「黒歴史」(くろれきし)
1.アニメ「∀ガンダム」に出てくる用語。すでに滅亡している古代の宇宙文明の事
2.上記の意味より転じたネットスラング。無かった事にしたい作品や恥ずかしい思い出、忘れたい過去などの意味で使われる
聖人君子でもない限り、誰しも記憶の底のダストシュートにポイしてしまいたい系の苦い記憶、いわゆる黒歴史の一つや二つは抱えているのでないでしょうか?
もちろん自動車だって例外ではありません。
ある程度開発が進んでいながらも、何らかの事情で市販中止となってしまったボツ企画車は、メーカーにとっての黒歴史に他なりません。
有名なところでは・・・
●現在メーカーのミュージアムで展示されているスバル・P1500
●時期早尚と判断された、プリンスのFWD小型車
●技術的にも政治的にも問題だらけだったマツダ・シャンテ・ロータリー
●排ガス規制に消えた2代目シルビア・ロータリー
●ホンダがレジェンド以前に開発していた6気筒、5ドアのビッグアコード的高級車
●ミツビシ・コルト1100後継としてジウジアーロがデザインした3ドア車(後にデザインをミニカ70に流用)
●ユーノスを超える高級車ブランドとして企画された、アマティ・シリーズ
・・・などなど、もはや黒歴史のバーゲンセール。
この広い世界には、きっと闇から闇へと葬りさられた黒歴史カーが他にも数多あることでしょう。
そう、例えば「スズキ・フロンテ1100」のように。
1960年代初頭に通産省が進めていたメーカー間の統合構想、それに対しスズキは独自性を死守するべく、技術力のアピール&登録車を生産していた既成事実づくりを目的として、FWD小型車「フロンテ800」(C10型)を発売します。

最初から大量生産は考慮せず、採算を度外視して台車に載せてハンドメイド生産。売れば売るほど赤字が出てしまい、1965年から1969年の約4年の間に僅か2717台が生産されるに留まりました。
そこで後継車として大量生産を前提としたスポーツセダン、型式名C20こと「フロンテ1100」が計画されるのです。

画像は後述の理由による改造後の姿となり、フロントマスク、バンパー、ドアミラー、ホイールなどが非原型部品と思われます。
ではフロンテ1100本来のデザインとは?想像を交えてイラストに起こしてみましょう。
あたかも時代を先取りしたかのようなクーペボディをよく見ると、1974年に発売となったジウジアーロデザインの韓国車、初代ヒュンダイ・ポニーに似通った部分がチラホラと。
それだけではなく、パブリカスターレットやアルファロメオ・アルフェッタGTなどの同時期のジウジアーロ作品にも類似点を見出す事ができます。

ひょっとしたら奴っこさん、同じようなデザインコンセプトを各社に売り込んでやしないですか。
実際、当時のスズキとジウジアーロ(イタルデザイン)は密接な関係にあり、4代目キャリィやフロンテクーペの原型となったミニバン、ロータリーエンジンバイクのREー5などを手掛けた実績もありました。

おまけに当時、度々スズキに新型小型車のデザインを売り込みに来日していたと報じられもしていれば、そうも思いたくなるというもの。
もちろん当時の世情を鑑みて、クーペボディだけではなく、セダンとワゴン(バン)もラインアップを予定。まさかワゴンボディもポニーにそっくりだったりしないですよね(笑)
それとは裏腹に、まだ当時は珍しかったフロンテ800のFWD駆動メカニズムは踏襲され、エンジン後方にラジエータを置く縦置き3気筒・2ストロークエンジンという独特の構造をそのままに、車名どおり排気量は1100ccに拡大。

これまた画像のエンジンも別物に改造されていますが、2ストの宿命である中速域パートスロットル時の不完全燃焼に起因するギクシャク感(カーノック現象)を解消するべく、新開発ソレックス3連キャブ(ミクニ製)を装着、当時の1,4リッター車に迫る80馬力の最高出力を発生しました。
足回りも基本的にはフロンテ800に準じ、車高調整が自在なトーションバースプリング構造の、フロント:ウイッシュボーン/リア:トレーリングアームによる4輪独立懸架、13インチのラジアルタイヤを履き、前輪にはディスクブレーキの装備が予定されました。(画像はフロンテ800のもの)
これらをフロンテ800のボディに搭載した試作車も制作され、テストを兼ねてラリーに参戦するも、外観上はボンネット後端の大型吸気ダクト程度の違いしかなく誰にも気づかれなかったのだとか。
ところが、こうして順調に開発は推移していたにも拘らず、現在では2輪車からも2ストロークエンジンが淘汰されてしまったように排気ガス対策上問題があり、開発中止の判断が下されてしまいます。
本来であれば、ここでゲームセット。
こうした黒歴史カーの例に漏れることなく、亡霊は人知れず暗黒に帰る運命かと思いきや。
テスト終了後も保管されていた試作車は、武蔵工業大学(現:東京都市大)の水素エンジン研究用に寄贈され、初代セルボがベースの「武蔵3号」、フロンテ800がベースの「武蔵4号」に続く、2ストローク水素ディーゼルエンジン実験車「武蔵5号」として1982年に蘇ってしまいます。

この手の黒歴史カーとしては異例の表舞台デビューを果たし、当時は世界中から技術的な注目を浴びました・・・ところが誰も、その被った皮までは気にしなかったようで。
もう、その事自体が黒歴史じゃんよってツッコミを入れるのは野暮ってモンですかね?
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Posted at
2014/07/21 00:42:07