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lalacatのブログ一覧

2021年04月30日 イイね!

アルファロメオ155と事故の思い出。

アルファロメオ155と事故の思い出。Alfa Romeo 155superと事故の思い出。

長くSAABを乗ってきて、充分乗ってきたので決別しようかと感じるようになった。
SAABは趣味のセカンドカーとしてよりも、ファーストカーで仕事にも使っていたのだが、SAABタラディガは最初からリアウイングがついていたりと、いささか派手すぎた。

世の中には全く別なタイプのラテンの会社も存在する。
できたら、運転していて高揚感の生まれる車がいい。

今まで乗ってきたのは全てMT車で、アクセルワークとチューニングでスポーツ感はオートマの比ではないのだが・・・。

英国のロータスのように運転していて楽しいラテン車は?

アルファに決めた。

西部自動車にGTVを予約したのだが、折から免許をとった長女には「荷の余る車だろう」と、納車近くになってライトウエイトの155スーパーに変更した。

その時はくだんの家庭の事情で考えて最適の車と思ったのだが・・・。

運転したフィーリングはツインスパークエンジンこそ高揚感を感じが、足回りのこなれていないのには往生した。

僕が一番キライなのはフロントヘビーの車の操舵感なのだが、フロントが軽くても、足回りが柔らかいとエンジン性能を満喫できないと実感した。

学生時代からラリーで鳴らしたので、ダートのワインディングロードを走るのは一番すきだ。
とりわけ上下動のある山道は最高だ。

このアルファはSAABのときのつもりで運転すると、とても危険な車だった。
それだけ、前輪駆動車としてSAABは完成されていたのだったと思う。

特に、コーナーで遅れてリアの戻りがあるのはどうしたことか?
アルファとしては最初の前輪駆動で、後輪駆動のアルファティストを再現したかったのか?

サスが柔らかいだけとは違う、設計思想が関係しているか?

兎にも角にも、単なるユーザーの僕としては、「コニにでも変えてみるか」という程度しか改善の方法がない、かなりディープな問題だと感じた。

「これはスキーでは難儀するな」と思っていたのだが、155での最初のスキーで万座に向かうときに、中軽で路肩に雪が見えてきた。「SAABなら気にせずに鬼押出しドライブウエーまで走れるのだが・・・」と思いつつチェーンを付ける機を逸した。

前方の中軽の別荘地から峠に向かうコーナーで、路面に雪が見え、2台の車がスリップしたのだろう、事故ってほとんど車線をうめている。

「かわして抜けれるか?」と思ったのだが、一瞬ブレーキに足が行って、僕のアルファもスリップ。

SAABなら難なく通り過ぎる場面だが、コントロールを失ったタイヤにはいかんともしがたく、ハンドルで逃げることもできずに、事故車に接触。
路肩の別荘地の看板に突っ込んでしまった。

いささか高速だったのか?ラジエターまでご昇天になって、楽しみなスキーツアーは中軽の峠に差し掛かる道路脇で終了。

北欧と地中海サイドの車の違いを身を以て体験した。

僕が通りかかる前からの事故車に、あとから来た僕のアルファが接触したので、相手は静止中こちらは走行中の前方不注意。

当然、こちらに修理義務が生じると思っていた。

保険会社が言うのには「ぶつかったのは年式の行っている車で、直前の事故で無価値になっている車なので、ぶつかっても支払い義務は生じない」とのこと。

学生風の運転者だったが、彼は「なんとか支払ってくれという」。
可愛そうなのでお見舞金として渡そうと思ったのだが、保険会社は「絶対にやめてくれ」と言う。

可愛そうなのは学生だが・・。
こういう場合もあるのか?これが”大人の世界か”と思うことに。
いささか、可愛そうで後味の悪い結果となった。

僕のアルファ車、初体験はこうして終わった。
いったい、アルファ155とはどういう車なのか?

