• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

jack&bettyのブログ一覧

2014年07月17日 イイね!

思い出の車(6)ゴルフ Ⅰ 

思い出の車(6)ゴルフ Ⅰ 1982年式ゴルフ Ⅰ / Ci 白、5ドア

これが最初の外国車。友人の紹介の中古で、廃車にするのを譲ってもらった。10万円だったか。
何も知らずに、現車を見てすぐ買った。車検は残り1週間ほどあったか。
調べました。乗りました。

1、直列4気筒OHC1800cc燃料噴射、3AT、前:ストラット、後:トーショナルビーム(半独立)
エンジンは当時のアウディが設計したらしい。カウンターフローの2バルブ。せいぜい5000回転がいい所だが、トルクは十分。

2、リアアクスルが独特で、左右のトレーリングアームをH断面のビームでつないだものをコイルで吊っている。ビームがスタビライザーを兼ねるわけで、キャンバー変化がない。
走っても、リアはしっかり安定していて、荷室に突き出す部分がダンパーだけなので、スペース効率がいい。これ以降、前輪駆動大衆車のリアサスはほとんどこれだ。

3、エンジンは平凡だが、後方排気。触媒にできるだけ熱い排気を送るためか。そのためエンジン音は車内にこもる。今のゴルフより2回りは小さいボディに十分なトルク。
3ATでも、結構燃費は良かった。リッター13-15kmぐらい。最高速は120が限界。後方排気でカウンターフローだから、エンジンの前側は何もない。ウォーターホースだけ。



4、開閉できる3角窓がついていた。これはいいね。換気はこれが一番。



5、手動サンルーフ付。シェードを手で開けて、天井の小さなハンドルを回すと開く。チルトアップは無し。これですっかりサンルーフが気に入って、これ以降の車は全車サンルーフ付を選んでいる。夏でもエアコンが嫌いで、できるだけ窓や天井を開けて走る。

6、何と言ってもジョルジェット・ジウジアーロのデザインが素晴らしい。シンプルでモダン、細部まで合理的なレイアウト。買ったのはマイナーチェンジ後の、テールランプが大きくなったやつだったが、これはオリジナルの小さいランプが絶対よかった。(写真は大型ランプ。)



7、絶妙なシート。後で乗ったメルセデスはこれの上を行くが、値段が違うしね。構造はハンモックタイプだったと思うが、シート生地の下はヤシの繊維シートだった。通気性が良く、夏でも蒸れない、疲れない、固めのいいシートだった。

8、初めてのカウンターステア。和歌山に行った時、市内で?0kmぐらいで左車線を走っていると、左からいきなり大型セダンが飛び出したので、右にハンドルを切った。中央分離帯を避けるため左に戻すとテールがスライド、とっさに右にカウンターを当てたら、一発で納まり、そのまま走り抜けた。びっくりしたが、後で快感がこみ上げた。リアが安定しているおかげだ。スライドも唐突ではなかったし。

9、初めてのタイヤバースト。買った時に、前のオーナーからタイヤがだめだから、早く替えてくださいと言われていたのを忘れて乗っていたら、名古屋に向かう名神高速で、いきなり左前がバースト!左に寄せると、サイドウォールが裂けてボロボロだった。よく見るとタイヤが全部ヒビだらけ。スペアに履き替えて、恐る恐る名古屋まで走って4輪とも交換した。以来、タイヤには細かく神経を使うようになった。

10、初めての珍しい故障。神戸市内を走っている時に、いきなりエンジンが死んだ。ガスはある。セルは回るが、どうもおかしい。なじみの車屋に電話してレッカーで来てもらったら、大将も乗っていて、すぐにボンネットを開けて見てくれた。軽くセルを回しても、ベルトが回らない。クランクシャフトのキーが飛んだらしいと聞く?ガレージにレッカーされて、すぐにエンジンを降ろす。(これは電動クレーンだった。)リングギアを外すと、クランクシャフトとかみ合う部分(これがキーらしい)が飛んで無くなっている。なるほど、軽くセルが回る訳だ。探すと見つかったので、元の位置に溶接しなおして終わり。バルブ周りは幸い何ともなかったので、安くで済んだ。故障したのが高速道路でなかったのも幸いしてる。ヤナセなら50万円コースだ。

