2012年12月04日
自分が全日本チャンプを獲得したのは、今の仕事に就いてからだった。
今の仕事とは自動車の修理工場。
この仕事場に初めて来たのは、今から31年前の昭和56年の12月の頭だから、ちょうど今ごろ。
つまり勤続31年と言うこと。
そしてジムカーナでのチャンプ獲得は、その翌年昭和57年の11月23日の出来事。
ジムカーナを始めてから5年目での快挙だった。
その年のジムカーナチャンプの中には、あの山本選手も居た。
彼はのちに改造車クラスの連続チャンプとなったが、
その年が正真正銘の初チャンプ獲得だった。
まだ初々しかったなあ。
自分自身は、それまで5年間やって来てたけど、成績は最高で2位どまりだった。
やっぱりやる密度がちがってたんだよな。
昭和52年の終盤に初めてジムカーナ競技会に出てから昭和56年までの期間は、
最高に出た年で5戦、
少ない年は1戦しか出てなかったんだから。
今みたいにジムカーナ会場を借りきっての練習会なんかまったく皆無の時代だったから、
年に1戦と言ったら正真正銘、年に1回しか走ってないわけだし、それもたったの2本のみ。
うまくなるわけないよねえ。
それで昭和57年に1年間で出場した回数はたぶん・・
35戦以上。
40戦近かったんじゃないかな?
ただし全部が競技会だから、すべて1日最高2本。
そしてその集大成が11月終盤に行われた全日本だったんだな。
たとえ一日に2本しか走れなくても、毎週のように走ってれば、
どんなへたくそでもそれなりに速くなるってことの証しだよね。
でも今は違う。
昔と違ってジムカーナ場を丸一日借りきっての練習会と言うものがあるんだから。
ほんとにうらやましい時代だと思います。
俺らが始めた頃にこんな練習会があったら、あと数十倍は早く上達出来てただろうなって思います。
今、冷静に考えてもあの時あの年にそれだけたくさんの回数
ジムカーナ場に足を運ぶことが出来たのは今の仕事場にはいったから。
これは明確に確信できます。
そしてレースの世界に移って7年やり遂げて、もう一度ジムカーナをかじってから引退。
それから10年を越える長きに渡る期間のかたぎ生活。
ジムカーナやレースとは無縁になり、サーキット場に足を運ぶことすらまったくなかった。
たばこをやめ始めた頃、食後のいっぷくの欲求をなかなか絶ち切れなかった。
けど年月が経つと、煙りのにおいさえうっとおしくなった。
俺にとってサーキット場もたばこと同じように、自然に足がむかなくなりました。
ところがひょんなことから、今から9年ほどまえに突然復帰。
で、「ひょん」って何よ?
その後はあれよあれよと言う間に今の状態に・・
まっ、復帰したって言うだけで、復活はいまだにしてないのが悲しいけどね。
そんな感じで今もあの時と同じ仕事場にいるので、
だからこそ復帰できたのだけど・・
さて、来年は果たしてどうなるのか?

Posted at 2012/12/04 18:01:25 | | クルマ
2012年12月04日
10時に寝たら夜中の2時前に目が覚めた。
頭の中は正直だ。
それから朝5時まではほとんど眠れなかった。

Posted at 2012/12/04 10:17:15 | | 日記