最近では155もかなりの高値で取引されている。
購入するならスーパー以外の155、スーパーなら足回りをチューンしてある車をおすすめします。
75をおすすめします。

55スーパーだけが、足回りのチューニングがおかしかったのか?
疑問は尽きない。

軽快なツインスパークのメロディーが忘れられなく、並行輸入GTVツインスパークをCollezioneから購入して次期戦闘機とした。
これには長女も大喜びで、度々運転した。

ツインスパークGTVはなんというか、3LのGTVとはまるで運転感覚が違うライトウエイトスポーツカーといえる車で、購入して正解だった。

とりわけ、珍しくスライディングルーフがついていて、二重の内側には明かり取りのスリットが付いていて、重苦しいGTVの室内を明るい雰囲気に変えていた。

運転してのフィールは、フロントも軽く、2.0ツインスパーク・スパイダーにボディ剛性をプラスした感じが一番あたっていると思う。

足回りもバランス良く、155スーパーとの違いは際立っていた。

その後数十年を経て、昨年に白のアルファスパイダーを購入する寸前まで行ったのだが、おりからのコロナ騒動で地方にまで行く決断が付かず買いそびれてしまった。

今もアルファロメオには興味が尽きない・・・。
Posted at 2021/04/30 14:45:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月28日 イイね!

SAAB900 Turbo

SAAB900 Turbo
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SAAB900Turbo

SAAB99を2台乗り継いだあとに購入したSAAB900Turboです。
所有車としては初めてのターボ車です。

折から東京でできたSAAB OWNERS OF JAPANに入会したので、同好の士と巡り会えて多くのクラブイベントに参加しました。
スキーをするメンバーが多く、冬場はクラブイベントとしてのスキーツアー、雪上ラリー。
多摩川河川敷の白バイ練習コースでのジムガーナー(これはSAAB95で参加)などに参加しました。

当時はまだSAABが国産車とは違うキャラクター、性能を保っている時代です。

[SAAB車のターボ]


初期型900Turbo ターボはボッシュ製、MT5速。
ディラーはまだミツワ自動車ではなく西部自動車だった。

900Turboの頃はターボ車は比較的少なく、それぞれの会社のターボに特徴があった。

SAABのターボはボッシュ社製で、SAABとしては後に出る低圧ターボはまだ登場していなく、主に加速性能を追求したモデル。

ターボのフィールは、ターボに入るまでエンジンフィールはかったるく、ターボが入ったあとはアクセルワークに応じた加速というもので、ドッカンターボではない、スムーズな加速を楽しめた。

[特 徴]

スエーデンという北欧の車で、SAAB車のフィールはアメ車とドイツ車をたして2で割ったような、なんとも言えないフィールを、航空機イメージから持ってきた前傾したフロントウインドウと独特なコックピットのデザインなどで分からなくさせる魅力。

設計当時としてはそれほど特徴的ではなかったのだが。フロントヒンジのボンネット(主に日本で故障しやすい冷却系の確認には不便)。セダンとは違う5ドアハッチバックデザイン(これは9000タラディガで書くと思う。身を持って体験したクラッシャブルゾーンがないので追突されたときに搭乗者が被る頚椎ダメージは甚大)は女性オーナー増には結びつかなかったか・・。

900シリーズまでの野太いドロドロという排気効果音(これは独の音で、当時は知的職業の人が乗っている事が多い車で、大学教授とかジャーナリストなどが乗ってる映画もいくつかあリマした。、ハリウッド映画のハエ男だったか?、女性プレスパーソンの乗った900が画面に現れる前の排気音でSAABとわかるほどでした)

誰もが「あれ?」と思うエンジンキーの差し込み位置や、手袋をしてのドアの開閉に対応した大きなドアハンドル。
ドアハンドルは、後にアルファGTVでスキーに行ったときにプッシュボタンだけのドアオープンスイッチが凍りつき、難儀したことがあって、違いに納得しました。

ちなみに、アルファの記事でかくと思いますが、ラテンの車で山岳のスキー場には行かないほうがいいと思います。これは僕の経験ですけど・・・。
スキーにはSAABが一番ですね。
今は違いますが、当時のボルボはなんというかこれといった特徴がなく、質実剛健という車でした。

「故 障]

幸いにも、ターボと国産クーラーの故障は体験しなかった。
もっとも、夜の高速サービスエリアで赤く輝くターボを見て、その後はサービスエリア手前でしばらくニュートラルで走行してサービスエリアに入るとか、エンジンを切るまでしばらくアイドリングさせるとか気を使ったのは確かだ。

