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あつし0のブログ一覧

2017年03月30日 イイね!

バイクツーリング

この時期になると、若い頃に行ったバイクツーリングのことを思い出します。

自分が20歳くらいのころ、高校時代の同級生と「暖かくなったらツーリングいこうぜ」と約束していて、4月に入り陽気もよくなってきたので、伊豆半島1周のツーリングに行くことになりました。



当時、自分はホンダのVT250Fというバイクを買ったばかりで(中古でしたが)初めての中型バイクなのでツーリングに行きたくてしかたありませんでしたw




友人は趣味でモトクロスをやってるようなヤツで、普段もXL250というオフ車に乗っていました。


4月上旬、お天気もよく最高の気分でツーリングスタート。
あちこち立ち寄りながら、のんびり走り、1日目は伊豆下田に宿泊。

ところが、翌朝起きてみると、なんと外は雪が降ってます!
4月上旬に季節外れの大雪。自分は「もう1泊して、明日帰ろう」と主張しましたが、友人は「このくらいの雪大丈夫だよ帰れるよ」と譲りませんw




仕方なく雪の中走って東京まで帰りましたが、シャーベット状の雪がヘルメットのシールドに貼り付いて前が全く見えません。さらに道の端に溶けかけた雪が積もっていて、尋常じゃ無いほど滑ります。

まったくスピードなんて出せませんし、何度も立ちゴケして、クラッチレバーは折れ、ステップは曲がり、もう泣きそうでしたw

結局、朝一に出たのに都内の友人宅に着いたのは夜。
友人宅で入った風呂の温かさが今でも忘れられませんw

忘れたくても、忘れられないバイクツーリングの思い出です。
Posted at 2017/03/30 11:51:30 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2017年03月25日 イイね!

F4ファントムの話

今週水曜日はみんともの「クウ太」さんと茨城で平日プチオフしてきました。
両方で同じ内容のブログを書いても芸がないので(笑)自分は空自F4ファントムについての「あれこれ」を例の如くグダグダと書いてみたいと思います。




プチオフの詳細はクウ太さんのブログをご覧下さいw。




まあ、ようは百里基地にファントムを見に行ってきた訳なんですが、昨年百里のF15部隊が九州の新田原へ、逆に新田原のF4部隊が百里にきたため、日本でF4ファントム戦闘機が実戦配備されているのは、この百里基地だけになってしまいました。
まあ、九州沖縄方面のほうが何かとキナ臭いですし、老朽化したF4は1カ所に集めた方が整備などの効率がいいんでしょうね。



ところで現在百里基地には3つのF4ファントム部隊があります。(というか、F4しかいませんw)



まず1つ目が「301飛行隊」昨年新田原から移動してきた部隊ですが、元々の部隊発祥は百里基地です。
その証拠に部隊マークは「マフラーをしたカエル」です、このカエルは筑波山のガマガエルがモチーフだそうです。「ケロヨンファントム」って呼ばれることもあります(笑)



2つ目が「302飛行隊」で、元々は北海道にいた飛行隊で、部隊マークは「オジロワシ」です。このマークは全部隊マークの中で1番大きいので有名です。



現在は規定でこんな大きなマークは禁止なんですが、規定以前に作ったマークなので例外的に認められているようです。




そして3つ目が空自唯一の「偵察専門飛行隊」「501飛行隊」です。
装備機は「RF4E」及び「RF4EJ」部隊マークは「キツツキ」です(ウッドペッカーにしか見えないけどw)


偵察機型のファントムは、迷彩塗装なので戦闘機型のファントムとは違いが一目瞭然ですが、上にちょっと書いたとおり偵察機のファントムには「RF4E」と「RF4EJ」の2種類があります。
その違いをちょっとご説明します。



「RF4E」は元々偵察機用にアメリカで作られたファントムで、機種のバルカン砲が無く、換わりにカメラが装備されています。武装はありません。




「RF4EJ」は90年代にF15配備により余ってしまったF4EJを偵察機に改造したファントムです。
なので機首にはバルカン砲がついたままです。カメラは専用ポッドを腹にぶら下げる形になります。




