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うめお@テストドライブのブログ一覧

2015年09月24日 イイね!

じどうしゃ学58〜偽装と演出〜

じどうしゃ学58〜偽装と演出〜30年ほど前。とあるクルマ好き小学生同士の会話。
「うちの親父が言ってたんだけど。」
「なに?」
「クルマの燃費って、カタログと実際って結構違うんだってさ。」
「へぇ〜、なんでだろうね。」
「うん、なんでだろうね〜。」




その十数年後。(この話はフィクションかもしれません)

「カタログに載ってるクルマの燃費ってさ、あんなの普通の一般人じゃ出せない数値じゃん?。あれって、普通に売る市販車のVer.と官公庁で試験するときのVer.で、ECUが違うんだぜ。」(某メーカー勤務の新人同士の会話)


一般的に、クルマのエンジンのスペックにおいて、燃費、パワー、排ガスのクリーンさという3つのファクターは、そのどれもを高レベルにすることは、非常に困難だ。だから、パワーを計測するときには、燃費、排ガスのクリーンさを犠牲にするECUセッティングになるし、燃費を稼ぎたいときには、パワー、排ガスのクリーンさを犠牲せざるを得ない。これは、至極当然のこと(自動車メーカーにとって)なのだ。

誰だって、パワーもあって燃費のいいクルマに乗りたいもの。前述の例に習えば、パワーと低燃費の両立は可能。そう、排ガスのクリーンさを失えばいいのだ。Nox(窒素酸化物)の濃度が高くなるわけだ。

そんなことは当たり前にやってきた世界の自動車メーカーたち。あれから30年。当時からは想定外かつ、世界的に蔓延する異常なまでの「エコブーム」。これまで、単純なガソリンエンジン、ディーゼルエンジンでは少しのCPUチューンで乗り切ってきた規制も、ハイブリッドなどが台頭してきたおかげで、「度」を越したチューニングをしなければ乗り越えられなくなってきたのだろうか。

とある筋のクルマ好きの方々なら、今回のVWの一件は、こう思っているのかも。

「アメリカってディーゼル嫌いなんだよね〜。」
「アメリカの誰か要人の気分でも損ねたのかな〜。」

新型車が発売される前、カタログに記載される実燃費の計測は、専用のCPUと、超低燃費走行に特化した技術を持ったテストドライバーの運転により行われる。それでこそ叩き出せる低燃費なのだ。もちろん、その際の排ガスはこの上なく窒素酸化物濃度が高いものとなる。
カタログに乗せるパワー計測の時は、燃費のよさと排ガスのクリーン度が犠牲となる。

燃費競争だけではない。某「やっちゃえ、◯産!」のメーカーが新型車を発売する際、ジャーナリストや、マスコミ向けに貸し出す試乗車は、ECUのみならず、ギア比(最終減速比含む)まで変更されたチューニングカーだったことは有名な話か(?)。
これも立派な不正だと思うし、それもあって、モータージャーナリストのインプレッションには意味がないんじゃないか、などと思う。

クルマに限らず、モノが売れるかどうかは演出によるところが大きい。演出があまりにもエスカレートすると、今回のような騒ぎに発展することもあるのだろう。

エコ(低燃費)で、走りもいい(パワーがある)!
排ガスは強烈に汚いけどね)

うまい話は100%無い。背反は必ずあるものだ。

これを機に、各自動車メーカーは初心に帰り、不正(偽装)と演出の境を改めるべきだろうと思う。

Posted at 2015/09/25 00:32:55 | コメント(3) | じどうしゃ学 | 日記
2015年03月29日 イイね!

じどうしゃ学57〜日本のモータースポーツはなぜ疲弊したのか〜

じどうしゃ学57〜日本のモータースポーツはなぜ疲弊したのか〜はじめに。「小春日和」はこの時期(春)の気候ではありません。晩秋から初冬にも関わらず、高気圧の影響で一時的に暖かくなった日のことです。
ちなみに、「小春」は俳句で言えば「冬」の季語です。





でも、なんとなくこの時期に「小春日和」という言葉を使いたくなる気持ち、よーくわかります。人間が古くなってきたもので、つい。


はてさて、そんなこんなで徒然と。


私には、行きつけの床屋さんがある。そのマスターは年齢も近いし、同じようなクルマ好きということで、いつも話が盛り上がる。毎月月初には調髪してもらうわけだが、マスターは毒舌家のため、お互いに言いたい放題言い合い、私にとってある意味、良いリラックスタイムになっている。


今日も今日とて、床屋さんで話をしていると、日本のモータースポーツって、ほんとつまらなくなったよね〜、なんて話題になった。それじゃ、いつのモータースポーツが楽しかったのか。


