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桃奈々のブログ一覧

2017年06月24日 イイね!

岩櫃城

岩櫃城真田氏の城として有名な岩櫃山にママとハイキングに行ってきました~(*''▽'')

この岩山は、北関東上毛ツーリング参加経験の有る皆様は、全員見たことが有る!
筈です~(*''▽'')
↓吉野屋さんのいつものルート図から抜粋

随分前に上毛二山ツーリングに参加した時に気になり、路肩の看板に「岩櫃山」と書いてあったので
名前は知っていましたし、低山ですが山容が立派なので一度訪れたいとは思っていたのですが・・
昨年、大河ドラマで真田幸村を見て、あの岩櫃山があの岩櫃城だった・・
と、いう事が判明(*''▽'')
池波正太郎の真田太平記では余り強調されていませんでしたが、大河ドラマでは草刈正雄扮する昌幸が必要に岩櫃岩櫃と叫んでいましたので、印象に残りました。

岩櫃山にはいくつものハイキングコースがあり、登山口は岩櫃城跡の有る平沢口と、武田氏滅亡直前に勝頼を匿う為に急造した潜龍院跡の有る古谷登山口の二つが有ります。

う~む・・( ゚Д゚)
見所が岩櫃山を挟んで二箇所に分かれている~(@_@)

仕方がないので、平沢登山口から尾根コースを途中まで登り、十二様通りを潜龍院に下り、密岩神社から岩櫃山に登り返して沢コースを平沢登山口に下るという周遊ルートを取ることにしました。

国道からワインディングを登ると平沢登山口駐車場。
とても広いので、ツーリングの途中に寄っても良いかも・・

駐車場から10分程度の登りで、岩櫃城本丸跡に出ます。
城跡とは言っても、戦国時代の本気モードで築城された山城ですし、江戸時代初期に廃城となっていますから、山の上が人工的に平らになっていたり、土塁の跡が有る程度です。


さて、本丸跡から尾根筋を岩櫃山に向かって登る尾根コース・・
ちょとナイフリッジだったりします。


駐車場かせ30分位で五合目到着(*''▽'')
ここから岩櫃山には向かわず、左に十二様通り登山道を潜龍院に向かって一度下山です。
指導標識には郷原駅と書かれています。


十二様コースは、余り歩かれていない様で、平沢からコースと比較すると少し不明瞭でした。
途中で、カモシカ君と遭遇~(*''▽'')


十二様通りコースは南に向かって尾根を回り込んでいきます。
尾根を乗り越すところが郷原城跡です。
北斜面には土塁の跡が多数残っていると書いてありましたが、良く分かりません‥


郷原城跡から岩櫃山の南側を回り込んで行くと、広場に出ました。
ここで岩櫃山の全容がやっと見えます。
平沢登山口から往復すると、岩櫃山の全容を見ること無く終わってしまうのですが、周遊すればこそこの景色も見れます。


広場の隅に残る石垣・・
潜龍院跡とは、この石垣のみです(*_*;
この広大な広場全体が、武田勝頼を迎える為に作られたのかは不明でした。


密岩神社で記念撮影~(*''▽'')


案内パンフレットによると、密岩通りコースは「難コース」となっていましたが、急坂ではあるものの何の障害も無く尾根に出ました。
尾根筋は岩稜です。
七合目、天狗の架け橋~(*''▽'')
ピカピカに輝くステンレスの鎖が有りますので、心配ありません!(^^)!


岩稜を進み頂上まであと少しの所に、鷹巣岩陰遺跡があります。
弥生人の遺骨が見つかったそうです。


風穴を潜っていくのがルートです。


さて岩櫃山まであと少し~(*''▽'')
山頂を回込み東側に取り付けられた鎖場を登ります。


岩櫃山山頂で記念撮影~(*''▽'')
平沢登山口から潜龍院/密岩通り周遊しても、二時間半で到着出来ました。


山頂から古谷登山口方面を見下ろして自撮りです~(*''▽'')


下山も慎重にね~(*''▽'')


平沢登山口に向かう尾根もナイフリッジになっていますが、鎖の手摺が有るので安心です。

登山道は尾根の南側を巻いていましたが、尾根筋も踏み跡か有ったので、出来るだけ尾根筋を通っていきました。

平沢登山口までの下山は沢コースを採りました。
岩の割れ目を通ったり、此方も変化の有る楽しいコースでした。


平沢登山口に戻ると、観光案内が出ていました。
民間の研究者が作ったという詳細な縄張り図が掲示されていました。
興味深かったので、無理を言って一部分けてもらいました。

そのうち道の無い所から登てみたいものです。

岩櫃山周遊ルート、所要時間は休憩込で4時間弱でした。



Posted at 2017/06/30 12:58:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 日記
2017年05月03日 イイね!

沼田城

沼田城渋滞も無く、上武道路全線開通のお陰も有り、予定より随分早く到着しそうなので、真田で有名な
沼田城を見学しました~!(^^)!

沼田城は維新の廃城令より遥かに前に廃城となっていますので、同じ真田ゆかりの城でも上田城の様な遺構は余り有りません。
でも、段丘の上に有ったとされる地形は行ってみる価値ありと思いました。

ママは、あの真田昌幸を門前で追い払った女傑として有名な小松姫の石像前で~( ゚Д゚)
うちのママも女傑なんです~(*_*)

私は、優柔不断な信之にとって代わり、セクシーな小松姫とツーショット~!(^^)!
あれっ!
ちょっとずれちゃった・・・( ゚Д゚)


江戸中期には真田の分家が取り潰され、廃城となって堀も埋め立てられたので~(*_*)
戦国期?の遺構である石垣は・・ほんの少し

でも、上越国境の白い山をバックに、北条氏滅亡のきっかけとなったあの名胡桃城を見て、当時を思う事が出来ます。

北の三峰山グランボレからは、パラグライダーが数機飛んでいました。

場内には最後の沼田藩主、土岐家(たしか光秀も土岐家を名乗っていた?)の洋館が移築され、内部も見学できます。
この洋館は大正期の建造物です。


入って正面に立体的な象牙張りの額彫「竹林の七賢人」が目を引きます。
七賢人の顔は、大正から昭和初期の大物政界人「浜口雄幸」「高橋是清」「東郷平八郎」「犬養毅」「若槻礼次郎」「渋沢栄一」「尾崎幸雄」となっています。


二階から~!(^^)!
ガラスは平滑な最近の物ばかりではなく、当時物の歪みが有るものも有りました。


洋館内部に展示してあった土岐家沼田藩邸模型。
良くある模型ですが・・


覗いてみました~!(^^)!
ビキニの奈々ちゃんが~


城址公園内でもう一つ、東日本最古の町屋建築物「生方家住居」が移築されており見学出来ます。

1700年代築で昭和45年位まで沼田市街で薬屋として使用されていたとの事です。

廃業時まで使用されていたと思われる薬引き出しには「ズルチン」「葛根湯」だとか「ロート目薬100円」「毒消し50円」などと書かれいてるのが判別できます。


内部の間取りで面白かったのは、二ノ間、三ノ間、四ノ間と、奥に続く座敷に
窓が無い(*_*)

解説を見てビックリ( ゚Д゚)

使用人逃亡防止って・・(*_*)

木彫りも豪華な看板です~

でも使用人が逃亡する可能性が有るブラックですから~(*_*)



期待以上の面白い沼田城址公園散策でした~!(^^)!
Posted at 2017/05/06 14:56:56 | コメント(0) | | 日記
2015年08月14日 イイね!

七尾城

七尾城毎年行く奥能登ですが、七尾は道が混むので遠回りでも氷見から羽咋に抜けるか、金沢の方まで北陸道を使い、能登里山道路をいつも使用していました。
しかし、観光地図を見ると能越道路が七尾市の僅かな区間を除き、能登里山道路と繋がっているではありませんか~!

帰りは、七尾経由で帰ることにしました。
折角なので、寄ってみた七尾城~(^O^)

七尾城は、あの上杉謙信を苦しめた戦国時代の山城です。
戦国時代の城というと、土塁が少し残っていたりするだけで、殆ど原型を留めないものが多い中、300mの山の上にかなりの規模で石垣が残っていました。
とても珍しいのではないかと思います。

本丸跡からは、七尾の街並み、港、広がる海が見渡せます。
奥能登の帰りにちょっと寄ったので、全部散策出来ませんでしたが、少し涼しい頃、もう一度ゆっくり来たいと思います。

車で頂上付近まで登れますが、麓から300mの標高差を歩くとすると、往復と散策も含める、2時間は見ないと・・・
Posted at 2015/08/15 19:18:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2015年07月25日 イイね!

棚倉亀ヶ城

棚倉亀ヶ城今日も朝から雨・・・
福島からの帰り道を棚倉から久慈川沿いに下るルートで帰京することにしました。

棚倉には幕末、老中の務めた阿部家が最後の城主として戊辰戦争を戦った親藩棚倉藩の亀ヶ城があります。

戊辰戦争の本丸会津若松鶴ヶ城は大規模で美しい城、観光地として有名。
一昨日に訪れた白河小峰城は、注目される事はまだまだ少ないものの、石垣修復、精密木造復元天守、白河駅前いという事もあり、今後脚光を浴びる事も有りそうですが、昨日の土津神社、さらにこの棚倉亀ヶ城は、主要国道からも外れており、訪れる観光客は非常に稀な史跡でしょう。

史跡案内に、戊辰会津戦争において仙台鴉組と共に官軍に恐れられた十六ささげ隊の活躍という下りが有りました。帰ってから調べてみると、隊長が白河で戦死した事と隊士の名前程度で、殆ど実態が分かりません。

対して鴉組は、猟師侠客を編成しゲリラ戦で官軍を苦しめ、30戦全勝の戦績という面白い記述が有りました。仙台藩というと大きいだけで優柔不断の弱兵というイメージですが、こんな痛快な話が有ったのかと面白く思いました。

官軍の補給線は伸びきっていたいたはずですし、地元の土地勘も東軍に利したはずなので、ゲリラ戦による後方攪乱戦術は効果的であったろうと常々思っていたので、それが実行されていたという事はとても興味深いです。

鴉組、本名衝撃隊を編成した隊長の細谷十太夫直英は、伊達正宗の頃からの家柄ではあるものの、50石取りの下級武士で隠密
鴉組の活躍で200石に加増されるものの、明治維新で一時指名手配され・・・
隠密の経験を生かして逃げ切り、大赦令後にいわき付近開拓、更に陸軍少尉となり、佐川官兵衛や齊藤一などと同様に、西南戦争で薩摩軍に仕返し、日清戦争にも従軍し、そして北海道の開拓を手掛けるなど、全く知らなかった維新の脇役の痛快な歴史が出てきました。

勝てば官軍、歴史は勝者の歴史。
棚倉藩十六ささげ隊は、隊長が死んでしまい闇の中ですが、鴉組は隊長が生き残ったのでかろうじて残っているという事ですね。







Posted at 2015/07/26 08:39:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2015年07月23日 イイね!

アームストロング砲

アームストロング砲小峰城にはアームストロング砲が展示されていました。
八重の桜の撮影で使用したものだそうです。



元込めという事ですが、閉鎖栓の欠陥が有り、実際の性能も大したことが無いという話です・・

Posted at 2015/07/25 21:01:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記

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何シテル?   07/14 06:40
今はほどほどに出来るようになりましたが、はまるととことんやるほうです。 過去にはまったのは、山登り、ロッククライミング、アイスクライミング、パラグライダー山岳...
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