エンジンルーム内の過熱に気を使って、ボンネット上面の左右についているエアー抜きのターボ側の、内側プレートを取り除いた。
そのままでは雨が入るのでプラステックのエアー抜きをつけて同色で塗ってみた(写真で違いがわかります)。
水温は少し下がったと思う。

ちなみに、後に取得するJagur 3.8 MTはクーラーを国内でつけていたので、フロントフェンダーの内側にサメのエラのようにスリットを左右につけてエアー抜きをしていた。

外国車の故障の殆どは日本の都市の熱と湿度にると思っています。
幸い最近の輸入車の熱対策は進んでいますが、内装ではイタ車と同じく今乗っている9-9カブリオレでも内装にベタベタが出ています。


それに引き換え国産クーラーは、90km以上の過回転でも故障することはなかったのは幸運だったか?

ウインドレギュレーターも不調はなく、楽しく運転できた。

しかし、思っても見なかったマニュアルミッションの故障で修理に60万ほどかかり、しばらく乗った後、9000タラディガを購入することに・・。

書いていて思い出したのですが、サーブクラブの友人から購入した中古のスノーで関ヶ原に行った時に完全にフロストした農道で直角コーナーを曲がる時に後輪が滑って路肩のガードにぶつかったことがあります。

SAABといえども摩耗したスノータイヤでは如何ともし難いか・・。

それ以来、スノータイヤは新品を購入することにしています。
Posted at 2021/04/28 17:21:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月25日 イイね!

シトロエンGS 2台の思い出。

シトロエンGS 2台の思い出。シトロエンGS1015cc GS1220ccパラス

空冷・水平対向4気筒SOHCのエンジンは直進安定性を稼ぐため、フロントアクスルの前に縦置。
空冷エンジンのためラジエタースペースを必要とせず理想のエンジン配置にできたのでは?と思う。
当時の大衆車としては珍しく、バネ下重量でアドバンテージのある前輪ダブルウイッシュボーン、4輪ディスクブレーキを装備。

DSと同様のハイドロニューマチックと油圧回路を共有したもので、アンチノーズダイブ機構と併せて、強力かつロックしにくい設計機構。
DSやSMに通じる、スイッチのようにストロークが短踏力い独特の操作感。

ブレーキングでもノーズダイブを伴わない安心感とどこまでも真っすぐ走っていく直進性能は乗った人でないと理解できないレベルでこういう車が世界にはあるのかと驚いた。

1015ccはボビン式スピードメーター。1220ccクラブはメーター式。
シングルスポークハンドル。

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1973年頃に初めての輸入車として購入。

カーグラを高校生の頃から毎月購読していて、その中の絶賛記事(だったと思う)がきっかけで購入を決めた。

シトロエンはSAAB96と同様な頃の2cvやアミに興味があったのと、前輪駆動ならシトロエン、エンジンの排気量に対して1500ccのコロナと同じような大きさのボディ、高価なDSと同じハイドロサスペンションと一体のブレーキ。などが魅力で、試乗もせず渡辺自動車に購入依頼した。

社長の応対で、おそらく名古屋で最初のオーダーだったと思う。


[GS1015cc]

好きな色のグリーンを申し込んだので、半年以上待たされて、そのは車なしの生活を送った。
グリーン色は英国車のレーシンググリーやシャーウッドグリーンとはいささか違って少し濃い目のグリーンで新車のGSにはあまり適していなかったかも・・。


GSは当時の国産車とは一線を画した車で、彼我の違いに愕然とした。

その前の所有車はフェアレディZで、当時のの国産車で技術力は一番先を進んでいた車だったので興味津々だったのだが、乗ってみて驚いた。

大衆車でこのメカニズム。輸入車なのでクラウンなどと同じ価格帯。
日本での価格アドバンテージはなかったが現地では安いのだろう。

その類まれな直進安定性。ブレーキ性能、類まれな車体、内装デザイン。
コックピットのワンスポークのハンドル。
どうしてワンスポークなのか?を聞いたら、ぶつかった時にハンドルが斜めになって胸を打たないようにするためだとか。