それは、国内レースで言えば、星野一義を筆頭に、長谷見昌弘、松本恵二、高橋国光、中嶋悟、ジェフ・リースなどがF3000で走っていたくらいの時期。フォーミュラドライバーがカリスマだった頃。今は、GT選手権というメーカー主体のレースがあって、レクサスの◯◯がでているとか、マシンがカリスマ。そこにタレントレーサーが付随する感じ。その中でフォーミュラに乗るドライバーもいる、という程度。つまり、昔とは逆の見方。


いつの時代も、ドライビングテクニックの最高峰を競うのはGT選手権などのハコのレースではなく、フォーミュラだ。だから、フォーミュラで速いドライバーが、一段降りてハコのレースで戦ったりすると親近感が湧いたものだ。


「わ〜、プロレーサー(走りの職人)たちが、身近なクルマでレースしてる〜!」


といった感じか。さらに深堀りして、なぜ、その時代のレースが面白かったのか。それは、実際にいた時もそう思ったし、テレビを見ていても伝わってきた、パドックの「殺気」。特に予選前だったり、決勝前のパドックは、ギスギスして、ものすごい「殺気」が漂っていたし、それを以ってドラマを感じたものだ。それなのに最近では、ドライバーは皆笑顔で、時には笑い声まで聞こえたりして、創成期のJリーグのようにふざけた雰囲気。あの頃のJリーグはほんと酷かった。下手クソのくせに有名外国人選手のマネをしてガムをクチャクチャさせていたり、ほんとチャラチャラしてかっこ悪かった。

カッコだけの人って、やっぱりカッコ悪いのだ。


閑話休題


そう考えると、これもある意味面白くなくなった最近のF-1の方が、まだ何倍も面白いかもしれない。F-1クラスになると、もうドライビングテクニックが優れているだけでは全然ダメで、人脈を生かした政治力、いわゆるカネとコネの世界。だから、日本人というだけで差別を受けるし、それを以って世界標準なのだと思う。

日本人が優遇されるのは、ドライバーならスポンサーからの破格の持参金等がある場合。世界各地のみならず、日本でも同じことが言えると思うが、観光地と同じで、金を持っている人には、皆優しい。だから、金を使ってコネを掴み、さらに金もつかんで、さらにコネを・・・という水面下でのバトルも、「殺気」の一要因となっているのだと思う。そういうカネとコネと政治力が渦巻く世界で、まさにサーキット場でも「殺し合い」の様相を呈すから面白いのだ。前述の日本のモータースポーツ界も、そんな緊張感が常にあったし、素人目にも「殺気」を感じることができた。だからそんな中で勝つチャンプに憧れたし、自分もレーサーになりたかった。
それにひきかえ今は、仲良しドライバーが仲良しレースをしているような、グダグダ感が漂う。

昔から、ヨーロッパのレースと比べると、日本のレースはマシン同士の接触も少ないし、よく言えば紳士的、悪く言えば大人しいレースだったが、それ以上に最近のレースはお友だち同士でレッツエンジョイ、モータースポーツ!という感じ。


私たち昔ながらのモータースポーツファンが見たいのは、練習すれば誰でもできるようなドリフト上がりのタレントレーサーの「仲良しレース」じゃなくて、「本当に同じ人間なのか!?」という、↓のような職人芸だ。

5分34秒くらいで出てくる、一瞬で収束させるドリフト映像。もう、ビリビリきますよ。




昔から、ヨーロッパのレースと比べると、日本のレースはマシン同士の接触も少ないし、よく言えば紳士的、悪く言えば大人しいレースだったが、それ以上に最近のレースはお友だち同士でレッツエンジョイ、モータースポーツ!という感じ。


モータースポーツの起源は、ヨーロッパでの貴族のスポーツで、自動車メーカーがその技術力を競い、オーナーがドライバーを務めたのがその始まりという。それを真似て日本に入ってきたのが国内でのモータースポーツの始まりだ。それがバブル景気で一気に浸透し、一般人でも背伸びすれば参加できるようになった。


ところが、スポーツにしてはかなりコストがかかるため、「本当に好き」じゃないとできないものであることに変わりはない。けれども逆に言えば、金さえあれば誰でもできるという側面もあるため、いろんな人が集まる。そんな中でも、レーサーが凌ぎを削り、殺気立っていたからこそ、その真剣さに惹かれて面白かったのに、現在のような笑い声の聞こえるレース前パドックに、ドラマチックな予感は微塵も無いし、レースクイーンといちゃつく金持ちのボンボンと、タレントレーサーの仲良しレースでは、誰もレーサーなど目指したいと思わないのではないか。あ、レーサーをスポーツ選手ではなく芸能人(タレント)と捉えた場合は、それでもいいのか。いやいや、それじゃいかんでしょ。「英雄、色を好む」じゃないが、レースクイーンといちゃついてもいいから、真剣にやれよ、というところ。


