2017年01月31日
自動運転車の時代って、本当に来ちゃうのかな
今、世界中で、自動運転車が研究、開発されている。
完全自動運転では無いにせよ、既に実用化され始めている。
たしかに、右左折のときの歩行者巻き込みとか、
高速道路逆行とか、アクセルとブレーキの踏み間違えとか、
そういう事故は減るのかもしれないな。
でも余りに進んでしまうと、動く歩道というか、走る車道というか、
個室付きの電車かバスに乗っているみたいになるのかあ。
あ、運転手付きの社長様はいま既にそうなのかもしれないけど。
じゃあ、運転するのが好きな人たちは、
どうすればいいのだろう。
僕は以前書いたように、
自分の趣味の中では車関係は、
4番目とか5番目のポジションだけど。
それは車が安全性や実用性と切り離せないからであって、
運転そのものは大好きだ。
遙か昔、まだ日本の世間がユルかった時代。
免許取りにいくと、どのくらい運転出来る?って聴かれたりした。
オイオイ、免許無い若いヤツが、運転経験無くて、当たり前だろ。
そう昔は皆、田舎道や、人のいない空き地で練習して、
免許欲しい!!状態なってから
教習所に行ったりしたのだ。
中には一発合格を目指す剛毅な貧乏学生も沢山いた。
(昭和40年代までの話ね)
僕は上手な先輩に連れられて、
晴海埠頭の倉庫街で、
深夜、同じコースをグルグル廻らされた。
ローからトップまで一気に速度を上げて行き、
次は一気に速度を落としていく。
左手左足は動きっぱなし。
ダブルクラッチとか、ヒールアンドトウ、
とか、今なら余計な技術も仕込まれた。
クラッチ、ギヤ操作が無意識に出来るようになれば、
周囲に注意が出来て、事故を起こさないという教えだった。
箱根の坂道を下るときに、とても役に立ったな。
そういうテクニック、AT時代には殆ど不要になった。
大体、ATにしたのも、隣の女の子の手を握れるから・・・なんて、
自動車マニアの風上にも置けない極めて不純な動機だったから、
僕の左足は、もうすっかり退化してしまった。
ステアリングも昔のような重ステは無くなったし。
車は命を預ける道具だから何より信頼性が求められるし、
運転者は命をかけて100キロ以上の高速を出すのだから、
技術だって本来は必要なのだ。
そういう真剣な、ある種の緊張感を伴う行為だからこそ、
車の運転は楽しかった。
しかし。
もうすぐ運転席に座っても居眠りしそうな、
そんな車が出て来る時代になりそうだ。
今のうちに、MT車にもう一度乗っておこうか。
左足がとりあえず元気なウチに・・。
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Posted at
2017/01/31 17:58:40
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