず兵器の整備はおろか兵士の給料にさえ事を欠く。
1976年、ソビエト連邦極東防空軍の若き将校ヴィクトル・ベレンコ中尉(29歳)が、祖国を捨て当時ソ連空軍最新鋭迎撃戦闘機 MiG-25Pでウラジオストク北東チュグエフカ基地を離陸し函館で亡命を求めた時、既にソビエト連邦の腐敗は進んでいた。
1992年にはウラジオ近郊のルースキー島にある海軍兵営が孤立して上官が数ヶ月もの間食糧を補給することを怠っていた為、兵士4名が餓死し、数百名が入院する事件も起きた。
精鋭偵察部隊、スペツナズも上官の怠慢と餓えには勝てない。
ソ連邦最後の書記長、初代大統領 ミハエル・ゴルバチョフは冷戦を集結させ西側では人気があるがロシア国内では評判が悪い。
あの時、故障したナホトカの航路ブイを「何時か治る」と言った意味が解かる。
当初、灯火管制とも考えたが、社会主義で国際経済競争力と政治的影響力を先軍政治体制の失策で財政資金を失ったソビエト連邦は極度の金欠状態に陥っていた。
だがソ連の軍人や官庁職員達が国には金が無い給料も未払いだと外国人には言えない。
当時、日本が経済支援して北方領土を取り戻す機会は絶対に今しか無いと自分は思った。
東西両陣営が必然的に軍縮に向かうのは喜ばしい事であったが核兵器や艦用原子炉の解体には更に多額の予算が必要であり、米国をはじめ西側諸国がこれを支援する事になった。
ロシア海軍に引継がれた Soviet Navy Akula class nuclear attack sub アクラ級 攻撃型原潜
冷戦時代からソ連邦は日本海や北海などに老朽化した原子炉と放射性核廃棄物を大量に投棄して現在、把握しているだけでも過去に10隻以上の原潜を世界中の海に沈め、核弾頭装備のSLBMと核魚雷も50発以上が回収不能であり少なくとも日本海に2基、オホーツク海に1基の艦用原子炉が投棄されている。
冷戦が終結した今日現在も日本海やオホーツク海ではロシア海軍のミサイル原潜が攻撃目標に照準を定め艦隊司令部からの発射命令に備え行動している。
1985年8月 ウラジオ港外での原子炉爆発事故を起こした エコーII級 巡航ミサイル原潜 K-431
1986年10月 ミサイルベイの爆発火災事故で沈没した ナヴァガ級 弾道ミサイル原潜 K-219
これまで海底に放棄された核弾頭や原子炉は人為的に起爆させない限り核爆発は起こさないが、水圧に拠る圧壊や腐食により大量の放射線物質が漏れ出している可能性は非常に高い。
現在、中朝の技術で多装ミサイルベイを持ち深く静かに潜航する近代艦の建造はできない。
例え廃艦同然の旧型でもロシア海軍のミサイル原潜と技術を中朝に譲渡させてはならない。
ロシアは大きな原発事故を経験しながら原発を増設し、鉄道ですら安全に運行できず埋めてしまう中共は90基以上の原発稼働を目指している。
旧ソ連型の原発はチェルノブイリだけではなく、旧東側諸国には、多くの旧型原子炉が稼働残存し、これまで旧東側諸国やフランスをはじめ欧州の原発所有国も汚染水を流している。
韓国政府は福島など8県産の日本からの水産物輸入を禁止強化し「世界に迷惑を掛けている日本は五輪を辞退するべきだ」と日本を批難した。
これまで何度も原発の故障に拠る緊急停止やメルトダウン寸前の事故を起こして、有害化学物質を含む大量の産業廃棄物も海洋投棄しておいて澄まし顔で韓国が言うな。
だがこれら日本にも影響する隣国の事実について福島に粘着するマスコミは何も言わない。
タロー・ヤマモトよ、貴様が安心して住めると言う場所は地球上に存在しない。
新しい極東の安全保障経済戦略
中国は北朝鮮との血盟共闘を謳いながら停戦休戦を自国の覇権に政治利用してきた。
中共は尖閣・沖縄・台湾などの諸問題を有利に進める為に北朝鮮は金王朝が滅亡するまで
必要悪として中共の国益都合に合わせ外交の駆け引きの条件や交渉材料に使う。