元々大人しい日本のモータースポーツ。時代背景、日本の国民性も影響しているのか。


「人それぞれ」という言葉がある割には、ファッションを始め個性の画一化が進む日本。クルマいじりも、どんなジャンルのクルマだろうが、とりあえず車高を下げとけ!アルミもインチアップ!のような風潮。よく分かっていない人は、ノーマルなクルマに乗る人はクルマ好きじゃない、くらいの低い認識の人も。実際のところは、個性じゃなく、人の真似をして、流れに乗りたいだけなのか。


持論だが、個性は主張するものではなく、内から滲み出るものだと思う。


クルマの楽しみ方は人それぞれだが、本流は走ってなんぼだと思う。それは不変の事実。生物的本能に従えば、走れば競争したくなる。負けたくない。だからサーキットで戦う。タイムアタックじゃなく、目の前でライバルに勝つ。だから、見た目だけでクルマを楽しむ人に対しては、「もっとクルマは奥深いのに」とか「そんなの見た目だけならラジコンでもいいじゃん」とか思っていたのだが、本流も、長年経てば亜流ができる。だから新たな楽しみ方に対しても理解が必要なのかも、なんて最近思い始めてきた。そう考えると、仲良しレースもアリなのか!?
いや、ナシだろう。だって、世界のレースは今でも熱いから。
ん、でもちょっと待てよ。「フォーミュラe」なんてのも昨年始まって、ざっと参戦ドライバーのリストを見ると・・・◯◯Jr、△△Jrって・・・正規フォーミュラに乗せてもらえなかった、二世ドライバーの救済措置カテゴリーになっている!?
しかも、マシンスピードが遅いのを隠すため、全戦市街地コースでストップ&ゴーを多くし、速く見せようとしている!?


ダメだこりゃ。


自動車販売台数を確保し、国内産業を維持するため、交通事故が増えるかもしれないのに下手クソに免許を与える「AT限定免許」みたいな救済措置が、モータースポーツにまで!?
交通事故を減らす手段のうち、最も根本的で、且つ効果的だと思われる「下手クソ、能力のない人には運転させない」という発想を根底から覆す国だもの、モータースポーツの発展は程遠いのかもしれないなぁ。


やっぱり、私が見たいレースは、↓のような、先が見えないのに300キロ近いスピードで、ほぼアクセル踏みっぱなしでコーナリングするフォーミュラのレースと、WRCか。
スパ・フランコルシャンというサーキットの、オールージュというコーナーを駆け抜ける、歴代の猛者達の走りです。これぞ走りの職人。


Posted at 2015/03/29 21:51:52 | コメント(5) | じどうしゃ学 | 日記
2014年10月19日 イイね!

じどうしゃ学55〜若者のクルマ離れ その犯人2〜

じどうしゃ学55〜若者のクルマ離れ その犯人2〜少し前に書いたが、少し思うところが出てきたので、
徒然と。







私自身、この「若者のクルマ離れ」自体、本当かどうかも含めて、どうでもいいと思っており、いま自分がクルマ好きである現状を引き続き楽しんでいきたいと思っている。だって、そもそもこの話題自体に具体的な根拠がないし、原因も多種に及ぶ?と言われているから。なんだか雲をつかむような話題だな、という認識だ。

しかし、若者がクルマから離れることで、どうしようこうしよう!?なんてことは置いておいて、話題として「クルマ」について盛り上がっていることがイイことだなとは思っている。

だって、話題にも登らなかったら、終焉を迎えるだけだし。クルマが売れなければ経済はますます下降するし。

先般、トヨタが東大でクルマについての出張授業を行ったという。「どうすればクルマ離れを食い止められるか」というような内容だったようだが、私が思うに、これは東大をはじめ、大学生向けに「本当に」すがる思いでクルマについての講義を行ったのではなく、「こういう講義を大学でやりました」という広告戦略の一つに他ならないと思う。

「おお、あのトヨタがそこまでやってるのか」なんていう社会的風潮を煽り、さらには、皆さんご存知のように、この話題はかなりクルマ好きの心を揺さぶる訳で、あらゆる意見が出てくる。そう、ニーズが出てくるのだ。
しかも、多くの一般的なクルマ所有者ではなく、ごく少数のクルマ好きな人たちの限定的なニーズが。