11、神戸の地震で廃車に。あの地震はまともに食らった。寝ている時に空中に浮きあがって目が覚めた。食器棚は倒れ、上から水が漏ってきて水浸し。幸いアパートは大丈夫だったが、高台の駐車場に行ってみると、あちらこちらで煙が上がっていた。そのあと、家族4人と社長を乗せて、社長の娘さんを迎えに行き、無事だった娘さん2人を乗せて、今度は引き返して社長のお母さんを探しに須磨まで走った。道路は至る所で段差があったが、そのたびにみんな降りてとにかく乗り越える。お母さんの家はぺしゃんこだったが、幸いに無事。今度はお母さんも乗せて、また引き換えし、社長の自宅の先の避難所まで走ることに。このころには車の姿も増え始めていたが、8人を乗せて、とにかくたどりついた。道中の光景は見たこともない悲惨なものだった。その後、西宮の家内の実家に向かうが、さすがに渋滞が始まり、やっとたどり着くと、実家は半壊程度で両親は無事だった。
この時の無理がたたり、足回り(特に前)がガタガタになって、前のダンパーを交換したものの、不具合は収まらず、ついに廃車となった。メーター読みで走行は14万キロぐらい。確か3年で9万キロ以上走った計算になる。この車は忘れない。よく走ってくれた。

12、ステアリングは1300に使っていたパーソナルのウッド。36cm。ホーンはボッシュのシングルのまま。フランス車みたいなとぼけた音だった。後はカーステレオ(カセット!)を付けたぐらい。シフトノブはこれもウッドの丸いやつに。

13、唯一、ブレーキが頼りなかった。サーボが弱いのか、右にハンドルを移したせいなのか。でもたぶん移したせいだろう。マスターシリンダーは左のままだったように思う。
左ハンドルなら問題なかったのか。

さすがに1型はカブリオレもたまにしか見なくなった。2型はときどき走ってるが、やはり1型がいい。あのデザインは全く飽きない。これ以降、ゴルフには乗っていないが、今はすっかり大きくなって、プレミアムになってしまった。パンダも、初代が良かった。
あれもジウジアーロだ。

初めての外国車だったが、ゴルフなら程度が良ければ、維持費は国産とそう変わらない。良い整備屋を見つけて馴染みになることだな。ヤナセが安い場合もあるので、うまく使い分けるのがコツ。今はネットで安い部品も手に入るから、ある程度自分でできれば、もっと車がわかって濃い車生活が送れる。いくら故障がないからと言って、安直な設計のコンセプトも何もない車には乗りたくない。一生で乗れる車の台数は限られている。
Posted at 2014/07/17 10:16:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年07月15日 イイね!

思い出の車(5)ダイハツフェローマックス

思い出の車(5)ダイハツフェローマックス一転して、360の軽、それも2ストロークのダイハツフェローマックス。
これが初めて買った車。3万円。

3万円払うと車検代がなくなったので、アルバイトしてやっと車検受け。
とにかくタコメーターが欲しかったので、ポンコツ屋に通い、SSというスポーツモデルを見つけて、
それからメーターアッシーとタコメーターのケーブル、ステアリングをゲット。一式で6000円ぐらいだったか。自分で外したし。
自車のメーターパネルを外し、配線を確認すると、タコメーターや水温計も捨て配線で直前まで来ている。カプラーを合わせ、配線し、パネル取り付けは完了。
なお、この時代のタコメーターはカムシャフトから直接ワイヤーケーブルで引っ張ってくる機械式。
ステアリングも交換、シフトノブも木製に変えて、内装はすっかり仕上がった。

欲が出て、フェンダーミラーも砲弾タイプを外してきて交換。
何しろ初めての車なので、当時の車雑誌でいろいろ調べて、やれるところはすべて自分で整備した。
エンジンに2ストロークと4ストロークがあるのを初めて知ったし、2ストロークにはエンジンオイルを別途添加することも。

水冷360cc、2ストローク2気筒、前ストラット、後ろはセミトレだったかな。何しろ4輪独立懸架。



前のオーナーが町乗りだけだったらしく、マフラーからはもうもうたる白煙が出る。
未燃焼のオイルが消音機にたまると煙が出ると聞き、
ある日、名古屋行きの名神高速でアクセルべた踏みでとにかく走った。メーター読みで120km。
もうもうたる白煙を吐きながら、クラウンも追い越し、走ること約1時間、急にアクセルが軽くなり、後ろを見ると白煙が消えている。
全部吐き出してしまったのだ。走行車線に戻り、スピードダウン、しかし煙は出ない。
回転も軽い。やったね。これで周りに迷惑をかけずに走れる。