ビボン式スピードメーター。ダッシュから生えた手前に引く駐車ブレーキハンドル。
数えればきりがない。


「その後ずーっと車に乗った時に気にする足回りとバランスを重視する基準になった車。」

エンジンは空冷でトルクも低い。
常に高回転を保っていないと速度が落ちるので、他の人が運転したときは誰もいい車とは言わない、
平地の多いフランスならともかく、車も多く山道も多い日本ではなれと技量を問われる趣味車。

特に木曽路を通って八方、赤倉と頻繁にスキーに行っていたので速度の維持には苦労した(夜明けまでに着かないとスキーをできる時間が限られるとかという1億総ワークの時代)。

故障といえば、足回りのハイドロの故障で木曽路でぺったんこになりディーラーに引き取りを依頼したことが1回のみ。
ウインドウの上げ下げもハンドルなので故障はなし。

東京といったり来たりの日々だったので、3年を経ずに12万キロオーバーになり、低排気量故クーラーも装備できないので1220クラブの下取りに。


[GS1220ccクラブ]

1220にしたのは、折から長男も生まれて、ファミリーとしてはクーラーが積めそうだと聞いたから。
GSにまだ乗りたりなかったから。

メーターは普通のメーターに変わっていた。
目を奪うメーターではなかったが、1015ccのビボン式メーターはフラフラと四角いスクリーンの中のスピード数字がドラムが回転して上がり、未だに郷愁は感じるのだが飛ばし屋としてはいささか心もとなく感じていたので、容認することに。

おそらく技術発展の中の中で忘れ去られる運命だったのだろう。

今度の車体色はメタリックの入ったライトブルーで爽快な色だ。

エンジンパワーでは1015ccからのアドバンテージはそれほど感じなかった。
トルクは上がっていたのだろうが、パワーについては未だに塩尻に行く木曽路の登りを判断基準にしているので、依然として回転数に注意をする必要があった。

目当てのクーラーは、考えれば当たり前のことだったのだが・・・。
空冷エンジンなので渋滞や停止していての冷房は送風の音だけで、全く効かない。

故障は記述していて思い出したのだが東京からの東名高速で、やはりハイドロが壊れて立ち往生。

途方に暮れている時に、無情にも渡辺自動車の車が走りすぎていった。

後で聞くと、一瞬確認はしたらしいがナンバーも読めず、通り過ぎたとのことで平謝りでした。

その他、駐車しようとしてバックでハンドルを切っている時に、ハンドルがすっぽり抜けてしまったのには驚いた。

走っているときだったらどうなってただろうか?

ハンドルを差し込むパイプの下側に四角い穴があるので、抜けたハンドルを見るとバネで引っ込む出っ張りがある。
どうしても入らなくて、指を挟んでしまった。
記憶が少し曖昧だが、エンジンキーを回すと出っ張りが引っ込んだと思う。

なんとか差し込んで直ったのだが・・・。

後で聞くと、記憶が正しければハンドルをおさえている部分のプラスティックのブッシュが割れたとのことだったと思う。

シトロエンは故障が多いと聞いていたのだが、GSについては恵まれていた。
これが車の多い東京だったら故障の塊になっていたかもしれないが、幸い道の広く渋滞無縁の名古屋だったのが幸いしたか?

その後、東京に移住したあと、西部自動車が持ち込んだCXパラスを試乗しようとしたまさにその時、家の前の路上にガソリンがダーダー漏れに広がって動かなくなった。

命の危険を感じてシトロエンに乗る興味を失った。

もちろん、GSのハンドル抜けの故障のこともあるが、一人のユーザーとしてはガソリン漏れは不運な経験だった。
そういえば、GSではキャブからガソリンが漏れたこともあった。

とはいっても、シトロエンには今でも興味がある。
カーグラテレビのシトロエン特集はすべて保存したままだ。 

小排気量をターボで回す今のシトロエンは加速の高揚感に乏しいとのことで購入には至っていない。

それでも青春時代のGSの記憶は残り、2年ほど前に録画したカーグラTVの「シトロエン黄色い探検隊」は何度も見返しているシトロエンファンなのだ。
Posted at 2021/04/25 16:32:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月22日 イイね!