本当にこれまで、ニーズを知らずにトヨタがやってきたと思うのなら、それはあり得ない。リーマンショック時、プリウスショック時を除き、ほぼ毎年かなりの売り上げの成長を見せているという段階で、すでに間違ったリサーチではないことを意味する(日本のクルマ市場自体小さいけどね)。だって、それこそかなりの頭脳と熱意を持った秀才ばかりを宛てがったリサーチ部署が、日々分析を重ねているのだ。もし、具体的根拠があるのなら、とっくに解明されていないと、そいつら全員クビだろう。だから、冒頭にも書いたが、具体的根拠は、本当はないのだと思う。それで、正当なマーケットリサーチの結果が、今のハイブリッド、ミニバンブームになっているわけで、それで売れている、ということは日本のニーズを掴んでいる、ということ。それで体力がさらについたので、今度は何かないか、再度探ろう、というものすごい愚直な努力をしている、というように私には思える。

確かに、私も学生時代には生意気にも、こう思っていたこともあった。

「あんないい車(スポーツカー)が、このくらいの値段で売っていれば、絶対買うのに!」買えもしないのにね

しかし、結局その時に乗っている中古車は可愛いし、大事にしていたものだ。安い、古いからって、何も引けは取らない。いつの時代もマイカーは自分のなかで輝いていればいいのだ。たとえ古かろうと、故障しようと。
その後、社会人になり、ようやく車種こそ違うがクルマを新車で購入できるようになるくらいには、自分もここまで来たか、だなんてまた生意気にも思ったし、クルマが人生の目標にもなり続けていたこともその時に知った。

ようは・・・

若者が欲しがるような、それなりのスペックとデザインを持ったクルマを、若者が買える値段で販売する必要は全くないし、そんなこと、これまでにも一度もなかったと思う。

(私が貧乏だっただけかもしれませんがね。)


それに、そんなクルマがデビューしたら、飽きっぽい日本人のことだもの、すぐに飽きられちゃいますって。え?お前なら飽きるのかって?私は飽きませんよ。クルマ好きですもの。小さい頃から。でも、そんなクルマは買わないと思う。だって学生か新卒でも買えちゃうクルマなんて、ちょっと嫌だな、なんて思うから。
そういうクルマって、どんなジャンルなのだろう。私の若い頃・・・ならばスポーツカーだ。スポーツカーかぁ・・・。


スポーツカーは昔っからその生存を常に危ぶまれつつなんとか生き残ってきた孤高のジャンルだ。


だから、万人受けしないし、その必要がないのと同じで、揶揄するあなたに好かれる必要もないのだ。
そのスポーツカーが心に刺さった人だけが買えばいい。



ただやはり少し頭をかすめるのは、日本経済の二極化の功罪。貧乏と金持ち。私が学生だった頃は、まだ一億総中流階級の名残が十分にあったと思う。だから、「あいつも親に買ってもらったから、俺にも買ってくれよ、とーちゃん!」的なことや、「あいつがバイトで貯めて買ったのなら、俺も!」ということがまかり通ったのだが、今は、各世帯収入に大きな差があるため、おいそれとはいかないだろう。

バイトしたって、家に仕送りしなければならなかったりと、それぞれのフトコロ事情に大きな差があるのでは。そうなると、皮肉なことだが、どれだけクルマが好きでも、買えない人の比率は高くなる。保険、税金を含め、国全体を巻き込んだ大問題だ。それに、多くの自動車会社が実験している「自動運転装置」。これってクルマ好きを増やす流れとは完全に逆行しているように思えるが、どうとらえればいいのか。高速道路だけとか限定的な運用にする等の意見はあるようだが、原始的な車の楽しみ方と違うだけで、実車のスロットカーのようだ!とか、新たな価値観を生み出すのかも!?と考えれば少しは肯定的に捉えられるか。


二極化といえば、経済だけじゃない。この20〜30年くらいの間に、アニメ、ケータイ・スマホなど、いろんな文化が日本に浸透した。これは、これまでの音楽、映画、スポーツ、ファッションとは違った新たな巨大文化だと思う。では、これらの何が二極化を生むのか。


大前提として、この世の人ってのは、以下の二つに分けることができると思う。「与える人」と「与えられるだけの人」だ。


<アニメ>
その作品によって、ひたすらストーリーを楽しむだけの人、即ち「与えられるだけの人」と、どうやったらもっと面白くなるだろうか、またはそのフィクションを現実に当てはめると・・・など、アウトプットとしてはアニメじゃなくても創作的に捉えて建設的になれる「与える人」。これで何年も経てば、考え方、行動に大きな差ができるし、それは収入の差にもなるかもしれない。
「与えられるだけの人」は、新しいものが出てきても、結局自分の好みに合わないと、工夫しようとすらしないので、不満となり、「楽しい車がないよー」ということになる。「与える人」は工夫を凝らすから、今ある状況を楽しむことができる。これがアニメによる二極化。