この名古屋からの帰りで、面白い事に出会った。
こちらは雲一つない夏の日差し。ところが少し先にグレーのカーテンが横たわり、先が見えない。
カーテンは道の両側に見える範囲で連なっている。なんだと思い、減速して近づくとそこから先は、きっぱり区切ったように猛烈な雨だった。
入った途端にハイドロプレーニングで、まるでスケート状態。
アクセルから足を離し、自然に減速させると60kmぐらいでグリップを取り戻した。
しかし、あんなことがあるとはね。線を引いたように、こちらはカンカン照り、向こうは豪雨。つまり前線を横切ったということか。

九州に行ったとき、エンジンからキュルキュルと異音がする。ウオーターポンプだろうと思い、ポンプに耳を当てるが、どうも違う。嫌な予感がして、独立したばかりの整備士さんを紹介してもらって行ってみた。
ちょうど暇だったそうで、いろいろ見てもらうと、クランクシャフトのメインベアリングだという。
真っ暗になった。いくらかかるんだ。
そしたら、交換工賃は部品別で5000円でいいという。なんて好い人だ!
すぐにダイハツのディーラーに行って部品を購入、たしか3000円ぐらいだった。
それを持ってあくる日に訪ねた。
補機類を外し、ドライブシャフトを外して、エンジンがむき出しになった。
と、ひょいと抱えてエンジンを降ろしてしまう!びっくりだ。
2ストの軽のエンジンは軽いから、ホイストもいらないと言っていた。
幸い前のベアリングだったので、エンジンをばらす必要はなく、何かわからないうちに悪いベアリングが外され、手渡されたが、傷などあるようには見えない。
新品を叩きこみ、交換終了。
再び載せて、組み付けて、約4時間程度で作業終了。
エンジンを始動すると、全く音がしない。いや、感激でした。

120kmで連続走行したのが響いたのかね。

定期的にポイント研磨をやり、タイミングを調整し、ディスビキャップも新品に交換、プラグコードもウルトラにして、快調に走った。バッテリーも替えて、ラジエターも外して洗浄したな。
このころからプラグはNGKと決めている。一度チャンピオンに浮気したが。いや、ボッシュも使ったか。
(1300の時は、夏と冬で熱価を変えて付け替えていた。NGK。)
そうだ、点火コイルもマレリーに変えたんだ。ホーンもフィアムに、もちろんポンコツ屋から入手。
あのころは日曜ごとにポンコツ屋に通ったな。

やがて1300が来ることになったので、4万円で売却。車検が残ってたし、もっと高く売るんだった。
まぁ、可愛がってもらえればいい。

しかし、ついに女の子を乗せて走ることはなかった。妹以外。
Posted at 2014/07/15 20:36:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年07月15日 イイね!

メルセデスW201 190E-2.6(思い出の車4)

乗ってみるまでは一番嫌いだった車。
ベンツは大嫌いだった。偉そうで、オラオラ顔で。
しかし、ある日、仕事関係の人に近くまで送っていくよと言って乗せられたのがW201の190E。
つまり、2リッターの素の190Eだった。
ところが乗ってみてまず驚いたのがシート。固くなく、柔らかくなく、きっちりと体全体を背中も含めてサポートしてくれる。思わず目を閉じて、寝そうになってしまった。内装も、質実剛健といった感じで、過剰な装飾は一切なく、ごく合理的でシンプルなレイアウト。助手席なので、それ以上は感じられなかったが、とても印象に残る乗り味だった。フロントグリルは別として。


しばらくして友人を通じて、車を買ってくれないかという問い合わせがあり、聞いてみると、これが190E-2.6だという。安いと思ったので、試乗して決定。代わりの車が来るまでしばらく時間が欲しいということだったので、待ちきれず、中古車屋で同じ車を見つけて試乗してみた。ハンドルを握った瞬間からどっしりとした感触と、剛性感が伝わってくる。ものの50mも走らないうちに、これまで乗ったどの車とも違う感覚に驚いてしまった。その時は2速発進だとは知らなかったので、出足がとろいなと思ったものの、エンジンの回転フィーリングや、ステアリングを切った時の感触の緻密な感覚にさらに驚いてしまった。
実車が来て、とにかくあちこちを眺めまわし、とにかく走ってみた。OHC6気筒、2600cc。
前:ベンチレーテッドディスク、後ろ:ディスク。前:ストラット、後ろ:マルチリンク。



