
先々週、福島に行ってきた。
いろいろあって、投稿が遅くなりました。 (^_^;)
さて、今回の目的は、防塁とお城と円盤餃子。
まずは、海老名ICから圏央道に乗り、東北道に入り、いつものように佐野SAの佐野ラーメンで腹ごしらえをして、さらに北上し、国見ICで降りて目的地へ。
最初の目的地は、「阿津賀志山防塁」。 (最初の写真ね)
文治5年(1189)、奥州平泉の藤原泰衡が源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つべく、築いた防塁です。
一説によると延べ40万人もの人員が動員されたのではないかという未曾有の大工事で作られた、長さ3Kmを超える二重堀で、地元では「二重堀(ふたえぼり)」と呼ばれているのだそうです。

山の中腹部と南端の遺構を見学しつつ散策できます。

堀も土塁も削られてしまって、低く浅くなっているのですが、往時の様子を想像するに、奥州軍の威信をかけて作られた防塁であったであろうことが伺えました。
残念ながら、奥州軍はここを守りきれずに、鎌倉軍に敗退したんですけどね。
ついで見学したのが、「旧奥州街道国見峠長坂」。
奈良時代や平安時代には東山道として使われ、以後も、奥羽地方への主要街道として機能し、江戸時代には奥州街道として参勤交代にも使われたという街道です。
明治10年代の後半に、麓に新道が作られるまで使われていたのだそうです。

古くは奈良時代からずっと主要道だったという街道は、しっかり痕跡を残しており、いろいろな時代に思いをはせると、感慨深いものがありました。
次に向かったのは、「桑折西山城」

防塁で攻防した、文治5年(1189)源頼朝の奥州藤原氏征伐の戦功により伊達郡を賜った伊達氏の始祖 朝宗 が築城した山城です。
お城の中(大手門の内側)まで車で登って行くことができました。
が、3ナンバーセダンで登るのは無謀かもというような未舗装の狭い道で、「車で登れる」という情報を信じて登り始めて、2,3度腹を擦りつつなんとか登り切ることができました。

お城は、とても大きくて、見ごたえたっぷりでした。
次のお城は、「大森城」

南北朝時代に築かれ、伊達氏、蒲生氏、上杉氏と領主が変わり、江戸時代にこの地域が天領となるに至って廃城となったお城だそうです。
伊達時代には、南を攻める拠点として使われ、伊達正宗の片腕であった 片倉(小十郎)景綱が城主だったこともあるのだそうです。

山の尾根に作られた山城で、作りが分かりやすく、現状は公園なので、見学しやすいお城でした。
二の丸には模擬櫓が作られており、登ってみると良い景色でした。
夕食は、念願の円盤餃子を「川島」さんで頂きました。
関東で円盤餃子と言えば、ホワイト餃子が有名ですし、相模原の「ギョウザ萬金」では、美味しい餃子を何度も頂いています。
かたや、福島でも円盤餃子が有名だと聞いて、今回初めて伺い、お店で、焼き餃子を頂きました。
厚めの皮で、焼かれていると言うよりは揚げられている感じで、パリッとした食感です。
中の餡は、ペースト状といってもいいぐらい細かく具材を刻んだものになっており、しっとりふわふわな味わいが良い感じで、ほんのり香る、ニンニクと生姜が良いアクセントになっています。
どこの餃子とも似ていない食感と味わいは、大変美味しかったです。
ちょっと遠すぎるので、何度もリピートするわけには行きませんが、近くに行ったら、また行きたいです。
帰りは、福島飯坂ICから東北道に乗り、仮眠をとりつつ来た道を戻って帰ってきました。
全行程 約770km 燃費計 16.0km/L
Posted at 2017/04/19 21:39:42 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | 旅行/地域