
土曜日は、愛知県に行ってきた。
天気も悪くないし、ちょっと盛りだくさんな計画になってしまったので、
気合を入れて、金曜の夕食後に出発しました。
厚木ICから東名に乗り、新東名のPAで朝方仮眠をとって、岡崎SAで朝食をとり、伊勢湾岸道の豊明ICで降りて、刈谷に向いました。
最初のお城は、「刈谷城」

本丸と二の丸の一部が残こされています。
水掘りが広いのが印象的ですが、天文2年(1533)に築城されているので、鉄砲に備えてと水掘りを広くしたと言うよりは、もともとあった池か沼を利用して水掘りにしたのだろうと思われます。

桜祭りの準備が始まっており、出店が用意され始めていました。
次に向かったのは、「沓掛城」

正中年間(1324-26)の築城とのことですので、鎌倉時代に築城されたという、古いお城です。

古いお城だけあって、構造は単純で分かりやすく、かえってお城の雰囲気がよく分かって、お城が楽しめました。
ちなみにこのお城、桶狭間の戦いで戦死した今川義元が最期に泊まった宿。として有名らしいです。
つまり、当日朝はここから出発して、桶狭間まで移動し、休憩していたところで、信長に急襲され戦死したんですね。(桶狭間古戦場公園まで6Kmほどの距離です)
3つ目のお城は、「末森城」
現在は、「城山八幡宮」になっています。

三河へ進出してきた今川氏と対抗するため、織田信秀(信長の父)が天文17(1548)に築城したお城です。
信秀が病死し、信長の弟である信行が城主となったが、信行は信長に謀反を企み、稲生原の合戦で敗北。弘治3年(1557)信行は清洲城にて謀殺された。
末森城は翌年廃城となり、後に、城山八幡宮が作られた。のだそうです。

深い堀と土塁によって守られたお城で、堀の深さと広さが印象的でした。
名古屋の市街地に、これほどの遺構が残っているお城があるのは、凄いですよね。
昼食は、あんかけスパを「からめ亭 本店」で頂きました。
普段のお食事といった味付けのスパゲティーは、美味しかったです。
が、名古屋飯の味付けになじめない他府県の人には、お勧めできないんだろうなぁ。。。
昼食後は、奈良時代を訪ねてまわりました。
最初は、「尾張国分寺」の跡地。

現在は、植木屋さんの土地や畑になっていて、確認できた遺構は、5重の塔の礎石だけでした。
ただ、立派な大きさの礎石を見ながら、往時の5重の塔を想像すると、立派な国分寺であったであろうことが伺えました。
ついでに行ったのが、「現国分寺」

本家国分寺が消失した後、別のお寺に引き継がれたらしいのですが、17世紀になって、釈迦堂(国分寺堂)をこの場所に移築し、明治に入ってから、国分寺を名乗ることになったのだそうです。
次に向かったのは「尾張国府跡」

住宅地の中に、石碑と案内板があるだけでした。
が、奈良時代に尾張国の中心地だったのですから、奈良時代の東海道はここを通っていたのだと思われ、江戸時代の東海道はずっと南を通っていたので、時代ともに尾張国もずいぶん変わったのだと思わされました。
お次は、「尾張国総社「国府宮」」。
現在は、「尾張大國霊神社」という名前です。

御祭神は、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
尾張地方の國霊神で、尾張の地元の神様ですね。
とはいえ、総社なので、いろいろな神様が祀られていました。
最後は、 尾張国一之宮である、「真清田神社」

御祭神は、天火明命(あめのほあかりのみこと)
アマテラスさんのお孫さんにあたる神様だそうです。
一宮市の市名の由来になっているのだそうです。
帰り道は、小牧ICから東名に乗り、新東名-東名と辿って厚木ICまで帰ってきました。
途中、晩飯食べたり、仮眠取ったりしたので、帰り着いたのはAM3時を回っていました。
全行程 約710Km 燃費計 15.2km/L でした。
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Posted at
2017/03/30 21:24:26