北朝鮮の核問題の解決を直接協議する6カ国協議の議長国を中国にさせたのが大間違い。
元締の中華マフィアの親玉が子分の組員を厳しく監視して更生させるなど悪い冗談である。
2013年現在、ロシアのハサン~北朝鮮の羅津間の直通鉄道(同ゲージ)が開通した。
ロシアは最終的には韓国まで直接乗入れたいと考えているはずである。
また北の若い三代将軍も中共とは距離を置き、ロシアと日本への接近を謀ろうとしている。
これは父、金正日の「中国は歴史的に我々を最も苦しめてきた国であり、南朝鮮と手を結ぼうとする最も警戒すべき国となる中国を今後は信用し利用されてはならない」の遺言の警告に従っている。
ソ連は北朝鮮の実母で中共は北を育て援助して来た御母だったがソ連は他界した。
核弾道ミサイルと潜水艦技術を持つロシアを北朝鮮に必要以上接近させてはならない。
暴走をやめないバカ息子 北朝鮮の抑制に近しい義母ロシアの協力が必要となる。
ロシアのプーチン大統領は時に親中的な発言もし、アムール川を渡して中国国内の黒竜江省までガスパイプラインも敷くが親中ではない。
露中国境のアルグン、ウスリー川 中島はロシアが実効支配し長年に続く露中間の領土問題。
ロシア国内で反対デモが起こったにも関わらず、プーチンが中共に譲歩する形で島を割譲し国境線を確定したのは、1969年にウスリー川の中州でソ連国境警備隊と中国人民解放軍部隊が武力衝突を起こした中ソ国境紛争(ダマンスキー島事件)や尖閣諸島と同様に中共が「沿海州は元来中国の領土であり、ロシアが清国から不平等条約で盗んだ。」と言い始めたこともある。
緩衝地帯であった満州国をソ連の支援により、支配下に置いた中共は長く国境線を接する事になり、冷戦下の中ソ対立は終わった様に見えるが、中露は互いに警戒している。
また極東ロシアに在留する中国系と新たに流入した中国人の人口が増え続け白系ロシア人の地位と自治を脅かし始めプーチンは沿海州がチェチェンの二の舞になる事を危惧している。
やがて中共は欧州への西進路上にある中央アジアの旧ソ連衛星各国の覇権取込みを謀る。
極東だけではなく、シベリヤ・中央アジアへの中共資本や中国企業の進出をプーチンは歓迎しない。
海洋覇権を狙う現在の中共にはロシア南下のトラウマから背後の軍事力が脅威になる。
北朝鮮の中共離反とロシア親密化は極東地域に於いて中共への有効な抑止牽制手段だ。
一党独裁の中共が急激に軍拡を続け周辺諸国と領土紛争を起こしている現状に於いて朝鮮半島の南北にロシアが影響力を増し中共への集権を牽制するのは悪い事ではない。
現在、ロシアは天然ガスパイプラインを敷く事も南北朝鮮と協議している。
日本へのガス輸入を朝鮮半島経由で強力に進めようとする議員と企業が日本にいる。
アホか。
我儘と上から目線の気分次第で元栓や中継バルブを締める国に頼り、日本の首を絞めるな。
天然ガスはロシアから直接日本に輸入すべきである。
以前も書いてきたが日本が天然ガスをロシア一国に依存するのは危険であり、これまでもロシアは自国国益の為に幾度となく約束を破ってきた国であると言うことを前提に極東・北東アジアの安定と中共の覇権を抑える為にも日本とロシアは公平な経済関係構築を目指すべき。
今回、カナダを訪問した安倍首相がシェールガス輸入をカナダと合意した事はロシアと他輸出国への価格競争を促進する事にもなる。
産出国と勘違いする朝鮮半島経由より、冷却液化して太平洋を運ぶ方が、まだ安心できる。
2016年頃にはパナマ運河の拡張工事が完了して米国産シェールガスの輸送コストが削減。
またロシアも北極圏ヤマル半島のLNG基地から砕氷大型タンカーによる東回り北極海航路の運航を目指している。
更に米国アラスカ北部ノーススロープ産の天然ガスをパイプラインを使い不凍港のアラスカ南部のニキスキーまで送りプラントでLNGに液化積出する基地が完成すれば、日本への輸送距離はロシアを除き最も近距離のLNG仕出港となる。