調べて、乗って、いじって分かったこと。

1、メルセデス初のコンパクト。開発費はSクラス並み。

2、衝突安全性や空力には念入りな設計がなされた。

3、とりわけリアサスペンションは史上初のマルチリンク。このリアサスのジオメトリーだけで、アンチノーズダイブと、アンチスクワットの効果を併せ持つという優れもの。なお、この後のW124にもこの形式のサスが引き継がれ、完成の域に達したのか、その後のCクラスやEクラスでも、リアサスの部品番号はほとんど変わらないと聞く。
コーナーで少しロールした後は、しっかりと踏ん張り、驚異的な粘りを見せる。六甲山の登りで全開でトライした所、レガシィをはるかに上回るコーナーリングに感激した。

4、シートの構造。独立したポケットを持つコイルスプリングで構成された、つまりシモンズベッドなどと同じ構造のシート。このスプリングを鉄板のベースがきっちりと支えてくれる。最高のすわり心地。
スプリングの上に乗るシートも、ウレタンなどではなく、ヤシの繊維でできた通気性の良いもの。シートのファブリックも最高の肌触りと通気性で、皮よりもよい。この構造はフロント、リア、共通。
特にリアは、外すとまるで家具のソファのようだった。この構造はもうないな。

5、リアシート下のエアー分配器のあきれた防音構造。この車のドアロックは、エンジンの負圧を利用したもので、瞬間的にロックするのでなく、少し時間をおいてすっと作動する。電磁式とは違い、何とも言えず人間味のある良い感じ。
負圧を4枚のドアに分配するバルブがリアシートの下にあるが、1辺が30センチ近くある立方体のスポンジの中にちょこんと納まっている。ここまでするかね。
なお、ヘッドライトの光軸調整もこの負圧を利用している。

6、不等間隔のクーリングファン。クーリングファンの羽の間隔が同じではない。おそらく共振による騒音を回避するためだろうが、誰がここまで考える。

7、カムカバーのオイルシールが分割式で、一部に液体シールを使用する。理解不能。

8、2速発進。発進時の事故を防ぐために通常は2速で発進する。一度1速に入れて、再度ドライブに戻すと1速で発進する。ATは4速。

9、素晴らしい出来のリサーキュレーティングボールナット式ステアリング。何とも言えない、ち密で滑らかなステアリングの感触。伝統的に中立付近はダルだが、これは高速直進時の安定性のためと言われている。非常に切れ角が大きく、小回りが効く。

10、ち密に閉まるドア。最後にカシンという感じの音がする。金庫のようなと言われるが、これは言葉では言えない。ドアだけでなく、ドア周りの骨格が頑丈にできている。この車は、居眠り運転でいきなり渋滞の交尾に追突したトラックに、ブレーキが追い付かずに追突し、廃車になったが、事故後もドアはすべて普通に開けることができた。

11,フロントからストレートに延びるメンバーが太く、これで衝撃を吸収し、ボディ各部に分散する構造が、事故後の車両でよくわかった。半端でない安全に対する設計思想。ボンネットも2つに折れて衝撃を吸収する。それでもボンネットのラッチははずれない。

12、4気筒しか積まない予定のエンジンルームに6気筒を積み込んだため、ラジエターは薄型で前に追いやられている。配管がアルミでラジエターのコアが銅(逆だったか?)なので、接合部は嵌合。なぜ?

13、パワーウインドウのスイッチが半端じゃないしっかりした造りのベークライト製。ここまでする?

14、木目のパネルはすべて天然木の樹脂コーティング。経年劣化でひび割れる。



15,1本ワイパーブレード。カムで変則的な動きをする1本ワイパーブレード。払拭面積も大きいが、スピードが速いため、スローでも通る人に水をまき散らす。でもかっこいい。

16、フロントガラスの両サイドにはレインレールがあり、雨水はサイドウインドに回り込まず上に流れていく。

17、配線のハーネスは熱に弱かったが、それ以外の機械部品は細かいものまで非常に精度の高い仕上げだった。

18、高速域では4輪が沈み込む感じで安定感がさらに増し、何とも言えないメルセデスライド。

19、エンジン下部や、ボディ下の両サイドにアンダーカバーがあり、空力を意識した設計。CDも相当に低かったと記憶している。(セダンで0.33)