シャークマウスの書かれた機体で、もう一度。
上がRF4E、サメの口からバルカン砲が突き出してるのがRF4EJです。



空自のホームページから拝借した写真です、手前が「RF4E」奧が「RF4EJ」です。



はい、では問題です。この3機のうち「RF4E」はどれでしょう?
ここまで、ちゃんと読んできた人はわかりますよね(笑)


ところで、F4戦闘機の愛称は「ファントムⅡ」ですが、なぜⅡなのでしょうか?
はい、Ⅰがいるからなんですね。



1945年(昭和20年)に開発された、世界最初の艦上ジェット戦闘機「FH-1ファントム」です。
せっかく開発しましたが、この年に戦争は終わってしまったので、ほぼ出番無しです。



F4ファントムⅡも元々は艦上戦闘機です。
なので、空自のファントムにも、そのなごりがあります。




翼端の折りたたみ機構とアレスティングフック(着艦用フック)です。
どちらも空母で運用するためには必要な装備ですが、空自のファントムにはまったくいらない装備ですね。



また、艦載機だからなのか?F4ファントムは自力でエンジンがかけられません。
エンジン起動時には起動車(電源車)が必要になります。これはちょっと不便ですよね。
以前、民間空港へ緊急着陸したF4を再起動するために、起動車がわざわざ走って行った話を聞きました。



あと、F4ファントムは2人乗りですが、後席に乗る人はパイロットなんでしょうか?

これは戦闘機型のF4と偵察機型のRF4で違います。



F4の方は後席も操縦資格を持ったパイロットが乗ります、仕事はレーダー、航法などです。
新人のF4パイロットは、まず後席で慣れてから前席に移るようです。ちなみに後席にも操縦装置はあります。



RF4の方は、後席は専門の偵察員が乗ります。
レーダー、航法などに加えてカメラの操作もします、ただし操縦資格はありません。


F4ファントムも配備が始まってから早50年、最終機が納入されてからでも38年が経ってしまいました。
空自のファントムは近代化改修されているとはいえ、正直もう老朽機です。






これは数年前に百里基地祭で自分が撮ってきた格納庫裏手の写真ですが、F4の墓場って感じです。
おそらく部品も手に入りにくくなってきて、共食い整備しているんだと思います。



平成28年版防衛白書によると来年にも三沢基地にF35を配備。



それに伴い、平成32年には三沢基地のF2部隊が百里に来るそうです。



F2が来るのは楽しみなんですが、変わりにF4の301か302飛行隊は解散でしょうね(泣)


「偵察専門飛行隊」の501飛行隊も解隊のウワサがあります。
偵察機で偵察するのは、もう時代遅れのようで、今年度の予算にこんなのが計上されてました。


グローバルホーク、無人偵察機です。
平成29年度予算で168億円の予算が計上されています。



というわけで、おそらくF4ファントムが見られるのも後数年かと思われますが、F4ファントムが大好きなので、なるべくたくさん百里基地に行きたいなあ、と思ってます。

長々とファントムのウンチクに付き合っていただき、ありがとうございました。



※今回撮影した写真は最初の洋上迷彩ファントムだけです。
※航空自衛隊ホームページより画像転載しました。
※wikipedia他あちこちより画像拝借いたしました。


おまけ


零戦の脚格納庫の色、もう一度確認してきましたが「青竹色」でなく真っ青ですね(笑)
Posted at 2017/03/25 15:42:22 | コメント(7) | トラックバック(0) | ミリタリー | 日記
2017年03月21日 イイね!

春ですね

19日の日曜日は、またいつもの宝筐山に登ってきました。
毎度同じ景色なので、山の写真は載せませんが(笑)







さすがに暖かくなってきたので、あちこちに花が咲いていましたね。
この日はホントに暖かくて、山登りしてると半袖Tシャツでも大丈夫なくらいでした。





話は変わりますが、先日中島飛行機のこと調べてたら、また興味がわいてきてこんな本買っちゃいました。




アマゾンで衝動買いしたんですが、届いたらこの厚み!(笑)
読んでみて面白かったら、またブログに感想アップしますね(もういいかw)
Posted at 2017/03/21 10:18:45 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2017年03月18日 イイね!

零戦のDNA

「おいおい、また零戦かよw」と思ったアナタ。
最近このブログはオスプレイだの、零戦だの、紫電改だの「みんカラ」なのにクルマに関係ない話ばかりで申し訳ないので、むりやり零戦からクルマに話題をつなげてみたいと思います(笑)
※長文です興味の無い方はスルーしてください。



突然ですが、名機「零戦」のDNAを一番濃く引き継いでいるクルマってなんでしょう?



