大学に合格したら!と懇願し続けた車種です。
母の勧め?もあり、86に乗ることになりました。
初代相棒であり、私のカーライフの始まりは86とともにありました。
後にあんな悲惨な出来事になろうとは…
ボディカラーはパールホワイト、トランスミッションは間違うはずもなくマニュアルにしました。
当初はメカニカルな事はもちろん、クルマのいろはすらままならないような状態でした。マニュアルトランスミッションを操作する感覚と、エンジンの回転が上がったときのサウンドにただただ愉しさを感じて走っていました。
高校へはクルマを持っていっていなかったので、乗るのは基本的に週末のみでした。週末の楽しみと言えば86を運転して趣味のゴルフにいくこと、毎週毎週、週末が待ち遠しかったことを覚えています。
そんなこんなで、とくにカスタムする考えはありませんでした。唯一したことといえば、フェンダーガーニッシュを取り付けたくらいです(笑)
タイヤもホイールもマフラーも、エンジンオイルも純正のままでした。
86を事故で失くす直前くらいから、タイヤやホイールに興味を持ち始めていました。そろそろタイヤを買い換えるか!と意気込んだ矢先に、事故は起こったのでした。
納車から1年と数日経ったある日、ハンドルを切っても回頭せず、そのままの勢いでガードレールにクラッシュ、トリプルアクセルを決めて反対車線に当初の進行方向とは逆向きに着地したのでした。
不幸中の幸いは単独事故であったことです。クルマどおりの少ない、さらには昼間ということもあって、他人を巻き込まずにすんだことだけが救いでした。峠でしたのでもちろん電波は入らず、ただただ人が通って助けてくれることを願い、ボロボロになった相棒を眺めながら立ち竦んでいました。
また、私に大きな怪我はなく、破壊したガードレールなどの修理申請を済ませました。そのあと念のため病院に行ってレントゲンなどの撮影と診断をしてもらいました。軽い打撲でしたが、あの大事故でよく生きていましたねと言われました。画像の掲載はいたしませんが、皆様の想像の上をいく大事故でした。
いまとなっては廃車にしたことは話題にできますが、当時は何度も事故の瞬間がフラッシュバックしたことで苦しみました(事故の翌日に次のクルマ!とか言って、レクサスディーラーに行ってRCやらLCを試乗したことは、おそらく脳が正常でなかったのでしょう)。
このクルマとは1年あまりしか共にしていませんが、ある意味では一番思い出のあるクルマです。
そんな86の回顧、卒塔婆としてこのガレージを作成します。セカンドカーに86を考えたり(笑)
これを読まれた皆様、どうか安全運転をお願いいたします。
※86の事故画像がなぜか出回り、一部のTwitterユーザーのアカウント画像として掲載されたという話は余談です…(笑)
※後々わかったことですが、道路の状況証拠から、コーナーで落ち葉を踏んだことをきっかけとして、そのままアンダーステアとなったように思います。言い訳でしかありません。
何km/hでていたかは定かではありませんが、おそらく走りたい気が騒いだことは事実と思います。