令和2年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
さてさておらはゆっくり年末年始休暇を満喫して、本日函館へ戻って来ました。
しっかしこんな雪の少ない正月も珍しいくらいでした。
今日戻って、札幌より函館の方が雪が多いってね〜 今後どうなるのか?
正月休みの暇潰しに雑誌を買ってみました。幼少期に強烈な印象を残したGr-5です。
大半がポルシェとBMWの記事なんすが、シュニッツァーセリカの知られざる真実も
掲載されておりました。
なぜ多額の開発費と製造費を掛けたにも関わらず、活動期間は2年足らずだったのか。
シュニッツァー兄弟の片割れが事故で他界したからだったんすな。
この頃シュニッツァーはBMWとセリカの二本立ての開発を担当してたから、本業を
どちらかに絞らなきゃならない事情があったんだべな。
しかも画像の左側はTTEのリフトバックラリーカーを型取りに使って、カウルを作って
いると言う興味深い記述も。
昔シュニッツァーセリカターボのブログを挙げた時に載せた駆動系の芯が出ていない
対策もコレに載ってました。
タミヤ1/20のプラモでシュニッツァー時代の構成を検証。
クラッチハウジングとトランスミッションケースの間にトルクチューブ?1stプロシャが
あるんすが、これがエンジン回転と同調して回る為、バランス取りが非常に難しかった模様。
トムスに来てからは、通常通りエンジン後方にベルハウジングを新規作成して、それに
ミッションケースを接続したようです。
エンジンルームも製作初期とは微妙に変わっています。
巨大なインタークーラーにはシュラウドが追加され、ブレーキダクトがアルミ板で
作成されています。
ストラットタワーバー的なのも追加されています。
77バージョン初期はこんなあっさりだったので、開発が進んでいたのでしょう。
フルバケットにそっと置かれた昭和の匂いのする座布団。
エキパイの断熱が完璧ではなかった為、ドライバーの尻を排熱が焙るという裏話し。
館重鎮は座布団で断熱を補っていたそう。
これはハラルドアートルやロルフシュトメレンも同じ苦行を味わったでしょう。
トムスの館重鎮、ただでさえ排熱で尻が熱いのに、富士の第一コーナーのシフトダウン
ではアフターファイヤーが出るので、低温火傷になったとの事でした。
てか館さんこの車を手許に残して置きたかったらしく、一時探していたらしんですよ。
先日KP47スターレットを復刻したトムスなら、現物があればレストアしてくれそうなんだ
よな〜
誰か在り処を教えてあげてくれ〜
Posted at 2020/01/05 19:47:15 | |
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セリカ | 日記