キューベルワーゲン

キューベルワーゲン
キューベルワーゲン

ベルギーいる時に本屋でドイツのAUTOCARだったと思うが、車の雑誌を購入して読んでいたら個人売買コーナーに1943年キューベルワーゲンを売りたいという記事があった。

早速、電話をしてみた。聞けばオーストリアのミリタリークラブの会長だとか言う。
程度はよく、エンジンオリジナルだというので、購入することに。


受け取り支払い代行と日本への輸送はヨーロッパヤマトに依頼した。
支払い代行は、車を取りに行ったときに支払いを代行してくれるので重宝する。
ハイランドからからSAAB95を個人輸入した時も依頼した。

SAAB95の時は電話だし、方言を恐れて、KDDIの3者通訳を利用した。

この当時はメールでのやり取りや、リアルチャットなどのシステムはまだない時だし、いろいろと面倒ではあった。
7-8年前まではキーパンチャーやテレタイプの時代だった。

小学生の時から模型屋に通って、ソリッドモデル、その後はプラモデルを作るのが趣味だったので、まさか自分が本物を手に入れることができたとは、感激。


多くのプラモデラーと同様にドイツの戦車や航空機に興味を持っている。
外国製のビックスケール キューベルワーゲンは組み立て途中のまま現在に至っているが、実物と比べられるのは歓喜。

購入できるのは、またとない機会・チャレンジだと感じた。

品川の埠頭についたキューベルワーゲンはヨーロッパ ヤマトの厚意で、貴重なものと、木箱に入れられて到着していた。
木箱の外枠を外して四方に倒して開けたときは、実物大のプラモデルのよう。

念のために依頼しておいた、外車の新規輸入車検にたけた業者と一緒に点検。
やはり、起動しないのでワイヤーで引っ張って無事始動した。

オーストリアで車検を通っている車なので大丈夫だとは思ったが、一緒に機関や足回りを点検して、仮ナンバー自走で工場へ。
その後の車検をパスするには半年ほどもかかった。

ガソリンタンクがフロントにあり、戦争映画では撃たれると直ぐに爆発するシーンもあって、業者が言うには「自衛隊の車をいきなり民間で使用するようなもの」とか。」
米国のジープなどと違って、キューベルワーゲンは車検を通すほうも通される方も初体験。
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本物のキューベルワーゲンを日本で車検を取るのはこの車が最初。

オーストリアでレストアされた塗装色はアフリカ軍団のマークこそないがサンドイエローで熱帯色。

車にはドイツ軍の熱帯ヘルメット(探検隊がかぶっているような)とマグカップが。

マグカップにはハーケンクロイツと1937の数字が・・・。

「1937年の意味は?」と問い合わせたら、「オーストリア解放の記念カップ」とのこと。
なるほど、彼はオーストリアのコレクターで、ドイツ・オーストリア帝国の失地回復なので「解放」なのか。
そういえば、ヒットラーもオーストリア人。

現地ミリタリークラブの彼(本人はミリタリークラブの会長)
にとっては周知のことで、申し訳なく思ったが、簡単に電子メールでやり取りできるわけでもなく「ああ、そうだったのか」ということに・・・。


のちに彼からは、シュビムワーゲンを買わないか?」のメールも写真付きできた。
とても興味があったのだが、丁寧にも、送ってくれた写真の中には川で遊んでいて沈没して、引き上げる写真も同封されていた、

購入しても車検と船検を取るのは至難の業なのと、何より車庫を借りなくてはならないし、僕の性格では、「絶対に川に浮かべて動かす!」-->沈没だろう。
熟考の末、購入を断念。

その後も、米軍のダックを買わないかとのメールも。上陸用舟艇に車輪を付けたような車で絶対に船検・車検は通らないだろう。
車庫もトラックサイズを借りなくてはならない。素人の僕には手に余るので、やはり断念。

ちなみに、この時ベルギーで購入した雑誌にはクラシックバイクを売りたいとの記事もあって、問い合わせたら何十台もの写真を送ってきて、恐縮した。
ツェンダップのサイドカー付き(丁寧にも機関銃座付き)の写真や、僕の知らないバイクの旧車がある。
写真もライカレンズで撮ったようなクリアーで、なおかつボケもあるプロ並みの白黒写真で、何かにつけバックにある歴史の違いを感じた。