<ケータイ・スマホ>
もう、大人になってしまっては、そこまで大きな差はできないかもしれないが、現在は、中学生の約60%、高校生の約90%がスマホを所有しているという。機種の差こそあれ、情報端末としては同じものだが、昔のゲーム機のように、それしかできないのではなく、ある意味なんでもできる。なんでもできるから、何したってサボることができる。学生の本分と言われる勉学で、自分を律して「今日のスマホはこれで終わり。勉強しよう」と出来る人と、いつまでもダラダラとスマホのゲーム、メールに囚われてしまい、実はやればできる子なのに、自分を律することができないことで、落ちていく人。これにより、考え方だけじゃなく、これまた収入にも差ができてくるかも。これが、ケータイ・スマホによる二極化。


ちょっと話がそれてしまったが、クルマ離れ自体の犯人は、私やあなただけじゃなく、こうした文化的要因も多くあると思う。このことから、「若者のクルマ離れ」の犯人、それは、・・・やはり私やあなた?
いや、そもそも、もう既に、若者には趣味としてのニーズがないのでは!?ということかもしれないなぁ。


本当に好きなら、原始的なスポーツ系に限らず、自分でその趣味を見つけるでしょうに。ハイブリッドのスポーツカーだって、新たな価値観を生み出すだろう。
悲観することはない。新しいタイプが加わっただけで、走りの楽しみ方が増えたのだ。大歓迎じゃないか。そんな少数派のニーズまで掴もうとし、スポーツ系のクルマを新たに発売しようとするトヨタのG’zにしても日産のニスモVer.にしても、企業体力あるなぁ、と感心せずにはいられない。←やはりクルマの楽しみ方は「走り」が最重要と信じて疑わない。次にはやはり、「移動する居住空間」に重きを置いたキャンピングカーを筆頭にミニバンか!?

あ〜、やっぱり若者のクルマ離れって、どうでもいい。押し付けるのはかわいそうだし。
クルマ好きは、永遠に。
Posted at 2014/10/19 01:50:49 | コメント(2) | じどうしゃ学 | クルマ
2014年09月29日 イイね!

じどうしゃ学54〜チューニングパーツって何2〜

じどうしゃ学54〜チューニングパーツって何2〜先日、高速道路を走行中、路肩にミニバンの「ノア」か「ヴォクシー」がハザード点滅させて停止していた。何だろうと思ったら、後輪のバーストっぽい。
バーストしてそうなったのか元々なのか、もの凄いハの字のローダウン。擦りそうな程低い訳ではないが、ハの字である事で偏摩耗したタイヤによるもの、と推測した。


ふと、似たようなシャコタンのクルマに乗る幼なじみとの、こんな会話を思い出した。


私「これ、エアロ擦ったりしないの?」

友人「擦るよ、たまに。前なんか、チンスポ(フロントエアロの
   最下部に付けるやつね)吹っ飛んでったもの。」
  (自慢げに)

私「・・・」

友人「大丈夫大丈夫、なんかあったら自己責任だから」

私「自己責任の意味を完全にはき違えた大バカものだな、お前は(笑いながら)」

友人「あははは(バカだけに馬鹿笑い)」

私「もし、高速道路を走行中、何かの拍子にリップスポイラーとかが外れて、後続車に当たったら、どうすんの?その人が避けきれずに事故して大けがしたら。それも自己責任?」

友人「そういうときの為の保険じゃん?」

私「・・・(もう、こいつと連絡取り合うのやめよう)」


もうかれこれ20年前の話。


閑話休題


クルマ好きなら、何かしらか興味が沸くであろう、チューニングパーツ。チューニングとは元来、「調整」とか「調律」と言う意味であり、自動車メーカー、自動車部品メーカーの言うチューニングとは、開発最終段階での微調整をさす。チューニングメーカーの「チューニング」とは、ただの誇大広告。チューニングして、何らかの結果があったの?と聞きたい。パワーが○○○ps達成!←そんなもん、金かけりゃいくらでもパワーなんて上がるでしょ。それはチューニングじゃない。ターボ追加しました、インジェクション交換しました等、部品ASSY交換。チューニングと言うなら、サーキットのラップタイム、もしくは騒音性能、振動数等の定量的結果が必要とは思いませんか。

「何馬力でました!」
それって、部品交換しただけのいじりっぱなしなだけ。


あれから6年。


もし今後、ローダウンしたいとか、いろいろチューンしたいとか思った時の為に、自分なりの備忘録を徒然と。

○ローダウン
これは基本的には車高調か、ノーマル形状のショックにサス(バネ)を交換するという、最もポピュラーなメニュー。

っていうか、足回りのチューニングパーツって、元々はサーキット走行の為のセッティングパーツだ。
車高下げて、カッコいいーとかのレベルではなかったはず(かっこ良いけどね)

