
3.11 の後、良く言われたのが「過去の教訓に学べ」
・津波はここまで来た の石碑
・沼地や湿地を連想させる地名の地域には住むな
と言う事で、最寄りの「津田沼駅」「船橋駅」とかは、名前からすると最悪の立地だ(笑)
その中に、遺跡と標高マップというのがある

緑の薄いエリアは、温暖化による海面上昇を考えると、住みたくない
東京だと、こんな地図もある
出展:
さて、遺跡と標高マップで、随分海から遠い奥地にも貝塚が有る事に気が付いて興味を持った
橋を建設できない沼地なので船を並べて橋にした「船橋」という名前にふさわしい資料が有った

最近こそ、地球温暖化に伴う海面上昇が叫ばれているが、大昔のの気温・海面の変化は劇的
関東地方の陸・海の変化の資料が有った
出展:令和3年度船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展
「船橋のいちばん暑かった時」令和3年10月16日
13万年前 房総は島 関東平野は海
10万年前 千葉が本州と繫がった
7万年前
2万年前 海面が100m下
1万年前 海面が40m下
9千年前
7千年前
現在
葛飾区史 には、下記のような関東平野の旧海岸線 の資料がある
約6000年前の縄文時代前期には海水面が上昇し、内陸へ入り込む縄文海進が起こった。
には、1万年前と、6千年前の海岸線が重ねて描かれた資料がある
同じ東京湾でも、千葉側は遠浅だが、神奈川側(特に三浦半島)は急深で、1万年前も、現在も海岸線までの距離に大きな変化が無い
現在の海岸線まで7km
6千年前の海岸線まで5km
学芸員の方に
・1万年前の縄文人は、片道17kmも歩いて貝を採取しに海まで行ったのか?
なぜ1万年前の海が遠い時代の貝がらと、6千年前の海が近い時代の貝がらが同じ土地から出土するのか?
・実は同じ時代の物なのでは?
と疑問をぶつけた
年代の特定は貝がらの分析で行われると言う
後日、ネット検索すると、
----------ここから-----------
などで紹介されていた
放射性炭素による年代測定法は、炭素同位体法、炭素14法、14C法ともいわれ数万年前までの年代測定によく用いられている。1984年、アメリカのリビーによって開発された年代測定法で、その原理は次のようである。
大気中に存在する二酸化炭素の中には、微量であるが一定の割合で炭素14が含まれている。その炭素14は半減期5,570年でチッ素14にかわっていく。生物が死んでガス交換をしなくなると、体内に入っていた炭素14は、さきの半減期で減少していく。化石に残る炭素14を測定すれば、その生物の死後の経過年数が求められる。
----------ここまで-----------
なるほど
学芸員さんの説明
1万年前の貝塚で発見されて居る貝がらは殆どがシジミ
海ではなく、川の淡水域や塩分濃度が残る川底の方で採った貝だろう
貝塚は、単なる「ゴミ捨て場」ではなかった可能性
宗教的な意味や、斜面が白く見える事を利用した灯台のような役割も考えられる
シジミと言うと、宍道湖や銚子の利根川河口の汽水域が有名だが、調べてみたところ
純粋な真水の川でも生息しているらしい
白井でしじみを見つけた。 というブログ
に、神奈川における約1万年前以降の海面変化曲線(太帯部分) の紹介がある
六千年前ごろ、神奈川では海面が今よりも約四メートル高く、縄文海進のピークを迎えていました。二万年前の氷期最盛期の海面は百二十メートル低かったのですから、わずか一万数千年の間に急激に上昇したことになります。
約九千年前から七千五百年前にかけては、三十メートルも海面が一気に上昇しています。これは百年当たり、およそ二メートルも上昇したことになります。急激な海面上昇の後、六千年前におよそ約四メートルの高さまで海面が達しました。
2万5,000年から5,000年前にかけての海水面の変動
霞ヶ浦ができるまで
晩氷期以降の気候と海面の変化
晩氷期以降の気候と海面の変化
約1万年前に最後の氷期を過ぎて、日本が列島として形成された後、気候の温暖化に伴い海岸線が内陸へと進んだ。これは縄文海進とよばれる海進で、約6,000~5,000年前にピークを迎え、現在の海面より2~4mも上昇した。
多摩川・鶴見川下流域から横浜港周辺の貝化石などから推定された1万5千年前以降の相対的な海面変化曲線(松島,1996)
「貝が語る縄文海進」松島義章2006より
千葉の「取掛西貝塚」に対して、神奈川に「夏島貝塚」があり、
下部貝層の貝類、木炭片による放射性炭素(C14)の年代測定の結果、カキの貝殻は9450年±400年、木炭は9240年±500年以前という数値が計測され
ハマグリ・アサリ・カキなどの貝類、マグロ・ボラ・クロダイなどの魚類、イノシシ・シカなどの哺乳類の骨も大量に出土した
「取掛西貝塚」の9000年前がシジミだらけなのに対し、
「夏島貝塚」の9500年前は、海洋性の生物主体なのは、海までの距離変化が少ない事に由来しているのだろうか?
東京湾の西側の海岸の変遷
出典:松島義章『貝が語る縄文海進―南関東、+2℃の世界』有隣新書、2006年
「取掛西貝塚」の出土品のパンフレットに、海面変化のグラフを重ねてみた

↑時代と海面と出土品
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Posted at
2023/01/02 10:01:00