さて、プラモデルを作るのに何十冊もの洋書を持っていて、キューベルワーゲンの本もあるが、もとよりヘインズとか整備書も持っていない。
嶋田洋書に出かけても希望の書籍はなく、オリジナルかどうかの見分けがつかない。

そこで、ドイツのポルシェ博物館に車体番号とエンジン番号を書いての問い合わせを送った。
1か月ほどで届いた文面には、車体・エンジンともオリジナルの組み合わせのキューベルワーゲンとのこと。

「やった!」貴重な車を手に入れたことになり、安堵。

[走行テスト]

1,000ccのエンジンだが、軽い車体には十分すぎるパワー.
「ややファイナルが低いか」と思うのはジープだから仕方がない。
さすがに2輪駆動なのにアフリカ戦線からロシア戦線まで砂漠から雪の草原まで実用されただけある車だ。

ブレーキはワイヤー、ノンサーボだし、ハンドルのダイレクト感は尋常ではない。
首都高のコーナーでは、「こんなにバンクがあったのか」と認識を新たに、恐怖のドライビングを体感した。

大田区のガソリンスタンドで給油した時には、店員の顔が硬直していた。
この時にはヒースロー空港のバーゲン(26,000円)で購入したアクアスキュータムのトレンチコートを着ていて、あとで気が付いたら、ガススタンド近くの右翼の事務所の人と勘違いされたようだ・・・。

もっとも、つや消しサンドイエローのボディ色と、武骨なデザイン、トレンチコートの運転手では趣味の車とは思えず、無理もないか。

都内の走行では、発進加速はそこそこだが、流れに乗った後のワイヤーブレーキはかなり心もとない。

夜間走行ではヘッドライトを使うと車検を通っているので暗くはないが、試しに戦時灯火管制用のヘッドランプでは、当然とは思うがとても走れない。
戦地でも、このライトは自車の位置表示用だろう。
映画の中では漆黒の原野でこのライトをつけて走っているシーンがあったが、現実には蛮勇を通り越してクレイジーだ。

これだけ簡素化された車はさすがドイツの合理主義の塊。フォルクスワーゲンが長く生産された理由もわかった。
とはいえ、大学時代に手に入れたぼろぼろのタイプ1もキューベルワーゲンと比較すれば、完全な乗用車で全く別物の車と思う。
Posted at 2021/04/22 18:13:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月19日 イイね!

トーハツ ツインアロー の思い出。

トーハツ ツインアロー の思い出。
トーハツツインアローの思い出。
所有期間 1965ー1966

クラスメートが1964年に会社更生法を申請してバイクの生産を止めた東京発動機(株)トーハツのバイクが安く買えると誘ってきたのは高校2年の時。

東京発動機(株)は一時期は日本最大のバイクメーカーで50ccランペットの名声は僕でも知っていた。

ツインアロー:空冷2シリンダー2キャブ●123cc●12HPS/5000rpm●Max115Km バンキング角度50度●130kg●12万9000円
1年半の所有期間は壊れることもなく、自身も高校生ゆえメンテとしては愛情を持っての清掃程度しかしていない。

東京の大学に行っていなかったら長く使っていたと思う。
上京の日に父の取引先の方にもらわれていった。


父に相談するも、「バイクは危険」と固く禁止されたてまった。

そこで、小学校時代から趣味で集めていた記念切手を、切手ショップに売りに行って7万円に。

当時は郵政省の記念切手発行数が現在に比べると遥かに少なく、切手収集をしている人は多かった。
小学校を半休して、中央郵便局の大きなビルを半周する皇太子殿下ご成婚記念切手をシート買いしたことも。

思い出の多い記念切手収集だったが、メインの切手を売ってしまったので徐々に先細りとなりました。

バイク屋に現金を持って「これが全てだけど・・・」とお願いしたら「OK。」と言うので、父母に黙って即決。
本当はランペットがほしかったのだが、それはすでに在庫が無いとか・・・。

友人ともども、125ccのトーハツツインアローを購入した。


保管は近くの”自転車預かり”に保管してもらうことに。
当時は今のようなオープンスペースの駐輪場などは無く、貸主が自宅で専業として自転車等を預かっていた。

ほどなく、僕がトーハツを預けた時の領収書が学生服のポケットに入っているのを母に見つかり、父から大目玉を食らったのだが、「買ってしまったものはしょうがない。」ということに・・・。


