
準決勝終了後、周りには平然としているように見えたと思うが、その実、息も絶え絶え、脚はパンパンな状態だった。終了後アイスパックで頭や体を冷やしダウンに入った。
6月・7月と遠征・合宿もできず、長男やショップの夜練だけでしのいできたので、ハイペースなバンクでは乳酸がすぐに溜まっているらしい。もう少しお金に余裕があれば・・・・・・・・・・・・・・・・・・。5月の段階ではかなりいい感じできていたのでもう一段レベルアップが図れたかもしれない。
そうは言っても後の祭り。無い物ねだりはできないので、明日に向けての準備をすることにした。機材の点検をするが、特に異常なし、タイヤも問題ないようだ。マッサーを入れている間、次男は自分の組と他の組の準決勝の走りをビデオで確認している。
やはり奈良の元砂君が絶対的に強い。多分どの種目でも勝てるだろう。決勝の展開は彼がスパートすると誰も先頭責任が取れずに終わってしまうだろう。ということは、彼がスパートする前に先頭責任を取れば、入賞は確実に決まってしまうだろう。
実は彼とはシマノのジュニアアカデミーで2年間一緒に練習したことがある。その縁でご両親とも会場でお話したりする。この時、本音を言うと、彼に、次男が先頭責任を取るまで、駆けるのを待ってもらいに頼みに行こうかと思った。もしくはご両親に頼んでみようかとも思った。
狭い会場なので、移動中何度も顔を合わす。・・・・・・・・・・・・が、できなかった。
県、四国と各ブロック大会でそういうレースは何度も目にしているし、それでやられたこともある。今回はこちらがしても良いのではないか、それでお前の子どもは確実に入賞するぞ、それが子どものためだろ・・・・・・・・・もう一人の自分がささやく。多分頭を下げてお願いすれば聞いてくれるかもしれない。
だが、できなかった。意地とか、恥ずかしさとか、そういう気持ちではなく、一言すればいいのだが、どうしてだろうかできなかった。普通にあいさつをして兄弟(長男とは同い年)やレースの話を通り過ぎた。
ホテルで映像を再度確認するが、途中のタイムや持久力をチェックすると12名中9~10番位だと思う。表彰式に出れるのは8位までなので、このままだと無理という結果になる。他人より勝っているのは、暑い中でも冷静に考えた走りができる頭と、標準より優れた動体視力だけ。
一晩寝て、決勝は11時5分スタートなので、昨日より少し遅めにアップに入る。
特に必要ないのだが、縁起を担いで、来た時から毎日行っている近くのパン屋さんに行く。おばちゃんの愛想が良く、「今日も頑張ってね」の声に気を良くして買ってかえる。
周りにいる学校で、すでに負けたり、パシリで付いて来ている一年が気が抜けているのか、ウザかったので、自分たちが陣取っている場所には入れないようにした。他人から見たら、横暴かも知れないが、筋肉はゆるんでリラックスさせつつ、気持ちは徐々にテンションを高めていく時は、自分の中に深く入っていかなければいけないので、近くで騒がしいと邪魔になるからだ。
昨日までのハリは取れているようだ。ただ連日暑い中でのレースなので、疲労は抜け切れていない。
自分も今日は変な迷いは抜けて、次男に任せることにする。見慣れないフレームと聞き慣れない学校が決勝に残っているので、先日までよりフレームを眺めている人が多い。ある程度スタンドでアップをした後アップエリアに移動する。昨日までとは違った緊張感が場に漂っている。大学の推薦を受けるには、入賞が大事な条件なので、今日の走りに自分の将来がかかっていると言ってもいいだろう。インターハイに出れたらいい、と思っている奴らが多い予選とは雰囲気が変わっている。
その後、トンネルをくぐり待機エリアに移動。元砂君と次男がギリギリまで待機エリアのテントの中に残っている。すでに他の選手は外で乗っているが、気になるのかテント下に視線を走らせている。狙い通りという感じだ。ギリギリになり、待機エリアから出てきた次男から、ボトルを受け取り、バイクを渡しスタート地点に向かう。
生まれて初めて感じる、頭の中がスーッとクリアになっていく感じがする。気温は30度を越えているのに、暑さを感じず、体感温度がサーっと下がる感じだ。多分次男の頭とシンクロしているのではないだろうか。緊張して周りが見えないのではなく、周りもはっきりと見えるし、判断もできるのだが・・・・・・・・。
スタート後、一気に先頭争いが始まる。先頭が激しく争い入れ替わる中を最後尾から走っていく。ラップはかなり上がっている。ここから間に合うのか・・・・・・・・・・。
周回が進み先頭責任が3名完了し、12周のレースが中盤に差し掛かった頃、スルスルっと上がって行き、少し集団のペースが落ちた頃6周目に一気に仕掛けたが、他の選手がもう一人前にいて、いつもより半周余分に力を使ってしまった。どうにかこうにか先頭責任を完了した。この時点で完了者は次男を入れて4名。
このすぐに後元砂君が一気にスパートを駆ける。この後、他の選手はもう一人が先頭責任を完了し、6名が完了。後はついて行けばいいのだが、どうも様子がおかしい。スピードがなくズルズルと後退していく。
このまま持つのか・・・・・・・・・。声をかける事はルール上禁止なので黙って見るしかない。顔を見ると苦しそうだ。少しペースが落ちていたのだが、ラスト1周半で元砂君が再度スパート、駄目かと思ったがどうにか抜かれることなく完走した。
会場入りして予選から準決勝まで終わるたびにホッとしていたが、この時は何も考えられなかった。ただただ、帰ってくるのをバンク内で待っていた。感激したとか、うれしいとか、辛いとか、くやしいとかという感情無しに涙が出たのは生まれて初めてだった。
コース内でダウンしている選手が、ぼやけて見えない。
大の大人が人前で泣くのはみっともないので、汗を拭く振りをしてぬぐった。濃い色のオークリーをしているので分からないとは思うが・・・・・・・・・・・・。
帰ってきた次男からは、疲労困憊のなかに少し残念そうな悔しそうな顔があったが、後でレース展開を話しているときは入賞できたことに喜びを感じているようだった。帰ってきた次男を見てまた涙が出てきた。次男の前で泣いたのは、小6の時、陸上の県大会で、1000mの県記録更新かと言われながら、ハードな練習のせいで、大会直前に喘息になりボロボロになりながら、走りきった姿を見たとき以来だ。
あの時、自分のトレーニングに対する無知さ、感覚の鈍さを思い知った。
長男が中学時代、全中・ジュニア五輪出場と伸びていったときに、腐らずにトレーニングを続けていた次男、ようやく陽の目を見れたような感じだ。
あれから6年、自分は、次男にとっていい父親になれたのだろうか。女房にしても、競技や遠征でお金や時間を使う自分を、何も言わずに好きにさせてくれたことに感謝している。いい夫足りえたのだろうか。
昨日、元砂君にお願いに行こうかと迷っていたが、行っていればこんな気持ちにはなれなかっただろう。余談だが、元砂君は、その後世界選手権で2位に入った。
午後から表彰式があり、その後ロードレースの会場である鈴鹿サーキットへ移動しなければいけないので、スタンドに帰ってくると、早々に荷物を片付けキャラバンに積み込む。表彰式に出ない高校は、すでに鈴鹿へ移動しているようだ。
暑い中作業をしながらも次男は周りからは、声をかけられうれしそうだ。他校の監督からも声をかけられていた。
ただ、私には「今日で力と気力を使いきった感じがする。明日のロードはヤバイかも・・・・」とポツッと一言。