零戦の設計はジブリの「風立ちぬ」でも有名になった、三菱の「堀越二郎」氏です。
「三菱自動車」は1970年にその三菱重工から分かれた会社です。



となれば、当然DNAを引き継いでいるのは「三菱」車でしょうか?
確かにランエボなんかは現代の零戦ってイメージはありますね。


ただし、零戦のエンジンは三菱製ではありません。
堀越さんは三菱のエンジンを載せたかったようですが、当時の三菱には零戦に載せらるような小型で高出力のエンジンが無かったんですね。



零戦に搭載されているエンジンは「中島飛行機」製の「栄」というエンジンです。

ご存じの通り「中島飛行機」は現在の「富士重工」の前身の会社です。
あまり知られてませんが「中島飛行機」は零戦のエンジン供給だけでなく、本体の生産もしていました。
零戦の半数以上は「中島飛行機」製なんです。



余談ですが「紫電改」のエンジン「誉」も中島飛行機製です。
中島飛行機は当時、日本最大の飛行機および発動機製造メーカーだったんですね。



と、なると零戦のDNAをより受け継いでるのは「富士重工」のクルマ?
ランエボのライバル、インプレッサのほうが現代の零戦なんでしょうか?



それともこっちかな?
トヨタ設計、富士重製作というのが、三菱設計、中島製作につながるよね。



ところで、富士重工のブランド「スバル」の由来をご存じでしょうか?
終戦後、中島飛行機はGHQによって「二度と軍用機が作れないよう」12社に分割されてしまいます。
でも数年後に、その内6社が再び集まってクルマ作りを始めた、だから6連星の「昴」なんですね。

うん?12社に分割されたのに集まったのは6社なの?
そうなんです、合流しなかった会社があるんですよ、そのうちの1社が「富士精密機械」といって、エンジン開発の中心的な会社でした。



その「富士精密機械」は「プリンス自動車」と合併して、後に「日産」に吸収されてしまうんです。
そうあの「スカイライン」のエンジンは旧中島飛行機の技術者達が開発してたんですね。



と、いうことは零戦のDNAを一番引き継いでるのは、やっぱり「日産」のGT-R?
まあ、GT-Rが現代の零戦って結論なら、どこからも異論は無さそうですがw

でも話はまだまだ続きます(笑)

戦時中、中島飛行機に非常に精度の高い「ピストンリング」を納品していた部品メーカーがあるんですが、そのメーカーの社長こそ、誰あろう「本田宗一郎」氏なんです。
戦後「本田技研工業」を創業し、自動車の先に、いずれは飛行機を作ろうとしていた本田宗一郎氏は、旧中島飛行機の技術者をたくさん雇ったそうです。



マン島TTレースのチーフ・メカニックで後に監督の「関口久一」氏も中島飛行機出身者です。



第一期ホンダF1の監督を務めた「中村良夫」氏も中島飛行機出身者です。



そうなると「ホンダ」にも零戦のDNAが引き継がれてるのか?
NSXこそ現代の零戦?


これでおしまい、にしようとしたら中島飛行機について調べている方のブログにこんな記述をみつけてしまいました。

「中島飛行機三鷹研究所の最初の責任者は佐久間一郎さんでした。
 戦後は故郷の横須賀で「関東電気自動車」という会社を作りました。敗戦で倒産した会社を事業整理する形で事業を立ち上げました。技術者は中島飛行機から集めました。電気自動車が専門で、当時の電気自動車はガソリン車と比べてパーワーが低くかったので、GHQから許可が下りていました。しかし経営は不安定だったので、トヨタの下請け工場に変わりました。
 トヨタの初期のクラウンやトヨペットは、中島飛行機の技術者たちが作っていたんです。関東電気自動車は消滅し、今はトヨタの完全なる子会社となっています。
 トヨタは日本を代表する企業ですが、中島飛行機の技術者がいなかったら「中堅メーカー」だったのかもしれません」
(一部略)



えええっ、トヨタで電気自動車っていったらコレですか?
コレも零戦の末裔ってことですか?