高校はバイク通学禁止だったのだが、どこ吹く風で毎日バイク通学をすることにした。
ある時、帰ろうとしていたら、指導部の教諭が「OO、ちょっと来て手伝ってくれ。」と言うのでついて行くと、校舎裏に駐めた僕のバイクのところに。

一緒に教員室裏に移動したのだが、急いでバイクで下校。
その後は、学校敷地外に駐車したのだが、何事もなく1年が過ぎた。

当時は大都市でもバイクはノーヘルで乗ることができた。
毎日の通学は学生服に学生帽で方からバッグを下げてトーハツツインアローで通学したが、運良く転倒事故もなく過ごした。

当時はバイクに乗るときは、車が突っ込んできても交差点で逃げれるように、絶対にニュートラルにはしないのが鉄則だった。

舗装してある道路でも路肩近くは砂がかぶっている。
当時の名古屋では青信号が黄色になる前に、青の点滅があった。
黄色になる前急いでに加速してくる自動車もあって交差点では気が抜けない。

ふらふらと荷物を積んだマツダの三輪トラックが道を曲がってくるときには、注意を要する時代だった。

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奈良公園にて。

クラスメートとは大学入学が決まった時に、同じツインアロー2台にもう一人のクラスメートを乗せて3人で京都・奈良へツーリングに出かけた。

さすがに名神高速道路ではヘルメット着用が義務付けられていたのだが、125ccの高速道路での2人乗りは許されていた。

小学校修学旅行以来の京都は先斗町に泊まって楽しかった。
ツインアローで嵐山でも猿を横目に見ながらグイグイと登っていく。


帰路、後もう少しで帰り着くという高速道路上で友人のツインアローがガス欠。
当時はガソリンとは別に混合オイルを燃料に入れるのだが、少し焼き付いたか?

分解してなんとか走るようになった。

原付き2種とはいえ、パワーが有って、とても乗りやすい楽しいバイクで、オープンカーに憧れる基をつくった愛車でした。

1年数ヶ月の間、浅間やマン島レースの詳細は知らなかったが、モーターサイクルの醍醐味を味わった。

カーグラ連載の「北緯40度線探検隊」には心を踊らせた。
読み直そうと調べたら、筆者は逝去していて、著書はAmazonでは5,800円!


原付き2種の運転免許は後の免許改定で自動的に大型2輪免許に更新され、大きなバイクにも乗れることになった。
43年後に台湾製 KYMCO 250ccスクーターまで乗ることはなかった。

今でも車の脇を走る大きなモーターサイクルを見ると、時として羨ましくなるのは歳になって乗れなくなったせいだろうか・・・。

KYMCOスクーターは国産スクーターが大きなボディで加速が悪い中、軽量ボディで抜群の加速をしてくれ、年甲斐もなく対バイクでもギアチェンジの間に追い越すことができる俊足車だった。

Posted at 2021/04/19 13:03:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記

プロフィール

「[整備] #159セダン エアコン調整ユニット修理交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/3234552/car/3712776/8241604/note.aspx
何シテル?   05/24 18:10
僕の自動車遍歴 ()は同時期所有 ① トーハツ ツインアロー バイク ② プリンス・スカイラインGTA(プリンス縦型ラジエターグリル) ③ マツダ・フ...
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僕とアウディTTを修理に。 
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lalacatさんのアウディ TT ロードスター 
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愛車一覧

アルファロメオ 159 (セダン) アルファロメオ 159 (セダン)
西部自動車がアルファロメオのディーラーだった頃に購入した155スーパー、その後のGTVツ ...
サーブ 9-3 カブリオレ サーブ 9-3 カブリオレ
99,95,96,900turbo,9000タラデガ、グリフィン、9-5などを乗り継いで ...
サーブ 9000 セダン サーブ 9000 セダン
以前乗っていました。 SAAB9000Grifinです。 詳しくはブログにて。
ジャガー Mk2 ジャガー Mk2
以前所有していました。 詳細はブログ。

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