
キューベルワーゲン
ベルギーいる時に本屋でドイツのAUTOCARだったと思うが、車の雑誌を購入して読んでいたら個人売買コーナーに1943年キューベルワーゲンを売りたいという記事があった。
早速、電話をしてみた。聞けばオーストリアのミリタリークラブの会長だとか言う。
程度はよく、エンジンオリジナルだというので、購入することに。
受け取り支払い代行と日本への輸送はヨーロッパヤマトに依頼した。
支払い代行は、車を取りに行ったときに支払いを代行してくれるので重宝する。
ハイランドからからSAAB95を個人輸入した時も依頼した。
SAAB95の時は電話だし、方言を恐れて、KDDIの3者通訳を利用した。
この当時はメールでのやり取りや、リアルチャットなどのシステムはまだない時だし、いろいろと面倒ではあった。
7-8年前まではキーパンチャーやテレタイプの時代だった。
小学生の時から模型屋に通って、ソリッドモデル、その後はプラモデルを作るのが趣味だったので、まさか自分が本物を手に入れることができたとは、感激。
多くのプラモデラーと同様にドイツの戦車や航空機に興味を持っている。
外国製のビックスケール キューベルワーゲンは組み立て途中のまま現在に至っているが、実物と比べられるのは歓喜。
購入できるのは、またとない機会・チャレンジだと感じた。
品川の埠頭についたキューベルワーゲンはヨーロッパ ヤマトの厚意で、貴重なものと、木箱に入れられて到着していた。
木箱の外枠を外して四方に倒して開けたときは、実物大のプラモデルのよう。
念のために依頼しておいた、外車の新規輸入車検にたけた業者と一緒に点検。
やはり、起動しないのでワイヤーで引っ張って無事始動した。
オーストリアで車検を通っている車なので大丈夫だとは思ったが、一緒に機関や足回りを点検して、仮ナンバー自走で工場へ。
その後の車検をパスするには半年ほどもかかった。
ガソリンタンクがフロントにあり、戦争映画では撃たれると直ぐに爆発するシーンもあって、業者が言うには「自衛隊の車をいきなり民間で使用するようなもの」とか。」
米国のジープなどと違って、キューベルワーゲンは車検を通すほうも通される方も初体験。
本物のキューベルワーゲンを日本で車検を取るのはこの車が最初。
オーストリアでレストアされた塗装色はアフリカ軍団のマークこそないがサンドイエローで熱帯色。
車にはドイツ軍の熱帯ヘルメット(探検隊がかぶっているような)とマグカップが。
マグカップにはハーケンクロイツと1937の数字が・・・。
「1937年の意味は?」と問い合わせたら、「オーストリア解放の記念カップ」とのこと。
なるほど、彼はオーストリアのコレクターで、ドイツ・オーストリア帝国の失地回復なので「解放」なのか。
そういえば、ヒットラーもオーストリア人。
現地ミリタリークラブの彼(本人はミリタリークラブの会長)
にとっては周知のことで、申し訳なく思ったが、簡単に電子メールでやり取りできるわけでもなく「ああ、そうだったのか」ということに・・・。
のちに彼からは、シュビムワーゲンを買わないか?」のメールも写真付きできた。
とても興味があったのだが、丁寧にも、送ってくれた写真の中には川で遊んでいて沈没して、引き上げる写真も同封されていた、
購入しても車検と船検を取るのは至難の業なのと、何より車庫を借りなくてはならないし、僕の性格では、「絶対に川に浮かべて動かす!」-->沈没だろう。
熟考の末、購入を断念。
その後も、米軍のダックを買わないかとのメールも。上陸用舟艇に車輪を付けたような車で絶対に船検・車検は通らないだろう。
車庫もトラックサイズを借りなくてはならない。素人の僕には手に余るので、やはり断念。
ちなみに、この時ベルギーで購入した雑誌にはクラシックバイクを売りたいとの記事もあって、問い合わせたら何十台もの写真を送ってきて、恐縮した。
ツェンダップのサイドカー付き(丁寧にも機関銃座付き)の写真や、僕の知らないバイクの旧車がある。
写真もライカレンズで撮ったようなクリアーで、なおかつボケもあるプロ並みの白黒写真で、何かにつけバックにある歴史の違いを感じた。
さて、プラモデルを作るのに何十冊もの洋書を持っていて、キューベルワーゲンの本もあるが、もとよりヘインズとか整備書も持っていない。
嶋田洋書に出かけても希望の書籍はなく、オリジナルかどうかの見分けがつかない。
そこで、ドイツのポルシェ博物館に車体番号とエンジン番号を書いての問い合わせを送った。
1か月ほどで届いた文面には、車体・エンジンともオリジナルの組み合わせのキューベルワーゲンとのこと。
「やった!」貴重な車を手に入れたことになり、安堵。
[走行テスト]
1,000ccのエンジンだが、軽い車体には十分すぎるパワー.
「ややファイナルが低いか」と思うのはジープだから仕方がない。
さすがに2輪駆動なのにアフリカ戦線からロシア戦線まで砂漠から雪の草原まで実用されただけある車だ。
ブレーキはワイヤー、ノンサーボだし、ハンドルのダイレクト感は尋常ではない。
首都高のコーナーでは、「こんなにバンクがあったのか」と認識を新たに、恐怖のドライビングを体感した。
大田区のガソリンスタンドで給油した時には、店員の顔が硬直していた。
この時にはヒースロー空港のバーゲン(26,000円)で購入したアクアスキュータムのトレンチコートを着ていて、あとで気が付いたら、ガススタンド近くの右翼の事務所の人と勘違いされたようだ・・・。
もっとも、つや消しサンドイエローのボディ色と、武骨なデザイン、トレンチコートの運転手では趣味の車とは思えず、無理もないか。
都内の走行では、発進加速はそこそこだが、流れに乗った後のワイヤーブレーキはかなり心もとない。
夜間走行ではヘッドライトを使うと車検を通っているので暗くはないが、試しに戦時灯火管制用のヘッドランプでは、当然とは思うがとても走れない。
戦地でも、このライトは自車の位置表示用だろう。
映画の中では漆黒の原野でこのライトをつけて走っているシーンがあったが、現実には蛮勇を通り越してクレイジーだ。
これだけ簡素化された車はさすがドイツの合理主義の塊。フォルクスワーゲンが長く生産された理由もわかった。
とはいえ、大学時代に手に入れたぼろぼろのタイプ1もキューベルワーゲンと比較すれば、完全な乗用車で全く別物の車と思う。