同時に日本は日本周辺領海内の海底資源採掘と実用化を一日も早く始めるべきだ。
環太平洋同盟 対 中華圏同盟
現在、米国民の半数以上が朝鮮半島の南北有事に不介入を支持している。
南は休戦に胡坐をかき堕落したが、北は戦時臨戦体制で核ミサイル開発を続けている。
共和国が余程のバカでない限り、やがてICBMもSLBMも核弾頭の小型化も成功させる。
半島有事の際、米韓同盟下の在韓米軍基地や駐留陸上兵力は大きな被害を受ける。
また戦時作戦統制権が米韓連合司令部から独立し韓国軍は韓国軍司令部に移管される。
在韓米軍司令部は実戦で韓国軍司令部と共同で米韓連合軍を指揮するのは御免である。
朝鮮人民軍に特別な動きが無い限り、在韓米陸軍主力は朝鮮半島から退き海空支援と限定機動的な陸上支援に移行する。
事実上の防衛ラインを対馬まで下げる事になり、韓国の政権は中共に擦り寄るのは明らか。
冷戦下ではない韓国経済を米中が、どれだけ支えるかで事大半島の南政権は未来を決める。
ロシアは再び南下政策を経済的に始め、古来、南北朝鮮半島の扱いをよく心得ている中共は韓国に経済という飴をぶら下げ煽て多くの工作員が韓国国内で反日米・親中に動く。
鴨緑江を渡り人民義勇軍に50万以上の戦死者を出した毛沢東より、習近平は狡猾だ。
利用価値が衰えた北朝鮮より経済成長した韓国を取込み日米韓同盟関係を崩そうとする。
事大主義と反日から抜け出せない韓国の現政権は宗主国、中華圏への回帰に益々走る。
環太平洋同盟と中華圏同盟との冷戦は再び朝鮮半島を舞台に既に始まっている。
中共の海洋覇権拡大、制海空権確保、資源領土欲から東シナ南シナ海での対決も深まる。
最近、中国海軍は東シナ・南シナ海だけではなく、小笠原周辺海域でも動きを活発化させていたが、今年7月には参院選の隙を覗う様に対馬海峡から日本海に入りウラジオストク沖でのロシア海軍の演習に初参加後、宗谷海峡からオホーツク海に入り、択捉海峡を通過、中国海軍の水上艦艇が初めて日本列島を一周回航した事を自衛隊も確認対応している。
中共は朝鮮半島情勢も睨み新しいシーレーンとなる北極海航路への干渉力を強めて来る。
これは単なる中国国内外向けにアピールする航海訓練などではなく、日本列島の防衛力偵察を兼ねた洋上補給訓練を伴う艦隊回航演習であり、有事の際には当然、日本周辺海域に展開し日本本土に陽動攻撃を掛ける作戦を中国海軍が立案していると言う事である。
これらの結果、極東の勢力図と時代は、日清戦争以前に巻き戻される事になる。
明朝時代から朝鮮半島は極東の火種、火薬庫であったが未だに、それは続いている。
明、清、露、日、米、何処の国も半島に関わると碌な事が無かった。
これまで地政と安全保障戦略上の要衝であったが朝鮮半島には、それ以上のリスクがある。
盧武鉉が言う「韓国は北東アジアのバランサー」などではなく、アンバランサーだ。
韓国は米中の間に立っているのではなく、立たされていると言う事に全く気付いていない。
そればかりか韓国は立場を踏まえず、反日に奔走し日本を外しを米国に呼び掛け、米中間の架橋、つまり韓国が北東アジアを動かす基軸国になったと上から目線の勘違いをしている。
米韓の軍事同盟が日米軍事同盟と同等以上に重要な同盟関係には成り得ないと言う現実現状を韓国政府も韓国国民も、その特異な国民性からミスリードしている。
米国は朝鮮戦争休戦後、韓国を守る為に陸上兵力を配置したのではなく、朝鮮半島を主戦場とし、防共の際前線、隔離海峡、地政学軍事的要衝と見ている事を韓国は理解すべきだ。
東西冷戦の終結以降、それは如実に表れ共産主義に対する橋頭堡としての価値は下がり、中国や北朝鮮は一党独裁国家であって共産主義とは言えず思想的同調者もいない現状がある。