20、ジャッキが面白い設計で、大きなハンドルを回す、1本足のラックピニオン形式のもの。ボディサイドのキャップを外し、その穴にレバーを差し込んで使用する。軽くて滑らか。パンタグラフのように、外れてこける心配もない。車載工具も上質だった。

21,救急セットが標準でついている!包帯や三角布など。

22,リアシートのヘッドレストがワンタッチで格納できる。視界確保だな。この時代にここまで。

23,左右のドアミラーの形状が異なる。電動は助手席側だけ。いらないものは付けない。

24,機械式燃料噴射。300SLやメッサーシュミットのDB601と基本は同じ。まだ電気は嫌いだった。

25,燃料ポンプが2台、並列配置。

26,はめ込んであるだけのメーターパネル。

27,ディスクローターが分厚いのに、寿命は短い。鋳鉄製で柔らかく、食いつきがいい。研磨は1回しかできない。

28,ディスクパッドも、純正は柔らかく、寿命が短い。

29,シートレールが削り出し加工。

この時代のメルセデスは断じて高級車ではない。徹底した偉大な実用車だと思う。日本の車とは設計思想がまるで違う。適切な部品交換とメンテナンスで、20-30万キロを安全に、最高の性能で走ることを目標に作られている。最高速度での操縦性やあらゆる気象条件・路面での安全性がテストされ、開発されている。値段が高いのは当たり前だ。
今でも、シャーシーはエンジンに対して十分なマージンを持っているから、Cクラスのボディに平気で6.3リッターを積むことができる。日本の1800ccクラスにターボ装着のセルシオ(古い!)のエンジンを積んで商品化できるかね?その車で260kmオーバーで余裕をもって走り、曲り、止まれるかね?

事故で廃車にしてからも、W124の260、300E-24、320Eと、この時代のメルセデスにはまってしまった。ひとつ前のSクラスや、W210にも乗ってみたが、このころの乗り味や作りこみはもう感じられない。
320Eですら、味は薄くなっていた。

ポルシェのラインで製造された伝説のW124、500Eには、ぜひ乗ってみたい。現メルセデス社長のD・ツッチェも500Eが最も感銘に残っていると言っているぐらいにいいらしい。
とにかく、車に対する見識の違い、文化の深さを思い知らされた。

中古車のネットを少し見てみたら、僕が買ったときよりいい値段でまだ売買されているではないですか!いい車はみんなわかるんだね。
Posted at 2014/07/15 00:11:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年07月13日 イイね!

思い出の車(3) 日産プリンスローレル C30型

ホンダ1300の次は、プリンスと合併した直後のローレルC30型。
乗っていたのはホンダの前で、借り物ですが。



エンジンがプリンス製G18で、OHCクロスフロー4気筒1800cc、カムシャフトはチェーン駆動。
当時は車の知識もなく、ただ運転するのに夢中だったが、後で思い返すといいエンジンだった。
高回転までスムーズに回り、後で乗ったL型とは全く違うフィーリングで、改めてこのエンジンの良さを思い出した。



この6気筒版が、後の初代スカイラインGTRに積まれるS20型エンジンのベースになっている。

合併後、エンジンを統一する必要性からG型は姿を消し、あのL型に統一された。
L型は、メルセデス製ディーゼルエンジンのコピー版だと後で知ったが、道理で上まで回るのを嫌がり、吹け上がりもだるく、重いエンジンだった。一部では名機というらしいが、自分はとてもそうは思えない。
コストが下がると言っても、カウンターフローではね。
なぜG型に統一しなかったのか。

同じカウンターフローでも、A型エンジン(排ガス対策前)は良かった。
OHCのL型に対して、OHVであるが、はるかに良かった。
レブリミットまで綺麗に吹け上がり、トルクも下からある。
レブリミットの表示はL型より低いのだが、そこまできっちり回るA型に対し、L型はカタログ上のリミットは高くても実際はそこまで回らないので、結局A型の方が高回転が使える。
レースで強いのも納得のエンジン。燃費も優秀だった。
これもイギリスのコピーらしいが、L型と違ってガソリンエンジンのコピーだから良かったのか。

あの時代はコンピューターもなく、ボディは軽く、いろいろな構造がシンプルで、車が文字通りの機械だった。チューンアップは面研磨、バランス取り、ハイカム組み込み、など、地道にやって10-20%の出力アップ。でも今は、コンピューターのロム書き換えで簡単にそれ以上の数値が出る。ターボなら1.5倍以上も簡単だ。これがいいのか悪いのか。排ガスのことを考えれば今がいいのはよくわかる。時々この当時の車が走っているのについていくと、車内が途端に排ガス臭くなるからね。ガソリンとオイルの焼ける匂いに、未燃焼のガスが混じった匂い。
しかし、音がいい。キャブの吸気音なんて今はないし、強引にガソリンをぶち込む感じで吹け上がっていくエンジンの音も、いい。旧車ファンの気持ちがよくわかる。
Posted at 2014/07/13 17:35:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年07月12日 イイね!