もうなんか、よくわからなくなってきたので、
ここでもう一度「零戦」の特徴(の一部)をおさらいしてみましょうw
○軽量コンパクトな機体で、非力なエンジンをカバー。
○最高速よりも運動性重視。



なんだ、零戦のDNAを一番引き継いでるのは結局コレじゃないか。(血は一切ひいてないけどw)
お後がよろしいようで。



※画像は最初と最後以外拾いものです。(問題があれば削除します)
※マン・マシンの昭和伝説 上・下 航空機から自動車へ 前間孝則(講談社)を参考にしました。
※中島飛行機について取材された長島芳明さんのブログを参考にしました。
Posted at 2017/03/18 11:37:58 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2017年03月14日 イイね!

紫電改

兵庫県の加西市で、大戦中の戦闘機「紫電改」の実物大模型を作成するそうです。
ソースはこちら
加西市には戦時中、川西航空機の工場があり「紫電改」も組立てていたらしいですね。




これは1/72の「紫電改」w
現在作成業者を募集中で、再来年春の完成を目指すようです。




実物大模型といえば思い出すのが、茨城県予科練記念館の「零戦21型」です。
コレすごくよくできてるんですよね、でも予算が3700万円もかかってるんです。

ちなみに加西市のほうは予算1500万円だそうです.....。
仕様書見ると「キャノピー開閉して人が乗れるようにすること」ってなってるんですが、う〜ん、大丈夫かなあ?



ところで「紫電改」って何?ゼロ戦とどこが違うの?っていう方のために、以下簡単な説明です。
「そんなの知ってるよ!」または「そんなの興味ねえよ!」って方はどうぞスルーして下さいw

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「紫電改」を作ったのは「川西航空機」っていう会社です。
知らねえなあ?っていう方、今の「新明和工業」です、っていえばわかるかな?




今でもこんな飛行機を作ってます、海上自衛隊の救難機「US-2」です。






戦時中はこんな飛行機を作ってました、旧日本海軍の「二式大型飛行艇」です。
そう、川西航空機は「水上機」が得意なメーカーなんです。

そういうわけで、太平洋戦争が始まる頃、川西航空機は海軍から新型の「水上戦闘機」を作るように言われます。
当時日本軍は南方に進出中で、滑走路のいらない「水上戦闘機」は、なにかと便利だったんでしょう。




それで開発したのが、この水上戦闘機「強風」です。
ところがこの「強風」海軍からの要求スペックがあまりに高すぎて、開発が超難航。
ようやく完成した頃には、南方はアメリカ軍に占領されて活躍の場がなくなってました。

でも、せっかく作ったんだから、なんとか生かせないかなあ?
と考えた川西。




で、作ったのが局地戦闘機「紫電」です。
「強風」からフロートをはずして、車輪をくっつけた陸上戦闘機なんですが、問題がありました。
「中翼配置」のまま「脚」をつけたんで「脚」が長すぎるんです。
脚が長いと故障しやすくなり、着陸失敗が続出するんで、これは大問題です。

水上戦闘機をそのままお手軽改造したもんで、他にも問題続出。




で、「紫電」を本格的に「低翼配置」に設計し直した真打ちが「紫電改」といわけです。
ちなみに「紫電改」の正式名称は「紫電21型」、紫電改は通称です。

馬力も武装も零戦のほぼ2倍!大活躍を期待された「紫電改」でしたが、いかんせん登場が遅すぎました。
生産数は、たったの400機ほど(零戦は10000機)実戦配備されたのは終戦の半年前ですから、残念ながらたいした活躍はできませんでした。

まあ、ガンダムで言えば「ビグザム」って感じかな。




あと、「紫電改」は「グラマンF6Fヘルキャット」とよく間違われて、味方に誤射されたそうです。
でも、そんなに似てるかなあ?




国内に現存する「紫電改」は1機だけ。
愛媛県の南予レクリエーション都市内 紫電改展示館にあります、コレは模型でなく、墜落機を海から引き上げたまさしく本物です。

以上、紫電改の簡単な説明でした。
長々とすみません(汗)
Posted at 2017/03/14 17:57:11 | コメント(9) | トラックバック(0) | ミリタリー | 日記

プロフィール

あつし0です。 2012年7月にスイフトRSを購入しました。 ほとんどノーマルですが、よろしくお願いします。

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