米軍兵士の血を流し多大な経済的損失を出しながら、単なる同民族間の対立になりつつある半島の北から南を守る義理もメリットもないと経済状況も厳しい米国民は考え始めている。
仮に血を流し守り抜いても、北に中に掌を返す蝙蝠国である事も理解出来たのだろう。
韓国は北が動くか中国経済が停滞すれば、またこちらへ擦り寄って来るのは間違いない。
また中共が横暴露骨になり、韓国国民自身が中華圏に吸収される事への危機感を持ち始めれば、再び日米に頼って来るのは必至、また韓国政府高官が日本の集団的自衛権行使に反対しないのは北朝鮮と中共の軍事力に怯えているからだ。
中共と歴史問題を共謀して日本外し二股外交を続ける韓国政府に対して米国政府は間もなく日本との関係改善を厳しく要求する。
しかし日本は日本を貶める国に対し、日本から手を伸ばし接近する必要はない。
日本政府は「韓国は史実を学び、これからは日本の内政に干渉するな。」と言えば良い。
何れにせよ、すぐに陣営復帰限界点が来る韓国は併合以来、再び決断を迫られる事になる。
日米政府の過ちは安全保障と同盟関係を重視するあまり韓国のおかしな言い分や身勝手な行動に頭から反論せず沈黙、また容認して来た事である。
中ソ対立、南北対立が激しかった冷戦の終結までは日韓・日中関係も良好であった。
東西イデオロギーの対立に代わり、遺伝的民族思想主義の対立が始まっている。
緊箍児を外された猿の様に縛りから放たれた中韓は義理や援助国の支援も忘れ暴走する。
日本や西洋列強は小さな国土と貧しさ故に外地に活力を求めたが、中華は西洋とは違う。
古来、中国は富と力を手に入れるほど野心と欲を外へ膨らませて来た国である。
中華思想の一党独裁国家に対し、経済的な関係だけでは良好な友好関係は築けない。
米国が安全保障問題で同盟国日本を裏切る事はない、しかし経済は別問題だ。
資本主義国家である限り米国は自国の経済利益を最優先にする。
米国は軍事費削減、また通商経済の観点から中共や中東に対して、これまで通りの強い態度では望めなくなり、その影響力を弱めている。
米国民主党政権内や国防部内にも親中チャイナコネクション、パンダハガーは存在する。
日本は米国だけでなくアジア諸国やインド、中東、豪州、欧州と経済、安全保障交流を深めるべきだ。
中共は南シナ海、台湾、尖閣を諦めず経済と政治で米国と台湾を内部から浸食し続ける。
台湾が陥ちれば尖閣・南西諸島もドミノ倒し日本の生命線であるシーレーンが失なわれる。
地域経済戦略と切り離して日本は賢い安全保障戦略は立てらない。
新しい日露関係
日本に対し友好協調的な発言をしているロシア連邦共和国ウラジーミル・プーチン大統領
プーチンは柔道を愛好しているが日本を特別に愛しているのではない。
彼は通商と安全保障のパートナーまた商談相手として日本を認識し理解しようとしている。
プーチンは自分を首相に指名したエリツィンを信奉せず、ソ連崩壊までゴルバチョフを尊敬していた元共産党員の秀才で優秀な諜報ビジネスマンで武道を心得え文武両道を実践する戦略家。
KGB、FSB出身、レニングラード産まれの彼は強いロシア復活を願う生粋の愛国者だ。
「ソ連が恋しくない者には心がない、ソ連に戻りたい者には脳がない」それを表す彼の言葉
ソ連邦崩壊後、汚職腐敗が更に進んだロシアには、多少独裁的であっても信念を曲げない賢く強い指導力が必要であり、プーチンはこれまでロシアの長老指導者達にはいないタイプの新世代指導者でロシア人として強いプライドもある。
「強いロシア」 資源エネルギーを制する者が勝利する事を彼は良く理解し実践している。
だが技術開発や工業製品生産を疎かにし資源輸出だけを柱にする経済では国は発展しない。
プーチン自身も資源エネルギーと軍需産業に依存するだけでは真の強国にはなれない事を理解し、ロシアの工業を発展させ国内生産に注力し産業経済の構造改革を行おうとしている。