元々は、車高を下げる事で重心を下げ、コーナリングの限界性能を高めると言うのが本来の目的。ワイドトレッドスペーサーは、コーナリングの特性を変える為の微調整であり、後輪駆動の場合、高速コーナー重視ならリアのトレッドを広げるとか、雨の日ならフロントの車高を少し上げて、同じくフロントのトレッドも広げるとか、セッティングの為に存在する。
キャンバーは、コーナリング中によじれたアウト側のタイヤの接地面積を稼ぐ為に予め寝かせておく事が狙い。
その程度を知っていれば、冒頭のベタベタ車高の鬼キャンは、度を過ぎていてかっこ悪いと思うのかも。
ちなみに、ショックアブソーバーの原価は純正で1,000円〜3,000円くらい。当然、アフターメーカーのモノだって、たかが知れてる。ぼったくりか!?

そうそう、新型車がデビューしてすぐに登場する足回りパーツは、それだけ開発期間が短いという事。PC上のシュミレーションしかしていないだろう。試作もしていない。だから、不具合が起こるのは市場にでてからだ。なので、品質的には酷いものが多いと思う。最低でも半年くらい遅れてデビューするビルシュタインとか、オーリンズとかは、信頼性も高い(今はどうか知りませんが)。R○○なんてメーカーは、新車が発売されたらすぐにサス(バネ)を発売するもんだから、毎年車高が下がるなんて、揶揄されてたけど、今はどうなのかな。TRD等のメーカー系なら、新車開発データの行き来もあるだろうから、新車発売前の評価もしっかりしているだろうけど。

○エアロパーツ
元々は、高速走行時の車両走行安定性を高めるためのもの。しかし、風洞実験でもしない限り、その効果は明確にならないだろう。いや、もう一つ効果が分かる方法がある。それは、サーキットのラップタイム。とはいえ、エアロってカッコ良かったりするし、付けたくなる気持ちは分かる。でも、出来る事なら、大物は両面テープでの固定は避けたい。

エアロじゃないけど、ドレスダウンパーツで、最近ちょっと話題になった「キャリパーカバー」。あれってどうやって取り付けるんだろ。まさか両面テープじゃないだろうな。ヒートサイクル試験とかしてるのかな。耐候性試験も。ブレーキに取り付けるんだから、あらゆる過酷試験をしたんだろうな。重要保安部品なの知ってるのかな・・・。あくまでも私自身が思うには、かっこ悪いだけなのだが、少し踏み込んで考えると、もし、これが走行中に脱落したら、パーツは粉々になるだけで済むだろうが、後続車には必ず接触するだろうし、ものすごく迷惑な事だ。脱落したって、そんなモノを売ってるメーカーは損害にたいする保証に堪えうるだけの企業体力もないだろうし、ケースか何かに「走行中の使用はお止め下さい」なんて書いてあったら、ユーザー責任。自己責任だ。
こんな自己無責任なパーツが走行中に飛んできて、事故に繋がったら、そんなやつに保険金など支払う必要はないですよ、保険会社さん。なんて思う。だって自己責任なのでしょう?


○その他ボディ補強パーツ
確かに、純正ではコスト的な問題で(欧州車は特にコストだけの傾向が強い)、補強パーツを剛性重視からコスト重視にしてしまう事もあるが、多くの場合はそうではなく、「ソコ」を強くしてしまうと、アソコが弱くなるなどの背反が必ずある訳で、自動車メーカーが装着したものは、その背反まで考え尽くされたものだ。だから、○○バーとか、ブレース系のモノは、取り付ける事で、想定外の所に余分な力が加わる事になり、耐久性は間違いなく削がれる。とはいえ、その変化を楽しむ事は非常に楽しいし、違いが分かりやすいので、私にしては珍しく、おすすめなパーツだ。


巷で売られるチューニングパーツは、基本的にクルマの寿命を短くするものが多い。いたずらなハイグリップタイヤは、駆動系全てに負担をかける等々。とはいえ、そんな事ばかり言っていたら、楽しさ半減な部分もある。背反を考えながらも、バカで愚かで無責任で迷惑な自己責任と言う言葉を吐き出さないようにしたい。

大事に長く乗りたい、と思うなら、純正以外の部品装着は出来る限り控えたいところ、これも忘れずにいたい。







Posted at 2014/09/29 23:25:00 | コメント(14) | じどうしゃ学 | 日記
2014年09月13日 イイね!

