2016年から東京に転勤となってから気になっていたことがあります。それは恩賜庭園の存在です。
地方である地元では聞いたこともなかったので、東京の公共施設はちょっと違うなという感想を持っていました。
それは何なのか、あらためて調べてみました。
左:1936年頃 右:2019年
引用元:国土地理院空中地図
1936年頃は浜離宮はまだ宮内省の管轄なので白く塗りつぶされています。旧芝離宮はすでに下賜(1924年)されているので塗りつぶされていない。
旧芝離宮恩賜庭園
浜松町駅北口から徒歩で1分のところに旧芝離宮恩賜庭園があります。もともとは宮内省の管理していた庭園で、その前の江戸時代は老中・大久保忠朝の屋敷内にあった庭園だったそうです。現在周囲は埋め立てられていますが、かつては池に海水を取り込み江戸湾を借景とし、眺望を楽しむものでした。明治に入り皇族(有栖川宮熾仁親王)の所有となり、さらに皇室が買い上げて大正13年(1924年)昭和天皇のご成婚を記念して東京市に下賜されました。
浜離宮恩賜庭園
江戸時代甲府藩の屋敷として造成されました。その後、将軍家の別邸となり浜御殿と呼ばれるようになりました。明治に入り宮内省の管轄となり浜離宮と名前を変え、鹿鳴館が完成するまで外国要人を迎える館として重要な役割を果たしてきました。1945年 GHQの要求により翌年東京都に下賜され現在に至ります。旧芝離宮と同様に池に海水を引き込み潮の干満を楽しんだそうです。
ずっと疑問だったのが旧芝離宮の『旧』ですが、はっきりとした理由が見つかりませんでした。恩賜庭園はこの2カ所のみです。
恩賜公園
庭園の他に下賜された公園が5カ所あり、うち恩賜箱根公園(神奈川県 1946年)を除いては東京都に帰属しています。猿江恩賜公園(1924年)、上野恩賜公園(1924年)、井の頭恩賜公園(1924年)、有栖川宮記念公園(1934年)です。
明治大正昭和に宮内省が管理していた土地は東京に多くあり、人口の増加や街の発展が進み宮内省から東京市に払下げが行われたようです。
わが地元には存在しないわけです。
補足
明治初期の東京市の人口は全国で5番目でした。その後、増え続けて明治31年(1891年)になると新潟県を抜いて188万人になり人口1位となっています。人口が急激に増えてきたところに大正12年(1923年)に関東大震災が発生しています。