
学校や市教委ってなんなんでしょうね…
自己保身に走り…
色々言い訳してみたけれど…
辻褄が合わなくなって来ている…
でもプライドと保身で引っ込みがつかなくなっていて…
空しい遠吠えをしているんだね…
こんな茶番をしている大人たちに自分たちの子どもは任せられないなぁ~…
自分たちの子どもは自分たちで守らないといけないね…
そうして自分たちの子どもを絶対に加害者にしない様に…
我々親たちは最大限の努力をしなければならないンだよね…
良かったら下の文章をご一読ください…
一寸古い物ですが、子ども達に読んで聞かせたい文章だと思いました。
以下朝日新聞デジタルより転載
《いじめている君へ》
玄侑宗久さん
■軽々しい同調やめよう
周りがやると、空気を読んで、いじめに加わる。他人に軽々しく同調する。それが後にどれだけとんでもない結果を招くか、君は考えたことがあるか。
人生には失敗もあれば挫折(ざせつ)もある。やり直しもできる。しかし、やり直せないこともある。いじめられて人生をゆがめられた人間は、君を許さない。謝(あやま)っても決して許されない。君は見ないふりをするかもしれないが、その事実は変わらない。これは君が考えるよりずっと重たいことだ。
君の親は、我が子が被害者になることは心配するが、加害者になるかもしれないとは思っていないのだろうか。親は子をつぶさに観察し、いじめがあれば断固(だんこ)として叱(しか)らなければいけないんだけどね。君だって本当は叱られるのを待っているんじゃないか。
東日本大震災では、かけがえのない家族、友人、財産、思い出を失った人たちが己をなげうって助け合った。被災地・福島に住む私は、巨大な危機の中で、人々が争いではなく、助け合いの道を選ぶ姿を目の当たりにしてきた。
人の心には光と闇(やみ)が重なり合う。でも、奥底にあるのはやはり光だ。もちろん、君の心の奥にも光がある。自分の意思で行動する力も備わっている。
人生を一つの作品ととらえて励む。それを修行という。誰だって過(あやま)ちは避けられない。過ちが作品の味わいとなることもある。だが、誰かをひどく悲しませる過ちを犯すと、自分という作品に決定的な亀裂(きれつ)ができる。君自身が自分を嫌って生きることになる。
他人に安易に同調するのはやめよう。誇(ほこ)りを持ち、君の意思で君らしい作品(人生)を作り上げていけ。
(げんゆう・そうきゅう、作家・僧侶)
《いじめられている君へ》
内藤大助さん
■相談はカッコ悪くない
いいか、絶対にあきらめるな。いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ? 俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。
俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。
北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。
家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。
中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだ」って叱られた。理由も聞いてもらえず、つらかったな。あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだけど……。
高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。
強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。暴走族に誘われたら、入っていたよ、たぶん。
そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。
入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。
ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。
「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。
俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。
(ボクシング元世界王者)
《いじめを見ている君へ》
江川紹子さん
■声をあげて 自分のためにも
いじめを見たり聞いたりしても、誰かにそれを伝えるのは大変かもしれません。今度は自分がいじめられるかもって、不安になりますよね。でも、気がついた人が言わないと、その子は助からないんです。
中学校のころ、クラスで少し避(さ)けられている女の子がいました。男子から容姿(ようし)をからかわれていました。仲良しの女の子が1人いたことで、深刻ないじめにはなりませんでした。
でも、卒業後しばらくたった後の同窓会で、仲良しだった子が言ったんです。「あの子、亡くなったよ」。場がシーンと静まりかえりました。原因は病気でしたが、みんな心のどこかに、あのころのことが痛みとしてあったんです。
いじめられた子が自殺したり後遺症(こういしょう)を残すけがをしたりしたら、周りの人たちはすごく後悔することになります。いじめを傍観するのも、いじめの一種。被害を出さないためにも、自分が何もしなかったことでしんどい思いをしないためにも、声をあげてほしい。
イスラエルという国で、兵役(へいえき)を拒み、パレスチナ人への迫害をやめようと声をあげた若い女性がいました。周囲から無視され、批判もされたけれど、私にこう言いました。「自分自身に正直であることが一番ハッピーなんだ」って。
大人の社会にも不正はあります。だから偉そうなことは言えませんが、いじめを知ったなら、信頼できる大人に知らせてほしい。
子どもの世界のことは、子どもが一番よく知っているでしょう? 担任が信じられなかったら他の先生でもいい。学校以外の人でも構わない。あなたの声に耳を傾けている人はきっといますから。
(ジャーナリスト)
以上朝日新聞デジタルより転載
Posted at 2012/07/16 00:01:35 | |
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