1950年代に「安房列車」を出版した内田百閒は「用事もなく汽車に乗ること」を「安房列車を運転する」と表現した。
当然私の愛読書の一つであり、酒井順子氏の書いた「女流安房列車」も楽しい旅のエッセイとして繰り返し読んでいる。

ここに、もうすぐ有効期限の切れる福岡⇔鹿児島線の高速バス切符がある。
払い戻しもできるのだが、どうせなら九州の鉄道をゆっくり乗ってみようとお手軽安房列車を運転してみることにした。
私の安房列車の始発駅は鹿児島中央駅。

天神から西鉄高速バスで鹿児島を目指すことにした。
バスに揺られて約4時間。

漸くにして始発駅前に降り立った私はその足で黒豚とんかつを食べに

こちらのお店の暖簾をくぐる。

六白黒豚のロース。
私史上、恐らく一二を争う味。うま味と甘みがソースに全く負けない。試しにソースを全体にたっぷり絡めて見たが、しっかりうま味と甘みが舌に伝わってくるではないか。
恐るべし、本場の黒豚。
さて、腹ごしらえも終わったので早速安房列車を運転する。鹿児島での滞在時間は僅かに2時間だが、本日の目的は意味もなく列車に乗ることだから仕方がない。
まずは

この列車。特急「はやとの風4号」

指定席車がキハ47、自由席車がキハ147という2両編成。

1両に4か所展望席がある。
車内は

こんな感じ。
この列車で鹿児島中央から肥薩線の吉松駅を目指す。鹿児島駅を出れば右手にはオーシャンビュー。
当然、展望席から

桜島もたっぷりと見ることができる。日豊本線を「隼人」まで走り、海とお別れして列車は肥薩線に入り、吉都線との分岐駅「吉松駅」を目指す。
途中

嘉例川と

大隅横川駅で意味もなく長い停車時間が設けてあり、駅舎を見たり写真を撮ったりと観光をさせられる。特急といっても観光列車なのだ。
終点の吉松から本日の目玉列車、「しんぺい4号」に乗り、人吉を目指す。この人吉⇔吉松間は山間部の難所であり、建設当時は、勾配が蒸気機関車の限界とされる1000分の30を超えてしまうため、スイッチバックとループ線を使った形態とせざるを得ず、峠越えには時間を要すことから、本来は九州の大動脈「鹿児島本線」であった現在の肥薩線は、後に海側に新しい線を建設することで「本線」の役目を終え、今に至っている。
因みに人吉から吉松にむかう観光列車を「いさぶろう号」、折り返しで吉松から人吉に向かう観光列車を「しんぺい号」と呼ぶことは鉄道ファンなら知らない人はいないだろう。
吉松駅に並ぶ

「はやとの風」3号と「しんぺい4号」。私の乗ってきた「はやとの風4号」は折り返し運転で「はやとの風3号」となる。4号が先に走ってるのはなんだか変だが、車両は鹿児島に常備されているため下り列車である偶数番が先に走ることになる。

しんぺい号もキハ47系の列車だが

車両の内外装はそれぞれに個性的である。
通称「えびの高原線」と呼ばれる肥薩線の人吉⇔吉松間には3つの駅がある。吉松の次がスイッチバックのある「真幸駅(まさき)」、2つめが肥薩線最高地点にある「矢岳駅(やたけ)」、3つめがループ線とスイッチバックを組み合わせた「大畑駅(おこば)」だ。
なぜこの線に乗りたかったか、それはこのスイッチバックとループが見たかったから。しかもその2つの合わせ技は、日本で唯一ここだけに残っている見せ場なのである。
第一の見せ場「真幸駅」は

縁起の良い駅名から入場券を買い求める人も多いという。ただし真幸駅は無人駅なので入場券は人吉か吉松駅で購入することになるので注意が必要だ。
さてスイッチバック、

手前が真幸駅。左の下側の線路で駅に入ってきた列車はバックして右側の線路に入り、画面の左奥でポイントを切り替え、一番奥の線路を右方面に走っていく。

列車の止まっているホームの左にススキが広がっているが、その上側に人吉に向かう線路があるわけだ。
その線路から真幸駅を見ると、

こんな感じになる。この高さをスイッチバックで稼いだのだ。
車内にはテレビ画面がついていて、

そのスイッチバックの様子も見られるようになっている。
そして列車は次の停車駅矢岳駅を目指すが、駅手前、矢岳第二トンネルを抜けたところが、肥薩線最高の車窓風景の広がるところ。

日本三大車窓の一つと言われている。えびの高原を挟み霧島連山が一望できる。一番高い山が韓国岳。肉眼では画面山並みの右のほうに霧島も見えていたのだが、撮影技術未熟で表現出来ていない。この場所で列車は暫し停車し、撮影タイムとなる。
矢岳第一トンネルを抜ければ

矢岳駅到着。

吉松駅から2駅で313メートルも上がってきたことになる。
次は大畑駅。

写真中央に3本のレールが見えるだろうか?
現在地から列車は左にぐるっと半径300mの円を描いて3本のレールの一番左側のレールを通ることになる。そして林の中に見えなくなった地点でスイッチバックを行い、一番右側の線路に入り大畑駅に到着する。

一番右側の線路から見ると一番左が山を下ってきたループ線。先が弧を描いているのがわかるね。

大畑駅の駅舎には所狭しと名刺が貼られている。だれが始めたのか、そういう駅にいつの間にかなっちゃったんだろうね。

さて、日もだいぶ傾いてきた。ループとスイッチバックで矢岳駅から140m高度を下げてきた「しんぺい4号」はトンネルでさらに高度を下げながら、標高106.6mの終点人吉駅に到着する。この一駅の間でも標高を約170m下げることになる。
しんぺい号とはここでお別れし、私は

九州横断特急に乗る。この列車はキハ185系車両。確か以前乗った「特急ゆふ」と同じ系統で、JR四国から購入した車両ではなかったか?
九州横断特急はその名の通り、人吉から肥薩線で熊本まで走り、熊本からは豊肥本線に入り大分まで向かう、中部九州を横断する特急だが、この夏の豪雨で豊肥本線は一部不通となっており、現在は人吉と宮地の間を運航している。

この九州横断特急8号で、日が暮れるまで急流球磨川沿いを走り、列車は次の乗換駅「新八代」を目指す。
新八代に着いたのは鹿児島中央を出てから4時間半後。高速バスならとっくに福岡に着いているし、新幹線なら僅かに45分で着く。
私は高速バスや新幹線を「楽しい」と思ったことは一度もない。しかし、今回の鹿児島中央から新八代までは実に楽しかった。ただ列車に乗っていることが楽しくて仕方がなかった。久々に子供のようにはしゃいでしまった。
新八代からは時間の関係から

九州新幹線「つばめ360号」で帰ることにしたが、最後まで在来線に拘ればよかったなと反省をしている。
次の安房列車の運転はいつになるかわからないが、できれば豊肥本線のスイッチバックも味わいたいと思っている。