西方から東方にシフトを進めるロシアの民需産業育成に日本からの技術協力と経済援助や日本への資源エネルギー安定供給と収入をプーチンは歓迎する。
ただ多種多様な兵器を中共にライセンス提供しているロシアは中共をライバル視しながらも日本が取込む事は容易ではなく、また日露の友好関係に中共が横槍を入れて来る事は必至である。
またプーチンは大統領就任以来、日本とグルジアを除くロシアと周辺諸国間にある殆どの領土問題を解決し、日本との領土問題解決にも柔軟な姿勢を見せている。
ただ、どんな人間でも長く権力の座に座れば思考も変わるものだ。
今日現在のロシアには領土拡大の意欲はなく、ワルシャワ条約機構軍の解散後はNATOに押され続けたロシアの同盟軍は弱小化され東欧や黒海・コーカサス地域では経済軍事両面で投資を行ってきたウクライナやグルジアなど旧ソビエト圏諸国を繋ぎ止める事に苦慮している状態である。
北方領土
日本北東端、北海道根室半島の沖合に位置する自然豊かな歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島 これらの島々の総称、四島の合計面積は5,003 km² 福岡や千葉県に匹敵する。
1945年8月8日、ヤルタで密約を交したスターリンは8月6日に広島に原子爆弾を落とされ講和を模索する日本に対し日ソ中立条約を破り、対日参戦を決定し宣戦を布告、終戦の僅か6日前の8月9日に樺太・千島・満州・朝鮮に侵攻を開始する。
日本のポツダム宣言受諾後もソ連赤軍は停戦せず南侵を続け多くの民間人を殺害して略奪と強姦を繰返し、同年9月5日迄の間に北方四島の総てを侵攻占領した。
終戦当時、北方領土にロシア人は一人も居住しておらず、四島には約1万7千人の日本人が住んでいたが、翌1946年にソ連は北方四島を一方的に自国領に編入し、1949年までに総ての日本人を強制退去させて以来、今日に至る迄までロシアによる不法占拠・実効支配が続いている。
北方領土を自分が初めて実際に目の前にしたのは今から約30年前に水産庁チャーター船に乗船し北海道沿岸に長期漂泊し水産資源を調査していた時だった。
ソビエト連邦時代の当時、多くの日本漁船がソ連の国境警備隊艦艇に頻繁に拿捕や銃撃されており海上保安庁の巡視船が日本漁船とソ連の警備艇の間に割って入るなどして注意喚起し拿捕や銃撃から漁船を守っていた。
実効支配されてから拿捕数 1302隻 9023名以上 沈没・放棄 26隻 死亡30名
戦後、捕虜にした約80万の日本人をシベリアに抑留し強制労働で酷使して10万人を殺したうえ北方領土を盗んだ火事場泥棒のソ連が連合国、戦勝国側で日本を戦犯として裁き、更には国連の安保理事国になったのはおかしな話である。
戦前の南樺太、千島は国際社会から認められた大日本帝國の正当な領土及び統治権益地であり、日本が武力により侵略したものではなく、また択捉島以南の北方四島は一次大戦以降に武力に拠る占領や国際条約で日本が得た領土ではない。
北方四島は開国前より日本の施政下に置かれていた日本固有の領土である。
また1855年の日露和親条約に於いて択捉島と得撫島間に日露の国境線が確定され、帝政ロシア及びソビエト連邦領であった事は一度もない。
ポツダム宣言 「日本が国民多数に拠る平和的政権を成立すれば連合軍は日本から撤退する」
北方領土に居座るロシアはカイロ宣言の条項を引き継ぐポツダム宣言にも明白に反する。
カイロ宣言 「日本は1914年の第一次世界大戦以降に占領した太平洋の全島を失う」
1875年の樺太・千島交換条約に於いて日本は樺太の権益を放棄し、得撫島以北、占守島までの千島18島をロシアが日本に譲渡し、更に1905年のポーツマス条約でロシアは樺太の北緯50度以南(南樺太)の領土を永久に日本へ譲渡した。