じどうしゃ学53〜No!と言えない日本人〜

じどうしゃ学53〜No!と言えない日本人〜いつの頃だったか、日本人は「Noと言えない」と言われるようになった。







いや、それは昔からずっとそうだった訳で、いきなりそうなった訳ではない。ときとして「うまく濁す」ことを美徳としているため、はっきり物事を伝えられない、と言う意味のようだが、それ自体、悪い事だとは思わないし、逆に「俺はNo!と言うぞ!」なんていう輩も生み出してしまっているが、多くの場合、それは単なる我侭としてとらえられるだろう。当の本人は気がつかないだろうが。結局、重大な場面で、白黒はっきりつけろ!それ以外はケース バイ ケース!ということだろう。


いつかの新聞に、こんな記事が載っていた。とある教育実習生の投稿。
要約すると、こういう事。
とある幼稚園で、「Aちゃん VS Bちゃん」「Cちゃん VS Dちゃん」という園児の対立があったとする。

○Aちゃん VS Bちゃん
Aちゃんがいきなり、Bちゃんを叩いたと言う設定。
先生は、Aちゃんに「叩いちゃいけない。謝りなさい」と言う。Aちゃんは謝る。すると先生、Bちゃんに「Aちゃんは謝っているのだから、許してあげて」という。Bちゃんは許したくないが、先生が言うのだから仕方なく許す。いきなり叩かれたという理不尽さも、自分の中で無理矢理納得させ、その場を取り繕う(先生への体裁の)ため、「いきなり叩かれた」にもかかわらず、「謝られたら無条件で許さなければならない」という事をその柔らかな脳に刷り込まれる。

○Cちゃん VS Dちゃん
CちゃんはDちゃんの持っているおもちゃで遊びたいと言う設定。
Cちゃん「Dちゃんのおもちゃであそびたい!」という。そこで先生「Dちゃん、そのおもちゃをCちゃんにも貸してあげて」という。Dちゃん「今遊んでいるからいやだ」という。すると先生「おもちゃはみんなのものなの。我侭を言わずに、Cちゃんにも貸してあげなさい!」という。Dちゃん「は〜い(トーンダウン)」。
ここで、貸せと言われたら、自分が遊んでいても無理矢理相手に貸さなければならない。さも無ければ、先生から怒られる。即ち、体裁が悪くなると言う事を、これまた柔らかな脳に刷り込まれる。
いつになったら、No!という言葉を教えてくれるの!?と言う記事。
この教育実習生、かなり鋭い観点だと、数分間感心しきりの私。


この2件での教訓。
「人に何かされたら、まずは受け入れろ!」と言うこと。これを、この世に生まれて数年のうちに刷り込まれるのだ。
(海外は知らないですよ。くれぐれも。)

こうして大人になった僕ら。
昔からある伝統の自動車雑誌C○、モー○ーマ○ジン、etc・・・それぞれ、昔から欧州のクルマを誉め称えるが、自国のクルマ、特に巨大企業のクルマは卑下し続けてきた。そこにも、上記と同じような事が繰り広げられていたというのは簡単に推測される。

記事にする為には、記事にしたい該当車種を借りてインプレッションを書かなければならないが、その貸し手は輸入車ディーラーや、カーメーカーになる。それは同時にその雑誌の広告主、と言う事だ。雑誌など、読者によって成り立っている訳ではなく、多くの場合は広告料を収入源としている。要は、読者がその雑誌に載っている広告主の製品を買ったかどうか。それにより、広告主の企業が潤ったかどうかが問題なのだ。その為に試乗記など、面白おかしい記事を書く、と言うのが真の姿だ。近年(ここ十数年)では、立ち読みも多く、読者など大した収入源ではない(女性誌も含め、雑誌はそんなもの)。

これを踏まえて。

もし、借りてきたガイシャに乗ってみて「なんじゃこりゃ。走り出してすぐに、ダッシュボードがガタガタビビりまくって剛性感も何も無い。単なる粗悪品だ!しかも、真っ直ぐ走らない!」と思っても、貸し手(大手広告主)の手前、そんなこと言えない。「No!とは言えない」のだ。だって、収入源である広告主様から借りたクルマが粗悪品だなんて、決してジャーナリズム的に微妙でも、口に出しては絶対に言えない。しかもガイシャは、所詮輸入代理店を通して借りるものであり、輸入代理店は、そのカーメーカー本体ではない。企業体力として小さいと言う事。その記事が元でクルマが売れなくなったら、その輸入代理店は本国ドイツのカーメーカーに三行半を突きつけられ、つぶれるだろう。

