
この前の日曜のお話。
お土産を渡し終え"とある"場所へ
走る事30分。
到着です。なんとこんなに近い所に
こんな場所が。
Twitterにて見つけたので行ってみました。
所属部隊 第20航空軍、第21爆撃兵団、第73爆撃航空団、第500爆撃航空隊、第882爆撃飛行隊
機体番号 42-24766 (製造番号4428) ニックネーム リーディングレディー号
搭乗員 Wilbur E Hulrbutt機長以下12名、11名戦死、1名捕虜帰国
墜落経緯 昭和20年1月3日午後3時15分(1945年)
名古屋ドック(軍事施設) 爆撃の帰路豊田市西方上空で、
97機編隊の隊長機に、日本軍の小牧第55戦隊所属の代田実中尉
(保見村大字篠原に落下傘で降下翌日死亡)
操縦の三式戦飛燕戦闘機が体当りし、編隊離脱し当地に墜落炎上した。
と、あります。
友好碑もありました。
慰霊じゃなくて友好なんですね~ここに深い意味があるんじゃ
ないんでしょうか?
B-29って個人的には凄い飛行機だと思ってて
大戦半ばまで最強だったんですよ。
爆弾を大量に積んでグアムからノンストップで
飛んできて帰る能力、2000馬力のエンジン4基で
他の戦闘機や対空砲を寄せ付けない1万メートルを巡行でき
それでも寄ってこようもんなら備え付けらえた機関銃で
迎撃。これ、日本側からしたら最悪ですよね・・
あと凄いのは与圧室。
1万メートル上空でも酸素マスクなし
半袖で任務に当たれたのは大きいですよね。
戦争って皮肉なことに技術が大きく進化するんですよね。
人間が本気で殺し合うわけですから。
相手より多く殺すためにはどうしたらいいのかと
必死に技術を生み出すのですから。
過去の戦争で技術が進歩しその恩恵を今まさに受けているんだと
感じることも多いです。
スマホやカーナビでおなじみGPSも元はといえば
軍事用ですからね~
今年乗りまくった飛行機、上空では快適に
暖かく過ごせました。なぜかって言うと
与圧されてるからです。
この与圧システムも元をたどるとB-29からです。
(厳密にはもっと前ですが・・)
74年前の空にはB-29が編隊を組んで飛び回ってた
でしょうか?日本軍が迎え撃っていたでしょうか?
74年後の空は航空路になり多くの旅客機が
与圧された快適な空間をお客に提供し
飛び回ってます。
【
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.b29/b29.html】
なんにもない山にポツリとある場所。
ぜひ足を運んでみてはどうでしょう?
写真いっぱい撮ったんだけど全部出しちゃうと意味ないんで
この辺りで。(笑)
一部現場にあった張り紙のQRコードのリンクを貼っときます↑
里を後にいつもの山中を爆走(笑)
雨も落ち始め寒かったです。
なんとこの後170,000kmを達成しました!!
あっという間でしたね~
大変よく走りました(笑)
絶好調でございます。
この後某場所へ
ここでもお土産をばら撒き・・・・(笑)
2万にぎりしめてきたか~?って
また変な噂を(笑)
記念すべき170,000kmの夜は雨でしたとさ
140,000kmの時も雨でしたけどね。
あ、僕、実は、雨男です(笑)
終わり。
Posted at 2019/12/25 01:04:49 | |
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