厳密に言えば、日本は歴史事実や条約に基づき北方四島の領有権を主張するだけではなく、樺太の南半分の返還も要求しなければならない。
しかしソビエト連邦が崩壊した際に領土返還の機を逃したのは日本政府の怠慢もある。
ヤルタで密約を交わした米国も沖縄返還を盾に日露条約締結と返還交渉に圧力を掛けた。
現在は大日本帝國とソビエト社会主義共和国連邦、東西イデオロギーが対立する冷戦下ではない。
ソ連邦政府に拠る計画的な移住であっても戦時下でない平時に於いて多く島民を強制的に追出し、新生国家ロシアに旧ソ連邦の全責任を負わせ、四島一括返還要求を飲ませるのは困難である。
如何に歴史が歪曲され条約違反があろうが外交も軍事上も実効支配している側は強い。
日本に多くの犠牲を払いフォークランド紛争シーズン2を始める覚悟や対価があるか。
安保理常任理事国でもある軍事大国ロシアはアルゼンチンのようにはいかないない。
日露有事の際、日本列島へのロシアの軍事的な直接脅威はシベリア極東のIC・IRBM、オホーツク・日本海・北太平洋に潜む原潜のSLBMやミサイル巡洋艦及びTu-22M3 バックファイア中距離爆撃機やTu-95MS ベアなど戦略爆撃機が遥か彼方、日本の防空圏外から一斉射される多数発の核巡航ミサイルである。
また日本とロシアと領土を争えば中共の思う壺、中共は必ず尖閣で動きを見せる。
東シナ海とオホーツク海とで両面戦を強いられ、先の大戦の轍を踏むのは愚かなことだ。
それはロシアも同じで西方で燻ぶり経済が辛くなれば、東方に安定と収入を求める。
北極海航路と太平洋への進出、尖閣諸島を狙う中共は北方領土返還を妨害している。
頑なに四島一括返還を要求する事はロシアを外交交渉の場から逃がすも同然である。
ロシアは共産主義国家から表向きは資本主義国になった。
現在、ロシア国内でのプーチン大統領の人気は高いが何時か政権は終わり、指導者が変わっても長く維持できる関係を日本は構築するべき。
北方領土の返還交渉は具体的且つ速やかにプーチンが大統領在任中に開始しなければ次の機会は何時になるか先は見えない。
内圧に弱い大統領が国民を諭し反対を押切って実効支配している領土を返還する事はない。
領土問題解決を前提にした日露平和条約は安倍・プーチン政権下でしか締結できない。
しかしプーチン大統領も四島を返還する心算は無く、特に択捉島は絶対に手放せない。
沖縄本島より広い択捉島には嘗て真珠湾攻撃に帝国海軍の空母機動部隊が集結した天然の良港 単冠湾やレアメタル等の地下資源があり、ロシア政府は択捉島をサハリン州のクリル管区に編入、国後・歯舞・色丹の南クリル管区と行政府を切り離して公共投資を行い水産業や金鉱業に力を入れ国際空港も建設している。
東西冷戦以降、オホーツク海の地勢的な価値、戦略上の重要度は格段に上がっている。
何より択捉島はロシア太平洋艦隊にとり水上艦艇が威嚇無しにオホーツク海から太平洋に出る為に重要な水道海峡要衝であり、オホーツク海周辺の制海空権を握る極東防空軍の最東端の防空基地として機能しているからである。
だがロシアは欧米NATOとの確執、旧ソ連邦地域での影響力維持に国力を削がれ極東地域にこれ以上多額の投資を行えない。
東方シフトを加速させたいロシアも北方四島を自国領土として実効支配は維持できるが極東地域、樺太・千島列島の開発発展には外国資本の経済技術協力が必要になる。
特に北方四島の開発協力は中韓ではなく、必ず日本政府・企業の手でやらなければならい。
プーチン大統領が「引き分け」と言った言葉の意味を1956年の日ソ共同宣言の条文に記載された平和条約締結後の歯舞・色丹の二島返還の事だと日本側は解釈しているが、四島同時返還に拘りロシア側にも利益も考え無ければ交渉協議は難航する。
ロシア政府が開発を進める択捉・国後とは違い、歯舞・色丹の劣悪な道路整備状況やインフラ投資の度合を見ればソ連時代から最近まで二島は返還に応じる意思があったことが判る。
では日本政府はどう動くべきか。
先ず日本は北方領海に深く突き刺さる歯舞・色丹・国後と豊かな漁場、水産資源の一部を取り戻すと同時に日露で日本海以北の安全保障を確保する。
自分は国後水道を分割して国境を確定し国後は非武装地帯、日露の経済協力と文化交流の特区とすることが落とし処だと考える。
国後を明確な日本の領有施政権下に置きインフラ整備と自然保護やリゾート観光への投資を行い、ロシア人島民には在留資格・永住権を与え希望者には日本国籍の取得も認める。
現在、在日駐留米軍がいるように択捉島に限り在日駐留ロシア軍を認める方もある。
択捉と他サハリン州や沿海、ハバロフスク地方などロシア極東地域の資源共同開発や産業や漁業に協力参入する。
安全保障面では海保とロシア国境沿岸警備隊、自衛隊とロシア軍との合同訓練や安全会議などの現場間交流を増し連絡網と信頼関係を構築、領土・領空・領海での緊張緩和を目指す。
領土問題解決と平和条約を締結は日露両国にとって共通の利益となることをロシア国民にも充分に理解させることが重要である。
朝鮮半島全域、東シナ、南シナ海全域を勢力圏下に吸収しようとする新中華圏の覇権主義に対抗する日米にはロシアの協力が必要になる。
その為にも日本は北方領土の返還を要求しつつ、ロシアとの経済・軍事の協力関係強化への意欲を示すべきであろう。
日露の関係親密化は日本の同盟国の国益、即ち米露関係にもプラスに働き、北東アジアの安定に繋がることを米国政府にも理解させることも必要だ。
遥か国後に白夜は明ける。
だが東京とモスクワは7,484km 約4,041海里の距離と6時間の時差がある。
ソ連時代より速くなったとは言え日本とロシアでは時の流れ方の違いを忘れてはならない。
軍事力行使の決断は速いロシアも外交交渉による国境確定や条約締結には時間を掛ける。
柔道のように日本が一歩詰めれば、一歩引くのがプーチン・ロシアの外交交渉の形である。
ロシア外務省の国粋主義官僚、対日強硬派の古参、政治家ではない外相セルゲイ・ラブロフは平然と大嘘を吐く癖者だ。
日本人がロシアを信用出来ないようにプーチンも米国の影響下にある日本を信用出来ない。
産業改革なくして資源の切売だけではロシアの経済発展はなく、中共の二軍に成り下がる。
当然、中共と日露米国内の親中派も日露平和条約決裂を画策し、安倍プーチン叩きをやる。
故郷の島を盗まれ今でも北方四島に帰りたい高齢になった島民の方達には気の毒である。
だが戦後70年も待った日本は長い目で未来を見よ。
日露に平和条約締結は必要でも今さら日本が焦り間違った妥協終結をすべきではない。
この複雑な北東アジアにある日本。
日本は何時までもロシアを旧ソ連や北方領土など局所的視点だけで見ていてはいけない。
我々は日本の将来を長い目で見て真の国益に叶うものは何かを考えなければならない。
ソ連時代から日本と国境を接しながらも近くて遠い国であったロシア。
日露が外交や安全保障、経済交易、市民レベルの文化交流でも真に近しい国になる。
日露平和条約の締結は互いの国益に叶い極東地域の安定にも好ましいことである。
一番の問題は昔からソ連もロシアも政府が平然と嘘を吐き約束を守らないことだ。
うちのウルトラスーパー パルナス部長とロシアの美人妻ナターリアの話しは、また今度。
極東の領土・外交・エネルギ―・安全保障問題を書いた 過去ブログ
Empire of the Sun 8 「太陽の帝国」その8 大日本帝國
Empire of the Sun 10 「太陽の帝国」その10 満州事変
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38th parallel Military Demarcation Line 38度線 休戦協定破棄 「朝鮮戦争 1950 KOREA」