HONDA1300クーペ GTL 続き

ホンダ1300のエンジン型式は確かH1300E、このエンジンを軽くチューンして、市販シャーシーにミッドシップで搭載したR1300というプロトタイプがあった。ホンダはこの車で国内の耐久レースに参戦、ローラやポル車を相手に互角の戦いを演じ、時にトップを走行することもあった。
これと平行して、当時水冷のV12エンジンで参戦していたF1に、H1300Eと同じ2重空冷エンジン搭載車RA302を開発、フランスGPに突如参戦した。開発者が冷却問題を解決できないとして参戦に反対、F1の現場責任者であった中村良夫氏も反対という状況下であった。ラップタイムも下から2番目であり、ドライバーもF1未経験者だったので、完熟走行の指示であったそうだが、コーナーでクラッシュ、ドライバー(ジョー・シュレッサー)は死亡。この事故が空冷エンジン開発に終止符を打った。
RA302のシャーシーはなかなか優秀であったように思える。軽量化のために、エンジンやシャーシーにマグネシウムを多用したため、事故の火災では高熱を発生した。



<余談>
2輪のGP500で、ヤマハやスズキがサイクルでタイトルを争っていたとき、ホンダはただ1社、4サイクルで参戦していた。楕円ピストン、気筒当たり8バルブ、V4のNRである。設計は入交昭一郎氏。これを2万回転近くまで回して、4ストロークとしては常識外の出力を達成していたが、2ストロークに対してはエンジン重量がはるかに重く、成績は残せていなかった。このプロジェクトに最終判断を下すべく、フレディ・スペンサー(GP250と500の同時ダブルタイトルホルダー)のライディングで1戦だけ参戦、結果は、2万回転を維持できれば数ラップは互角に走れるが、それ以降はオーバーヒートでパワーダウンし、戦えない、と言うもの。
これを機に4サイクルプロジェクトは終了するが、すぐにリタイアするマシンのおかげで、じっくりと他のマシンを観察する時間のあった開発チームは、優れたマシンの開発ポイントを3つに絞り込む。軽量、コンパクト、低重心、である。これをコンセプトとして2ストロークマシンを開発、まず必要なエンジンパワーを設定、これを達成する最低の気筒数として3気筒を選択、低重心のためにV3のレイアウトを選び、吸気方法も当時主流のロータリーディスクバルブではなく、シンプルなクランクケースリードバルブであった。完成したNS500は、翌年からいきなりトップ争いを演じた。
失敗作となったNRの流れを汲んで市販され大ヒットとなったのがVT250、対してNSの流れを汲んだ2ストロークもNS250として市販されたが、現在まで生き残っているのがVT250であるのは皮肉である。
ちなみに、8バルブ、楕円ピストンは、翌年にF1のレギュレーションで早々に禁止されたままである。燃焼効率が良いために、全回転域で圧倒的にトルクフルであったと聞く。

ホンダは、2輪でV2(縦置きと横置き)、V3、V4、V5、4輪でV6、V8、V10、V12(縦置きと横置き)と、V型エンジンではあらゆるレイアウトを開発した唯一のメーカーだと思う。
Posted at 2014/07/12 15:03:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「アイドリング・ストップ http://cvw.jp/b/2236119/48623116/
何シテル?   08/27 20:38
免許取得後、初めて買った車が3万円のダイハツフェローマックス。スクラップ屋に通い詰めて、ステアリングやメーターパネルを全部交換しました。以来、国産、輸入車含め1...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2014/7 >>

  12345
67 8 9 10 11 12
1314 1516 17 18 19
2021 22 23 242526
27 2829 3031  

愛車一覧

キャデラック XT5 キャデラック XT5
フォードエクスプローラーからの乗り換え、2台目のアメ車です。
フォード エクスプローラー フォード エクスプローラー
フォード エクスプローラーに乗っています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation