昨夕・・
帰宅しました
東北は宮城からの帰路は・・
群馬 長野廻りで帰ってきました
気仙沼で一泊し・・
海を眺めて・・
帰路につきます
帰りは比較的平坦なルートではなく・・
山岳コースを選びました
お昼に仙台南ICからゲートインし・・
東北道→上信越道へと・・
伊勢崎あたりで夕刻になってしまい・・
一泊することに
伊勢崎オートレース場を横目に・・
この地で泊まった宿も・・
Go Toトラベルキャンペーン指定店で・・
当日予約でも適応となりました
審査は簡単で・・
宿の受付で・・
おでこに光線を当て体温測定
簡単なアンケート用紙に記載する
これだけで35%offになるのです
翌朝 6時に・・
伊勢崎ICよりゲートインし・・
富岡製糸場付近を通過・・
下仁田ネギの町を通過・・
カブトムシみたいな橋を渡り・・
力強い景観の妙義山を拝み・・
雲がかかった浅間山を見つめ・・
作久平オアシスで・・
朝食タイム
びっくりしたのが・・
長野県では・・
肉うどんの肉が豚であることです
関西の肉うどんは牛ですから・・
気をとりなおし・・
再び発車・・
見るだけで切なくなる・・
姥捨山
むかしむかし・・
食い口を減らすため・・
おばあさんを捨てに来た山です
<昔、年よりの大きらいなとの様がいて、「60さいになった年よりは山に捨(す)てること」というおふれを出しました。との様の命れいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。
ある日のこと、一人のわかい男が60さいになった母親をせおって山道を登っていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道に捨てています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。
年よりを捨てるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。
息子のすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目じるしにお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命れいにそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。
しばらくして、となりの国から「灰(はい)で縄(なわ)をないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様はこまりはて、だれか知恵(ちえ)のある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩(しお)水にひたしたわらで縄をなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰の縄を作り、との様にさし出しました。
しかし、となりの国ではまた難題(なんだい)を言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸を通せというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸をつけたアリを入れなさい」と教えられ、との様につたえました。すると、となりの国では「こんな知恵者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。
との様はたいそうよろこび、男を城(しろ)によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は・・・」男は決心して母親のことを申し上げました。
「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、との様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりを捨てることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。
(千曲(ちくま)市教育委員会のきょう力をえて、「姨捨の文学と伝説」から要約(ようやく)しました。)>
(企画振興部広報県民課より)
今の時代は・・
おばあさんの膨大な資産や年金を充てにするのですが・・
どちらにしても切ないですね
そんなこんなで・・
中央道→名神高速で帰ってきました・・
往復 約2000kmでした・・・。
Posted at 2020/09/19 06:06:17 | |
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