片や国産巨大企業のクルマは、そのメーカーの広報を通さずとも容易にクルマを借りる事ができ、誹謗中傷ともとれる内容を記事にしてもつぶれる事は無い。だって国産車ってこんなに売れてるじゃん、でしょ!?という、あまりにも短絡的な思考回路により、国産車は卑下され続けてきた。しかし、リーマンショック以来、景気は低迷を続け、国産車もほとんど売れなくなってきた(もう15年くらい前から、T社もクルマは国内向けでは作っていないが)。しかも、インターネットの普及により、実はかなり昔から海外では日本車が大人気じゃん!なんて言う事が明るみになって、クルマ好きではない人まで、こうした事実を知るようになってからと言うもの、

アホなマスコミと言う名の雑誌は「最近のレクサスはドイツ車に近づいてきた」とか、白々しいコメントが目立ち始めた。

「確かにドイツ車は造りがしっかりしていますが、「消耗品」の考え方が日本車とは全く違うので、いろんな所が日本車よりも多く、しかも短い頻度で交換しなければなりません。くれぐれも、故障ではありません。それに、こまかな事を大陸の方は気にされないので、室内はガタピシ言いますし、オイルも滲みますが、漏れではないので問題ありません。漏れた場合には、本国メーカーが保証修理します。いつかきっと。」


雑誌社は、始めからそう明言すべきだったのだ。そんな「Noと言えない」体質のせいで、いつまで経っても勘違いした輸入車好きがいたりする。そう言う人にお勧めなのが、国産車の輸出仕様車だ。そりゃもう、アウトバーンを200キロで走ったって平気なチューニングが施された国産車がいっぱいありますよ。ショックからブッシュから、足回りのセッティングがユーロチューンされた日本車。これを乗らずして、輸入車絶対主義を名乗る事なかれ。

片やドイツメーカーは、極東の小国、日本ごときの為に専用のクルマなど作っていないので、足回りはほぼ自国仕様のまま。右ハンドルだって日本だけじゃないし。イギリス、ニュージーランドなどなど。自動車評論は、定量的な判断基準は無く、どこまでいっても官能評価でしかない。だから、これほど曖昧なものは無い。

初めてガイシャに乗るとする。風潮的、伝統的に言われ続けてきた事が自分の感覚と違うということに「No!」と
言えず、また言う勇気を持てず、自分の感覚の「誤差?」を修正してまで「さすが輸入車」と言ってしまう諸氏もいるのでは。確かに、剛性感はあるかもしれない。剛性「感」。でもそれ、そんなに必要ですかと問われれば、どうしても必要な人も少ないだろう。それを、クルマの絶対評価基準にしてしまっているのも雑誌が原因ではないか。もちろん、剛性感の高さは安心にも繋がり、安心は安全運転に繋がるので、必要ないとは言わないが。

ものつくりというカテゴリーの中で、「品質」が高いのは、もう20年以上も昔から日本車だ。高速走行安定性が高いのは、ドイツ車かもしれないが、それだって、アライメントは調整し直さないと、酷い。それにひきかえ、輸出仕様の日本車はかなりのレベルだ。ただ、装備面では、輸出仕様の国産車は廉価版であること(やっすい仕様)が多いから、日本車ではあるものの、日本人は満足しない仕様かも。ブランドにやられ過ぎですよね。NO!と言えない日本人。

イタリア車は・・・1割の工芸品と9割のポンコツしか無いと思ってます。今でも。しかもそれはメーカーごとではなく、1台ごとの差。でも、そこがいいんでしょ。品質云々ではなく、機械なのに人間味を見いだせたときの歓び。これこそイタリア車。服だって革製品だってイタリア製はしょぼいですよ。しょぼすぎ。材質とデザインだけ。縫製は小学生の家庭科レベル。だから経済も破綻寸前なのでは。ブランドにやられ過ぎですよね。NO!と言えない日本人。

新車購入後、年に半年間はディーラーに預けないと初期トラブルの修理が完了しない人もいるというベントレー。お金をいかにドブに捨てるかを競い合うのがセレブなのでしょう。
本当に良いモノ。それを知るのは、それを買うセレブじゃない。モノを作っている現場の人間だろう。
でも、本当に良いモノかどうかって、実はどうでもいいのかも。その人が満足なら。
しょぼい満足感でも、夢見心地になれるなら、何でも良いのだろう。

No!という必要のある時以外でも、No!と言った方が、実は正解が多いのかもしれない。
いや、No!の連続で真実が見えてくるのかもしれない。

そろそろ、国産、ガイシャの壁を取り除いても良いのではないだろうか。なんて.思う今日この頃。








Posted at 2014/09/13 23:02:12 | コメント(5) | じどうしゃ学 | 日記

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